プロフィール
染野さんによる自選5首
白き陽を反(かえ)しきれない海のような教室で怒鳴る体育のあとは
唐揚げと昆布巻きひとつずつのこる食卓 苦しいな家族は
もし煙草を吸えたなら今あなたから火を借りられた揺れやまぬ火を
死ねばいい、と号泣しつつ飲む人のその宛先になりたかったが
- 渡辺
- 先日、染野さんご出演の「NHK短歌」でご一緒させていただいたのですが、その節はありがとうございました。 あまりお役には立てなかったのではと申し訳なく思っております(笑)。でも、そんなご縁で今回お時間をいただくことが出来て。このインタビューで、歌人の方にお話を伺うのは初めてなんです。
- 染野
- こちらこそ先日は本当にありがとうございました。役に立てなかった、なんてとんでもないです!その逆です!
ICUの卒業生に短歌をやっている人は少ないと思うのですが、国語教師というのも少ないでしょうね。英語教師は多いと思いますが。
- 齋藤
- 確かにそうかもしれないですね。
- 渡辺
- でも、ICUでは教職の国語って取れないですよね?
- 染野
- 私もICUでは取っていません。卒業後に、早稲田大学で取ったんです。でも今はICUでも取れるようになったみたいですよ。
- 渡辺
- そうなんですね!私、取りたかったのですけれど、当時はなくて残念でした。
- 染野
- ただ、そもそも私は国語教師になろうとは思っていませんでした。大学卒業後はカード会社に就職しました。でも半年で辞めてしまいました。それも、何かやりたいことがあって辞めたわけではなかったんですよね。就職に失敗した、社会人としてうまく適応できなかった、という感じです。それで、良い機会なので、自分にはどんな職業が向いているかを、いろんな人に聞いてまわりました。そうしたら「教員が向いていると思う」と短歌の師匠をはじめ多くの人が口を揃えて言うんです。じゃあそれを信じてみよう、と思って早稲田大学の第二文学部に学士入学しました。
- 渡辺
- もともとは、早稲田の同人誌に入っていらしたのですよね?
- 染野
- いえ、それは早稲田大学に入ってからですね。最初は「まひる野」という短歌結社です。そこに入ったのが17歳の時ですね。
- 齋藤
- 17歳!ということは高校から歌を始められていたのですか?
- 染野
- もともと表現することが好きだったと思うんです。中学3年生の時からバンドをやっていて、歌ったり作詞したりしていました。中学高校と私立の男子校だったのですが、詩などが好きな人は周囲にいなかった気がします。国語好き、という人もあんまりいない。でも、私はけっこう国語という教科が好きでした。
短歌には国語の授業で出会いました。そして「自分の力では全く太刀打ちできない」と思ったんですね。一首一首を、どうやって読めばいいのか、全然わからなかった。「まったくわからない」という感覚は今でも覚えています。
たとえば、与謝野晶子の『みだれ髪』に「その子二十歳櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」という歌があるのですが、「黒髪の、おごりの、春の、」と名詞が「の」で繋がっていて、でも「の」を挟んでそれぞれの名詞がどう関わりあっているのか、全然わからない。国語の先生の解釈を聞いてやっと「そうやって読むのか!」とわかりました。「二十歳の女性がいる。その娘はきれいな黒髪をしていて、そのことを少し誇っているように見える。少し傲慢にさえ感じられる。その娘の、この春(青春)の様子がとても美しい、もっとも輝いている時期だ…」というような感じでしょうか。
深読みしても深読みしても、自分ではそういった鑑賞に到達できなかった。それがとても新鮮でした。もともと国語は好きでしたから、教科書の文章や詩に対して、あるいはJ-POPの歌詞に対して、想像を自由に広げて読んでいくようなことはありましたけど、それとは全く違った。力を尽くして想像しても汲みつくせない世界があるということを知り、それがものすごく衝撃でした。その一年後くらいでしょうか、俵万智さんの短歌に、やはり授業で出会いました。それは意味がとてもわかりやすかった。そして当時の自分は「ひょっとしたら僕も作れるのでは?」と思ってしまったんですね。それで新聞に投稿することを始めたのです。
読売新聞の夕刊に、若い人が文章や詩を投稿できる欄があって、そこに投稿しました。そうしたら、自分の短歌作品がけっこう採用されたんですね。とても嬉しかった。それで、当時の担任の先生にも見せたんです。国語の先生でした。そうしたらその先生がある日「ここに所属して続けてみないか」と、短歌結社「まひる野」の入会申込書を持ってきてくれたんです。先生が言ってくれるんだから、と短歌結社なんて何だかよくわからなかったんですが、そのまま入会してしまいました(笑)。実はその担任の、高校のときの先生が、「まひる野」の主催者の一人だったんです。
- 渡辺
- じゃあ最初から短歌にご興味があったとか、お父様お母様の影響、とかではなかったのですね。
- 染野
- そうですね、違いますね。表現欲求が旺盛なところに、短歌がタイミング良く入ってきたような感覚です。
- 渡辺
- 私も『みだれ髪』、大好きです。ちなみに染野先生、あの歌は見ている風景なのでしょうか?それとも自分のことなのでしょうか?
