プロフィール
- 渡辺
- 2016年1月1日現在のデータなのですが、日本では旅客機を操縦するパイロットの方が約5000 ~6000人いらっしゃって、そのうち女性は50人とのことです。日本航空では今どのくらい女性パイロットがいらっしゃるのでしょうか?
- 師子鹿
- グループ会社を含めて、男女合わせて約2500人です。そのうち、女性は34人です。しかし、まだ少ないながらも女性のパイロット訓練生はここ数年増えてきています。
- 渡辺
- 斎藤さんも女性パイロットの方と話す機会は初めてですか?
- 齋藤
- 初めて、初めて。以前、日本トランスオーシャン航空の古谷さんという方にインタビューしましたよね。92年卒の方でもう8年前になりますね。あと、僕より1期上の岡田さんっていう人がJALのパイロットでしたね。これまで同窓活動している中でも、女性パイロットの方にお目にかかるのは初めてです。
- 渡辺
- しかし、かっこいいです!パンツスタイルにネクタイという制服なんですね?
- 師子鹿
- はい。操縦席のシートベルトが両足の間もバックルを通す、5点式のものだからだと思います。
- 齋藤
- ご出身はどちらなんですか?
- 師子鹿
- 東京です。父の仕事の関係で1歳から5歳はカリフォルニアのアーヴァインに、5歳から10歳まではニューヨークに住んでいました。
- 渡辺
- 日本にお戻りになった時は日本語も英語も自由自在でしたか?
- 師子鹿
- いいえ、どちらも不完全な状態でした(笑)。平日は現地校に通い、土曜日は日本の補習校に通っていたのですが、週一回では十分ではなく、今でもおかしな言い回しなどがたまに出てしまっているような気がします。
- 渡辺
- 11歳で帰国なさって、日本では公立の学校に入られたのですよね?インターナショナルスクールではなくて。
- 師子鹿
- はい、父と母の方針で、公立の小中学校に入りました。帰国当時、姉弟で会話をするときも英語が混じっていたのですが、親にはそれを、「日本人なのだからまずは日本語を使いなさい」と、注意されていました。高校はICU High (※ICU High Schoolの通称)に行きました。
- 渡辺
- 高校からICU Highに入ろうと思われたのは、ご両親とご相談されてですか?それとも師子鹿さんご自身のお気持ちで?
- 師子鹿
- 最初にICU高校を見つけてくれたのは父です。とても素晴らしい高校を見つけた、と。それから自分でも調べてみて、学祭にも行きました。学び方が自分に合っていそうだと思いましたし、学校の雰囲気もよく、家族全員の意見が一致して受験しました。私は帰国子女枠と一般枠の両方を受験しました。
- 齋藤
- 国内から一般枠で入るのはすごく難しいんですよね。ちなみにICU高校から大学へも、たった80人しか推薦で入れませんでした。今は、枠が増えたかもしれませんがね。ともかく、高校から大学に入るのも難しいんですよね。
- 師子鹿
- そうですね。ありがたいことに入学することができました。
- 渡辺
- 入学なさったICU Highは、どうでしたか?
- 師子鹿
- 楽しかったです!ICU Highの環境がとても良かったので、大学もICUに進学したいと思うようになりました。大学も含め合計7年間通いました。
- 渡辺
- 2008年のご卒業なので、それからちょうど10年ですね。パイロットという職業は、いつ頃から目指されたのでしょう?
- 師子鹿
- 小さい頃からパイロットを目指していたわけではないのですが、とにかく空が大好きで、空の近くで仕事がしたいと思っていました。空が好きだったのはすごく小さい時からで、確か5歳くらいの時からでしょうか。
- 渡辺
- その頃はカリフォルニアですよね?師子鹿さんの目に映った西海岸の空は、綺麗だったんでしょうね!
