プロフィール
フェリス女学院高校、国際基督教大学を経て、株式会社ベンチャー・リンクに入社し、女性専用フィットネスクラブ「カーブス」のアメリカ本部を取材、カーブスの日本展開権利の取得に携わる。2007年、株式会社アメージング・フューチャーを創業。自らカーブスのフランチャイズに加盟し、現在14店舗展開。女性ばかり60名の社員を率い、女性のキャリアプランの立て方、仕事との関わり方について各所で講演等を行っている。
- 齋藤
渡辺 - 本日はよろしくお願いいたします。
- 大田原
- はい、お願いいたします。
- 齋藤
- 大田原さんは卒業してどのくらいになられますか?
- 大田原
- 2000年卒業なのでちょうど23年になりますね。
- 齋藤
- そうですか、僕は今年で卒業50周年なのです。時が経つのは早いものですね(笑)
女性が活躍し続けられる会社や社会を目指したい、と沢山の経営者の方々とお会いする中で感じました。「自分も後輩も、男性化して働き続けることって幸せなのかな」と疑問に感じたのです。
- 渡辺
- 大田原さんは、スポーツクラブの経営をなさっているのですよね?
- 大田原
- カーブスという女性専用のフィットネスクラブの加盟店です。現在13店舗やらせていただいていて、今年14店舗になります。なので業種的にはフィットネス系になりますね。
- 渡辺
- ご自身もスポーツが、お好きなのですか?
- 大田原
- いえいえ!どちらかというと運動が全然できないので、ICUの1年生の時にプールを泳ぎ切らないと単位が取れないというのが地獄でした。
- 齋藤
- そんなことICUでありましたか。
- 大田原
- ギリギリで頑張っていたのを覚えています(笑)
- 渡辺
- じゃあ、幼い頃から体育はあまり得意ではなくて?
- 大田原
- そうなんです。小学生の時から「がんばりましょう」という評価でした。
- 齋藤
- 運動がお得意でないところからどうして現在の体育会系のお仕事に?
- 大田原
- 自分でも不思議です。新卒ではベンチャー・リンクというコンサルティング会社に入社して、フランチャイズ事業を世の中に広げる仕事をしていました。皆さんご存知のところでいうと、牛角やタリーズコーヒや銀のさらだったり。経営者の方のもとへ行って営業をしていました。
- 渡辺
- コンサルティング会社ご出身なのですね。
- 大田原
- はい。その後入社3年目くらいから、フランチャイズの大元になる事業を探すという役割を仰せつかりました。日本にどんな事業が広がれば良いかなということをいつも考えていましたね。
- 渡辺
- 事業を広げる営業の仕事ではなくて、その事業自体を見つけるということは大田原さんご自身、スタートアップを視野に入れるという意味合いも?
- 大田原
- いえ。まずは事業の核となる部分を探す、見つけに行くという仕事でした。そこでアメリカのカーブスと出会いました。
- 齋藤
- ㈱ベンチャー・リンクにはどれくらいの期間いたんですか?
- 大田原
- 2000年から2008年まで在籍させてもらいました。
- 渡辺
- 大田原さんが起業に興味を持たれたのは、どうしてだったんでしょう?
- 大田原
- 女性が活躍し続けられる会社や社会を目指したい、と沢山の経営者の方々とお会いする中で感じたからです。2000年代というとまだまだ男社会で、私自身も男性のような働き方をしていました。でもある時「自分も後輩も、男性化して働き続けることって幸せなのかな」と疑問に感じたのです。
- 渡辺
- なるほど。そんな時にカーブスと出会ったのですね?
- 大田原
- その出会いがあり脱サラしようと決めました。
- 齋藤
- カーブスの何が魅力だと思ったのですか?
- 大田原
- 予防医療の観点がとても強いのが女性にとって魅力的だと思いますね。運動したい人が美しくなるために行く場所ではなく、健康や筋トレの大切さをお伝えしてより良い自分になるために寄り添う場にするというイメージです。
- 齋藤
- お話伺っているとやはり、「女性が活躍する」ということを常に考えておられるんですね。
- 大田原
- そうですね。なので私の会社は女性だけなんです。彼女たちが生き生きとずっと活躍し続けられるような会社を作ってその人数を増やすことを目的にということを考えています。
- 齋藤
- 男性のトレーナーやスタッフの方はいらっしゃらないのですね!?