- 染野
- あれは結局、自分のことらしいです。「その子二十歳」と客観的に指し示しているわけで、その言葉だけを考えれば、「晶子本人でなく、客観的に見ている風景」とも解釈できてしまうんですけどもね。
- 渡辺
- なるほど…。与謝野晶子は、自分を詠むことが多かったし、髪が自慢だったとも言われていますよね。だから美化した自分を少しうっとりと詠みながら、驕りという言葉でその自分をも客観視した図なのか、あるいは自分より少し若い子へのうらやましさから驕りという言葉を使ったのか、どちらなんだろう?と思っていました。こうやって考えると、やっぱり国語って正解は有るようで無いものというか、難しいなと思えてきます。
- 染野
- 国語教師としては語れることはあまりないんです…。熱心な教員ではないんで…。だから控えめに言いますけれども…今の国語って、やっぱり大学受験に合わせて決まってしまう部分は多いように感じるんですよね。大学がこういうものを求めるから高校ではこうしよう、高校がこういうものを求めるから中学ではこうしよう、というように…。
そうすると正解、不正解が導き出せるような受験の問題が注目されがちです。すると高校の国語の内容まで、正解、不正解がはっきりするようなものを好むようになる、というか。それから、国語の入試問題の、選択肢の問題の中には、「これ、正解がないんじゃないか」と思えるようなものも、正直なところ、あったりするんですよね。もちろん私の力がないだけかもしれませんが。正解、不正解がきちんと決まる、しかも良い問題、というのもたくさんあるんですけどね。
- 渡辺
- その国語の正解がないかもしれないものを「考える」というプロセスが、単なる正解、不正解を一直線に見つける作業以上に私たちをとても豊かに育んでくれるところなのではと感じます。
- 染野
- 私は生徒に「本当はテストなんてしたくない」と言うことがあります。それから、これはもちろん場合にもよるのですが、授業で生徒が答えたものが、本質が大きく外れてなければ、全部「それもそうかもね」と言うし、そういうとき逆に生徒から「正解はどれですか」と聞かれても、「知らない」と言います(笑)。「授業がうまくいったな」と思うときは、正解不正解にかかわらず、私が何も言わなくても次々生徒の手が上がるときですね。私が「それもそうかもね」と言ってさえいれば良いようなときです。
- 渡辺
- いいですね!「知らない」って言っちゃうんだ(笑)。
カップのブルーを見て「悲しい色だな」と思うのも「昨日見た海の色だ」と感じるのも全て自由なのです。
- 齋藤
- 私はお二人ほど「国語」という教科に詳しくないと思っているんですが…、染野さんは「国語が好きだった」って言うけど国語の何が好きなんですか?私は国語というと、漢字とかのイメージしかないんですよ。
- 染野
- 思い返すと、自分は○×をつけられないところで喜んでいました。先生が授業をしているところとは別に、文章を前にして、頭の中で想像を広げていくのが好きだった。
また、他の教科との境目があまりない教科だと思いますね。数学の文章題を読む力は、まさに国語ですしね。
- 蒲田
- 私がセンター試験の勉強をしている時は、先生に「とにかく国語の力を伸ばしなさい。それはすべての教科に必要で、国語が伸びると他の教科も自然に伸びるから」と言われたこともありました。
- 染野
- そう思います。
文章を読み解くということは、人の気持ちを汲み取ったり推し量ったりと、「人とかかわるということ」にも関係するのではないでしょうか。
私の勤務校には「中学の間は集中的に物語文だけを扱うのも良いんじゃないか」いう先生もいます。物語の主人公の心の動きにどれだけ寄り添うことができるか、というのを、十代の最初に、特に大切にしていく。○×をつけることとはまったく別の次元で。
- 齋藤
- 生徒さんの文章の解釈の違いを見ていると、バックグラウンドの影響もすごく出ているのではないですか?
