プロフィール
2006年にICU卒業後、コンサルタントとしてタイや中国で、日本企業買収先子会社の業務標準化を支援。2008年、アディダスに転職し2011年に退職。14年に米タフツ大学フレッチャースクールにて国際経営修士を取得。米国でのテスト展開を経て、2016年、若手クリエイターとの協業で、アフリカの多様な視点を世界に発信するファッション小物とインテリアデザインのブランド事業、Maki & Mpho(マキエンドムポ)を設立。
- 渡辺
- 斎藤さんが、マキさんの渋谷西武のポップアップストアにいらっしゃったのは、先週ですか?
- 齋藤
- そうそう、このポケットチーフとネクタイを買わせてもらいました。
- マキ
- この商品は私のビジネスパートナーである南アフリカ人デザイナーのムポと、今回は兵庫県の播州織メーカーのご協力のもと作りました。播州織は200年くらい前に京都の西陣織のシルク織物の技術を引き継いで、綿織物を発達させたもの。今回、生地は五代続く播州織の会社にお願いし、京都のネクタイ専門メーカーや東京根津の靴下専門メーカーなど、モノづくりの会社に製品化をお願いしました。
- 渡辺
- 国境を越えてのコラボレーションなのですね。
- マキ
- そうですね、その通りです。テキスタイルデザインと総称される色柄デザインを、どのように販売していくかはビジネスモデルの課題で、今回はポップアップストアのために、日本でどの色柄をどう商品化するかが重要な検討事項でした。
- 齋藤
- マキさんの商品は、普通とは違った色合いで味があり、非常にいいよね。
- 渡辺
- だから、いつにもまして斎藤さんの装いがシックなんですね(笑)。いつも、ポップアップという形でなさっているのですか?
- マキ
- 実は、今回が日本というか、世界初の本格的なポップアップストアです。日本で会社を登記したのが昨年、たまたまタイミングがあって、エスニックやアフリカをテーマに西武渋谷が催事を行うということで声がかかりましたが、その時手元に最終化された商品はありませんでした。
- 渡辺
- そうだったんですか!?
- マキ
- ウェブサイトにブランドコンセプトや生地などの一部デザインは載せていましたが、実は、商品は何もありませんでした。本当によく声をかけてくれたと(笑)。でも“作ります!”と、すぐに返事をして、3ヶ月の間でネクタイやクッションを作りました。今年の2月にお話しをいただき、3月に欧州出張から帰国して、そこから作り出したのであまり時間がなかったです。
- 渡辺
- デザインやコンセプトはお持ちだったにしろ、この3ヶ月、寝る時間がないほどの忙しさだったのでは…?
- マキ
- 私たちのところに工場があるわけじゃないので、実際に作業をしてくださったメーカーさんが調整し、協力してくれたから出来ました。私としては、物理的なタスク量よりも、間に合うかどうかといったリードタイムなど、経験が限られるために難しかったです。
- 渡辺
- じゃあ、ポップアップストアに商品が並んだ時は、感動されたでしょう?
- マキ
- はい、嬉しいと言うか、ちゃんとついた(安堵)という気持ちでした。メーカーさんが納期を間に合わせてくれたのが本当によかったです!
私の会社の、アセットはアフリカ人の視点とデザイン。
今回、アフリカ人のデザイナームポと日本では播州織とコラボしたが、オランダに行けばオランダのメーカーともコラボしていきたい。
今回、アフリカ人のデザイナームポと日本では播州織とコラボしたが、オランダに行けばオランダのメーカーともコラボしていきたい。
- 渡辺
- そして今、初のポップアップストアを終えられて、どんなでしょう?
- マキ
- はじめてだったので、単店比較は難しいですが、2週間の開催で、年初から同スペースで開催されている30店舗ほどの他ブランドのポップアップのうち売上額ではトップ10でした!
- 齋藤
- それはすごいじゃないですか!
- 渡辺
- おめでとうございます!
- マキ
- (照)はい、ありがとうございます。もちろん、知り合いとかが買ってくれたのもあります(笑)。平日の昼間は人が来ないし、展開していたメンズフロアは5階で人通りも少なく、初日はほとんど売れなくて焦りました。初日の夜中3時に百貨店担当の方や部長宛に、明日からこういう施策しますという、レビューのメールを送るほど不安がありながらのスタートでした。でも最終的に結果をだせたのは良かったです。
- 渡辺
- 素晴らしい成果ですね。これからはどんな展開を?