- 師子鹿
- はい、本当に空が真っ青で印象的でした。3年前までアリゾナで訓練していたのですが、アリゾナの空は小さい時に見たものに匹敵するくらい綺麗でした。
- 渡辺
- 小さい頃からの空に対する思いを持っていらしたということは、ICU HighからICUの大学に入る受験の時、パイロットになるために他の大学を受けようとか、そんなふうには思われなかったのですか?
- 師子鹿
- 周りにもパイロットの知り合いはおらず、まさか自分がなれるとは思っていなかったので、そのようには考えていませんでした。ICUの推薦が確定するまでは他の大学の受験対策もしており、他の大学であれば、薬学部か数学科に進んで、薬剤師か数学の先生になりたいと思っていました。この大学であればこの学部に行きたい、そうであればこういう仕事かな、というイメージを持ちながら対策をしていました。
一方、ICUの場合は多様な職業の可能性が広がるといったイメージを持っていました。心理学も魅力的だし、教育学も興味があるし、漠然とですがICUに行けば可能性が広がるように考えていました。
- 渡辺
- 確かに、自由に悩めるところがICUの良さでもありますよね。 薬学部ということは理系ですか?ICUはNS(※Natural Science、自然科学系学科の通称)ですか?
- 師子鹿
- 高校では理系の科目を選択していて、中でも数学が好きだったのですが、ICUは教育学に進みました。帰国してから通った公立の中学の三年間がとても楽しかったので、その頃から教師という職業に興味を持ち始めました。
高校の時にも、所属するテニス部の顧問の数学科の先生方に大変お世話になり、とても尊敬していました。数学科の部屋に勉強を教えてもらいによく行っていましたが、その数学科のお部屋の雰囲気がまた好きで。教師という職業への憧れが一層強まりました。
- 渡辺
- パイロットよりも、大学では先生になりたかったのですね?
- 師子鹿
- そうですね、当時はパイロットは現実的な選択肢だとは思っていませんでした。ただ「空が好き」という気持ちはずっと胸にありました。高校を卒業するときにも、卒業スクールリングに刻印する好きな言葉を、”空色”という意味の”Azure”にするくらい空が好きでした。
転機は高校のテニス部の合宿でした。ICUからコーチとして来てくださった先輩がJALの自社養成パイロットの採用試験に受かったという話を聞いて、職業として視野に入ってきたのです。
- 渡辺
- 自社養成パイロットというのは、どういうシステムですか?大学を卒業してから受けられるのですか?
- 師子鹿
- 4年制大学または大学院を卒業・修了していることが条件で、入社の段階では航空の専門知識は求められておらず、入社してから訓練を受けていくというものです。
- 齋藤
- どういう感じの入社試験なのですか?
- 師子鹿
- 私が受験した頃は全部で6次試験までありました。一つ一つの試験でパイロットとしての適性を見極められますが、中でも特徴的なのは細かく検査をされる身体検査だと思います。
- 渡辺
- パイロットって、やっぱり憧れますよね。うかがっていると、師子鹿さんは就職活動の過程でやりたいと感じる仕事を絞っていらしたわけですよね?
- 師子鹿
- そうですね。他にも迷った職業がいくつかありました。最後まで悩んだのがパイロット、メーカーの営業職、それと学校の先生の3つです。大好きだと思える会社で一生誇りをもって勤め上げたい、という考えが自分の軸としてありました。
それと同時に、自分の大好きなものを、自信をもって人に勧める、そんな働き方がしたいと思っていました。メーカーであれば“これ私の会社の製品なの”と友達に胸を張って勧められたら素敵だな、と。
- 齋藤
- 今のお話ってすごくいいですね。“これ私が働いている会社が作っているモノですよ”って誇りをもって言える人ってそんなにいないですよね。そういう考え方はすごく大事ですね。
- 渡辺
- そんな中で、最終的にJALに決められたのはどうしてですか?
