プロフィール
1997年にICU入学、2001年に中退。2004年に復学後、2006年にICU理学科生物学専攻を卒業。早稲田ロースクールを修了後、2014年に司法試験予備試験に合格、2015年に司法試験に合格。現在、弁護士として活躍中。
学校にいる時間よりビリヤード場にいる時間の方が圧倒的に長くなり、全然学校に行けなくなってしまったんですよね。そこで、ビリヤードのプロになろうと思って、中退しました。
- 渡辺
- 松本さんと斎藤さんは、以前からのお知り合いなのですよね?
- 齋藤
- 同窓会の友人の紹介なんです。それまでは初めてだよね。松本さん、同窓会を手伝ってくれていて、その友人に「誰かいない?」って聞いたら、真っ先に君を紹介してくれたんだよね。
- 松本
- そうなんですよね。その時に初めてお会いしました。
- 渡辺
- 差し支えなければ、松本さんはIDはいくつなんでしょう?
- 松本
- IDは01になります。
- 渡辺
- おお、ゼロ年代!
- 齋藤
- 若い!
- 渡辺
- 2001年にご卒業。あ、違う、一度中退されたと聞きました。そうすると、ご卒業はいつになるのでしょう?
- 松本
- 一度中退して、また戻って、2006年に卒業しているっていう形です。
- 渡辺
- なるほど、じゃあ、どうしてそういう風になったんですか?というところから伺えますか?(笑)
- 齋藤
- そこやな(笑)
- 松本
- それを話すと長くなるんですが(笑)。まずそもそも、高校生の時に日本画家になりたくて、高校時代は絵の予備校に行って、絵しか描いてなかったんです。
- 渡辺
- 日本画家に!ご両親の影響ですか?
- 松本
- そういう訳ではなく、小さい頃から、絵を描くことが好きだったんです。けれど、両親は私が絵描きになることには反対でした。でも、私は東京藝術大学しか行きたくなくて。「もう少し普通の大学も受けなさい。」と両親に言われて、どこを受けようかなと思った時に、英語が好きではあったので、何とはなしにICUを受けました。東京藝大の方は落ちてしまって、じゃあ、ICUで頑張んないといけないなと思った時から結構、悩み始めました。
- 渡辺
- 東京藝大に進みたかったんですものね。
- 松本
- 当時のICUは、入試の時にディビジョンの第一希望、第二希望に丸をつけて選ぶ感じではなかったですか?
- 渡辺
- あ、どうだったのでしょう…?私の頃は最初から1つのディビジョンしか選べなかったかな。いや、ディビジョンごとの試験だったかも。
- 松本
- たしか、私の時は文系と理系の大きい括りで、文系はその中でディビジョンを第一希望、第二希望を選ぶ感じでしたので、適当に丸をつけた語学科(ランゲ)に合格しました。ランゲの授業は楽しかったのですが、ランゲで卒業する自分のイメージが持てなくて……高校の時は理系クラスだったこともあり、NSファンデを取っているうちにNSの魅力的な先生たちや授業の面白さにはすっかりハマって、NSに転科することにしました。
- 渡辺
- え?ランゲに丸をつけたけど、高校の時は理系だったんですね?
- 松本
- そうなんです。
- 渡辺
- 高校時代、化学・生物・物理の中ではどの系統だったんですか?
- 松本
- 生物が好きだったので、最初からバイオ専攻にするって決めていました。
- 渡辺
- 何年の時にNSに転科なさったんですか?
- 松本
- 3年生になるタイミングでランゲからNSに転科しました。NSの授業が楽しかったので、授業を取りまくっていたら、NSの授業を3年生の最初の方で取りきってしまったんですよね。そのあと、ファンデーションを取らなきゃいけなかったんですが、やっぱりNS以外に興味が持てなかったんです。ちょうどその頃、サークルの先輩に誘われたのがきっかけで、ビリヤード場に出入りするようになっていました。
- 渡辺
- ビリヤードっていうと、三鷹あたり?吉祥寺あたりですか?