- マキ
- 在庫もできたので、日本市場には、似たようなポップアップストアの展開とオンラインショップでの展開を考えています。流通チャネルを考える上で、卸売などのオプションもありますが、まずは、自分たちのブランドの世界観、ストーリー、デザイン、モノづくりの背景をゆっくりでも知ってもらいたいと思っているので、消費者に直接売れるチャネルを考えています。
- 渡辺
- オンラインは強いと聞きますが、今はチャネルをしっかりすれば、売れる道筋を確保することは可能なのでしょうね。
- マキ
- 30年くらい前に比べるとオプションは沢山あります。一方、チャネルが増えたということは、参入障壁は低く競争も激しいということ。だから、どのようにブランドを作るかが大事になり、海外にも展開していくブランドにしたいのでリソース配分も考える必要があります。今はものづくりを日本でやっていますが、デザイナーのテキスタイルデザインが私たちのアセットで、その柄デザインをベースに、良いプロダクトとのコラボレーションをしていきたいです。例えばオランダに行けば、オランダとのメーカーとのコラボレーションなど。柄デザインを主軸にした展開なので、ものづくりだけじゃなくて、インテリアビジネスとしてBtoB展開も可能性があります。
- 齋藤
- 今回の播州織は、どのようにメーカーを探したの?
- マキ
- いろいろ縁がありました。留学先でデザイナーと出逢って、そのデザインの商品化を検討する中で、日本に帰って来るタイミングで日本のメーカーと繋がる可能性を探りました。その一環で、渋谷ヒカリエで日本のモノづくりに関するイベント(Japan Brand Festival)に参加し、そこで兵庫県のプロダクトデザイナー兼プロデューサーの方と出会い、メーカーを紹介してもらいました。播州織の各種ブランドハンカチのOEMを請け負う一方、自社のスカーフブランドやゴスロリデザインブランドを展開するなど、ユニークなことをやっている会社です。播州織など地域産業に携わる私が出会った方々は、伝統を守るために、危機感を持っていて、新たな取り組みをしていて、そのつながりでメーカーの方とも知り合いになりました。
- 齋藤
- でも、その人たちとも、はじめて出会ったのでしょう?
- マキ
- はい、イベントで紹介してもらって初めて会いました。ただ、ポップアップストアをやる3ヶ月前よりもさらに1年ほど前から播州織のメーカーとは繋がっていたので、テキスタイルの試織はしていましたし、実際に私も兵庫県にある彼らの播州織の製造現場に何度もいって商品化の準備段階は経ていました。
一番英語が上達したのは、ICU高校。
大学よりも海外在住経験率が高く、大学生並に英語を読んでいた。
大学よりも海外在住経験率が高く、大学生並に英語を読んでいた。
- 渡辺
- SNSで簡単に世界の人とつながることが出来る現代ですけれど、私たちの世代からすると隔世の感が。マキさんが、オランダや南アフリカなど、グローバルな視点を身の丈として自然に備えてビジネスや物事を捉えていらっしゃるのを実感して、すごいと感じます。アメリカの学校を卒業なさってから東京に戻っていらしたのですよね?
- マキ
- 実は、アメリカでやってみようと1年模索もしました、アメリカに残りたかったのが本音です。ビザとか、起業してアメリカに残るのはすごく難しく、日本に戻ってきました。
- 渡辺
- 起業なさったのは、おいくつの時だったのでしょう?
- マキ
- 31歳の時です。
- 渡辺
- タイと中国でも実務をなさっていたのは、それよりも前ですか?
- マキ
- そうですね、一番初めの会社に勤めた会社で、日本で8月くらいまで研修していて、電話がかかってきて、いきなりタイに行きました。
- 渡辺
- マキさんは、帰国子女だったのですか?
- マキ
- 帰国子女ではありません、1年間13歳の時に、アメリカの現地校に行って、中一と中三は普通の公立で、そのあと、ICU Highに入学しました。
- 渡辺
- ICU Highの事情を把握していなくて申し訳ないのですが、ICU HighからICUに行く生徒さんは今、多いのでしょうか?
- 齋藤
- 今は増えたみたいですが、昔は少なかったらしいね。
- マキ
- そうですね、昔は比較的限られていたと思います。
- 渡辺
- 13歳の時は、お父様のお仕事の関係でアメリカにいらっしゃったのですか?その時には英語はもう全く問題なく?
- マキ
- 父の仕事で行った時は13歳でしたが、中学一年生の英語すら全然できていなくて、現地校では名前を聞かれてもはじめの頃は全くわかりませんでした。その時もボストンで、ボストンはESLに対する教育が、外国人が多いからしっかりしているので、1年で少しは分かるようになりました。ただ、実際、英語が上達したのは、ICU Highだったと思います。
- 渡辺
- ICU Highに入学なさったのは、ご両親のお考えですか?それともマキさんご自身の?