- 染野
- そうですね。そして、それを出していいのが国語、とも言えます。
- 齋藤
- 「バックグラウンドが良くなかったら良くない、仕方ない」で終わらせてしまうのではなくて、「そういう状況でもこういう風にできる、こういう風にも考えられる」と、良い方向を示すこともできるということやね。
- 染野
- そうですね。また、学校以外のところでいろいろと苦労してる子たちって、なんだかすごいものを書いてきたりするということもあるんですよ。「そんなに主人公の気持ちを読み取れるのか」と、こっちが驚かされることもよくあります。
- 渡辺
- 苦しみから生まれる文学は多いとも言われますが…。
- 染野
- 不安な気持ちを経験した子は、他人の不安な気持ちを汲み取れることもあるだろうし、苦しい思いをするとわかることってあるのだと思います。もちろん「苦労は良いこと」「苦労しなければ文章を読めるようにはならない、書けるようにはならない」とは思いませんけどね。
「教育にお金をかけたほど成績は良くなる」という研究結果も出ているそうですが、それだけではないんですよね。苦しい思いなども含めて、よくわからない、混沌としたエネルギーがプラスに働いたりするのも国語なのではないかと思っています。
- 齋藤
- 例えば、親同士が仲が悪かったとするじゃないですか。それで親のことを解釈したあとに、「自分はこうならない」とポジティブになれたりすればいいと思うのですが、そこで解釈した状態で終わってしまったら少し寂しいような気がするし、国語の意義とはなんだろうと考えてしまうのですが。
- 染野
- まず「ポジティブでない」ことが良くないことなのか、必ずしも苦しいものなのか、不要なものなのか、ということは考えなければならないと思うんですが…。
答えになっていないと思いますが、「学校」の意義の一つに「集団で学ぶことができる」というのはあると思うんですよね。集団の中で学ぶことで、他者のものの捉え方、感性などに触れる。生徒たちが皆でそれを共有する。国語の文章においても、人の意見を聞くことによって「そうも読めるんだ」と新しい発見をすることができる。そうして多様な考えを学んでいくことは、学校で学ぶことの意義と考えています。
また、国語に関して言うと、表現することで昇華されるものがあると思うんですよね。表現するということは、自分の感情や状況を多少なりとも客観化することですし、そのことによって楽になったりするんです。「自分は不安なんだ」ってただ気づくだけでも、次に行く力になると思っています。確かに、不安なまま次につながらなくて、ただただ手探りということもあるかもしれないのですが。
あくまで私の考えですが、教育の効果って、事後的にしか分からないものだと思うんです。今の世の中は、すぐに目に見える形で利益になるものだけ追い求めようという流れがあるような気がするんですが、教育においては、今経験したことがいつ「利益」になるかがわからない。でも、「よくわからないんだけど、とりあえず目の前のものを自分の中に溜めておこう」というのが教育だと私は考えています。
- 齋藤
- 国語が好きで、バンドもやっていて音楽も好きということで、てっきり全て「文章を読んだときや音を聞いたとき」に「どう感じるか」という感覚の世界の話だと思っていたんですね。でも、国語の中にも論理性があるのだという風にだんだんお話を聞いて国語のイメージが変わってきたのですが、国語の「論理的な部分」ってどういうところでしょうか。
- 染野