- 師子鹿
- 最終的にJALに決めたのは、就職活動中に出会った社員の方や、後の同期となる内定者たちがとても魅力的で、彼らと一緒に仕事をしたい!と思ったからです。
- 渡辺
- 会社、イコール人ですものね。先輩方をご覧になって、働く場所を選択なさったのですね。
このインタビュー記事に若干、作為が含まれるかもしれないので先に申し上げると、私もちょっとJALの回し者なところがありまして(笑)。国内線の機内で流れるミュージックチャンネルのひとつを担当しております。それから実は母が日本航空9期の客室乗務員だったんです。今から60 年以上前なので、母親のアルバムをみると、その期の全員が飛行機の前に一列に整列して取材を受けていたり、まさにアーカイブなんです、白黒の写真で。
- 齋藤
- 昔からぼくもJALのファンでした。今でもあるGlobal Clubって当時はものすごく貴重だった。海外に出張するときめちゃくちゃ大事にしてくれて、すごい良い思い出があるんです。
- 師子鹿
- 今でもJAL Global Clubってすごく貴重です!ありがとうございます。
- 渡辺
- JALの女性機長は2016年当初はお一人とありますが、師子鹿さんの目指していらっしゃるところは?
- 師子鹿
- 現在グループ会社を含めると女性の機長はもっといます。私は機長への憧れはもちろんありますが、人生の目標を機長になることだけに絞らず、目の前のことひとつひとつに地道に取り組んでいけば自ずと道が拓けると思っています。
訓練が中断されて業務企画職として働いていた時、いくつかの業務を経験しましたが、中でも海外他社の航空会社の人たちと交流のあった国際提携部の仕事にとてもやりがいを感じました。パイロットの経験を積んで、いつかそのようなお仕事ができたら、と思っています。
- 齋藤
- なるほどね~。それはすごくいいね。
(女性の機長と、フライト前に当日の天気や航路を確認しているところ)
- 渡辺
- 思い描いていると、きっといつか形につながっていくものですよね。今は副操縦士でいらっしゃるけれど、ここまでの道のりも一筋縄ではいかなかったのでしょうね?
- 師子鹿
- そうですね。2008年に入社して、本来であれば2012 年頃に副操縦士になれるはずだったのですが、経営破綻に伴い訓練が中止になりました。地上職として会社に残るか転職するかの判断を迫られる状況だったのですが、就職活動の時にパイロットに憧れただけでなく、この会社が気に入ってずっと勤め上げたいという気持ちがあったので、やっぱりこの会社で頑張りたいと思いました。
- 渡辺
- そうして訓練が再開に?
- 師子鹿
- はい、5年ほど待ちましたが、晴れて訓練に入ることができました。
- 渡辺
- よかったですね!しかし、訓練はきつそうですね? どれくらいの期間だったのでしょう?
- 師子鹿
- 長年待ち焦がれていた訓練でしたが、厳しかったです。1年4カ月アメリカで、1年2カ月日本で、合計2年半の訓練でした。
- 齋藤
- 訓練って何が大変なのですか?パイロットって酔わないのですか?
- 師子鹿
- 実は、小さい頃は飛行機に乗るたびに酔っていました。10歳年下の弟が生まれて機内で面倒を見始めてから酔わなくなりました。私の場合は気持ちが他に向き、しっかりしないと、と思うことで酔わなくなったのではないかと思います。パイロットになると、まずはお客さまを守らなくてはという意識が働きますので、操縦中に酔うことはありません。
訓練中で何が厳しいかと言うと、次のフライトレッスンの準備、知識を蓄えるための勉強、健康管理など、しなくてはいけないことが山のようにあるのですが、与えられている時間が限られています。その中で優先順位を決めて時間を管理しながら生活をしていくのですが、訓練中の試験に二回落ちてしまうとその時点でパイロットへの道が絶たれてしまいます。次の試験までに必要とされるレベルに達することができるのか、試験で実力が発揮できるか、ずっと不安は尽きませんでした。
- 齋藤
- 人の命を預かるっていうとそうですよね。どういう風に乗り越えられたんですか?
