プロフィール
- 渡辺
齋藤 - 本日はよろしくお願いいたします。
- うえの
- はい、よろしくお願いいたします。
ICUは海外に行っていた人も沢山いたので、共通の話題を持っている友人ができたというのも大切な思い出です。
- 渡辺
- うえのさんは大学卒業前から、作家を目指していらっしゃったのですか?
- うえの
- いえ!実は目指し始めたのは本当に遅くて、絵を始めたのは大学4年生ごろでしょうか。大学時代の時間の多くは、映画部で映画を撮っていました。
- 齋藤
- 映画作りというのはどのような感じで始められたのですか?
- うえの
- 映画部に入ったのは本当にたまたまで、元々は演劇に興味がありました。地元にいたときは社会人の劇団に入っていました。
- 渡辺
- 映画部では俳優として出演なさっていらしたのですね?
- うえの
- 私は俳優というよりかは、映画部の部長として色々なお世話をしたりだとか、誰かを支えるスタッフとして動くことが多かったですね。
- 渡辺
- 地元では、とおっしゃいましたけれど、どちらでしょう?
- うえの
- 地元は山口県です。ですが大阪にいたり海外に行ったり、また山口に戻ってきたり…と引っ越しを繰り返すような感じでした。
- 齋藤
- 海外というのは例えばどちらに?
- うえの
- 初めはパリへ父の研究のために。そしてその後オランダへ2回引っ越しています。
- 渡辺
- うえのさんが何歳くらいの時ですか?
- うえの
- パリは3歳、4歳の時で、オランダは小学校と高校で1年ずつですね。
- 渡辺
- それだけ海外で過ごされたら、フランス語やオランダ語・英語などご堪能なのでは?
- うえの
- いえいえ、そんなことはないんです(笑)。保育園には行っていたんですが、私は内気な性格だったので自分から話しをすることはほとんどなく。リスニングでの理解はできるかなという感じでした。
- 齋藤
- 3、4歳で外国語の話が理解できているのは十分だと思いますよ。
- 渡辺
- パリでの暮らしはいかがでしたか?
- うえの
- パリは、父が学生だったので研究のために渡仏した形でした。職があったわけではなく学びを深めるために日本を離れたので、生活は貧乏だったと私自身記憶しています。
- 齋藤
- そうですか、ご両親はかなり勉強熱心だったのですね。
- うえの
- 実は両親共にICUの卒業生なんです。父がずっと哲学を専攻していて、教職が決まったことがきっかけで日本に帰ってきました。
- 渡辺
- とてもICUの香りがするというか、探究心のあるご両親なのですね。ご実家の雰囲気はどのような感じだったのでしょう?
- うえの
- 哲学の専門的な話はしていなかったですが、論文や雑誌に載せるような内容は母に聞かせて伝わるような文章に直したり。そういったことは日常にありましたね。
- 齋藤
- お母様はお仕事はされなかったのですか?
- うえの
- 母は翻訳の仕事をしていました。ですが本当に自由な雰囲気でパリを楽しんで暮らしていましたね。
- 渡辺
- うえのさんからご覧になって、どのようなご両親ですか?
- うえの
- 母は父のことを「この人はやるべき事はちゃんとやっていく人だから」「やっていれば見てくれている人がいるから大丈夫」とよく言っていました。父を信じていたのだと思います。
- 渡辺
- 素敵ですね。
- 齋藤
- オランダへ行かれた経緯もお父様の研究ですか?
- うえの
- そうですね。父の専門のスピノザという哲学者がオランダ人だったので、研究を進める目的でも移住先をオランダにしたのだと思います。
- 渡辺
- そのオランダの高校からICUを選ばれたのは?
- うえの
- 両親がICU出身ということで勧めてくれたのはもちろんなのですが、オランダのアメリカンスクールに通っていたので高校3年の日本での勉強がすっかり抜け落ちてしまっていて(笑)。
- 渡辺
- ICUの入試は一般的な大学とは異なりますものね。
- うえの
- はい。両親からICUの楽しい思い出を聞いたり、色々なことがきっかけとなってICUの受験を決めました。
- 齋藤
- 実際に入学してみていかがでした?
- うえの
- 本当に環境が素晴らしいですし、気持ちの良い場所で。セクションの仲がとても良かったのが印象的ですね。初めての一人暮らしも寂しくなかったです。
- 渡辺
- ICUは色々なバックグラウンドを持った方が入学するから、中に入ると楽しいですよね。
- うえの
- はい。海外に行っていた人も沢山いたので、共通の話題を持っている友人が沢山できたというのも大切な思い出です。
本当はとても苦手でしたが、何かを作って、そのためには表に出ないと、自分は自分を苦しめてしまうのだなと強く感じました。
- 齋藤
- うえのさんのお上手な猫の絵ではなく、僕は下手くそな猫の絵を描いたりして1人喜んでいるのですが、うえのさんはどこで絵を始められたんですか?