- 「読解」について考えてみますと、以前、自分の学生時代のこと文章にしてほしいと依頼されたことがあって、どんな経緯だったか忘れましたけれど、その文章が中学だったか高校だったかの試験問題に使われたことがあったんです。テストになったものがあとから送られてきたんですが、問題の中には「傍線部の『それ』は何を指しているか」というものがあったりして、書いた当人の私が「えーと、「それ」って何を指してるんだっけ?」なんて分からなかったり(笑)。一応、問題を解いてみて、ふ〜ん、私はこういうことを言ってたのか…と、分かったような不思議な気持ちになったことがありました。ヘンな例えでしたけれど、そういう設問はある意味、論理ですよね。国語というのは、日本だったら、日本の国の言語についてのルールを共有しましょうという勉強だから、基礎的なロジックは学ばないといけないわけですよね。言葉の使い方、文章の構築の仕方、共有のルールを知ることによって共有の理解を得なきゃならない。そのための勉強法として文章を解体して、いろんな設問で基礎的理解を確かめるというか。私みたいに書いた本人が分かってない例もあるわけですけれど。
ただ、「このカップはブルーだね」と話した時に、お互いが捉えているその「ブルー」は少し違うかもしれないし、だからこそ表現は全く違ってくるかもしれない。ここは誰にも直されるところじゃないと思うんです。でも、この言葉を使って、主語と述語を持ってくるというところは最も根本のロジックなのではないかと。
「これはブルーだ」という事実の確認は、論理だと思うんですね。もちろん実際の「視覚」にも個人差がありますから、あくまでも喩えですけど。そして事実として「ブルーだ」とわかった後、「そこから何を感じますか」という部分が、個人的な、感覚的なものではないかと思います。カップのブルーから、「悲しい色だ」と思うのも「昨日見た海の色だ」と感じるのもその人の自由なんです。
短歌を読む際、それを作った人を大切にします。その歌にはどんなことが表現されているのかを、テキストに沿って正確に取り上げていくのです。もちろん「正確に」というのは、突き詰めれば不可能なんですけれども、この時どんなことを感じたのか、○○という表現があるから△△と考えたんじゃないかと、言葉に沿って、論理的に、事実を確認していきます。それが短歌を、そしてその作者を大切にするということだと思います。その「大切にする」ことのために、知識や論理的思考の蓄積が必要です。でも、その後、何を感じ、思うかは自由です。読者としての自分が個人的に感じたことを疎かにしてはいけないと思います。
一方でICUを卒業して教員になるまで、人生が始まっていなかったような意識も持っています。30歳から人生が始まったような感覚なんです。
- 齋藤
- 昔から「数学が好き」とか「英語が好き」というように人によって好きな教科は違ったりしましたが、もともと染野さんはなぜ国語を好きになるような人になったのでしょうか。その表現力や情緒は、環境で培われたものなのですかね。
- 染野
- いや〜…ごくごく普通のサラリーマン家庭で普通に育っただけで、特別な環境は何も(笑)。弟が1人いて、弟は理系で薬剤師になりダンスなどもやっています。全くタイプは別ですね。
- 齋藤
- 小学生のころはどのような子供だったのですか?虫を見て「お前どう動いてんだ?」と思ったりだとか…。
- 染野
- それが、覚えていることが少ないんですよ(笑)正直申し上げますと、ICUを卒業して教員になるまで、人生が始まっていなかったような意識でいるんです(笑)。30歳くらいから人生が始まったような感覚、というか…。
小学生の時から、勉強はまあまあできたんだけれども、「特にこれが好き」とかいうこだわりも特になく…。ピアノや水泳なども習ったりしましたが、ごく一般的な「習い事」という感じだったし、周囲に影響されて私立中学の受験をして、運良く受かって、最初ソフトテニス部に入ったけど1年で辞めて、次の吹奏楽部も1年で辞めて、次にバレーボール部の創部にかかわって高2までやったのですが、中3からバンドを始めたので、バレー部の練習はおろそかにしていましたし…。歌を歌うことはすごく好きで、バンドはずっとやってたんですけどね。
だから何かに興味があって「これになるぞ!」っていうものがあったとか、ドラマチックなものが本当に無いのです(笑)。
- 渡辺
- ICUに入られたのはどうしてだったのでしょう?
