プロフィール
- 伊藤
- 初めまして。
- 渡辺
- はじめまして。よろしくお願いします。と言いながら、初めてお会いする気がしないような。プロフィールを拝読していたからかな。
- 齋藤
- そうなんですよ。気さくだし、ネットを見ていたので帽子まで一緒です!
- 渡辺
- 伊藤さん、IDはおいくつですか?
- 伊藤
- IDだと02なんですけど、卒業したのは03です。
- 渡辺
- ゼロ代なんですね!ゼロって結構衝撃です。世の中では2000年問題とか騒がれてましたけど、私からするとICUの00のほうが衝撃だったというか(笑)ヒューマニですか?
- 伊藤
- 僕はSSです。
- 渡辺
- 私の頃には平田オリザさんがキャンパスにいらしたんです。よくD館でお見かけしたかな、ものすごく有名人で。だけど、齋藤さんも私も、演劇のことについては不勉強なので、今日は伊藤さんから教えていただけたら嬉しいです。
今は、NHKのBSプレミアムのドラマの脚本をなさってるんですよね?
- 伊藤
- そうです。「大富豪同心2」という時代劇を、「天地人」を書かれた方と共同で書いています。
- 渡辺
- 脚本家であり、演出家であり、しかも演者も?
- 伊藤
- 今は演者はあまりやっていないですけど、もともとやっていました。あと、作曲もちょっとしますね。
- 渡辺
- そうすると肩書というのは…?
- 伊藤
- 基本は、脚本・演出家と言っています。最終的に、そこは確実に自分のやることなので。でも音楽も好きなので、作詞や作曲もして自分でミュージカルも創ります。
- 渡辺
- 脚本家ってひと言でいうと、伊藤さんのようにゼロから物語を作りつつ、 それを登場人物それぞれのセリフに変換しながら見る人に伝えるというすごいお仕事かと。
- 伊藤
- 舞台はだいたいゼロから創ります。あと今までNHKで連続ドラマを3つやらせていただいたんですけど、「大富豪同心」は原作があるものですし、「明治開化 新十郎探偵帖」も坂口安吾の『安吾捕物帖』を原作にしています。
- 渡辺
- 坂口安吾を今の時代にって、もしかしたら原作がない場合よりも難しいんじゃないですか?
- 伊藤
- そうですね。「明治開花 新十郎探偵帖」では、坂口安吾は戦後の日本の姿を憂い、その様相を『安吾捕物帖』にて明治の色々なダメな人々の姿に重ねていたと解釈しました。これをドラマにするならば、安吾に習い、令和っていう時代の始まりにおける人や社会の「ダメさ加減」を投影できる、明治初期の探偵ドラマにしよう、とプロデューサーの方と話し合い、お話を再構築しました。
いろいろ調べてみると、明治の始めってノロいんですよね。誰かビジョンを持った人間が革命を成し遂げて、その人の思想を反映させていくっていうよりも、「うわー俺らも武士になるぞーーー!革命やったーーーーー…でも、これからどうする…?」みたいな。新しい国家体制が固まるまで実にのったりのったりしている。そんな中、行き場を失う武士たちが燻り、新たな社会の方向性も明確に見いだせていない中でぐちゃぐちゃする明治初期の社会を、現在の令和の日本社会に重ね合わせれば、その中で生きる人間の苦しみをリンクさせられると思いました。
- 齋藤
- プロデューサーの方が伊藤さんの存在を知ったきっかけはなんだったんですか?
- 伊藤
- 2018年と2019年に壬申の乱をテーマにした舞台を創ったときに、それを見てくださっていました。その舞台の前座で若手俳優に「壬申の乱なんて皆さん知らないでしょ。大河ドラマでもやったことないですからね、ハハッ!」とか言わせてたら、「八重の桜」などを手掛けていた大河のプロデューサーが観ていたという(笑)。それで、おわったあとお声がけいただいて、マジか!って。
- 渡辺
- 書くことも演じることも、伊藤さんのルーツはどこからなんでしょう?
- 伊藤
- 自分の今やっていることをさかのぼっていくと、うちの母親がすごく演劇が大好きで、僕は毎日、ふすまに絵をかいたり、影絵で遊んだり、町を探検して廃材を集めて積み木にしたり、ワークショップみたいなことをして遊んでいました。だから小さいころから何か創ることが楽しかったんです。幼稚園では、友人たちと入園式の記念写真を撮るとき、立ち位置とかポーズとかを指示していました(笑)。
- 渡辺
- 当時からもうディレクティングしていらしたんですね!