- 松本
- 武蔵境の駅前です。
- 渡辺
- じゃあ、そこに行くようになって。
- 松本
- 入り浸り…。
- 渡辺
- あ、やっぱり、ハマるというか集中なさるんですね、授業と同じく。面白かったですか?
- 松本
- 面白かったですね、計算とかが理系っぽい要素もあるし、駆け引きもあるし、ビリヤードを介した友達も増えましたしね。
- 渡辺
- ちょっとハスラー的な感じになったり?
- 松本
- そうなんです。それでプロになりたくなってしまって。長いときは1日22時間ぐらいビリヤード場に入り浸るようになりました。
- 渡辺
- 22時間!っていうと、寝る間も惜しんで?じゃあ、今でもビリヤード場に行ったら、ほとんどの人を黙らせられる感じですか?
- 松本
- いや、最近そこまでは練習してないので(笑)
- 渡辺
- えーと、それが、3年生とか4年生の時ですか?
- 松本
- 2年生か3年生の時ぐらいで、19から20歳ぐらいの時です。学校にいる時間よりビリヤード場にいる時間の方が圧倒的に長くなり、全然学校に行けなくなってしまったんですよね。そこで、ビリヤードのプロになろうと思って、中退しました。
- 渡辺
- え?プロになりたくて中退されたんですね?
- 齋藤
- それで中退したん?
- 松本
- はい。
- 渡辺
- 大学に行きながらだと難しい道だったんですか?というか、そもそもプロって、どうやったらなれるんですか?
- 松本
- プロになるにはプロテストがあるのですが、筆記と実技ですね。
- 渡辺
- じゃ、それを受けられて。
- 松本
- 結局は受けなかったです(笑)。
- 渡辺
- え?でも、ICUは辞めた、というか、中退はしたんですよね?
- 松本
- はい。辞めた時には本気でプロになろうと思っていたんです。
- 渡辺
- プロになるために大学を辞めた時は、ほぼ後悔なく?
- 松本
- 後悔はなかったですね。そのときには、もう研究室も決まっていたのですが。畑中信一先生という東大を退官された後にICUに来た先生の研究室で、たんぱく質を合成しないアミノ酸……わかりやすく言うと毒キノコの卒業研究をすることも決まってはいました。教授からの強い引き止めもあったんですけど、それを振り切って退学しました。
- 渡辺
- ご両親はどんなご反応でしたか?
- 松本
- えっとですね。思い出しても怖いですけど。「お前はもう今日からうちの子ではない」と言われましたね(笑)。
- 渡辺
- それは辞めてから?辞める前?
- 松本
- 辞める時ですね。書類に両親の一筆が必要だったんですよね。朝、親に「大学辞めたいと思う」と言ったら、「そこで待ってろ」と言われましたね。
- 渡辺
- 松本さん、ご出身はどちらですか?
- 松本
- 群馬県です。
- 渡辺
- ということは、お父さまは群馬からいらっしゃるっていうこと?
- 松本
- そうなんです。電話した2時間後に両親が目の前にいました。
- 渡辺
- 松本さん、ご兄弟は?
- 松本
- 私が長女で、妹と弟です。
- 渡辺
- なるほど。1人目のお子さんだし、ご両親として期待もありますよね。ちなみに、それまで辞める予兆とか、なかったんですよね?
- 松本
- そうですね。
- 渡辺
- じゃあ、突然の中退をご両親に面と向かってプレゼンというか、説得しなきゃいけない状況だった…?
- 松本
- 両親からは「今辞めても生きていけるわけない。ビリヤードなんかで生計なんか立てて行くのは絶対無理だ」と言われました。今思えば親の言うことももっともなんですけど、私も結構頑固なので、親もそこはわかっていて。最後には「好きにしなさい、でも、健康保険証から何から一切返せ」と言われました(笑)。
水商売をする前、私自身、自分が世間知らずだという自覚はあったので、すごい世界が広がる気がして。
- 渡辺
- 健康保険証の返還ですか……でも、松本さんの気持ちは変わらず。とすると、そのあとどうするわけですか?