- 染野
- 大学受験で私は一浪しているんですが、現役の時にはICUのことを知りませんでした。浪人中に少しは受験に意識を向けるようになって、調べていくと、「なんだか他の大学と違うところがあるぞ」と思ったのが始まりです。授業内容がおもしろそうだし、人数も少なくてキャンパスも広くて、すごく魅力的だった。皆と同じような大学に行くのはいやだ、という気持ちにもすごく合った(笑)。
- 渡辺
- 短歌会も早稲田だったのに、早稲田ではなく?
- 染野
- 早稲田ではなかったですね。短歌会のことは知りませんでしたし…。ICUは初めて「ここに行ってみたい」と思った学校だったのです。浪人の10月頃からスイッチが入って、浴びるように英語を聞き、TOEFLの勉強もし、ICUのことしか考えていなかった。
試験で、人文科学系と社会科学系の論文を読んで読解するのも、他の大学の試験と違って、自分の知識も使うことが出来たり、細かいことというよりも全体の把握が求められたりするような内容だったので、それも楽しかった。それで、ひたすら「読む」ことをして、対策していました。他大学の国語の入試問題を、解かずに、ひたすら読んでいました。…ICUには相当の憧れがあったんでしょうね。
- 齋藤
- ちなみにICUでは何を勉強されたんですか?
- 染野
- Languageの日本語で、日本語教育をやっていましたね。成績はまあひどかったです…(笑)。
- 渡辺
- このインタビューに出てくださった方々も、実は成績は悪かったというお答えがけっこう多いんです。
- 染野
- そうなんですね!安心します(笑)。
入学してすぐ、茶道部に入ったのですが、渉外係の仕事がきつすぎて、それも辞めました。本当、長続きしないんですよ…。そしてなんとなく就職の時期が来たので就職しました…。
- 渡辺
- 就職先はどんなふうに選ばれたんですか?
- 染野
- 当時は超氷河期で、かたっぱしから受ける、という感じでした。アピールが来た企業は全て受けるし、マスコミやメーカー、出版社も受けていましたね。ただ、氷河期とは言え、ICUはまだ楽だった方なのではないでしょうか。当時は4,5回中3回目くらいの面接で落ちることが多く、あるカード会社だけが拾ってくれました。
基本的に、あまり考えていないんです(笑)。変なところは真面目で、悩んだり苦しんだりするくせに、肝心なところを考えてない(笑)。そして長続きしない。でも短歌だけはずっと続けているという不思議な状況でした。所属している「まひる野」に、毎月短歌10首の投稿の締切があって、その締切は守って出す、ということを続けていました。表現したい気持ちはあったし、人の作品を読んだりして、ある意味自閉的に考えるのが好きだったんでしょうね。…いや、短歌もサボっていることもあったかな…。
- 齋藤
- 小説を書こうと思われたことはないんですか?
- 染野
- 小説にはいかなかったですね。自分にはまったく手の届かないものだと思っています。
- 齋藤
- なるほど。ちなみに、NHKに出演されるきっかけはなんだったのでしょうか。テレビで教えられるという立場はほんのわずかだと思いますし、おじいちゃんが出ているイメージだったけど、染野さんが出られてると聞くとすごく新鮮な気がします。どうして若くしてそうして認められたのでしょうか。
- 染野
- 選者として呼んでいただく2年くらい前に、同じ「NHK短歌」の、新人紹介のコーナーに出演させていただいたんですね。月替わりで若手歌人が紹介されるというコーナーです。それに出演させていただいたのは、第一歌集で賞をいただいたことが主な理由かと思います。それが直接のきっかけとなって、番組スタッフの方が、次は選者をやってみませんかと声をかけてくださった、という流れですね。もっと根本的な理由については、詳しく聞いたことはないです。大御所と呼ばれるような歌人だけでなく、若手も選者として起用していく、という番組の方針もあるのかもしれません。
- 齋藤
- もう1つお聞きしたいのですが、歌を詠む際に、入れる題材はどのように増やされているんでしょうか。題材もそうだし、表現のためにも普段されていることなどはあるのですか?