- 伊藤
- あと小学校低学年の時にパラパラ漫画の原理を自分で発見して、そこからのめりこんで、最終的に高校生の時には朝から夕方まで授業も聞かず、もののけ姫の冒頭のシーンを教科書に描いていました。あとは自分で新聞書いて、配って回ったり。
- 渡辺
- 本当に作ることがお好きなんですね。
- 伊藤
- そうですね。創作することが好きだし、楽しい。
- 渡辺
- ご兄弟は?
- 伊藤
- 姉がいます。彼女も多摩美術大学に行って油絵を。父親は都市計画をしています。
- 渡辺
- ご家族みんなクリエイティブなんですね。
- 渡辺
- 今までの話を聞いていると、クラスでだいぶ人気者だったでしょう?
- 伊藤
- 人気かどうかは分かりませんが、自分でいうのもなんですけど大学では良くも悪くも、名を知られていたかもしれません(笑)。僕、全身銀色の服とか着ていたんで。大学時代が一番自由に爆発していました。
- 渡辺
- その爆発の助走はあったんですか?
- 伊藤
- ちっちゃい時は服装というよりかは、創ることの面白さとか、演じることの面白さとかがあって。小学校のときの文化祭では、クラスごとの出し物でカジノをやったり、その告知のためにバニーガール人形が出て喋りまくるCMを創って校内放送で流したり。今は教育的に大丈夫なのかとおもいますけど(笑)。
- 渡辺
- なるほど、「中心」なんですね。言い出しっぺだし、アイデアマンで、プロデュースしてディレクションしちゃう。音楽も当時から作っていらしたんですか?
- 伊藤
- 昔からピアノをちょっと習ったりはしていたんですけど、小6の時、デスクトップパソコンのアプリで作曲をしてみろという授業があったんですよ。それが楽しくて楽しくて。そこから自分で作曲しはじめました。中学校の3年生の時の自由研究では、卒業式の合唱曲を創っちゃおうかなと思って、「卒業」って曲を書いて、ほんとに卒業式で歌いました。その後も、度々歌い継がれているというのを風の噂で聞いて嬉しいです。
- 渡辺
- うかがっていると、子どもの頃からものすごい集中力でいろんなことをやっていらしたことが想像できるのですけど、その集中力はどこから?
- 伊藤
- うーん、あんまり自分で集中しているという意識はなくて、本当に好きでやっていると時間が気にならないというか。
- 齋藤
- 今までの話を聞いていて、動機はなんだろうと気になるんだよね。僕は、人を喜ばしたろうという思いがどっかにあって、伊藤さんもそれに似ているんちゃうかなと思ったんだけど、そのへんはどうですか?
- 伊藤
- うーん…創作すること、創り出すっていう事自体に、えも言われぬ喜びがあるからですかね。そのものにしかない、何物にも代えがたい喜びがあるからです。
- 齋藤
- それは、子どものころからのことを振り返ってそう思うんやね。
- 伊藤
- そうですね。創り出すことが、自分を捉えてやまない。創ることがやっぱり楽しい。
- 齋藤
- 大学の時から脚本家というものにどこかで変わっていくと思うんやけど 最初は演劇に興味があったという事なんですか?
- 伊藤
- 最初は創る、表現すること全般に興味が向いていたと思います。それと並行して、ある時から、自分の社会について、どうしたら良いんだろう、という問いが始まりました。
きっかけは、中学校の時に静岡市の代表としてカナダに交換留学に行った時に、すごくこう、バシャ―ン!と衝撃を受けたことです。授業は小学校から選択制で、国語の授業では短編小説を書けとか、理科の実験では、器具や手順から生徒たちに考えさせることなどにびっくりしました。個人が主体的に考えるし、そこには早いうちから自分で自分の人生を選択しなきゃいけないというシビアさもある。そして市議会に見学に行ってみると、市民も議会で発言できる制度がある。このカナダの社会では、個人がきっちりと考え、その個人同士が対話を重ねながら民主主義ができていくということに気付いたんです。1週間くらいの間にすごく衝撃を受けました。
- 渡辺
- 素晴らしい体験でしたね。
- 伊藤
- で、また日本に帰ってきたら逆衝撃で。「ん゛~~~~~民主主義の国なのになんでだ!?(怒)」みたいなことがたくさんあって。
例えば、選挙カーって名前だけ連呼するじゃないですか。それじゃわかんないと思って追いかけて行って、政策は何ですか!?って聞いたりとか、学校でもただ座って板書するばかりの授業に対して、これではアクティブな民主主義は作れないと思って、校長先生に直談判しに行ったり。だから高校の時には、自分で「オピニオン」という新聞を創って配り始めました。
- 渡辺
- それは一人でやってらしたの?仲間がいたんですか?