- 松本
- そのあと、私としては生活していかなきゃいけなくて、バイトを色々探したりという現実の世界ですよね。
- 渡辺
- まずはバイト探しから?
- 松本
- 最初は居酒屋で働きつつ、ビリヤード場の店員をしていたんですが、ビリヤード場の店員ってプロを目指している方が多いので、無給のことが多いんです。
- 渡辺
- それは、使わせてあげるからってことで?
- 松本
- 「空いてる時間にただで練習していいから、ただで働け」っていうパターンが多いので、基本的に拘束されている時間は収入にならないんです。最初は、居酒屋を2軒掛け持ちして働いていたんですけど、生活が厳しくなってきて。なので、歌舞伎町で水商売を始めようと思いました。
- 渡辺
- なるほど。始めてみて、どうでしたか?
- 松本
- 水商売をする前、私自身、自分が世間知らずだという自覚はあったので、この機会ですごい世界が広がる気がしたんです。
- 渡辺
- どんなお店に勤めたのですか?差し支えなければですが。
- 松本
- クラブで働いていたこともあるし、キャバクラでも働いたことがあります。
- 渡辺
- ビリヤード場で苦しかった収入面に関しては、どうなりましたか?
- 松本
- 当時、ちょうどITバブルの時代ということもあり、新宿にはIT企業の会社が多かったので、景気は良くて、収入面での問題はなくなりましたね。
- 渡辺
- それはお給料って形で?
- 松本
- はい。キャバクラだと指名の本数が時給に跳ね返ってくるのと、あとは、指名料とかボトルのお金がお給料になりますね。
- 渡辺
- じゃあ、指名を出来るだけ多く取らないと。どうしたらいいんですか?
- 松本
- 私も聞きたいです(笑)。ただ、営業の仕方は人それぞれ違うと思うんですけど、私は、接客している時間の中で、精一杯この人がここにきて良かったって思ってもらおう、払う価値以上のものを提供しようと思っていました。営業メールとかをマメにやるタイプではなかったですね。
- 渡辺
- ここに来て良かった、それ、とても大切ですよね。そういえば……数年前でしたか、学生の就職希望アンケートの10位以内に確かキャバ嬢が入って、ちょっと話題になったのを覚えています。キャバクラに勤めれば、お酒を飲みながら男性とお喋りしつつ、収入もいい、と。その後、不景気になってからは堅調な公務員が上位になったようですけれど。
- 齋藤
- えー、なんちゅうことや。 良いお客さんだったらいいけどね。変な人もいっぱいおるだろうしね。
- 渡辺
- そうですよね…。松本さんも、いろんな人間観察をしましたか?
- 松本
- そうですね。でも意外と、ストレス溜めている普通のサラリーマンが1番厄介みたいなところはありました(笑)。
周りの女性たちの中にも結構DVに悩んでいる子がいて、相談を受けたりして、なんとかしてあげたいと思っていろいろやっているうちに、弁護士になりたいなって思うように。
- 渡辺
- ICUに戻ろうと思われたのは、どうしてだったんですか?
- 松本
- 自分が、DV受けてたっていうのもあるんですけど、周りの女性たちの中にも結構DVに悩んでいる子がいて、相談を受けたりして、なんとかしてあげたいと思っていろいろやっているうちに、弁護士になりたいなって思うようになりました。あとは、ちょうど大平光代さんの本を読んだことでも、さらに背中を押されました。弁護士になりたいと思った時とロースクール制度が始まった時が重なったので、大学を卒業しないと大学院に行けないことから、ICUにもう一回戻ろうと思いました。
- 渡辺
- そう思われたのは歌舞伎町で勤めていらした時ですか?ご両親に学費を頼るのが難しいということは、その時貯めていたお金で復学しようと?