- マキ
- 記憶が少し曖昧なのですが、両親はICUを知っていたし、影響はあったのだとは思いますが、決めたのは両親ではなかったと思います。アメリカも1年しかいっていないので、帰国子女にはなりませんでした。でも最終的に自分で決めてICU Highに入りました。大学よりも高校の方が帰国子女率は高く、日本語の方ができない日本人も少なからずいました。一般枠で入った人の中にも隠れ帰国子女も多く、英語がしゃべれる人が多い環境でした。ICU Highは科目によってクラスがレベル別になっていて、英語だけではなく、数学、国語もレベル別に分かれていました。週6時間英語で、週4時間はネイティブ先生から学ぶ。大学並にシェイクスピアとか、原文で読みました。
- 渡辺
- 高校生で、原文を!
- マキ
- そうです(笑)英語教育はICU Highも力を入れていますね。
高校まで漠然とバイオリンニストの道を進み、自主性がなかった。だから、逆に、大学に入ってからは、とにかくやりたいことをやりました。
- 渡辺
- 大学をICUに進まれたのは、どうしてですか?
- マキ
- 実は、あまり考えずに決めました。高校まで自分の人生に対して、自主性がありませんでした。4歳からバイオリンを始め、プロの先生に習って高校まではバイオリンニストを目指していました。才能がないことがわかっていましたが、高校になって、自分が将来何をしたい、ということもあまり考えていないことに気がつきました。
- 渡辺
- バイオリンニストを目指していらっしゃったのは、ご両親のご希望から?
- マキ
- 一番初めは親の希望だったのかもしれませんが、環境のなかで、なんとなくやってバイオリンニストを目指していくのかなと自然に思っていました。
- 渡辺
- どんな大学時代だったのでしょう?
- マキ
- 大学ではとりあえず、やりたいことをやってみようと思い、高校でもダンス部やチアリーティング部に興味があったのでチアリに入りました。
- 渡辺
- チアリ出身は優秀な方が多いですよね。
- マキ
- いやいや、チアリは1年ちょっとやって、練習も厳しいし、海外も行けないからやめちゃったので、チアリをしていたと言っていいかどうか・・・。大学時代は外に出ることに興味があり、大学2年の夏の間にOverseas Project Seminarに参加しました。毎年、東南アジアから客員教授が来てリサーチ、現地調査、リフレクションという形でデザインされた、当時あった通年の授業なのですが、私はインドネシアに行って、ストリートチルドレンの調査と関連施設でのインターンをしました。その後、3年の時に留学し、バークレーに1年いました。ICU時代は、いかに外に出るか、いかに違うことをやるかを考えて、興味があることに挑戦し、外に出て行っていました。
- 齋藤
- でも、なんで、そのあとアビームコンサルティングだったのですか?
- マキ
- 留学から帰ってきたのが4年生の5月。10年前の当時は、就職活動は硬直化していて、遅くまで募集しているところに入るか1年遅らせるかでした。その時点では、早く社会人になりたかったし、自分で稼ぎたいという焦りもあり、海外にも出られるということだったのでアビームに行きました。とにかく海外に行きたかったので、いろいろ関係者にアプローチして、新入社員の200人中4名だった海外要員1名に選ばれました。研修が8月くらいに終わって、いきなり電話がかかってきてタイの赴任が宣告され、タイの後、同じクライアントのプロジェクトで中国に赴任になりました。その後、そのプロジェクト自体が日本ベースとなり、日本に戻らざるえない状態になったので、転職しようと思いました。
自分の生きる意義とかやることのインパクトを考えると起業だと思いました。
- 渡辺
- コンサルティング会社を辞められてからは?
- マキ
- アディダスでジュニアマネージャーをやって、その後フレッチャーに行きました。
- 渡辺
- アディダスはどのくらい、いらっしゃったのですか?
- マキ
- アディダスは計3年半ほど。アビームよりもアディダスの方が長い時間在籍しました。直営店ビジネスにおいて、横断的に経営をサポートする役職。コンサルから事業会社への転職はありがちなのですが、クライアント企業のビジネスへのコンサルなので、企業のビジネスの先にお客さんがいる、だから、自分がやることのインパクトがなかなか見えず、間接的な感じがしていました。提案が必ずしも実装されるわけじゃないし、タイムラグやインパクトにおいての壁を感じていました。社会貢献とは違う意味で、ビジネスを通じて、社会に対してインパクトを作っていきたいとずっと思っていました。
- 渡辺
- 手応えということですか?
- マキ
- そうですね、手応えですね。だから、消費財、知られているブランド、リテール、というところからアディダスに興味を持ちました。でも、自分のやりたいこととかやる意義を考えるとやはり自分で事業をするオプションに惹かれ、起業しました。
フレッチャーは国際関係のプログラムがメインだけど、留学の数年前にMaster of International Business (MIB)というMBAを国際的な文脈で学ぶプログラムが立ち上がり、興味を持ちました。
- 齋藤
- それはアディダスに勤めている時に、フレッチャーとか、大学院を探していたの?いきたいと思っていたから?