- 伊藤
- 一人でです。でもそれをやりながら徒労感も感じていました。皆の投稿による意見新聞を創りたいのに、みんな意見を寄せてくれなくて、そのくせ4コマ漫画はウケがいい。自分の中で訴えたい問題意識が強くある一方で、創ることの無上の喜びもあってそれにはリアクションもある。そのギャップをどうしたものかと思っていました。それを一つにできるのは演劇だし、それを成し遂げられるのは物語だなと、大学で気づきました。
- 渡辺
- 大学でICUを選ばれたのはどうしてですか?
- 伊藤
- 高校の間、勉強は結構怠けてて、成績は良くはなくて。ずっとパラパラ漫画書いていたので(笑)。高三で、親と担任の先生の面談でも「伊藤さんに行ける大学はないですねぇ。推薦も学校の代表としていくものですからねぇ」と言われていました。僕はそれを後から聞いて、「先生は僕のことを学校の代表としては恥ずかしいと思っているんですか!」と憤っていました。
そこで、SFCのAO入試とICUを狙うことにして、冬休み、静岡から東京の塾に新幹線で通いました。ICUに入る前はその意味を分かっていたわけじゃないんですけど、ただキャンバスを下見をした時のファーストインプレッションが強烈で。森に囲まれて、カップルが肩を寄せ合っていて(笑)。
- 齋藤
- 「ささやきの道」っていうのがあったなぁ!(笑)
- 伊藤
- おり立った時に、「あ、自分はここにもう一度来るな」と思いました。それで結果的に受かって。今はすごくICUでよかったなと思います。
東京は日本の中心だから、東京にいることでカチッ、カチッっと、日本を動かす都市文明の歯車みたいなものに組み込まれて、それが身体化されていってしまうと思うんですよ。それはそれで自らを社会化するという大事なことだと思うんですけど、ICUはそれを4、5年遅らせてくれた。あの森の中だけ、「東京」の時間じゃない。だから、あそこで大いにのびのび迷うことができました。それがすごく良かったと思っています。
- 渡辺
- そして大学で爆発していったわけですね!
- 伊藤
- そうです。イヤーブックの卒業生写真では、何かやったれ!と思って、ほっかむりした変なコソ泥の格好で写ってます(笑)。
- 齋藤
- 大学の後、会社には入ったんですか?
- 伊藤
- 就職活動の時期に差し掛かった時に、さてどうしよう、と。劇を創りたいけど、この世の中そういう仕事って募集がないんですよ。テレビ番組制作の会社に入ったとしても、部署が違ったりして自分のやりたいことができるとは限らないじゃないですか。でも僕は創作においてやりたくないことをさせられるのは絶対に嫌だし、この日本社会が自分とは合わないということは分かっていました。僕のこの宝物を絶対に潰されてなるものか、そう思っていたんです。
とはいえ、働く場所がない。だからとりあえずテレビ局のドラマ制作職を受けたらトントンと最終まで行ってしまって、なのに最終面接では会長が圧迫面接で寝ていたんですよ。そこでしどろもどろになって上手く喋れず、落ちました。
- 齋藤
- それでテレビ局を落とされたあと、どうしたんですか?
- 伊藤
- 就職は決まらないのに大学の終わりは近づくし、そこに両親の離婚も重なって、1年くらい武蔵境のアパートでずっと寝ている時期を過ごしました。
- 齋藤
- 今まで強い人間だったのに、ちょっと疲れちゃったんですね。
- 伊藤
- そうですね。自分を構成する要素が、パーンと次々に砕けてなくなっちゃって。1年間寝込んでいる間、家にあったカンヌ映画祭の本に載っている世界の傑作映画を、片っ端から渋谷のTSUTAYAで借りて観ていました。物語にすがりついて、これだけは離さないと。
特に黒澤明監督や宮崎駿監督の作品を通して、物語はいったん止まってしまった人の人生を抱きかかえ、もう一度進もうとすることを助けてくれる、方向を指し示してくれるんだということを実感しました。自分にはそれが必要だったし、これ以上に自分にとってリアルなことはないと思いました。
とはいえ、お金がないと生きていけないので、そこから12年プリンターを家電量販店で売る派遣の仕事で生計を立てていました。
- 齋藤
- え?12年⁈
- 伊藤
- 12年間プリンターを、売って売って売りまくっていました。
- 渡辺
- その間、というか、倒れている間、創作はなさってたのですか?