- 大田原
- カーブス自体はフランチャイズで事業を拡大していて、日本では2000店舗を400社ほどの会社が経営しています。私の会社もその中の1社なのですが、現場の店舗に入れるのは女性だけという形にしています。
- 渡辺
- 利用者の女性にとっても、トレーニングしやすい環境なのですね。
- 大田原
- そうですね。やっぱり汗をかいているところとか、一生懸命に筋トレしているところを男性に見られたくないというのが本音かなと思いまして。
- 齋藤
- ビジネスの話になるんですが、大田原さんご自身がフランチャイズシステムの仕組みを変革したり、新しいことを考えたりそういう風にはならなかったのですか?
- 大田原
- 私の価値観として、全国を動かす組織の一員になるというより、目の前の大事な社員と一緒に幸せに生きていきたいというものがあったので、今の選択を取りました。なので、現在のカーブス事業の他にも女性活躍を推進できる事業を進めていくのがこの1、2年の次の展開かなと思っています。
- 齋藤
- 大田原さんが最初にコンサルティング会社を選んだのはなぜですか?
- 大田原
- 「早く社会に出て役に立ちたい」という思いがあって就職をしました。就職以外の選択肢ですと、当時ICUの心理学の授業にとても興味を持っていて、大学院に行って臨床心理士の免許を取ろうかと考えたこともあります。就職することを決めた上で、事業を通じて社会に価値を提供していくというところに惹かれコンサルティング会社を選びました。
- 渡辺
- 戦略コンサルというよりは、営業に重点を置く会社ですか?
- 大田原
- そうですね。事業提供によって中小企業の業績を伸ばすのが目的で、当時すごく勢いがあったのを覚えています。
病院ではできないようなフィジカルとメンタル両面からのサポートをさせていただいて、信頼関係を築いていくというのが私たちの役割だと思っています。
- 齋藤
- 現在13店舗経営なさっているとのことですが、そのように店舗を増やしていくことができた秘訣はありますか?
- 大田原
- 会社全体で「目的意識を持つ、作ったルールを大事にする」ことを意識していることだと思います。4店舗目くらいまでは私自身の力で全国1位の業績を保つことができたのですが、それ以降はやはり苦労しました。全てに目を行き届かせることが難しくなり、女性だけでどう会社を回していくのかというところに課題を感じるようになりましたね。
- 渡辺
- 今さらっと「全国1位の業績」とおっしゃいましたけれど、簡単には達成できないですよね。そこに行き着くまでには、どんなビジョンを立てて取り組まれたのでしょうか?
- 大田原
- そうですね。本当に激痩せするくらい当時は大変でした。最初、カーブス店をひとつ出すのに脱サラで2000万円くらいお金がかかって。それを全部借り入れるのは怖かったので、前の会社に在籍させてもらいながら2足の草鞋で仕事をしていました。
- 渡辺
- それは大変でしたね。最初からうまく運びましたか?
- 大田原
- うまくいかないです(笑)。初めてのことですし、カーブス自体の知名度もなかったですし。月100万円くらいの赤字を出しながらやっていました。
- 渡辺
- どうやって業績を伸ばしていったのでしょうか?
- 大田原
- やはり自分自身も事業にしっかり参入しなければ、と決意を固めてコンサルティング会社の方へ辞表を出しました。そこから改めて0から始めましたね。質の良いサービスを提供することはもちろんですが、道で声をかけたり地道な営業活動もしていました。
- 齋藤
- それを続けた結果4店舗くらいまでは業績を保てたということですね。
- 渡辺
- 全国1位になった時は、嬉しかったでしょう!
- 大田原
- 本当に嬉しかったですね。2足の草鞋で頑張っていた当時は自分のやり方が未熟で、スタッフが全員離れてしまったことがあったんです。一度ひとりぼっちになって、でもそこから仲間がついてきてくれて1位を取れたと思うと自信もつきましたし更に意欲が沸きました。
- 齋藤
- お客さんに「コーチング」をするとのことですが、具体的に何をコーチングされているんですか?
- 大田原
- 健康のために筋トレが必要であるということの知識の啓蒙が基本です。カーブス自体は音楽に合わせて30秒ごとに12個のマシンを回って気づいたら30分くらい経っているというとてもシンプルな仕組みなんですが、そのマシンの使い方もお一人お一人に合わせて変えています。
- 齋藤
- なるほど。食事指導や生活習慣の指導というよりは筋肉中心のコーチングなのですね。
- 大田原
- そうですね。基本的には筋トレ中心ですが、メンタル面でのお悩み等にも寄り添って心を元気にするためにお話を聞かせていただいたりもします。お客様の居場所のひとつになれたら嬉しいです。
- 齋藤
- 利用者は何歳くらいの方が多いですか?