- 染野
- 2007年に結婚して2011年に離婚し、今は1人なのですが、ちょうどその結婚していた期間に鬱病をやっているんです。特にこれっていう明確な原因はわからないんですが、学校の仕事が大変だったり、生徒とうまくいかなかったり、ということが影響したんだと思います。2004年から先生を始めましたが、2006年頃から調子が悪くなっていった。それで結婚後、病院に通ったり、休職したりもしました。
そのときの、何とも言えないネガティブなエネルギーは、幸運なことに短歌によって昇華することができたと思っています。第一歌集はその頃の歌を中心に編みました。
鬱病が良くなった後、自分の短歌の師匠に「鬱だと聞いたけど、私は大丈夫だと思っていた」と言われたんですね。「本当に混乱しているときには、歌は作れないよ。どこかに芯や強さが残っているから、表現に向かっていける。お前は歌を一度も休まなかっただろ?」と言ってくださったんです。
鬱そのものを表現した、というばかりではないのですが、短歌に向き合って表現していく中で、 単なるネガティブな気持ちとしか思えなかったものが、表現として実を結ぶという経験をしました。そしてその、表現として昇華されたものに対して「感動した」というふうに言ってもらえることもあるのだということも、嬉しい経験でした。
「普段していること」についてですが、日常的に、いつもメモはするようにはしています。とてもいい加減なもので、例えば「テーブルが丸かった」とか「カップが青い」とか、その程度のものです。そのときの情景や気持ちを思い出すきっかけとして、その欠片をとどめておくというような感じ。それから、「今日はインタビューでとても緊張したけれど、緊張を託せるものは何かな」と、書き留めたものの中から探したりします。具体的な物に託すことが多いです。そしてできた歌に関しては、その読み方や感じ方は、丸ごと読者に委ねてしまう、という意識が強いです。
今日私はこんな場所から東京タワーを見ることができてとてもびっくりしているのですが(笑)、例えば今日だったら「東京タワー」「てっぺんが見えない」「下にお墓がある」などとメモしておく。そして、その中から考えて、とても簡単ですけど、例えば下句(短歌の5・7・5・7・7の「7・7」の部分)を「窓をはみだす東京タワー」とする。「窓」なんてメモしていないですけど、メモはあくまでもきっかけなので、思い出せればいい。そして「窓をはみだす」という表現をすると、読者は「作者から見て東京タワーがすごく近くにあったのかもしれない」「びっくりしたのかもしれない」と読んでくださったりするわけです。もちろん、意図が伝わらないこともありますが、それは仕方のないこと。自分の表現の未熟さ、ということで諦める。
- 渡辺
- 「心」って不思議ですよね。目に見えるものじゃないけれど、心のなかに「ひだ」はたくさんあって、増えていくものなんじゃないかと感じたりします。どうしたら「ひだ」が増えるのかはわからないけれど、例えば染野さんの教え子のような小さい子がすごく辛い思いをしたら増えると思うし、辛い思いのなかで「一個だけもらったみかんが嬉しかった」ということでも増えるものだと思いますし。
- 齋藤
- うまいなあ君!
