プロフィール
1952年、和歌山県生まれ。1974年ICU卒業後、新聞記者を経て1977年に2年間渡英。ウェールズのカーディフ教育大学でラグビーのコーチングを学ぶ。帰国後、茗渓学園高校ラグビー部を率いて全国優勝。1995年から日本ラグビーフットボール協会勤務。ラグビーワールドカップ2019の日本招致に成功。2015年からアジアラグビー会長就任。
ICUというあまりにも違うカルチャーに入ってしまい、「これは、もう半年くらいしか続かないかな」。そういうスタートでしたね。
- 渡辺
- 日本で開催されるラグビーワールドカップ2019を前に、すごくお忙しい中でお時間を割いてくださって、ありがとうございます。
- 齋藤
- このラグビー人気の盛り上がりの中で、それもその中心に徳増さんはいらっしゃるわけだからね! ICUからどこをどんなふうに経て、今のお立場になられたのかというところから、まずはうかがえますか?
- 徳増
- ICUに入学したことが、全てのスタートになったと思っています。私は、和歌山県生まれなんですが、父親の仕事の関係で、松山、大阪、神戸、大分と、小学校卒業までに5回くらい引っ越しを繰り返しています。つまり、ICUにたどり着くまでの間に、国内のいろいろなカルチャーに接する経験を持ちました。
そして、世田谷の烏山中学を卒業する頃に、また引っ越ししそうになったので、都立秋川高校という全寮制の学校に入りました。
しかし、家庭の経済的事情もあり、当初は国立大学にしか行かないつもりでした。ところが、よく調べてみたら、当時のICUは、国立大学が年間3万円授業料の時に、6万円で通える大学だったんです。英語に対する興味も強かったので、私立は一校だけ、”ダメ元“でICUを受験してみました。結果的に、国立受験は見事に失敗。”ダメ元“で受けたICUに合格して、「じゃあ、とりあえず行ってみようかな」くらいの気持ちで通い始めました。しかし、いざ入ってみたら突然、国際的な雰囲気のキャンパスへ放り込まれた状態でした。それまではせいぜい国内の異文化でしたが、今度は国際的な異文化に触れることになりました。授業中に先生が英語でジョークを言うんですが、いわゆるセプテンバー(海外帰国生)は笑えるけどこっちは笑えない。あまりにも今までとは違うカルチャーに入ってしまい、「もうこれは半年くらいしか続かないかな」なんて、そういう感じのスタートでしたね。1970年の入学というのは、ちょうど学園紛争が終わった直後という特殊な年でもありました。前年の学園紛争で、LL教室が使えなかったため、留年の2年生が使うことになり、私たちの学年(18期生)は、120人しか入学許可がおりなかったんです。そのうち、男子は40人しかいなかったので、ラグビー部に入ったというのも、今思えば、奇跡的なことかもしれませんね。
そういういろんな文化に触れることによって常に柔軟性ができた。新しいところに行ったら、まず慣れることが大切であることはわかっていたのかもしれません。
- 齋藤
- ラグビー部に入ったきっかけは?
- 徳増
- ラグビー部も学園紛争の影響で、春休みのグラウンドではわずか数名でパスをしているような状態でした。私は、音楽も好きだったので、ラグビーをやろうかどうしようか迷っていた時に、第一男子寮の同室にアンディーというアメリカからの留学生がいて、「音楽は歳を取ってもできるけど、ラグビーは今しかできないよ」って、アドバイスしてくれました。その一言が、僕がラグビーを選ぶことを後押ししてくれた理由のひとつになりました。
その時、はじめて「英語は人の将来を変える力があるんだ」と思いました。それまで自分にとって、英語は入試でやる科目のひとつでしかなかったんですが、英語でコミュニケートできるっていうことが、自分の人生に影響を与えてくれる、これはすごいなって思いました。こういう体験は、のちにラグビーワールドラグビーの招致活動をするときにもすごく役に立ちました。ICUが私の初めての国際体験だったわけです。
- 渡辺
- その後ラグビー部はどうなったんですか?
- 徳増
- 私の学年では、入部したのは、私ひとりでしたが、その次の年にいろいろな経歴の学生がたくさん入ってきました。そのうちの一人に加納正康さんがいました。もし、この時にICUで加納さんに出会わってなければ、今の私はありませんでした。加納さんは、その後、茗渓学園を経て、長年の夢あった「つくばインターナショナルスクール」を設立しましたが、残念ながら2011年の3月に急逝され、私は自分の恩人でもある大事な友人を失ってしまいました。
加納さんは私の運命を変えてくれた友人でした。私が新聞記者を経てウェールズに滞在していたときに、加納さんが手紙をくれて、「茨城に茗渓学園という新設校ができたから英語教師とラグビーの指導でこないか」って誘ってくれたんです。”行動派“の加納さんは、私の返事を聞く前に、自分からICUにでかけて行って、私が英語教師の免許を取れるように、編入の手続きをしちゃってたんですよ。「もう手続きしちゃったから帰ってこないとダメだよ」って言われて。
- 齋藤
- それは、すごい!強引に見えるけど、加納さんには確信があったんですね。
- 徳増
- それで、2年ぶりにウェールズから帰国したあと、秋からICUに半年通い、翌年春には首尾よく免許を取れて茗渓学園の教師になることができました。
こう考えると、もしもICUに行ってなければ、ラグビーワールドラグビーの招致活動にもかかわっていなかったし、あの時に加納さんに誘われなかったら、そもそも茗渓学園の監督になって全国優勝を経験することもできなかった・・:・そう考えると、ICUに入学して、ラグビー部に入部したことが、私の人生の原点になっているんです。
あえて言うと、情熱を常に何かにたぎらせるっていうことですかね。その情熱が通じるんだと思うんですよね。それがみんなを動かすんですかね。
- 齋藤
- このたびアジアラグビーの会長になられた徳増さんは、選挙で選ばれたんですよね。これは、どういう理由だったんですか?