- 大田原
- そうですね。やはり40代以降の方が多いかなという印象です。日本の人口構造の通りという感じです。
- 齋藤
- そうですか。少し意外な感じがしますね。
- 渡辺
- いやいや、私も50代ですけど、そこが中心層なのは実感として、よくわかります。40代、50代になると若い頃の自分の体とは違ってくるのを感じるので、趣味とか健康志向とかじゃなく、筋肉を維持しないと生活に支障が出てくるんですよね。思ったよりも足が上がっていないとか(笑)
- 大田原
- 筋肉はどんどん衰えていきますし、女性は骨粗鬆症の危険性もあるので運動がより大切になります。病院ではできないようなフィジカルとメンタル両面からのサポートをさせていただいて、信頼関係を築いていくというのが私たちの役割だと思っています。
- 渡辺
- おっしゃる通り、バイタルとメンタルはつながっていて両面を保っていく必要がありますよね。
- 齋藤
- ひとつの施設にどれくらいのスタッフがおられるんですか?
- 大田原
- 大体3、4人です。
- 齋藤
- それだと何十人ものお客さんを回すのはかなり大変ではないですか?
- 大田原
- ほぼ会員制かつ、固定のお客様がいてくださるのであまり大きな負担ではないと思っています。時間も10時から19時までなのでそこまで遅くならないですし。
- 渡辺
- 19時?早いですね。ということは、利用者層は主婦の方がメインですか?
- 大田原
- 元々は主婦の方や引退された方が多かったんですが、コロナを機に少し変化があって。テレワークが増えたことで皆さん利用しやすくなったのだと思います。
スタッフ一人一人が自分事として会社について考えてくれるんです。お互いの信頼関係がみんなをチームにしてくれているのだと思います。
- 渡辺
- コロナは、かなり大変でしたよね。まだ過去形にできない状況かもしれないですが。
- 大田原
- はい、本当に大変でした。コロナの直前にM&Aで店舗をちょうど増やしたところで、業績的にもここからさらに頑張るぞ!という時でした。幸いにも、組織自体はだいぶ出来上がっていて、女性の自立と活躍を実現化させられるような社員が揃っていたので凄く良い状態でした。
- 齋藤
- そんな環境でもやはり会員数に変化はありましたか?
- 大田原
- 3割ほど減ってしまいました。
- 渡辺
- 通うのを休むのではなくて、辞めてしまう方が多かったということですか?
- 大田原
- そうですね。今考えると大した感染者数ではないような時期でも、まだコロナがどういうものか分からなかったので、チェーンとして2ヶ月間お店を閉めましょうという通達が出てしまって。フランチャイズなのでルールには従います。会費の返金や施設の固定費など、資金繰りに関しても考えなければいけないことが多くて大変でした。
- 渡辺
- 感染リスクに加えて、重篤化が心配という方も多かったのではないかと。
- 大田原
- 怖いから辞めさせてという電話が毎日鳴り響いていて…。
- 齋藤
- そこからどう対応なさったんですか?
- 大田原
- 顧客の新規開拓です。厳しい状況の中で既存のお客様を守ることも頑張ったのですが、もう外に出ようということで新しい客層を考えるようになりました。コロナが怖いというより、テレワークでコロナ太りしてしまったり、アルコール摂取量が増えてしまったりという人には運動が必要だと思ったんです。
- 渡辺
- コロナの感染予防で運動しなくなって不健康に陥ったら、それも困った事態ですものね。
- 大田原
- 会社を存続させたいという思いと、健康じゃない人達をこの機会に元気にしよう!今まで出会えなかった方に筋トレの大切さを伝えようということで本当に1日も休まずに営業活動をしました。結果、昨年業績をコロナ前の水準に戻すことができました。
- 渡辺
- それは、素晴らしいですね。
- 大田原
- 思いを持って、さらにその思いを広げていこうという気持ちを持ったスタッフがいてくれたからこそ頑張れたのだと思います。
- 渡辺
- チームの力ですね。先の見えないコロナのせいで働いても業績が上がらず、毎日退会の電話が鳴り響くというのは精神的にもかなり辛かったと思います。もう辞めようかなと投げ出さなかったのは、なんだったのでしょう?
- 大田原
- ここまで積み上げてきたものが大きいと思います。スタッフ一人一人が自分事として会社について考えてくれるんです。私も業績やお金の借り入れなどの情報の共有も全てするようにしていますし、お互いの信頼関係がみんなをチームにしてくれているのだと思います。
ICUの多様性と人の素朴さに惹かれました。本当に人間同士で付き合っている感じがして、大学生が都会で遊ぶのとは違う点が魅力的にうつりました。
- 齋藤
- 大田原さんのご出身はどちらでしたっけ?