- マキ
- 行きたいという思いは、無意識的に常にありました。アディダスの時もプロボノ活動(職業上の専門性を生かした公益活動)でビジネスを手伝ったり、社会人として勉強会に行ったり、アディダスに在籍しつつも外への意識はありました。大学院進学に関しては、どこかで父の影響もあったかもしれません。父が海外でマスターとドクターを取得しており、専門性の獲得において大学院に行かなきゃ意味がないという考えが、小さい頃から植えつけられていたように思います。
- 渡辺
- 転職はなかなか難しいという現状をよくうかがいますが、マキさんがすっと転職することができたのは、ご自身としてはどうしてだと思われますか?
- マキ
- 割とアクティブに既成概念にとらわれずに行動しました。元々社内でもいろんな人に話を聞いていましたし、だから社内でもサポートしてくれる人もいましたが、人事は社内政治とかもあり、自分のやりたいように出来ないこともありました。アビームからアディダスにうつる時は、人材派遣会社の紹介で転職しました。人材派遣会社はすごくいい仕組みで、代わりにマッチングを考えてくれますが、たまたま、初めに面接してくれたアディダスの上司も非常に魅力的でアディダスに転職を決めました。
- 齋藤
- 院卒業後に、すぐに起業しているのは何で?
- マキ
- アディダスからフレッチャーの間、短期的には迷いもありましたが、ただ、アディダスを辞めた時は起業しようと思っていました。
- 齋藤
- 大学院では、起業のためと思っていたのですか。事業会社に行って、上の役職につければいいとかは思わなかったのですか?
- マキ
- 事業会社に勤めるというのはあまり考えていませんでした。アメリカに行ったという開放感も楽しんでいました。特にボストンは大学の数が多く、スタートアップのエコシステムが充実しています。MBAを取っている学生はとりあえず起業する感じであったり、起業しなくてもentrepreneurshipのコースがあって起業の擬似体験をしたり、基本的にみんな(気軽に)「起業」を経験している。MIBでスキルセットを身につけると同時に、学内外のスタートアップ・カンファレンスやイベントに参加し、ネットワーキングをし、色々な人と会っていました。
- 齋藤
- フレッチャーには何年?
- マキ
- 2年のプログラムですが1学期伸ばして、その後、ビザの延長をして計3年半くらいはアメリカにいました。
学費は自分の起業への投資というよりも、自身の必要経費だと思っています。
- 齋藤
- 学費はめちゃくちゃ高いじゃない、どうしたの?
- マキ
- 留学費用は、一部奨学金以外は基本自費です(笑)。
- 齋藤
- 学費は自分の起業への投資と思っていたのですか?
- マキ
- 投資というちゃんとした意識はありませんでした、自分の起業に対する投資よりもアメリカで勉強したかったのです。ICUも勉強するけどアメリカはそれ以上に勉強することに興味を持ちました。大学院は必要経費だと思っていました。
- 齋藤
- アビーム、アディダスでもいろんな人の話を聞き、いろんなところに行っている。すごく行動力がある。いろんなところを突っついている感じ。普通はじっとしている人の方が多い、そんな中でなぜか飛んでいくのですよね。ご両親の影響ですか?
- マキ
- 両親の影響というより、高校までの自主性のなさからの反動で、大学に入り、自分の人生を自分でドライブしたいというモチベーションが出てきて、それが行動力につながったのだと思います。後は、自分のアイデンティティと居場所のすり合わせをやる中で、なかなか、落ち着けませんでした。だからこそ、自分のアイデンティティを形成する外部環境に対して、常にチャレンジし続けているのだと思います。自分の周りで起こっている「日常や普通」といった既成概念への疑問を持ち続けたいと思ったのが行動力につながったり、普通ではやらないことをやってみたりしたのだと思います。
起業が自分に一番フィットしていた。自分の見ている未来に
共感してくれる人がいると嬉しい。
共感してくれる人がいると嬉しい。
- 渡辺
- ご自分で起業なさった後は、それまでにない満足感を得られましたか?
- マキ
- 今までの中では、起業するのが私に一番フィットしているし、満足しています。もちろん、今までの企業の中で行動をしながら、外部環境に負けず、どのように新しい物事を起こすかはやっていましたし、満足感はありましたが、どうしてもリミットを感じていました。アディダスでも、横断で人を巻き込んでやろうとしていたのですが、会社員ではなかなか難しいこともあります。起業しているからといって、もちろん好きなことだけをやるわけではありません。ただ、自分の価値観に基づいたインパクトを作れたり、自分の見ている未来に共感してもらえたり理解してもらった時に、そういう時に“やってよかった”と意義を感じます。
とにかく多くのスタートアップ関連イベントに参加しました、デザイナーのムポも知人の紹介です。
- 齋藤
- 南アフリカのムポさんにはいつ会ったのですか?