- 松本
- そうですね。
- 渡辺
- 戻る時は、テストなどあるのですか?
- 松本
- 学部長面接がありました。当時の学部長はスティール先生だったと思います。
- 渡辺
- スティール先生!
- 松本
- 学部長面接の他には、レポート提出がありました。
- 渡辺
- どんなレポートを書かれたか、覚えてますか?
- 松本
- 復学にあたっての情報に、レポートを書いて出すようにとしか書いてなかったんですよ。中退した時点に復学できるっていうシステムなんですけど、たぶんそのシステムを使う人がそんなには数がいないのかもしれませんが、何を書くとかあまり詳しくは情報がなくて。そこで私は、ICUだから、日本語と英語両方書かなきゃいけないと思って、両方で書いて出したんですね。そしたら面接のときに、スティール先生に「英語で書いてくれてありがとうねー」って日本語で言われました(笑)。内容としては、若気の至りでICUを辞めてしまって、ずっと歌舞伎町で水商売をやっていたけど、やっぱりこの先自分が弁護士になりたいと思った時にICUでもう一回学んで、ちゃんと大学を卒業して、それでロースクールに行きたいということを書きました。
- 齋藤
- それを書いたのですか?
- 松本
- はい。書きました(笑)。
- 齋藤
- それはすごいですね。
- 渡辺
- 面接でも、聞かれましたか?
- 松本
- 聞かれましたね。
- 齋藤
- スティールさん、意味分からんかったりしてね(笑)。
- 渡辺
- 戻れるとわかった時は、嬉しかったですか?
- 松本
- 嬉しかったです。その学部長面接が終わって、最後にスティール先生が「welcome!」って握手してくれて。
- 渡辺
- 良かったですね!でも、NSの単位も結構取っていらしたでしょうから、卒業までは、そんなに大変じゃなかったですか?
- 松本
- あんまり取っていなかったファンデーション科目と、NSは卒論が必修なので、卒論系の科目を取る必要がありましたね。
- 渡辺
- 中退前のアドバイザーの先生のところに戻られたんですか?
- 松本
- 畑中先生はもういらっしゃらなくて、退官されていました。なので、遺伝学系の千浦博先生の研究室に入りました。
- 渡辺
- 生物学ですね?
- 松本
- はい、生物学です。
- 渡辺
- ということは、ICUを卒業されてすぐロースクールにいらした?
- 松本
- はい。そうです。
- 渡辺
- 在学中にロースクールの入試があるんですか?
- 松本
- はい、あります。
- 渡辺
- 難しいですか……?
- 松本
- ロースクールには未修コースと既習コースの2つのコースがあるんですが、一般的には未修コースは法学部以外の出身者を対象にしていて、一般教養や小論文、面接なので、そこまで大変ではなかったですね。
- 渡辺
- ロースクールには何年通われたんですか?
- 松本
- 未修コースは一般的に3年間なので、3年通いました。
- 渡辺
- ロースクールを卒業する時に司法試験を受ける形になるのですか?
- 松本
- ロースクールを3月に卒業して、その年の5月が司法試験という感じですね。
ロースクールは正直辛い思い出しかないです。司法試験は今振り返れば、地道な努力をすごく怠ってましたね。
- 渡辺
- ICUの勉強とロースクールの勉強では、一概には言えないかもしれないけれど、どちらが大変でしたか?
- 松本
- 断然、ロースクールでした。ロースクールは正直辛い思い出しかないです。試験に向けた予備校みたいな場所で。私は早稲田のロースクールに行ってたんですけど、当時の早稲田のロースクールは法学部出なのに他学部出身者を想定した3年コースに来ている人が90何パーセントいる時代でした。
- 齋藤
- 何が辛かったんですか?覚えるのが辛いとか?
