プロフィール
フランス・アルザス出身。フランス人の父と日本人の母を持ち、ナチュラルワインが多く造られるアルザスで生まれる。ICU卒業後、ベルギー・フランスの大学院に進学し、10年間総合商社に勤めた後に、ナチュラルワインやアルザスワインの魅力を発信すべくワインショップ&ノンアルビールブルアリー「 inclus (アンクリュ) wine & brewing 」を谷根千にオープン。日本ソムリエ協会のワインエキスパートの資格を持つトリリンガル。アルコール0.0%のクラフトビールブルアリーも併設し、お酒を飲む人も飲まない人も楽しめる空間づくりを目指す。
- 齋藤
- 今回はICUの卒業生であり、この「今を輝く同窓生たち」の運営もしてくれている國村有弓さんの紹介でインタビューすることになりました。よろしくお願いします。
- 彩美
- よろしくお願いいたします!
- 渡辺
- 彩美さんと有弓さんは、どんなふうに知り合われたんですか?
- 齋藤
- 彼女は同窓会学生部に所属しているから色々な情報をもらっているんだと思うね。こちらのお店にも来た事があるんじゃないかな。
- 彩美
- そうですね、店に来てくださいました。
- 渡辺
- 彩美さんはIDでいうと?
- 彩美
- 09です。
両親の出会いはエジプトです。両親共に考古学者なので発掘の現場で出会ったそうです。
- 渡辺
- 斎藤さんもワインがお好きで、とてもお詳しいですよね。
- 齋藤
- いえいえ、大したことはないと思います。私の家内もICUでして、ワインがとても好きなんです。うちにはおそらく80本ぐらい入るワインセラーがあるんですよ。でも一体いつ飲んでいるのか、すぐになくなっていくのです(笑)。こちらのお店のストックを、さっきパッと見せていただいたのですが、ここは結構高価なワインが揃っているんですね。
- 彩美
- ありがとうございます。ワインは高いものは高いので、うちにはないですが1本数十万円から100万円を超えるものまでありますね。
- 渡辺
- その深いワインの道でのワインエキスパートでいらっしゃるんですよね。
- 彩美
- そうですね。ワインエキスパートは、ソムリエと同じレベルの民間資格になります。
- 渡辺
- どのような経緯でワインエキスパートの資格を取られたのですか?
- 彩美
- このお店を始める前は10年間商社に勤めていました。 その間はずっとこの会社で働くんだろうなと考えていました。父がフランス人で私もフランス語ができた関係でフランス関連のプロジェクトに関わる機会がありました。その時にお客様とフランス出張に行き、休日に近くのワイナリーに行って通訳をしたんですが、ワインの知識が全くない!と気づき勉強を始めるうちにのめり込んでいきました。それ以前から当たり前のように「彩美さんワイン選んでください」と言われることが多く(笑)資格をもったことで、誰かのためにワインを選ぶ際に、自信がついたように思います。
- 渡辺
- お父様がフランス人でお母様が日本人でいらして、ご家庭では彩美さんが小さい頃からご両親がワインを飲んで語らったりとか、そういった景色が身近にあったのでしょうか?
- 彩美
- そうですね。フランスだと夕食までに軽く一杯お酒を飲む「アペロタイム」があるので、早い時間からワインをあけて、夕食を通じて食後まで楽しむ様子はよく見ていましたし、ワインはとても身近な存在でした。
- 渡辺
- 差し支えなければ、ご両親はどんなふうに巡り会われたんですか?
- 彩美
- 出会いはエジプトだと聞いています。両親共に考古学者なので発掘の現場で出会ったそうです。
- 齋藤
- それはまた珍しい。
- 渡辺
- お父様はフランスで考古学を専攻なさっていたのですね?
- 彩美
- はい。父の時代はまだ兵役があって、20歳前後で派遣された先がたまたまエジプトでそこから興味を持ったそうです。身体を使うタイプの兵役ではなく、事務系でエジプトに派遣されたと聞いています。そこから国の魅力に魅せられてしまったそうです。
- 渡辺
- どのような研究を?
- 彩美
- ヒエログリフや文字の解読の研究をしていました。
- 渡辺
- お母様は日本で考古学を専攻なさっていたのですか?