- マキ
- 大学院留学時代です。彼女の生まれはアメリカですがルーツは南アフリカとモザンビーク系のアフリカ人です。私が起業のオポチュニティーを探している時に、アフリカファッションで起業を目指すナイジェリア人と出会い、まだ多く知られていないアフリカのデザイナーやクリエイターの存在に興味を持ってのめり込んでいくうちに、そこに私が興味を持っていると周りに広まって、知人にムポを紹介してもらいました。
- 齋藤
- すごいね、珍しいですね。色々探していたとは具体的に何をしていたのですか?
- マキ
- 具体的に言うと、スタートアップやentrepreneurshipのイベントに参加していました。
- 齋藤
- さっきもそうですね、モノづくりのイベントに参加していた、でも、イベントに参加したからといって、起業につながるわけじゃない。あなたの場合は、自分の起業に合った人に出会っている、これは何で、どうしてできたのですか? 別に目立つことをやったわけじゃないけど、周りの人から可能性がある人だと思われたのですか。
- マキ
- 一つは、イベントの数はかなりの量、参加しました。100のFailがあっても、1つ成功があると思い、ひたすら参加していました。ボストンは毎日のように100くらいのイベントがあります。
- 齋藤
- どうやって調べるの?
- マキ
- ネットとか、大学関係からの情報とか、Facebookとか、ボストンはMITやハーバードがあるなど環境が良くて、非常に交流が盛んです。まずは数をこなし、その後はいくイベントを選ぶようにしました。
- 齋藤
- 質問が上手なのか、自分のことをしゃべるのがうまいのか、マキさんの場合はどちらですか?
- マキ
- 前者が理想ですが、自分のことをしゃべっていたのだと思います。自分のアイデアとか自分のことのValue Propositionが確立しきれていなかった時は、質問して人の話を聞くこともありましたが、周りに自分のやっていることを知ってもらうことで、色々な人を紹介してもらえたのだと思います。
- 齋藤
- 起業して、3年でアウトになる会社が多い。今起業をしている、渋谷西武の今年のポップアップストアで売り上げトップ10に行っている。3年続いて、今後どのように持続していこうと思っているのですか?
- マキ
- 起業して3年と言っても、初めの数年は大学院などもあり、実質そこまでは事業としてカタチになっていませんでした。起業をしても、忍耐が必要ではあると思っています、忍耐というのは、事業意義やクリエイターの価値観といったアート的・哲学的な要素と、事業拡大の規模やスピード感といった合理的・経済的な要素の設定に対して、何が正しいかわからないけれど、とにかくポジティブに進み続けること。いざモノができて販売が始まってから、いかにして、意義ある形でgoing concern(持続的な事業)にしていくかを、より考えなくてはいけないという課題に直面しています。あとは、会社のあり方や、起業を含め、大きな意味で働き方の意味合いや価値観が変わってきているし、その時代のコンテクストは自分が事業をする上でも無関係ではいられません。いろんなプライオリティ、いろんな形があるなか、直線的な線ではないにしろ継続はしていくと思います。5か年計画があるわけじゃありません。今はどういうあり方がいいのかを模索しつつ、でもやっぱり、ネットワーキングで自分のやりたいことを伝えつつ、出来ることをやっていくつもりです。
- 渡辺
- 働き方は、今、時代の移り変わりとともに劇的に変わりつつあると思うのですが、マキさんがそもそも起業することを最初に考えられたのは、いつ頃ですか?
- マキ
- 留学を考え、アディダスを出るとき、自分のやりたいことをやるには、起業というオプションなのかなって思いました。自分の手でビジネスをやりたいと。
自分の信じている価値観があり、それはどこに所属しても得られない。
- 渡辺
- やってみて、これだと思われた実感は、どんなものなのでしょう?
- マキ
- 自分で全部決めるというプレッシャーと自由でいっぱいです。status quoを critical thinkingで考えたときに、正しいかわからないけど、自分の思っている価値観があり、それを実現するためには、どこかに所属するとできないと思います。
自分が納得いかないこと、やらなきゃいけないと漠然と言われてやるというのは、自分には合いません。自分で起業して自分でやることになら納得がいく。自分のやり方でドライブしていきたい、チャレンジしていきたい、という意思が強いのです。
アフリカに出会って、色々知るうちに、自分を含めて世界のアフリカに対する無知を知りショックだった、だからこそ、その価値を広げていきたい。
- 渡辺
- 起業された後で、アフリカに出会われたのですね。先ほど、”アフリカのデザインとかファッションに興味をもってどんどんのめり込みんでいった“という言葉がありましたが、どんなふうに惹き込まれたのでしょう?