- 徳増
- 日本ラグビーフットボール協会のミッションの中に、「日本はアジアのラグビーをリードし、アジアに貢献していこう」というものあります。アジアと言っても、今まではかなりの国で、現地に在住している英国系の人たちが組織を動かしているケースがありましたが、「アジアはアジア人自らがリードするべきだ」というメッセージを持って、私が立候補しました。
- 齋藤
- ずっと徳増さんのお話をうかがっていて、徳増さんは結果的にどんどん新しいミッションを与えられていく感じがしますが、これはどうしてだと思われますか?例えば、周りにやっぱりいい人がいるっていう、その人との昔からの信頼関係とかそれが引き上げてくれる。そういうことなんですかね?それともなんか別の要素があるんですかね?
- 徳増
- 私は自分の力とか思わずに、何か常に流れていく運命のように受け止めています。あえて言うと、情熱を常に何かにたぎらせるということでしょうか。例えば、今回のアジアラグビー会長選挙でも、投票前のスピーチでは、一人一人の目を見て、「私に投票してくれ。そして、みんなで一緒になってアジアのラグビーを盛り上げていこうよ!」と熱く語ります。それで多分、誰にしようかなって思っていた時に、こいつに投票してみようかなって思ってくれたのかもしれません。
- 渡辺
- 情熱が伝わるんですね。
- 徳増
- そうかもしれません。私は、ラグビーが好きで、ラグビーを日本でもっと人気のあるスポーツにしたいということもあるんですが、アジアラグビーの会長という立場では、もっと大きな夢があります。先日もラオスに行き、貧困地域の少女たちにタグラグビーを通じて、社会性を身につけるプログラムに参加してきました。ラグビーが最終目的ではなく、ラグビーを通じて、その先にあるものを求めたいと思っています。
- 渡辺
- それは真の希望になりますね。
- 齋藤
- だから、ラグビーが人気スポーツになっただけでは駄目なんですね。子どもたちがラグビーに親しんだ結果、人格形成につながるとか、社会や地域に貢献できるとか、そういうところまでたどり着いた時に初めて達成感があると思います。
- 渡辺
- 支援する、支え合っていく上でスポーツの力はとても大きいですものね、実際。タッチラグビーだったら、途上国の村の女の子でも楽しめますから。
- 徳増
- そうですね。チャイルドファンドという組織があるんですが、そこが積極的にタグラグビーを通じて、ラオスやベトナムの貧困地帯を訪れ、ふだんはまったくスポーツに触れる機会のない女の子たちに、パスを教えて「パスっていうのは人を信頼することなんだよ」、「チームワークはみんなで一緒に助け合うことなんだよ」ということを教えているのです。このようにスポーツと社会スキルと合わせて教育していく素晴らしいプログラムがあります。
ICUは素晴らしい学校だけどキャンパスにとどまってちゃダメだと思うんですよ。学生のうちから、自分の目でしっかり社会を見てほしいですね。
- 徳増
- 確かにワールドカップが日本に来ること自体にも大きな価値がありますが、それだけだとワールドカップが来て、「あーよかったね」で終わってしまうと思うんですよ。このワールドカップの日本開催を次世代にどん形で残していくか・・・そこが、一番のチャレンジです。
- 渡辺
- おっしゃる通りかもしれません。
- 齋藤
- 日本でのラグビーワールドカップを成功させ、その先もアジアのラグビーを盛り上げていく徳増さんの手腕と情熱をワクワクしながら、同窓生として応援してます。
- 渡辺
- 最後に、ICUの学生たちや、これからICUを目指す可能性にあふれた学生さんたちへのメッセージをお願いできますでしょうか。ワールドカップへのボランティアとかお手伝いはいっぱいありそうですよね?
- 徳増
- そうですね。ICUの学生や卒業生のみなさんには、ぜひ積極的にボランティアとして参加してほしいですね。なにしろ、ICU、そしてあのグラウンドこそは、ある意味、“ラグビーワールドカップ日本開催発祥の地”なんですから(笑)。
そして最後に、学生のみなさんにお伝えしたいことは、大学に籍を置いたままでいいので、学生のうちからどんどん世の中を見たり、自分で体験をすることが後ですごく役に立つということです。ICUは素晴らしい大学ですが、キャンパスにとどまっていたらダメだと思うんですよ。まわりでどんなことが起きているか、しっかり自分の目で社会を見て、体験してほしいというのが私からのメッセージですね。
プロフィール
徳増 浩司(とくます こうじ)
1952年、和歌山県生まれ。1974年ICU卒業後、新聞記者を経て1977年に2年間渡英。ウェールズのカーディフ教育大学でラグビーのコーチングを学ぶ。帰国後、茗渓学園高校ラグビー部を率いて全国優勝。1995年から日本ラグビーフットボール協会勤務。 ラグビーワールドカップ2019の日本招致に成功。2015年からアジアラグビー会長就任。