- 彩美
- いえ。元々、母は東京藝術大学で油絵を専攻していました。母曰く、学校に入ってすぐに周りの生粋のアーティストとの違いを実感して、自分は研究職に向いていると思ったそうです。母は藝大卒業後にフランスのグランゼコールの一つであり、ルーヴル美術館に隣接する、ルーヴル学院に留学しています。
- 渡辺
- 藝大をご卒業後に留学なさったのですね。
- 彩美
- はい。フランスに渡ってからは修士・博士号を取るために30歳くらいまでずっと学生を続けていました。最初の1年はずっと映画館に通って、まずはフランス語を聞き取れるようにするところから始めたそうです。
- 渡辺
- そこからさらにエジプトに繋がるのですね。
- 彩美
- ルーヴル学院の先生がエジプトのピラミッドなどから出土した美術品の研究をしていたんです。父とは少々アプローチが異なり、美術史的観点から、発掘品の顔料や染料を研究したり、当時の人々の暮らしを研究していたそうです。
- 齋藤
- えええ~!。(驚き)
- 渡辺
- じゃあ、お二人はフランスではなくエジプトで出会われているのですね。お母様にとってはフランスが第二の故郷という感覚でしょうか?
- 彩美
- そうですね。フランス語もできますし30代まではフランスで勉強していたので、とても馴染みのある国だと思います。
- 渡辺
- 彩美さんはお生まれになったのは?
- 彩美
- フランスのアルザスです。衛生面等考えてエジプトではなく父の実家の方で生まれました。その当時母はエジプトの現場に行きながら日本の大学で教える仕事もしつつフランスにいるような状況で(笑)父はフランスで家族3人で暮らしたかったようですが、日本での考古学ブームや仕事の都合もあり母と私は4歳から日本で暮らしました。
- 渡辺
- お母様は東京の大学で教鞭を?
- 彩美
- 広島です。日本に来て10年くらいは広島で育ちました。
- 渡辺
- そうすると彩美さん、お母様とはずっと一緒だったのですね?
- 彩美
- そうですね、母はずっと一緒にいました。父はフランスの研究機関にいましたが、広島とフランス・エジプトを行ったり来たりしてくれていましたね。でも父も実は1、2年日本に住んでいたこともあるんですよ。研究職なのでなんとか仕事を持って来れるんじゃないかということで。でも結局仕事の都合上、フランスにいる必要があるということで、フランスを中心とした生活をしていましたね。
- 渡辺
- お父様とは長い時間一緒にいられる生活スタイルではなかったのですね。
- 彩美
- はい。ただ学校がお休みになる夏休みと冬休みは必ず父のいるフランスに行っていました。
特に覚えていることは母の強烈なキャラクターですね。仕事の都合でどうしても海外に行かないといけない時に「ここで1週間後に迎えに来るから、あなたはここにいてね。」と言われて預けられて(笑)。
私、その時4歳で、門で泣きながら「お母さんは二度と帰ってこないんだ」って思ったことをすごく覚えてるんですよ。でも1週間後にちゃんと帰ってきて本当にびっくりしました。
私、その時4歳で、門で泣きながら「お母さんは二度と帰ってこないんだ」って思ったことをすごく覚えてるんですよ。でも1週間後にちゃんと帰ってきて本当にびっくりしました。
- 齋藤
- 上野桜木にご縁ができたのはいつからなんですか?
- 彩美
- 母がここの近くの藝大で非常勤で教えていたこともありましたし、何より母がとても破天荒だったので「とりあえず私は今日ここにいるから。あなたは美術館で〇〇展をみてきてね。また戻ってきます。」みたいな感じで(笑)。母からの言葉で印象に残っているのは「本物を見ることが大切だから」ということで、上野の展覧会や美術館によく連れて行ってもらっていました。
- 渡辺
- それはやはり考古学に関することが多かったですか?
- 彩美
- いえ!自分が見たいものはなんでも大丈夫でしたし、おそらく幼少期は自分の好みがわかっていなかったので逆におすすめされる事も多かったです。
- 渡辺
- 上野は美術館や博物館など見るところがとても多いですものね。その頃には広島から東京に移っていらしていたのですか?
