桜祭り2014において、卒業50周年記念式典が行われました。
8期生を代表された三宅一男様の「代表者あいさつ」をご本人の了解を得て掲載させていただきます。
卒業50周年挨拶
只今ご紹介にあずかりました8期の三宅と申します。
本日は卒業50周年記念式典にお招き頂き、更に記念品までご用意頂き厚く御礼申し上げます。かつて鵜飼学長の排斥運動などを引き起こした私が記念品を頂くなど誠に忸怩たるものがありますが、本日はここに参集した8期の友人に代わってありがたく頂戴いたします。
さて、ICUを卒業して50年、率直に申し上げて念頭を離れないひとつの疑念があります。
大昔、私がまだ高校生の頃、湯浅八郎先生お会いしたことがあります。確か京都鴨川のご自宅であったと記憶しています。お話の詳細は失念いたしましたが、先生のICUに託す熱い想いと「ぜひICUに来たまえ」という言葉は鮮明に覚えております。入学後は長清子先生のアドバイジーとなり、ICU創立に纏わる話を何度も伺いました。両先生に象徴されるICU建学に関わった多くの方々を仮に「原始ICUの人々」と呼ばせて頂くならば、その方々の背後には数千万の死者をだしたあの戦争体験があったことは疑いようがありません。「平和を希求する祈り」こそICU献学の理念の原点であったと信じます。
戦後70年のなかでICUはその託されたミッションをよく果たしたのか。これが私の疑念であります。優れたガバナーを得れば来たるべき50年の財務基盤の構築は可能でしょう。優れた教育システムと高い学問的水準の維持も期待できます。しかし日本にミッションスクールができて150年になりますが、「原始ICUの人々」は決してもうひとつのミッションスクールを創ろうとしたのではないと思います。国際主義、キリスト教主義という理念を掲げ「平和な世界は可能か」という課題に挑戦したのだと思います。いま問われるべきはICUの掲げる理念が次の50年100年に耐えうるか、であります。「原始ICUの人々」を改めて想い起し、次の時代にICUの果たすべきミッションとは何かに想いを馳せることこそ、本日の式典の真の意義だろうと考えます。
多分次の100年式典には参列しえない8期生としては、戦後70年の歩みのなかでICUの理念が何を成したかの検証し、未来に向けて何を発信すべきかを構想する委員会(コミティ)の立ち上げをご提案して感謝の言葉に代えさせて頂きます。本日は本当に有難うございました。
以上
2014年3月30日
8期生 代表 三宅 一男