- 師子鹿
- 先々のことを考えすぎずに、目の前のことを一つずつ頑張ることと、絶対いつか操縦士になれるのだと信じることを心がけました。
- 齋藤
- それすごく大事なところですね。
- 齋藤
- 師子鹿さんは仕事以外の時間は何をされているんですか?朗らかでいることってなかなか難しいから、何か別のことをやっているのなら、何をやっているのかなーって思って。
- 師子鹿
- 友達と会ったり、旅行に行ったりしています。今年の春からコーチングを学びはじめました。訓練中に私自身もコーチングを受けたのですが、それがきっかけで目指す将来に広がりがあるということに気づきました。
- 齋藤
- せやけど、えらい真面目というか勉強好きなのですね。コーチングとか心理学とか。普通やったら、お料理やったりにならないのですかね。
- 師子鹿
- お料理も好きです。食べたことの無い味に挑戦するのが好きなので、料理というより実験のようになっていますが(笑)仕事で泊まった先でも、地元のお店で新鮮な果物や野菜、珍しい調味料を探している時間が至福の時です。後は一人の時間は海外ドラマもよく見ます。
- 齋藤
- そうすると別に勉強に偏っているというわけではないですね。
- 師子鹿
- そうですね、でも自分でも真面目すぎるとは思います。真面目で不器用なところがコンプレックスでもあります。自分としては何かもっと面白いことを言えるようになりたいんです。
- 渡辺
- 十分、面白くて、うかがっていて楽しいですけれど(笑)。師子鹿さんが「これが好き!やってみたい!」って思われたことに対して、とても正直に行動されるところは素敵だし、尊敬します。
そういえば、師子鹿さんが訓練された時は、女性は他にもいらっしゃったんですか?
- 師子鹿
- いえ、私のときは一人だけでした。でも、そのような環境でも、教えてくださった教官方は男女分け隔てなく扱ってくださり、全身全霊で教えてくださいました。
- 渡辺
- まぶたに焼きついている忘れられないシーンもあると思うのですけれど、いかがですか?
- 師子鹿
- アリゾナの訓練で、担当教官と初めてジェット機に乗り、厚い雲から抜けた時の感激が忘れられません。真っ白だった視界がパッと開けた時の空があまりに綺麗で、「こんな世界があるんだ」、と恍惚としてしまいました。そのあと地上に帰ってきてから、教官には「お客さま気分は今日までね」とプロとしての自覚を教わりました。
他にもアリゾナでの訓練中はたくさんの忘れられないエピソードがあります。JALは MPL (Multicrew Pilot License=准定期運送用操縦士)という制度を日本で初めて導入しました。私たちは、その最初のコースだったので、JALの関係社員も、国交省の皆さんも、全員が全力で一緒にプログラムを作っていった1年半でした。前例がないプログラムですので、予想外のことも起きる中何とか成功させるのだと、みんな一生懸命でした。先日、私たちを訓練してくださった教官方が任期を終えてアリゾナから帰国されましたので、同期でお礼の手紙を出そうと、嬉しかったこと、ありがたいと思ったことなどのエピソードを出し合ったのですが、数年経った今でも思い出しながら涙が出てくるくらい、私たちにとって財産となる時間でした。
- 渡辺
- 厳しくも、素晴らしい時間を過ごされたのですね。そして、操縦席からの空は、そんなに綺麗なんですねぇ!
- 師子鹿
- はい!景色そのものが忘れられないのとともに、その感激している私の喜びに共感してくださりながらも、これからはパイロットとして人の命を守る立場になるのだから気を引き締めなさいと、きちんと注意してくださった教官の一言が忘れられないです。
(私たちのクラスを担当してくださった教官と。初ソロフライトを終えた後の握手。
初めてのジェット機のレッスンもこのキャプテンとでした。)
(訓練で使用した小型ジェット機)
- 渡辺
- 師子鹿さんは、やっぱりなるべくしてパイロットになられたのですね。誰もが行ける道ではないですから。
- 師子鹿
- 仕事は本当に楽しいので、女性ももっと増えてほしいと思っています。特にICUの女性には是非目指してほしい!