- 松本
- 私はロースクールに入ってから、ゼロから法律の勉強を始めたんですけど、法学部の人たちは4年間やってきていますよね。なので、まずみんなについていくのが大変だったっていうのと、みんな自主ゼミを組むんですけど、入れてくれないんですよ、これが(笑)。「松本さんは他学部出身だからどうせついてこられないから入れません」とか言われてしまい。その中でどうやって勉強していくのか手探りで。法学部出身の子も予備校に行って勉強したりするみたいなんですけど、そこを闇雲に独学で勉強しようとしたので、それが辛かったですね。
- 渡辺
- そういう辛さの中で、とにかく合格を目指されたんですね。結果として……どうでしたか?
- 松本
- それがですね、ダメでした。今振り返れば、地道な努力をすごく怠ってましたね。司法試験って短答式って呼ばれるマークシートの択一の問題と、論文式って呼ばれる論述問題と2つのタイプの試験があって、両方受からないと合格しないんですけど。今思うと短答式の方を結構なめてかかっていたかなと。大学受験の時のセンター試験が得意だったこともあって、何か丸つければ当たるでしょうくらいの気持ちでした(笑)。
- 渡辺
- マークシートだと確率にかけちゃえ!っていうところもありますよね。でも、司法試験だものね。
- 松本
- はい。司法試験の短答式っていうのは、確実に知識があった上で、5つ選択肢があったら3つは絶対違う、答えを2つまで絞り込んだ上で、絶対正しい答えがわかることもあるし、普通の裁判官だったらこっちの選択肢を選ぶかなっていう感覚が身について初めて答えられる場合もあるっていう択一なんですよね。正解するには、やはり過去問を何回も解いたり、判例をいっぱい読んだりっていう地道な作業が必要なんですけど、それを怠っていました。当然、択一に全然受からなくて、最初2回は択一で落ちてしまいました。
- 渡辺
- 択一で落ちたんだということは、わかるんですか?
- 松本
- まず択一の結果が試験1ヶ月後に出るのでそこでわかります。そこから3ヶ月後に論述の結果が出るんですが、択一の段階で2回連続落ちていて。ところが、当時は、ロースクールを出た後に、司法試験を3回しか受けられないという制限があったんです。
- 渡辺
- 3回しか受けられない制限があるんですか?弁護士を目指して司法試験を何度も受ける方もいらっしゃると聞いていましたが。そういう場合はロースクールじゃなくて、法学部を卒業して受けるっていうことですか?
- 松本
- 制度がちょうど2004年頃で変わって、ロースクール制度が始まって3回制限も始まったんですが、それまでの旧司法試験では何回受けてもよかったんです。
- 渡辺
- なるほど。では、その年からどなたでも3回までしか受けられないことになったんですね?
- 松本
- そうですね。あと、司法試験を受けるためには、ロースクールを出るか、司法試験予備試験というロースクール卒業認定資格みたいな一発試験か、必ずどっちかのルートを通らないとダメなんです。
- 渡辺
- ということは、その時の松本さんは、今度が3回目のラストチャンスになっちゃうってこと?
- 松本
- はい。そしてラストチャンスで落ちましたけどね(笑)。
- 渡辺
- あ、そうだったんですか。
- 松本
- 3回目は択一には受かりました。論文の結果が3か月後ぐらいに出るんですけど、あと少しで合格というギリギリの点数で論文試験に落ちてまして。あー、やっと択一抜けたのにって思っていたので、悔しくて悔しくて、予備試験を目指すことにしました。この予備試験というのは、司法試験より大変な試験で、合格率約3%の試験なんです(笑)。
- 渡辺
- えー!100人に3人しか受かってないじゃないですか?
- 松本
- 司法試験自体は合格率20数%ぐらいなんですけど。
- 渡辺
- それでも5人に1人。
- 松本
- はい。司法試験を受けるためには、ロースクールを出るか、その3%の一発試験に合格するしかないんです。
- 渡辺
- 一発試験っていうと、それで司法試験を受ける資格ではなくて、通ったことに…はならないですよね?