- 伊藤
- 倒れていた約2年は、そういうことができる状態ではなく、全く書けなかったです。その後、2005年ごろから何とか、創作を再び始めましたが。
- 渡辺
- 「繭」だったんですね、きっと。カイコが繭の中で体を丸めながら変身して、次に外に出たら羽ばたくために、籠っている時期だったように感じます。
- 渡辺
- 就活で受からなかったのは、きっといるべき場所がそこじゃなかったからなのでしょうね。
- 伊藤
- 今振り返ってみると、それはそれでよかったと思います。落とされていなかったら妻にも出会ってないし。
- 渡辺
- 奥さまはICU生ですか?
- 伊藤
- ICU生です。就活で落とされて、そこからどーんと2年ヘコんでしまって。そこから復帰するときの舞台をやったときに役者で参加してくれていたのが今の妻です。
- 渡辺
- 奥さまと同じ目線で分かり合えるのは素敵ですね。
- 伊藤
- そうですね。本当に恩があります。どん底に落ちた後に這いずり出してやった舞台では、役者が倒れたり、スタッフと連絡がつかなくなったり、舞台装置が動かなくなったり、ありとあらゆるトラブルが起こったんですけど、その時に一俳優だった妻がそれを全部捌いてくれて、そのおかげで無事幕が上がりました。心底、素敵な人だと惚れましたし、このご恩は一生をかけて返そうと思いました。
- 齋藤
- 脚本家として、お金になるようになったきっかけはあったんですか?
- 伊藤
- 積み重ねが大事で、うーん…。
恐らく、自分のあふれ出るイメージとそれを構造的に構築する力が釣り合った時くらいから段々うまくいくようになったのだと思います。そこに至ったのは、やはり様々な経験の積み重ねですね。テレビ局の面接で十分に喋れず悔しい想いをしたので、とにかく喋る仕事をしようと始めたプリンターの販売や、妻と出会って重ねてきたダイアログです。老若男女、いろんな人と話す中で、会話のバリエーションや話の引き出しが増えていきました。
もともと僕はずっと黒澤明監督や宮崎駿監督に憧れていたんです。それは、人と社会の抱えた苦しみを見つめながら物語を創っているから。僕もそういうことがやりたいと思って、自分の劇団を創り、小劇場で時にお客さんに厳しいコメントをもらいながら作・演出の経験を積みました。
社会を見つめてその問題点を考え、その原因を構造化して抽出し、それを物語に置き換えるというのが、黒澤作品、宮崎作品から学び、自分のやってきたスタイルなんですけど、この、構造化と物語の関係がすごくはっきりしたタイミングがあるんです。それが東日本大震災と福島の原発事故です。
- 齋藤
- その時に伊藤さんの中の、大学生の時までに感じていた天真爛漫な部分と、倒れている間のしんどい部分という相反するものが、うまくミックスできるようになっていったんやね。
- 伊藤
- ええ。お金とは関係なしに、自分の中で表現者としての一つの転機になりました。その時を境にして創るものが変わった気がします。僕はファンタジーが大好きなのですが、それまでの作品は、自分のイマジネーションが「どわわー」と広がるものが多かったんですけど、東日本大震災と原発事故が起こって、自らも当事者である、この歴史的な災厄に対峙する作品を創ることになりました。自分がすべき問いかけを歯車にしてこの社会に働きかける、ということを、シビアな状況を見つめながら、より具体的に行うことになった。震災以降の作品は、この自分と社会の関係性がより明確になっていると感じています。
- 渡辺
- お話が面白くてずっと聞いてしまうのですけど、最後に現役のICU生、未来のICU生にメッセージを送るとしたら、どんなことを伝えたいですか?
- 伊藤
- (じっくり考える沈黙)
…ICUは、すごく最高の迷いの森です。そこでは思い切り迷えばいいし、自分の中にある宝物を大事にしてほしい。それはいかなる風に吹かれようとも守り抜く価値があるものだから、どんなに大変でもそれを信じてがんばって、と伝えたいです。
- 渡辺
- ありがとうございました。ますますのご活躍を!
プロフィール
舞台芸術集団 地下空港ウェブラウンジ: http://www.uga-web.com/pearl/
Twitter: https://twitter.com/yasuroito
所属事務所BLUE LABEL: https://blue-label.jp/management/yasuro-ito/