- 齋藤
- 聞けば聞くほど、パイロットって大変な仕事ですね。
- 師子鹿
- 航空機のオートメーションが進んでいますし、システムも最新のものになっていますので、昔と違って今は操縦自体に力はそこまで必要ではありません。しかし、この数十年の間に空の交通量は格段に増えています。そのような環境の中パイロットに求められるのは、様々な状況に対処するため、システムやチーム全体のマネジメントだと教わりました。
中でも今私が注力しているのが、キャプテンや、客室乗務員、無線やテキストを通じて行う地上の仲間とのコミュニケーションです。ゆっくり時間をかけて話すことで胸襟を開いていけると良いですが、限られた時間の中、切迫した環境の中で、最小限の言葉数で正確な意思疎通をし、かつ相手の心情を考えながらコミュニケーションをとるということはとても難しいと感じています。ですから、お互いに意思が十分に伝わり、協力して状況に対応できたときに大きな達成感とやりがいを感じます。地上の仲間からコックピットに送られてくる短い文字の文章でも、相手の優しさや気遣いを感じて胸が熱くなることがあります。
フライトは基本的に数日間同じメンバーで乗務をするのですが、強い連帯感を感じられたときなどは最後の一便を終えたあとに別れるのが惜しいと思うこともあります。私自身も同乗した他のメンバーにそう思ってもらえるような人になりたいです。
- 齋藤
- コミュニケーションの時に大事にしているポイントみたいなのはあるんですか。
修飾語とか言わなくていいことは言わないで、言いたいことのポイントだけ述べるとか?
- 師子鹿
- それももちろん大事です。訓練中よく言われていたのは「すみません」とか「~しますか?」はいらない、と。自分の意思は短く正確に分かりやすく伝えなさいと言われていました。それに加え、私が気をつけたいことは、まず自分が朗らかな雰囲気でいることです。言いにくいことを言っても悪い雰囲気にならないような関係づくりが大事だと思っています。お客さまにとってより良いフライトにするためにも、仲間とは何でも言い合えるような雰囲気を作りたいです。
- 齋藤
- どういう答えが返っているのかを予想していたんですけれど、想定外の答えだったですね!僕が想定していたのはロジックを意識して会話することかなと思ったのです。僕もロジックで考え表現する世界にいるもので、ポイントだけしっかりと伝えておくのが大事というのが当たり前になっているのです。でも、朗らかさが大事っていう答えを聞いて、「これはなかなか面白い発見」って思っちゃいました。というのも、もとは理系でいらっしゃったのもあり、パイロットの世界ってともすればやっぱり左脳を使う論理の世界だと思っていたのです。やっぱり、右脳の部分、感性の世界とかそういうところが大事であるって言われたのは、ちょっと驚きっていうか非常に面白いことだと思いますね。
- 師子鹿
- 斎藤さんのおっしゃるロジックの部分は本当に大切なので、それは前提にあります。私たちはコミュニケーション力や判断力などを”Non Technical Skills”と呼んでおり、訓練中も”Technical Skills”と”Non Technical Skills”の両面で評価され、試験の合否を左右します。ロジカルに話すこと、意思を伝えることだけではなく、相手に意思が伝わったかを確認することなどが必要なものとして含まれています。ちなみに、朗らかさは持論です(笑)。
- 齋藤
- 僕らも企業経営のことをやっているわけですけれども、企業経営っていうのはすごくまじめに考えるものだからゆとりがなくって、ギスギスしている関係が上下関係の中で起こるんです。そこにユーモアとか入れるとね、一挙に変わるんですよ!その方がはるかにストレスを上げないために、より意図が通じるコミュニケーションができるんでね、それはすごくよく分かります。
師子鹿さんのお答えは、すごく使える話ですね、皆「えっ」っていうと思うね。時間が全くない中でどうやってコミュニケーションをとりながら、うまく進めるのかっていうのはすごいスキルと気配りがいると思うんですね。これは師子鹿さんだから朗らかさが出てくるんですよね。
僕はそこはすごく大事だなって思ったな。
- 渡辺
- 斎藤さんのおっしゃる通り、ロジックも朗らかさも両方大事で、双方がカバーし合いますよね。短い中で伝えるのは、アナウンサーなど話す仕事にとっても、とても大事なところです。例えば「◯◯したいと思います」となんとなく柔らかく言いたくなっちゃうものですけれど、「思う」じゃなくて「◯◯します」でいいのですよね、本来。会話は相手の時間をいただいて交わしているわけですから。同時に、ストレートに聞くのは大事だけれど、それだけだとギスギスしたり、ちょっと偉そうに聞こえたりもするので、余計な言葉は足さない分、師子鹿さんのおっしゃるユーモアや笑顔、朗らかな空気が潤滑油になってくれるのは、おっしゃる通りです。パイロットとしてのスキルの中には、とても高度なカンバセーションやコミュニケーションが含まれて、しかもそれを瞬時に行う必要があることがよくわかりました。
それから、女性が少ない職場ですけれど、師子鹿さんからご覧になってこういう改善があったらいいなと思う点などありますか?