- 渡辺
- いや全然そういうことじゃないのですけれど…でも、どうやってその「ひだ」を増やしながら受け止めていくかということが大切なんだとも思うんです。よく「苦労は買ってでもしろ」なんて言いますが、正直辛い思いはしたくないですよね。ましてや、小さい子が小さな体で辛い思いを受け止めるのは酷すぎるから、そんなの見たくない。でも同時に、いろんな経験や思いをして「心のひだ」が増えるほど、ふっと人に共感することができるようになる気もするんです。例えば「あの子1人でいるけど大丈夫かな?」と気づける先生になれたり。そう考えると無駄な瞬間とか経験って1つも無いんじゃないかと感じています。
あと、教育という観点で考えると、「はじめてのおつかい」という番組、ありますよね?子供が初めて1人でおつかいに行った時のドキドキを隠れて撮っているものですけれど、あの行程って国算理社全ての要素が含まれていますよね。お母さんに見送られて、お金を握りしめてお店に向かうんだけれど、覚えなきゃならないその道のりはまず地理(社会)だし、途中で気になって見入っちゃう道端のお花は理科だし、お店のおばさんにうまく伝えられなくて困るのは国語だし、お金を計算しておつりをもらうのは算数だし。勉強って本当はこんなふうに1つの大きな木みたいに、いろんな教科が豊かにつながり合って枝葉を繁らせているものですよね。だから「知っていくって楽しいよね、覚えるって広がるよね」ていう土壌になったらいいけれど、なかなかそうはならない現状がある気がして。特に国語は全てを言葉で有機的につなぐものだから、染野先生のような存在はとても心強く、もっともっと教育の現場を良い方向に変えていってほしいなと思ってしまいます。
- 染野
- いやいや…、あの、番組に来てくださったとき、渡辺さんは本当にすごかったんですよ(笑)。短歌の解釈が本当に素晴らしくて…。そこで思ったのは、短歌にはもちろん専門的な技術の話もあるし、渡辺さんはICUで文学をやられていたということもあるけれど、そういった土台だけでなく、いつも感性を豊かに働かせてらっしゃる方は、それが短歌の解釈にも反映されるのだな、ということ。目の前の短歌から豊かな世界を引き出すことができる、というか。
先ほどから「昇華」ということを言っていますが、これ、ある意味悲しいことでもあると思うんですよね。短歌で表現していると、自分を苦しめたはずのものが、人を感動させる「輝き」にもなってしまう。どんなに辛いことも、くよくよしていることも、自らの糧にになって、いいものが生まれたりする。どんなことも短歌の糧になる、輝きに変えられるというのは、短歌の作者としてもちろん救いではあるんだけど、どんな苦しみも否定できない、苦しみも自分にとって必要なものなのだ、ということでもあって、それは何だか、やりきれないことでもある。苦しいことも輝きにつながる、それを単純に排除することはできない、ということですから。
先ほど渡辺さんが「何一つ無駄なことは無い」とおっしゃいましたが、自分の場合も、鬱の経験が全部生きているし、それによって第一歌集が生まれ、その歌集が生まれたおかげで賞もいただけて、そのおかげでテレビの方が声をかけてくださって。全部が生きていて、つながっている。振り返ると何も無駄になっていない。短歌はそれをありありと見せてくれます。それを自覚し始めたのが、30歳以降ということなのかもしれないです。
私はずっと少数派の側で生きてきた気がするのですが、伝えたいのはどんな場合でも「無駄なことは何もない」ということ。そして何をやっている方にも「その道でいいんじゃないか」と言えたらとも思います。
- 齋藤
- 今後はどういう風に生きていこうと思われるんですか?