- 松本
- それが、ならないんですよ。制度が良くないとずっと言われてはいるんですけど。予備試験受けても、結局ロースクールを卒業した人と同じところに立てるだけでもう1回司法試験を受けなきゃいけないんです。
- 渡辺
- もう1回チャンス?もう3回チャンス?
- 松本
- 予備試験に受かると、また3回チャンスがもらえるんです。今は更に制度が変わって、5回のチャンスになりましたけど。
- 渡辺
- なるほど。それで、2014年に予備試験に受かってらっしゃるわけですよね?
- 松本
- 2014年に受かってます。
- 渡辺
- それで、その次の年に司法試験に合格されたんですよね。2015年?
- 松本
- そうです。
- 齋藤
- 最近ですね。
- 渡辺
- すごいですね…。正直、誰よりも、勉強の期間をきっちりやっていらっしゃる分、信頼のおける弁護士さんですよね。
- 松本
- そうですね(笑)。
- 渡辺
- どうでしたか?通った時は?
- 松本
- 受かる気がしてました(笑)。
- 渡辺
- あ、どのあたりから受かりそうだなって思いましたか?予備試験が通ったあたりから?
- 松本
- 予備試験って択一、論文、口述の3つの試験に受かる必要があるんです。予備試験の論文試験に受かるのが難しいって聞いていて、それが受かった時には、「あ、もうこれでいけそう。」って感じがしました。司法試験自体もいけそうっていう。
- 渡辺
- 3%ですものね。
- 松本
- あと、勉強のコツというか、エッセンスが少しわかったのかなという感じはあります。
- 渡辺
- エッセンス…?2014年に予備試験に合格後、翌年の司法試験を受けるまでは、同じ勉強法になるんですか?
- 松本
- 基本的には方向性は同じ勉強ですね。基本書っていうんですが、基本的なことがまとめられている教科書的な学者の先生が書いた本を読んで、それから判例をまとめた本で重要な判例を読んで、あとは過去問をひたすら解く。
- 渡辺
- 1日何時間くらい?
- 松本
- 最終的には長時間の勉強はしませんでした(笑)。1日10数時間勉強した時期もありました。でも、コツがわかってきて、ここを重点的にやるべきというのがわかってきて。そうはいっても6時間ぐらいはやりますけど、だいたい8時間とかそんな感じでしたね。
- 齋藤
- ところで、松本さんが弁護士になったというのはご両親はご存知なんですか?
- 松本
- はい、知ってます。ここ最近仲直りしまして(笑)。
- 渡辺
- それは良かった!仲直りは弁護士になられてからですか?
- 松本
- ロースクールに入って司法試験を受けている時ぐらいですかね。
そうですね。辛いことはあります。泣くこともあるんですけど(笑)。こういうことがしたかったということができているし、勉強してきたことが実際の仕事の中で、そのまま役立っていると、今すごく実感しています。
- 渡辺
- 今はどうですか?仕事面も充実の毎日ですか?
- 松本
- そうですね。今は充実してますね。
- 渡辺
- 実際に本当になりたかった弁護士になってみて、実感としては?
- 松本
- なってみて、仕事している気がしないというか。
- 渡辺
- ん?どういうこと?
- 松本
- まさにこういうことがやりたかったっていうことができている感じがします。
- 渡辺
- なるほど!勉強している期間の辛さとは比較にならないくらい、馴染むというか、自然に働けているんですね?
- 松本
- そうですね。辛いことはあります。泣くこともあるんですけど(笑)。
こういうことがしたかったということができているし、勉強してきたことが実際の仕事の中で、そのまま役立っていることを実感することが多いです。
- 渡辺
- それは本当に努力なさったご褒美ですよね。どの仕事も涙が出てくる時はあると思うんですけれど、今、充実している中で松本さんは、どういう時に泣いてしまったりするんでしょう?