- 大田原
- 東京の世田谷です。小学校は公立で、中高は横浜のフェリス女学院に通いました。
- 齋藤
- そうですか。海外に行かれたことはあるんですか?
- 大田原
- 実はほぼないんです。ICUでの交換プログラムの留学だけですね。あとはアジアをバックパッカーで回ったり。
- 渡辺
- フェリスからICUを選ばれたのは、どうしてだったのでしょう?
- 大田原
- 他にも色々受けたんですが合格したのがICUでした。なんとなくいいなと思って入学しました(笑)
- 齋藤
- そのなんとなくはどんな良さだったんですか?
- 大田原
- 多様性と人の素朴さに惹かれました。本当に人間同士で付き合っている感じがして、大学生が都会で遊ぶのとは違う点が魅力的にうつりました。
- 渡辺
- ICUではどの学科を?
- 大田原
- ISです。
- 渡辺
- ICUで学びながらバックパッカーをしつつ、心理学に少しずつ興味が出てきたという
キャンパスライフだったのですね?
- 大田原
- はい。
- 渡辺
- 学生時代はご自宅から通われたのですか?
- 大田原
- これが少し面白くて。一人娘だったので両親が一人暮らしはダメよということで、横浜から2時間かけて通いなさいって言ってきたんです。そうしないとお金出さないよって。
- 齋藤
- お父様お母様は心配だったんでしょうね。
- 大田原
- そうですね。でも、じゃあ私自分で稼ぐからとか言って自分でお部屋を借りて家を出てしまったんです。なのでICUで真面目に勉強して、オーケストラに入って音楽をして、それの後に本当に身を削ってバイトしてました。
- 渡辺
- 例えば、どんなバイトをなさったんですか?
- 大田原
- 時給が高いところを繋いでいました。家庭教師をして、そのままファミレスで深夜まで働いて。体力があったので4年生の頃は、その後に朝までドンキホーテでバイトしていました。
- 渡辺
- すごい!お家を出て生活するのは楽しかったですか?
- 大田原
- すっごく楽しかったですね。セクションメイトと一緒に暮らしていました。
- 齋藤
- 大田原さんの、しぶとく頑張り続けるキャラクターというのはどこから学んだんですか?
- 大田原
- 確かに凄く辛抱強いです。あとは執着心がすごいです。
- 齋藤
- 事業を1人ではなくチームでするというのは、やはり才能が必要だと思うのです。その能力をどこで身につけられたのかなと。
- 大田原
- その面で両親の影響はないですね。サラリーマンの父と教育熱心なパートをしていた母という感じだったので、むしろ反面教師的な意味で影響を与えてくれていたかもしれないです。母は、ちゃんとした学歴がありながらすぐに会社を辞めて結婚して。「働いていればよかった、経済力があれば自立してた」という話を聞きながら育ったので、私は絶対に自立した女性になろうというのは子供の頃から決めていました。
- 齋藤
- フェリスの中高の影響は何かありましたか?
- 大田原
- それもなかったです。
- 齋藤
- 珍しい人ですね(笑)。普通の人生送ってきてなかなかこんな生き方は出来ないように思えるのですけどね。
- 渡辺
- 大田原さんの率直さはとてつもない魅力ですよね。大きな強みにも感じます。ご両親に反発してでも、ご自分で頑張るのは小さい頃からですか?
- 大田原
- 両親からのいい影響として、なんでも私に選択権を与えてくれたことがあると思います。習い事も受験も「自分で選ぶ」ことを尊重してくれました。
- 齋藤
- 大田原さんはICUでは成績はよかったんですか?
- 大田原
- 大学時代はそんなに良くないでしょうね。中の上くらいでいいかなみたいな(笑)
- 渡辺
- それだけバイトなさってたら難しいですよね。差し支えなければ、1ヶ月でどのくらいのバイト代だったんでしょう?
- 大田原
- 10万から25万位です。
- 渡辺
- すごい!初任給以上ですね。
- 大田原
- そうですね。この大学での経験や苦労もあって進路を決めるときには「このまま学生を続けず稼ごう」と思いました。これまで実家である意味守られてきた人生でしたが、やりたいことを実現するためには社会に出たいという気持ちが凄く大きかったですね。
- 渡辺
- 社会に出てお金を稼ぐことの大変さを知って、そんな中でバックバッカーとして旅をして。どんな旅でしたか?
- 大田原
- 安かったし、楽しかったし凄く面白かったです。マレー鉄道を使いながら旅をしたり、鉄板のインドにも行きましたし、自転車でサイクリングしたり。
- 齋藤
- どのくらい行っていたんですか?