- うえの
- 私は大学4年生からですね。その当時は小学生の時に描いていた動物のキャラクターの絵しか描けなくて(笑)。なので私は、絵が上手に描けるから絵を描き始めたわけではないんです。
- 渡辺
- きっかけをうかがえますか?
- うえの
- 元々創作に興味のある人間ではあったんです。だからこそ演劇をしたり、映画を作ったりしていた訳です。卒業後の自分の将来を選択する時にもちろん私も就職活動をしたんですが、全部落ちてしまって。
- 渡辺
- そこから絵に?
- うえの
- そうですね。就職活動で1回つまづいた時に、しっかりと自分のことを考え自分に向き合ってみたんです。そこで自分は、何か作る人をサポートしたりそのお仕事に携われれば良いなと考えていたのですが、本当は「自分で作りたい人なんだ」ということにぶち当たってしまって。
- 齋藤
- それが大学3、4年のタイミングだったんですね。
- うえの
- その事実に自分はすごくショックを受けたのを覚えています。幼い頃から表に出るには、すごく苦手で怖いと思っていました。でも、何かを作って、そのためには表に出ないと、自分は自分を苦しめてしまうのだなと強く感じました。
- 渡辺
- 演劇や映画も創作の分野だと思うのですが、どうして絵を選ばれたのですか?
- うえの
- 1度自分で映画を撮ってみたことがあるんですが、自分の物語を語るためにキャストの皆さんの姿を借りる、その人の人生の歩んできた何かを拝借することに対してすごく覚悟が必要だと学びました。その経験から、自分1人で始められて出来るものはなんだろうと考えた時、絵本にたどり着いたんです。
- 渡辺
- 絵本には、なにか思い出が?
- うえの
- はい。幼いころ絵本を手作りして父や母にプレゼントしていたんです。年に1度程度ではあるのですが(笑)。
- 齋藤
- それは素晴らしいですね。
- うえの
- その時の自分の集中力と、自分の中のものを集中し作り上げていく感覚や楽しさを思い出して。大学生の自分からすると、その記憶は遠くに見える小さな希望の光のようでした。
- 渡辺
- うえのさんがご両親に絵本を作ってプレゼントするきっかけはなんだったのでしょう?
- うえの
- 幼い頃母へのプレゼントに、店員さんに勧められた小学生には高額の化粧品を買って贈ったんです。それに対して母はとても驚いて。そして「お母さんはようが作ってくれたものが好きだから、何か作ってくれるのが嬉しいんだよ」と言ってくれたんです。そこから絵本をプレゼントするようになりました。
- 渡辺
- 素敵なお母様。大切な思い出ですね。
- 齋藤
- うえのさんは自分と向き合うときにご自分で考えられたんですか?それとも友達や周りの大人に相談したんでしょうか。
- うえの
- 私は自分で考えましたね。自分のことは自分で考えたいタイプで、誰かに相談することはなかったです。
- 齋藤
- そうですか、それはすごいことですね。
- 渡辺
- 絵本作家としてご活躍の今に至る道のりは、どんなだったのでしょうか?
- うえの
- 1番初めのきっかけは、絵のコンテストで賞をいただいたことですね。でもそこまでくるのに、絵を始めてから10年ほどかかりました。
- 齋藤
- その10年はうえのさんはどのように過ごしておられたんですか?表現を模索する時間そのものが難しいのか、楽しいのか一体どんな時間だったのかお伺いしたいです。
- うえの
- 絵を始めた時、私の周りに誰も絵を描く人がいなかったんです。やっぱり美大に行かないといけないのかなと悩んだり、アルバイトしたお金でニューヨークへ学校見学へ行ったり、手探りでした。結局、アルバイトをしながら夜間の美術学校や絵本のワークショップに行き、本当に多様な人々と出会えました。学生さんはもちろん、社会人の方やもっと年上の方まで、絵を描きたい人が沢山集っていました。
- 渡辺
- ひとりで頑張っていた環境から、仲間と頑張れる環境を見つけたのですね?
- うえの
- はい。そこで「絵は自由に描いていいんだ」と思えましたし、「インプットしたものを自分の表現にするためには時間がかかる」ということを実感しました。そこに近道はないなと思いました。
- 渡辺
- ご自分の表現で絵を描けるようになるまで、難しいものなのですね。
- うえの
- 自分はどんな絵が描けるんだろう。自分の表現ってなんだろう。と、自分が良いと思えるものが描けない時期はとても長かったです。
- 齋藤
- 僕は本を書くときに、テーマやストーリーを固めてから書き始めることが多いのだけど絵本もそうなんですか?