- 彩美
- 都度、都度という感じでしたね。母の実家が千葉の船橋なのでこちらにも来やすかったこともあり、仕事の都合で広島と東京を行き来していました。私自身も今実際に暮らしてみて、この場所は子育てにはすごく良い場所だと思っています。母も私の興味のあるところや行きたいところには連れて行ってくれていましたので、自分の娘にもそうしてあげたいです。
- 渡辺
- 東京でも広島でも、いろいろな思い出がおありでしょうね。
- 彩美
- そうですね。私は母が40歳、父が44歳の時の子供なので当時はとても珍しく、さらに広島ではハーフというのが珍しいのもあってそもそも目立つ存在だったとは思います。
特に覚えていることは、やはり母の強烈なキャラクターですね。広島の幼稚園に通っている時に仕事の都合でどうしても母が海外に行かないといけない時があって、私にとって初対面の母の同僚の大学の先生のところに急に「ここで1週間後に迎えに来るから、あなたはここにいてね。」と言われて預けられて(笑)。
私、その時、門で泣きながら「お母さん帰ってこないんだ」って思ったことをすごく覚えているんですよ。でも1週間後にちゃんと帰ってきて本当にびっくりしました。
- 渡辺
- 素敵なお母様。。。当時は今のように子育て支援や枠組みがほぼない時代ですから、働きながら、しかも渡航なさりながらというのは本当に大変なことだっただろうと想像します。
- 齋藤
- 僕はお母様にとても興味があるね。彩美さんの今を作ったのはお母様だから、彩美さんを理解しようとしたら、まずはお母様からかみたいな(笑)
- 渡辺
- 彩美さんから見てご両親は研究者として似ていらっしゃいました?
- 彩美
- どうなんですかね。2人とも私から見ると「研究」というパッションを持っているので、そこへの没頭力は共通していた印象があります。母は特に常に人生の中心に自分の関心があるタイプでした。私に対しても大人に接するのと同じように接してくれましたし、個人として尊重してくれていたように感じます。
- 渡辺
- 今、お父様とお母様は?
- 彩美
- 父は私が14歳の時に亡くなっているんです。突然のことで私も母もびっくりしてしまったんですが、振り返ってみればその年の夏に家族3人で一緒に過ごした2ヶ月間、すごく体の具合が悪かったんだなと、後になって気が付きました。本当に突然亡くなってしまったので悲しむ間も無く、母は絶対にメソメソしない人なので彼女なりの表現として「なんでこんな時に」と怒っていました。でもそこからさらに、私が苦労せずに今後も生きていけるようにと思ってくれたんでしょうか、更に仕事に精を出すようになりましたね。
- 渡辺
- 彩美さんを育てあげるんだ!と強く思われたでしょうから。
- 彩美
- そうですね。実はその母も5年前に交通事故で突然亡くなってしまったんです。なんだか私の両親はどちらともパタッと いなくなってしまって。母の死は私の人生観をすごく変えましたね。母はずっと自分の好きなことが中心にあるタイプだったので、一緒にいるとぶつかって喧嘩ばかりだったんです。でも「仲良く過ごせる日は絶対にこれから来る」とお互いに思っていましたし、その時すでに72歳でしたが80歳までにやりたいこととかをすごく明確に描いている人だったので、突然の死というのはとてもショッキングではありました。
- 渡辺
- 心からお悔やみを申し上げます。突然の別れというのは言葉に尽くし難いものがありますよね。お目にかかったこともないから軽々には言えないのですけれど、ずっと走り続けていらしたお母様らしいとも受け取れるお別れかもしれないですよね。病院で長く療養なさってという姿は、もしかしたらご自身にとっても想像がつきにくいかも、なんて気もします。
- 彩美
- 母が事故に遭った時、病院に駆けつけて最期に間に合ったんです。事故だったので頭を強打していて意識すら戻らずわずか数時間で亡くなってしまって、最後の会話ができなかったのは今でもすごく心残りではあります。でも仰ってくださったように確かに母らしかったと思います。
- 渡辺
- それは彩美さんがおいくつの時ですか?
- 彩美
- 31歳ですね。実はちょうど母の一周忌くらいのタイミングに子供を授かりの32歳で子供を出産していて、ほぼ生まれ変わりみたいなタイミングだなと思っていました(笑)
- 渡辺
- それは、きっとおっしゃる通りなんだと思います。お母さまとお父さま、ずっと見守っていらっしゃるでしょうから。
国公立もICUも合格した時に母が「好きな方を選んだらいいよ」と言ったんです。私にチョイスを与えてくれたことにびっくりしたと同時にとても嬉しかったですね。それならば!と思いICUを選びました。
- 齋藤
- 広島には中学までいらしたそうですね。
- 彩美
- そうですね。中学3年から高校3年までの4年間は母の仕事の都合で岡山にいました。
- 渡辺
- 岡山の高校からICUに?