- 松本
- まだ、キャリアが浅いので、人の気持ちに寄り添うことがうまくできなかったときなどですね。例えば、刑事事件だったら、依頼者の権利を守るために動く一方で、依頼者ではない被害者の方に寄り添う姿勢を見せなければならない場面があるわけですが、そういう場面で人の気持ちとの距離感がなかなかコントロールできないときが辛いですね。本当は事案の落としどころを見据えて自分をコントロールして動かないといけないのですが。まだまだ、未熟なところが多いですね。
- 渡辺
- ご自身の未熟さを感じますか?
- 松本
- 感じますね。日々勉強ですね。一生勉強だなと感じますね。
自分が学生の時にすごく悩んでいた。将来の不安とか、そういう悩みってICUの現役の学生さんたちにもあるじゃないのかなって思って。そうであれば、私なりに話ができるんじゃないかなと思って、現在は特に現役の学生さんと接点がある学生部でお手伝いをさせてもらっています。
- 齋藤
- 松本さんは、ずいぶん同窓会のことを手伝ってくれてるみたいなんだけど、なんで同窓会を手伝おうと思ったのですか?
- 松本
- それは、自分が学生の時に、何になりたいのかわからなくてすごく悩んでいた経験があるからです。学科を変えてみたりしたし、いろんな出会いを求めて外に出てみたりしたし。将来の不安とか、そういう悩みってICUの現役の学生さんたちにもあるんじゃないのかなって思って。そうであれば、私なりに話ができるんじゃないかなと思って、現在は特に現役の学生さんと接点がある学生部でお手伝いをさせてもらっています。
- 渡辺
- それは学生さんたちにとっても嬉しいでしょうね。法曹界に対しては、もっとこうだったらいいのにとか、思われることはないですか?
- 松本
- 女性の目線でいうと、育休産休がないところがどうにかならないかな、と思います。基本的には、弁護士は事務所に所属しても個人事業主っていう形なので。
- 齋藤
- 給料の仕組みがそうなんですか?
- 松本
- そうですね。事務所からお給料が出て、プラス自分で稼ぐっていう二本柱の人もいますし、事務所からだけの人もいますし、自分で独立している人もいます。仕事を調整すれば、休めることは休めるんです。お金がなくて良ければ(笑)。でも、制度として、育休産休っていうものはないんですよね。
- 齋藤
- あー。それは大変ですね。
- 松本
- 対応している事務所もあるにはあるとは思うんですけどね。
- 渡辺
- でも、全体的にではないんですね?
- 松本
- はい。
- 齋藤
- 全然知らない世界だから面白いな(笑)。
- 渡辺
- 弁護士さんに接することはあっても、法曹界を目指す道について詳しくうかがったことはなかったので、細かく聞いてしまいました。根堀葉掘り、ごめんなさいね。ICUは教養学部なので、医学部も法学部もないわけですけれど、general educationを受けた後に、夢として弁護士になりたいとか裁判官になりたいと思う方もいらっしゃるかと思います。そんな方々へのアドバイスとして、ICUに在学しながらロースクールに行くのは難しいですか?
- 松本
- 同時進行でですか?ロースクールは大学院なので、大学を卒業しないといけないですね。なのですぐになろうとするのであれば、私が受けた、予備試験を受けるという道はあります。
今振り返ると、私の中で、ICUの勉強は何一つ無駄になっていることがないです。今後も、100人が笑顔になったら、次の100人っていう、そういう目標でいく。
- 渡辺
- 在学中に、予備試験への勉強を。ご体験者からすると、これは大変ですか?