- マキ
- まずは、こんなに知らないことがある、という無知に対し衝撃がありました。私の興味をドライブしたのは、アフリカデザインの視点が面白くて、この眼鏡で、物事を色々みると今までとは違うものが見えたのです。アフリカには、全然知られていない素晴らしいクリエイターやデザインがたくさんあるにもかかわらず、世の中に知られていない。Deserveすべき対価を受け取れてないことが、もったいないと思いました。一般的に、アフリカについて、世の中で知られているストーリーに多様な側面がありません。国際支援とか、自然に対するノスタルジーとか、限られた概念でしか語られていないのが現実です。実はもっと多様的なストーリーがあって、それを世の中の人に知ってもらいたいと思いました。もうひとつは、アフリカが最先端という考え方があり、これも興味深いもので惹きつけられました、素材の使い方、コラボレーションの仕方とか、すごく新しい。リープフロッグという考えがありますが、東アジアなどのこれまでの経済成長モデルでは、工業革命があり、サービス業、ITなどと順序だてて発展していくのですが、アフリカでは銀行口座のない人がいきなりモバイル決済を使いこなしたり、ランドラインの電話回線はなくても携帯が普及していたり、面白いことが起きていて、その革新性や先端性が、アフリカのクリエイティブの世界でもあると思うのです。
- 渡辺
- 確かに、自分たちは、見る側にいる場合は無意識だけれど、見られる側になった時は意識するものですよね。日本も昔は欧米からサムライ、富士山、みんなメガネをかけていて、カメラを下げてるみたいなイメージを持たれていて、それに対して「違うのに・・・」と思っていたけれど、アフリカに対しては同じように、あまり意識もなく間違ったティピカルを抱いてしまっているかもしれない。グローバルなんて言っても、固定概念を持ったまま、そこで止まっている可能性も高いわけで。だって、アフリカって言ったらアフリカ大陸の形で認識していて個々の国の特性にまで想像が及んでいないのも実際のところです。それは、九州を大分、佐賀、鹿児島って分けないで認識するのと同じことですものね。
- マキ
- アフリカは54国あるなか、6カ国くらいしか行っていませんが、ケニアとか、南アフリカとかに行ってクリエイターなどと話をすると、グローバルからの見られ方を彼らはわかっている。で、それに対して、もっと発信しなくてはいけないという、フラストレーションというか、違うストーリーを発信していかなきゃという使命感がある。そういうのも面白いし、共感する。そういったクリエイターの視点を、私も発信していきたいです。
起業をする上で、資金はあればいいけど、必要条件じゃないし、本質ではない。ありすぎるとまちがった方向に使ってしまうこともある。
- 齋藤
- ちなみに、起業の資金はどうしたの?
- マキ
- お分かりの通り(笑)、アメリカに留学しているので、限られた自己資金しかないところから少しずつやっています。幸運なことに、一緒にやっているテキスタイルの会社の社長が応援してくれていて、初めの製造コストなども売れたベースでという形にしてくださっています
- 齋藤
- 普通はない!!!
- 渡辺
- それはやっぱり、マキさんのデザインやコンセプトに共感してくださってのことなんですね。
- マキ
- 本当にありがたいです、兵庫県に何度も通って私のコンセプトをきちんと話をして、投資という形でサポートしてくれています。私の会社は、資金が潤沢にあるわけじゃないし、人を採用できるわけじゃない、ブーツストラップ(自己資金ベースの運営)です。私のビジネスモデルは株で資金調達をして会社を大きくして買収したり、されたりというモデルではありません。次の資金調達でも助成金や融資制度を活用すると思います。資金は、あったらいいけどあると無駄にしてしまうこともあると思うのです。必要だけどそこは本質ではありません。資金は必要条件ではなく、first priorityではない。資金がないから起業ややりたいことをやらないというのは違う、資金があまりなくても、なくならないように頑張りたいです。
- 渡辺
- 資金は、言ってみればガソリンですものね。
- マキ
- はい、資金調達は大事ですが、本質ではありません。最終的には他に収入を得るという選択肢もあるという意味において、私は失うものがないから、できることをやるだけなのです。
ムポはアメリカがベースでやりとりはSNSを使ってリモートです。デザインのやり取りなら、リモートでも仕事ができる。
- 渡辺
- 会社を作る時は登記をしますけれど、Maki&Mphoはどういう内容で登記なさったのですか?
- マキ
- 日本で登記した事業内容は、デザイン商品の企画・販売がメインで、デザイナーのムポの柄を中心としたものを展開していきます。
- 渡辺
- 彼女は今もアメリカですよね?
- マキ
- そうですね、アメリカか南アフリカにいます。
- 渡辺
- お二人で、どんなふうに仕事を進めていらっしゃるのでしょう?