- 彩美
- そうですね。
- 齋藤
- それはまた珍しいね。
- 彩美
- 確かに周囲でICUのことを知っている人は少なかったですね。私はICUのことは母から聞いて知りました。なんだか変なエピソードですけれど、母には「東京の国公立に行きなさい」とずっと言われていました。
- 渡辺
- その言葉を彩美さんはどんなふうに?
- 彩美
- 私はすごく何かを押し付けられるのが嫌で、「勉強だけが人生で必要なことじゃない」と、それこそ親を見ていて思っていました。漠然と 「人生を楽しみたい」と思っていて、「自分がこれっていうものを見つけなさい」って言われても「いや、見つけられない人もいるよ」という感じで(笑)。なので個人的には「研究したいものは大学で見つかると思うから」という感じでした。
- 渡辺
- 実際にICUを選ばれたのはどんな経緯だったのですか?
- 彩美
- 国公立もICUも合格した時に母が「好きな方を選んだらいいよ」と言ったんです。私にチョイスを与えてくれたことにびっくりしたと同時にとても嬉しかったですね。それならば!と思いICUを選びました。
- 渡辺
- 決め手は何か?
- 彩美
- 合格した2校の卒業生の方とお話しさせてもらったことと、ICUのキャンパスですね。「行きたいな」と率直に思いました。母が賛成してくれたのもおそらく、ICU出身の方にたくさん会ってきたからではないかと思っています。
- 齋藤
- 今だったら「今を輝く同窓生をみました」って言ってくれる人がいるかもね。
- 渡辺
- ICUに進学される時はお母様は岡山で、彩美さんが単身で三鷹に?
- 彩美
- そうですね。第3女子寮だったので完全にICUの中での生活を楽しみました。本当にいろんな人と生活できますし居心地が良くて、寮長もやっていましたね。
- 渡辺
- 寮生活、満喫なさったのですね。そしてご卒業後は、商社に?
- 彩美
- ICUは教養学部なので本当はそのままフランスの大学に進もうと思っていたんです。中学生の時に父ともフランスの大学に進学することを約束していたこともありましたし、実際に向こうに行って欧州連合の欧州議会で現地インターンをさせてもらいました。その上で、当たり前の話ではあるのですが日本人のアイデンティティを持っていると、加盟国の利益を追求する場所である欧州連合で働くことへの違和感を多少なりとも感じました。
色々な関わり方が本来あったと思いますが、経験を積まれてから入る方も多いということと、国際機関もたくさんある中で「欧州連合はやっぱり特殊だな」ということを身をもって感じました。それで、やっぱり日本で働きたいと思った時に安直ではありますが、グローバルに働ける商社は面白いかもと思って入社しました。
- 渡辺
- 就職なさる前にベルギーでインターンも経験なさったのですね。
- 彩美
- そうですね。しかし両親や家族に会社勤めをしている人がいなかったこともあり、全然知らない経験をするのもちょっといいのかなって思い民間企業への就職を決めました。
- 齋藤
- 商社からお店を持つことになったのはどんな背景があるんですか?
- 彩美
- 自分が母親になったことが大きかったと思います。会社員よりもフレキシブルな働き方がしたいと思うようになりました。ちなみに起業に賛成してくれた夫もICUです(笑)
- 渡辺
- 学生時代からのお付き合いですか?
- 彩美
- いえ、学生時代の18歳から知ってはいたんですがお付き合いし始めたのは28歳の時ですね。新卒から10年在籍した会社には本当に恩を感じていて、出産・育休を得て復帰しました。ですが、すごく残念ながら自分の育休中に課長、部長含め組織が全然変わっていたんですね。その時に自分の直属の上司になっていた方が昔仕事でお世話になった方で知ってる方だったので、復帰した初日に面談をお願いしたところ怒り心頭で。「営業に出してやったのにすぐに妊娠・出産して、そんなの興味ないって言ってたのに何考えてるんだ」みたいなものすごい罵声を浴びせられました。そのできごとが、この会社を離れて働くのもいいのかもしれないと思うきっかけになりました。なおその後、人事部などで調査がなされ、最終的に役員から謝罪されるまで、結果的に1年ぐらいかかってしまいましたが会社を辞める良いきっかけになったと思います。最後は別の部署で良い上司にも恵まれたんですが、「人生やっぱり一度きりだから、他にしてみたいことがあるならしてみよう」とポジティブな気持ちで退社しました。
何気なく飲んでいるどのワインにも出会いやストーリーがあって「一期一会」を感じます。「何か本当に自分にとって良いものやポイントが何か1つあること」は大事かもしれないですね。
- 渡辺
- お店をはじめられて、軌道に乗せるまでは大変でしたか?