- 松本
- 結構大変です。卒業してすぐに司法試験に受かりたいっていう目標だった場合には結構難しいかもしれないですが、もしそういう人がいたら頑張ってほしいです。ただ、今振り返ると、私の中で、ICUの勉強は何一つ無駄になっていることがないです。分野も違うし、特に理系と文系なんて全然違う仕事ですけど、全部が役立っているので、せっかくだったら、ICUの在学中はICUの授業等も頑張ってほしいなって思いますね。
- 齋藤
- そうかー。今後はどうしようと思っているのですか?知り合いで、弁護士になった後に外務省に入った人もいるね。企業の中に弁護士が入っていることも最近では多そうだし。それも面白いかなーって思うんだけど。弁護士一筋も面白いのかもしれんけど違う組織に入って、ICU卒業生ならではできることっていうのがあると思うんですけどね。
- 松本
- ICU卒業生ならではの海外での仕事という意味でいうと、今の事務所は小さい事務所なんですが、扱っている案件には海外の案件が比較的多いので、結構英語を使うことも多かったりします。もっと大きな視野を持ってという意味でいうと、もともと弁護士を目指した時に、私の目の前の100人を笑顔にしたい、というか笑顔に戻したいという気持ちで始めているので、どうしても私の目線は小さくまとまってしまうかもしれません。
- 齋藤
- それはいいことですね。
- 松本
- その100人が笑顔になったら、次の100人っていう、そういう目標なので、あんまり大きな視野とは言えないかもしれませんが。
- 齋藤
- それはものすごく重要な考え方ですね。日本の企業の特徴かもしれないのですが、その人が提供している価値とは関係なく、年功や役職に応じた報酬しか払わない仕組みになっているだろうし、数値を達成することでボーナスをもらえるので、お客さんのことを考えることよりも、自分の数字だけを考えてしまう。だからお客様100人を喜ばせるという発想はなかなか出てこない。だから、100人の人を喜ばせるっていうのは本当にいいことなんですよね。人を笑顔にすると、気持ちよく働ける人が出てくることを意味するのですごい貢献かもしれないよね。
- 渡辺
- 時間をかけても実際に弁護士になられた最初のスタート地点が、DVに困っている周りのお友達を助けてあげたいって思われたところですものね。社会の表層に見えていないところですごく辛い思いをしている方って、たくさんいらっしゃるでしょうから。そこにもっと陽が当たって少しでも救われるようになったらいいですよね。松本さんだったら、必ず力になっていけると思うので。
- 齋藤
- 松本さんにとったら失礼かもしれないけど「キャバ嬢出身の弁護士さん」って1つの宣伝文句みたいになるよね(笑)。
- 渡辺
- すごく、わかりやすくキャッチーではありますけど……松本さんご自身は、そう言われることに抵抗ありますか?
- 松本
- いえ、そこまでではないですけど、恥ずかしいです(笑)。
ICUで本当の意味の仲間ができたっていうのが大事な私の財産。ICUに入ってきたら、仲間を沢山つくってほしいなと思います。
- 渡辺
- 最後に、ICUを卒業してから法曹界を目指したい方も含めて、ICUの学生の皆さんや、これからICUを目指したいと思ってくださる若い世代へのメッセージをお願いできますか?
- 松本
- ICUで本当の意味の仲間ができたっていうのが大事な私の財産になっています。ICUって結構、戦友みたいな仲間が作れる場だと思うんですよね。ICUに入ってきたら、仲間を沢山つくってほしいなと思います。卒業してしまうと、どうしても、バックグランドが違うと、特に女性だと、自分の持っているもの、付き合ってる彼氏とか、仕事とかが違っていると、本当に腹を割って話せなかったりすることが多いと思います。でも、ICUでは本当の意味の一生ものの仲間と出会うことができる場だと思います。
- 渡辺
- ありがとうございました。
- 齋藤
- 良い話をありがとうございました。
- 松本
- ありがとうございました。
プロフィール
松本 典子(マツモト ノリコ)
群馬県出身。1997年にICU語学科に入学後、1999年に理学科生物学専攻に転科、2001年にビリヤードのプロを目指して中退。水商売で生計を立てている際に弁護士を目指すようになり、2004年にICUに復学、2006年に卒業。早稲田大学大学院法務研究科(ロースクール)を2009年に修了、2014年に司法試験予備試験に合格、2015年に司法試験に合格。現在は、メインとする企業法務のほか、インターネット法務、労働、破産、離婚相続、刑事事件等に取り組む弁護士。