- 大田原
- 夏休みの期間は1ヶ月フルで行ったり、それ以外だと2週間とか行っていました。
- 渡辺
- ICUでフルに良い時間を過ごされたのですね。大学生活を振り返ると、ご自身にとってはどんな時間でしたか?
- 大田原
- 私の素ができた場所だと思います。小中高と受験だったり、女子校だったり、型にはまった狭い世界で生きていたのが、ICUに入って世界が大きく広がりました。好きなことを自由にできる、それを周りと認め合える。ICUは「自分に素直になって良いんだな」という思いを育ててくれました。
- 渡辺
- その自由な風土は、ICUらしさですよね。
- 大田原
- 社会に出たときに、ICUのような心地良さってあまりないんだなと感じましたね。まさか自分が起業するとは思ってなかったですし。
女性が自立し活躍できる場を誰かに作ってもらって活躍するのではなく、自分から主体的に行動していくことが必要です。
- 渡辺
- 今、大田原さんは女性の自立のために思いを持って働いてらっしゃいますけれど、会社員時代は男社会を経験した、と。具体的には、どんな経験だったのでしょう?
- 大田原
- 当時2000年代というのもあると思うのですが、みんな会社で寝袋で泊まりこんで働くくらいブラックなのが当たり前でした。働く時間が今とは比較にならないような働き方をしていました。24時開始の会議とかも平気でありました。自分を高めるために20代に猛烈に自分を鍛える道場のような会社でした。
- 齋藤
- それは強烈なところに入られましたね。
- 大田原
- あとは女性の上司がほぼいなかったです。いたとしても家庭を犠牲にしていたり、夫婦間で問題があったり…。世の中の物事は男性の意見で決まっていくんだなということを感じる場面は多かったですね。
- 渡辺
- その経験はしてよかったと思われますか?
- 大田原
- そうですね。あの組織だった人からこそ、私は20代しっかり力をつけさせてもらったと思いますし、当時の仲間も起業家として仲良くさせてもらっています。
- 渡辺
- 女性が働きながら家庭も両立させていくのは、やはり難しいと感じますか?
- 大田原
- 大学の講義やSNSでも発信させていただいているんですが、結婚・出産・介護など色々な人生のイベントを視野に入れてライフプランやキャリアプランを立てることが大切だと思います。
- 齋藤
- 具体的に考えていくことが重要なのですね。
- 大田原
- 女性が自立し活躍できる場を誰かに作ってもらって活躍するのではなく、自分から主体的に行動していくことが必要です。
- 齋藤
- 大田原さんはお子さんはいらっしゃるんですか?
- 大田原
- 6歳の娘がいます。妊娠中に新店舗を出して、契約書にサインして、年齢的にも39歳でギリギリで…。とかなり大変な日々を送っていました。
- 渡辺
- パートナーは、どんな方なのでしょう?うかがってよろしければ。
- 大田原
- 一緒の仕事をしているのでお互いに支え合える、一緒に歩んでいけるようなパートナーです。とても強い人です。
- 渡辺
- 素敵ですね。じゃあ、これからはどんなビジョンを?
- 大田原
- 社内で掲げている目標としては2025年までに15店舗に増やすことです。あとは何か新事業を立ち上げて、今育てている子達をマネジメント側として参入させてあげたい気持ちがあります。今は業績がコロナ前と比較して110%まで回復しましたが、120%までいったら次のフェーズへのトライアルを始めたいと思っています。
- 渡辺
- 女性幹部比率が日本は1桁台ということもよく聞きますが、社会で活躍する女性が大田原さんとともに、もっともっと羽ばたいていけるといいですね。最後にICUの学生や、これからICUを目指す学生の皆さんに向けて、メッセージをお願いできますか。
- 大田原
- ICUは本当に良い大学なので目指している方にはぜひ頑張って欲しいです。日本は人口減少が進んで、経済もあまり良くなくて、閉鎖的であると悲観されがちですが、ICUには本当の多様性があって世界と繋がれる窓口であるといえます。ぜひ、若い学生時代のうちからどういう風に自分自身のキャリアを築いていきたいのかを真剣に考えて欲しいです。
プロフィール
大田原 裕美(おおたはら ゆみ)
フェリス女学院高校、国際基督教大学を経て、株式会社ベンチャー・リンクに入社し、女性専用フィットネスクラブ「カーブス」のアメリカ本部を取材、カーブスの日本展開権利の取得に携わる。2007年、株式会社アメージング・フューチャーを創業。自らカーブスのフランチャイズに加盟し、現在14店舗展開。女性ばかり60名の社員を率い、女性のキャリアプランの立て方、仕事との関わり方について各所で講演等を行っている。