- 彩美
- そうですね。いかんせん初めてのことなので、事業計画等は区の企業支援や中小企業診断士の方からのサポートを受けて作成しました。最初はお客さんが来てくれるかもわからずドキドキでした。やってよかった、ずっと続けたいなって思えるようになったのは最近かもしれないですね。
- 齋藤
- ここはワイン屋さんなんですか?
- 彩美
- ナチュラルワインを売っていて角打もできます。飲食店やバーではなく食事はお出ししていない、いわゆる酒販店です。娘の送迎の時間との関係で、今のところ開けているのが土日祝日の日中と木曜日の夜だけなんですよ。
- 齋藤
- 木曜日は21時にオープンしたらどういう風になるんですか?
- 彩美
- 通常通りボトルを購入して帰っていただくことも、角打ちで飲んでいってもらうことも可能です。フードの持ち込みは大丈夫なので、ちょっと何か食べながらゆっくりされるお客様もいらっしゃるんです。2階もフリースペースになっているので、グループでこられる方や、ずっと本読みながらゆっくりされる方もいます。
- 渡辺
- だいたい何時ぐらいまで?
- 彩美
- 深夜ぐらいですね。主にご近所さんの集まる場所になっています。この谷根千という街は本当に魅力的な個人経営の飲食店がたくさんあって、住んでいる人たちはこのエリアで飲み歩きすることが多いです。なので我々の店にも0次会や2次会、3次会で立ち寄ってくださって、いろんな情報交換や世間話で盛り上がっています。ネット・SNSの時代ですが、まだまだ口コミで成り立っているような不思議な街です。
- 齋藤
- ちなみに、これらのワインのセレクションはあなたがやっているんですか。
- 彩美
- そうですね、今のところ全部インポーターさんから購入しています。もちろん味が美味しいからワインが好きなのもあるんですが、何気なく飲んでいるようで、どのワインにもストーリーがあってそのワインや生産者との「一期一会」を感じます。もし自分でお店をやりたい人にアドバイスするのだとしたら、「自分の心に響くポイントが何か1つあること」は大事かもしれないですね。お店をやる目的はなんでもいいと思うのですが、 私の場合はワインという商材を愛していることや、それから生まれる人との関係がすごく好きというのがそれにあたります。
また、ワインショップは生産者の作品を紹介する役割ですが、せっかくなら、自分も作り手になってみたいという思いもあり、ノンアルコールブルアリーも併設しました。なぜノンアルのみを造るのか、よく聞かれますが、お酒を飲める人も飲めない人も、老若男女問わず楽しめる世の中にしたいという想いがあります。おいしいクラフトビールはたくさんありますが、ノンアルになると自分が妊娠中にお酒を飲めなかったときに、あまりオプションがないなと感じていたので、自分達で作ってみることにしました。2024年7月にやっと最初のバッチを限定リリースすることができました。0.5%の低アルコールビールは大手メーカーからも出てきましたが、我々は完全に0.0%ですので、安心して飲んで頂けますし、大手とは異なる個性的なスタイルのビールを作っています。今後は通販やイベントへの出店も行っていきたいと考えています。
- 渡辺
- ワインやビールのお話、もっとうかがいたいところですけれど、卒業生やこのインタビューを読んでくださる方々には実際にお店で彩美さんと話していただくことを期待しつつ、最後に在校生やICUを受験したいと思ってくださる学生の皆さんにメッセージをお願いできますか。
- 彩美
- ICUの素晴らしいところは、色々な夢や価値観を持った方が色々なところから来ている学校であるということだと思います。様々な価値観や生き方があることを知れることが、自分にとって大きなプラスになると思います。今しかできないことを見つけて、何でも良いので色々なことに興味を持って行動してみてください。
プロフィール
彩美カトリーヌ
フランス・アルザス出身。フランス人の父と日本人の母を持ち、ナチュラルワインが多く造られるアルザスで生まれる。ナチュラルワインやアルザスワインの魅力を発信すべく谷根千にワインショップ「 Inclus (アンクリュ) wine & brewing 」をオープン。国内外に顧客をもつ。10年間勤めた総合商社に勤務時にもフランスのワイナリーに顧客をご案内した経験あり。日本ソムリエ協会のワインエキスパートの資格を持つトリリンガル。2022年に試飲したナチュラルワインの数は1000種以上。
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