- マキ
- 彼女と一緒に行動することもありますが、Facebook やWhatsApp で連絡を取り合ったり、デザインビジネスでいいことは、デジタルファイルでやりとりが出来るので問題はないのですが、ものを作るのは、色とか素材を見ることが必要だったりするので、リモートだけだと不便ですし、この形で続けられるかはわかりません。
- 渡辺
- 彼女も、もちろん実際に布に触りたいなどありますよね。
- マキ
- そうですね、ムポも日本にも来たことがあるし、兵庫県の工場には見に行ったりできるだけ実際に見てもらうようにはしていますが、離れていると物作りは難しいこともあります。
- 渡辺
- マキさんにとって、ムポさんとの出会いはとても大きいのですね。
- マキ
- そう思います。デザインそのものの才能もありますが、視点や考え方も面白いです。よく知られているアフリカのテキスタイルは鮮やかな柄のワックスプリントというのがあり、それがアフリカの全土に流通しています。それは、歴史的にインドネシアのバティックを、植民地時代にオランダの東インド会社がインドネシアで売ろうとして売れずアフリカに持っていた経緯があります。今も、オランダのブリスコという会社が90%アフリカに輸出していて、「アフリカのもの」として定着していますが、アフリカのクリエイターの中には、実はもともとアフリカのものではないことに対して、何か新しい提案をしたいと思っている人も少なからずいます。ムポも、その1人で、伝統的なものだけではなく、新しいものも発信いきたいと思っていて、ワックスプリントなどとは違うオリジナルの柄を提案しています。もしかするとイメージが湧きづらいかもしれませんが、テキスタイルデザインのビジネスモデルでわかりやすい例で言うと、マリメッコとか、リバティとかになり、柄が重要になります。(写真を見せて)これがムポです。
- 渡辺
- チャーミングな方ですね!
- マキ
- 彼女のデザインはインテリアスペースに使えたり、ネクタイなどの商品にもあったり、大きな可能性があります。アメリカで一番初めはテスト的に蝶ネクタイなども作りました、さまざまな柄がありますが、それぞれにストーリーがあって、それを商品にしていきます。
起業って、Failureはないと思います。諦めたらそこでFailure。
- マキ
- これらをどう売っていくかという難しさがありますが、アメリカの起業の話でよくあって、Failure というのはなくって諦めたらそこでFailure。 ある意味リスクはありません。どこかでティッピングポイントが作れたらいいですが、まずは、初めのフェーズとして、ブランドをしっかり作っていかなきゃいけないと思っています。プロダクトを作っていって、それをわかってくれる人を増やしていきたいです。
- 渡辺
- ベースとしてやりたいことをやっているという芯の部分があるんですね。
- マキ
- はい、それは毎日行動するモチベーションで、重要なことだと思います。
驚いたことに、日本に帰ってきて、イベントとかに行くと、気がつけば悩み相談とかになることが多いのです。日本の会社員の方とか女性とかは、悩みが多いみたいで、起業しているというと「なんで起業ができるんですか?」みたいに聞かれたりします。日本で会社員として仕事をするとなかなか、自分のやりたいことが出来ていない人が多いのかもしれません。そもそも自分のやりたいことを見つけることすら難しい中、私は、それを見つけて、実現化に踏み出すことが出来ているのはいいことだと思います。
- 渡辺
- マキさんに届くそんな声は、まさに現状を写してるんだと思います。日本で起業するのは、実際に精神的にもハードルが高いと感じます。だから、実現しているマキさんに、どうすれば叶うのかいろいろ聞きたくなっちゃうのでしょうね。
- 齋藤
- 年齢と経験を積みいろいろ人脈があると起業の成功確率が高そうだが、若くて起業というのがみんな聞きたいと思うのでしょうね。話を聞いいて、13歳での海外の生活とか、いつもいろんな人と会っていることで、考えかたが広い。ずっと同じところにいると狭い。マキさんは、海外に単に行っただけじゃない、いい出会いをしてきたことがadvantage がありますね。
起業家同士がコンペティターという考えは古い。
学生時代の起業仲間はコラボレーターで、今も頻繁に情報を共有している。
- 渡辺
- 起業されたあとも、起業家同士、よく情報交換はなさるのですか?
- マキ
- 割と色々話をします。今は、コンペティターというよりもコラボレーターという感じ。Techドメインの人たちも情報交換をしています。ギブアンドテイクで日本でも起業スタートアップコンテストで参加していた時も、横のつながりができるし、ぜんぜん違う分野の人でも、事務的なこと、例えば「法人口座をつくる」といったことで情報共有しあったりします。
世界からWork hard, play hardなエリートが集まってくる場所を知ってしまったから、またアメリカに戻ってキャッチアップしたいと思ってしまいます。
- 渡辺
- マキさんは、ボストンの現地校、ICU High、ICUなど、いろんな学校を体験していらっしゃいますが、どこが一番厳しかったですか?