- 師子鹿
- 周りの方々が気を遣ってくださっているからだと思いますが、私自身は仕事の中であまり性別を意識することはありません。社会の環境も変化しているので、常に改善の余地はあると思いますが、女性特有の体調不良なども含めて、丁寧なサポート体制がありますので、職場環境はとても良いと感じています。 何より、困ったことや疑問などを相談がしやすい組織なのがありがたいです。
- 渡辺
- 日々のスケジュールは、どんななのでしょう?シフトは毎日、違うんですか?
- 師子鹿
- 毎日違います。前月の25日に翌月分のスケジュールが発表されます。私が今乗務している機種は国内線や近距離国際線が多いので、基本的には4日フライトして2日お休みしてというサイクルです。1日あたり大体3便から4便乗務します。
- 渡辺
- 体調を壊しちゃいけないわけですけれど、体力的にはきついですか?もう慣れましたか?
- 師子鹿
- 今は慣れてきましたけど、体力は必要なのでジムに通っています。
- 渡辺
- 健康診断は、頻繁に受けられるのですか?
- 師子鹿
- 一般的な健康診断と、国で基準を設けられている航空身体検査をあわせて年に2回受けています。
- 渡辺
- 先ほどおっしゃっていた試験はどのくらいの間隔で?
- 師子鹿
- 試験も年に2回で、口述審査とシミュレーターの試験と、口述審査と実機審査を行います。
- 渡辺
- パイロットの方は飛行時間中、ある程度の緊張感をずっと保たれないといけないわけで、それはストレスにならないですか?
- 師子鹿
- 緊張というより、いい意味で「気が張っている」という感じです。訓練中は、わからないことがあると一気に緊張が高まっていたのですが、今は意識を向けられる範囲が広がってきたので、不安により緊張することはありませんが、気は張ります。集中力が高まり色んな所に気を巡らせているような感覚です。
- 渡辺
- 最後にICUの在学生の皆さん、これからICUを目指そうと思ってくださっている方々、特にパイロットになりたいという夢を持っていらっしゃる若い世代にもメッセージやアドバイスをいただけますか?
- 師子鹿
- 自分の学生時代を振り返ると、ゴールを1つに決めてしまうところがあったように思います。そうすると、それが叶わなかったときに大きく落胆してしまうのですが、日頃から自分の可能性を狭めずアンテナを広げておけば、何か壁にあたったときに乗り越える選択肢をいくつも持てると思うのです。会社が経営破綻したときも、もちろんパイロットの夢は諦めずにいましたが、一旦気持ちを切り替えたことで、他の部署での経験も有意義に思うことができたのです。強く何かを願いつつもそれ1つに固執しないというのはこれからも続けていきたいと思っています。
もう一回大学を選ぶとしても、ICUに行きたいと思います。昔から、両親から「色々なものに興味を持ちなさい」と言われて育ちましたが、ICUはまさにそれが可能な場所だと思うからです。