- うえの
- いえ、私の場合は違います。最初の発想は自分の「楽しい、ワクワクする」という一場面やアイデアからスタートします。でもそれは思いつきばかりではなく、子供にいかに楽しんでもらえるかということもかなり意識します。そこは編集さんとこだわって粘る部分ですね。「作品」として成り立たせるために、ワクワク出来るものを一生懸命作っています。
デビュー作の絵本『かさのえんそく』は、傘が窓から訪ねてくるという一場面からお話が生まれた。
- 渡辺
- 絵本への熱意を感じます。特に子供たちが絵本を見て、また世代を超えて見ていく本だと、何かそこに原石のようなキラッと光るものや、楽しい空気がないと、商品としてもきっと成立しないですよね?
- うえの
- はい。だからこそ私自身も楽しむ、ワクワクすることを意識しています。
- 渡辺
- そのために、具体的に工夫なさっていることはありますか?
- うえの
- 生活の中で自分の周りをよく見ます。五感で感じたことや心が動いたこと、日常の様々なことがお話のもとになります。
- 渡辺
- 絵本は開いて見るだけでなく、読み聞かせなど音も大事なので、考慮すべき要素が多いのではないかと想像しますけれど。
- うえの
- そうですね。言葉のリズムはそのまま「楽しい」につながりますし、内容や絵そのものだけでなく様々な方向から楽しんでもらえたら私も嬉しいです。
- 齋藤
- 絵本って奥深いですね。
- 渡辺
- ほんとですね。絵本ってすごく削ぎ落とされた世界ですよね。誰もがわかる言葉・内容、限られたスペース、視覚、音のリズム…。それらを含みながら、もっともシンプルな作品という、ミラクルな要素に満ちたとても難しいジャンルだと思います。
- うえの
- ありがとうございます。
自分に対して真っ直ぐ生きられないことが苦しかったから、自分と正面から向き合ったのだと思います。
- 齋藤
- 創造者として生きること、ひとりの人間として生きること、この2つを両立させることは大変ではありませんか?
- うえの
- 私は「こうしたからできた!」ということより「これができないからこうした」の方が多い人間なんです。なので生きていくことはもちろん大変ですが、結果として自分の世界を守り創作を続けていくことができたのかなと思っています。
- 渡辺
- その考え方も大学時代に見つけられたのですか?
- うえの
- はい。大学での時間は自分の「ないものを知る」時間でした。自分と向き合い、知る上でとても大切な時間でした。
- 渡辺
- うえのさんは、自分は元々表に出る人間ではない。とおっしゃいましたけれど、苦手だったり苦しいことと向き合う方法はどのように考えてこられたのでしょう?
- うえの
- そうですね。自分に対して真っ直ぐ生きられないことが苦しかったから、自分と正面から向き合ったのだと思います。何かにすごく憧れてみたり、非難してみたり…。そんな真っ直ぐ生きられない自分が苦しかったんです。だからこそ、本来苦手だったことに挑戦することができました。しなかった方が自分を苦しめてしまっていました。
- 齋藤
- 自分の表現を模索した10年とはまた違う苦しさですか?
- うえの
- はい。全く違う苦しさですね。絵本を描く苦しみはこれからの自分にワクワクし続けられるので辛くないのです。
- 渡辺
- 最後になりますが、ICUの在校生たちやICUを目指している若い世代にむけてメッセージをお願いできますか?
- うえの
- 人や社会との関わりの中で「自分の内なるものを外に触れさせてみる」ことを自分のペースでいいのでやることはとても大切だと思います。その中で、自分が何に対して喜びを感じるのか、自分の欲望は何なのかというところから目を背けずに向き合ったら、きっと本来の自分を見つめることができ、生きやすく豊かな生活を送れると思います。
プロフィール
うえのよう
絵本、イラスト、お話、漫画、モビールなどの作品を制作、発表している。第3回MOE創作絵本グランプリ佳作。絵本に『かさのえんそく』(「こどものとも年少版」2019年6月号 福音館書店)、『ふうせんのふーこさん』(「こどものくにたんぽぽ版」2021年10月号 鈴木出版)、『ねぼすけさん』(「こどものとも0.1.2」2022年6月号 福音館書店)。2006年より季刊フリーペーパー「イモマンガ」のメンバーとしても活動。
https://www.uenoyo.info
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