- マキ
- アメリカの大学院が一番きつかったです、読めないはずの量の100ページとか読むものが数日間の宿題で、ビジネススクールだから、完結な10数ページの宿題もありましたが、それでも間に合いませんでした。勉強だけではなく、ソーシャルも重視もされ、work hard, play hard。特にアメリカ人やアメリカに集まるエリートたちは、総合的な体力があるように思います。ボストンだったからもしれませんが、優秀な人の量は半端なく多い、アメリカ人だけじゃなくて、いろんな国から集まってくる。優秀でしかも社交性があり、スポーツ、音楽、アートなど、関心事項や趣味も多彩です。ボストンではそういったバランスが取れた国際人に出会う機会の絶対量が多かったです。そういう環境を知ってしまうと、短期的にも将来的にも、日本にいたいとは思えない。ICUを含めて国際的で多様な環境で育った自分のアイデンティとの葛藤もありますが、海外で、ユニークな、優秀な人々に会ってしまったから、日本という内向的に完結している環境がもどかしく感じてしまう。もちろん、日本で事業基盤をつくるために、ベースは日本でというのは正しい選択のように思えるのですが、アメリカや、欧米、アフリカなど海外での動きを常にキャッチアップし、ネットワーキングを続けたいと思うし、遅れてしまう気がして焦ります。
アフリカの視点から見ると、物事を違う角度でみることができます。今、テロとかが世界的で起きているけど、それは、小さな不満や不安を見落として、大きな問題になっていくのだと思います。
- 渡辺
- リーマンショック後、スタンフォード大の学生でも就職先がないなど、アメリカの深刻な就職事情が報道されましたが、マキさんはどんなふうに感じてましたか?
- マキ
- 就職先がないというよりも、(トップ大学の出身者が歴史的に就職していたような)いわゆるトップ企業のいい就職先と解釈しています。リーマンショックの後、起業をしたり、NPOに行ったりという流れはあったのかもしれません。あとは、留学生はいくら優秀でも、ビザなどの問題もあり、アメリカで事業を起こしたりするのは難しくて、優秀でも、自国に帰らなくてはいけなかったりするケースもあります。
アメリカから離れて、今思うと、アメリカの大学院など勉強する場は大事ですし、もっともっと勉強すればよかったと思うこともあります。
- 渡辺
- もっとですか?
- マキ
- 私は、学者的な研究は向いていませんが、もっと勉強できた気がします。
- 渡辺
- 先ほど“ボストンだから優秀な人が多い”、とおっしゃっていましたが、やはりボストンは特別な場所ですか?
- マキ
- ボストンはリベラルの中のリベラル、エリートが多いと思います。
- 渡辺
- 政権の変化についてはボストンではどのように受け取られているのでしょう?
- マキ
- トランプ政権の変化に対してもショックはあるけど、その現実を受け入れつつも行動をしていると思います。ボストンはリベラルエリートのバブルという意味での偏りもありますが、留学生も多くていろんな視点もあり、私はボストンにいたからこそ多角的な視点で物事を見られるようになったと思っています。先ほど話をした、アフリカとかアフリカデザインの視点で物事を見ていくと、今起こっている世界情勢に関する発見もあります。たとえば、顕在化しているテロもその前段階は些細な不満、無視、不遇など小さな種がもとになっているかもしれない。アフリカの中でも、欧米的なメインストリームからの、差別や偏見を感じ、無視されているという感情を持っている人もいて、潜在的な大きな紛争に発展する可能性もあります。今のパラダイムや覇権の中で、無視や軽視されている人々の不満や不安というものが存在していて、この小さいことを見落としていると、いつか大きな問題になると思うのです。私は、デザインを通して、アフリカを幅広く伝えていって、視点や価値観の多様性に寄与したいと思っています。
- 渡辺
- 最後に、ICUを目指そうとしている学生のみなさん、そしてICUの在学生へのメッセージをお願いできますか。
- マキ
- 普通なことに違和感を感じて、新しいことにチャレンジしたい、違う考え方を深めたい人にとってICUはそういうことができる環境にあると思います。Isolated Crazy Utopiaと言われているけど、本当にその通り。まさにCrazy Utopia、人と違うことをやっても大丈夫だし、いろんなことができる環境です!
プロフィール
ナカタ マキ
2006年ICU卒業。在学中、米カリフォルニア大学バークレー校に留学し、ソフトパワーや人種問題などを研究。卒業後はコンサルタントとしてタイや中国で、日本企業買収先子会社の業務標準化を支援。2008年、アディダスに転職し、直営リテール事業の戦略企画および財務を担当。2011年に同社を退職し、起業準備のため留学、14年に米タフツ大学フレッチャースクールにて国際経営修士を取得。米国でのテスト展開を経て、2016年、若手クリエイターとの協業で、アフリカの多様な視点を世界に発信するファッション小物とインテリアデザインのブランド事業、Maki & Mpho(マキエンドムポ)を設立。南アフリカやケニアのクリエイターとの連携、日本のモノづくり企業との共同商品開発、欧州展開など、国境を超えた「個」のつながりと相互理解の場をプロデュースする。