- 染野
- 今回テレビの番組を担当させていただきましたが、でも私の歌自体は、決して上手くはないんです。技術的にも巧みな素晴らしい歌を作る人、知識の豊富な人は、自分より作歌歴が短い人の中にも、たくさんいます。それを思うと「私自身にとって短歌ってなんだろう」「私にできることってなんだろう」といったことをどうしても考えてしまって、特に、今回このインタビューの機会をいただけたので、改めて考えてみたんですね。
短歌って「今、自分で作ってみよう」「この短歌を新聞に投稿してみよう」というふうに、その日その瞬間にやってみようと思えばできるものだなと思うのです。ルールは「5・7・5・7・7」というだけですから。そういう、短歌に少しでも興味を持ってくださった方、ちょっと自分もリズムに乗せて表現してみたいという方に、「世の中にはこんな短歌もありますよ」とか「あなたの短歌のこんなところが素晴らしいと思うんです」とか「表現するっておもしろいですよ」といったことを伝えたいという欲が、今のところありますね。
最近、勤務校系列の小学校の授業や、カルチャースクールを担当する機会もいただいたのですが、それも自分にとってすごく楽しかったんです。NHKの番組は2016年3月までなんですが、なんらかの形で、そうやって短歌のおもしろさを伝えたり、短歌に関わる人同士がつながる場を増やしていけたらと思っています。
- 渡辺
- そういえば以前、NHKの「介護短歌」という番組に参加させていただいたことがあるのですが、短歌という手段はとても私達に向いているんだと実感しました。昔の人は、来なくなってしまった恋人に、旅に出る息子に、歌を詠んだわけですよね。こらえ切れない悲しさや辛さ、嬉しさもだけれど、日本人は歌という小船に乗せてきたんですね。
現代では介護という、どうしてもこもりがちな気持ちを発散する一つの道具として介護短歌は応募数が年々大きく増えているようです。五、七、五に、どうやったらこの気持ちがはまるかな?とある意味、自分の気持ちを客観視することで楽になる面があるという、介護する側からもされる側からも詠む楽しさを教えられた経験でした。
- 染野
- 言葉をいじる喜びもあると思うんですよね。ただ不安や喜びを表現するのではなく、言葉をモノとしていじくるというか、パズルのように操作するというようなところもあって。その部分はゲーム感覚でもあり、不安などの気持ちとはまた離れたところにある。でもそれも、気持ちを客観化するのを助けてくれるプロセスだと思います。
- 渡辺
- 遊びをせんとや生まれけむ、日本人に合ってるのかもしれませんね。
- 染野
- 小学4年生に教えたんですが、ほとんど習ったことはないはずなのに、自然に5・7・5・7・7のリズムに馴染んでいました。
NHKの番組だけでなく、ご投稿いただいた短歌を読んだり、人前で短歌にコメントさせていただくこともあるんですが、そういうとき、短歌には「読む人」が重要な役割を果たすんだなと感じます。
先日ある場で、「この短歌はこういうところが素晴らしい、でもこの部分はどうなんだろうか」というふうにして、詳しくコメントしたときに、その作者の方がとても感動してくださったのを、目の当たりにしたんですよ。短歌にとって、読者の存在というのは、非常に大きい特別なものなんだと感じています。自分の短歌を作って出しっぱなし、ということではなくて、誰かの短歌を読んでそこに表れた気持ちを汲み取ったり、それから、誰かと生で議論しながら短歌を作ったり読んだりするのが、私はすごく好きなんです。だからその、生でやりとりしていくということも大切にしていきたいと思っています。
- 渡辺
- いろいろと話してくださって、ありがとうございました。
最後にICUの在学生のみなさんやをICUを目指している高校生の方々にメッセージがあればお願いします。
- 染野
- (長考・・・。)
やはり「どんなことにも無駄なんて無い」ということですかね。
私はICU時代もなんとなくぼーっと過ごしていて、学祭などに関わることもないし、ちゃきちゃきした人たちを見てすげーなーと思いながら、ただカリキュラムこなすだけのタイプだったんです。英語もプロA(ELPのProgramA)で、英語が得意だったわけでもまったくないし…。
今は国語教師になって12年続けていますけど、ICUの同級生からしたら「え、そんなに長いこと勤めてるの?」って感じなんですよね(笑)。ICUの友人たちって、どこか特殊な感覚を持っている人も多くて、特に不満が多いというわけでもないのに、あっというまに職を変えたりするんですよね。日本人の感覚だったら「定年まで勤め上げる」っていうのが、普通じゃないですか(笑)。
だから私はずっと、どんな場でも、マイノリティでいる感覚なんですよね。ICUにいても英語ができるわけじゃなかった。「ICU生は群れない」と言うけど、私は大人数でいるのも好きです。
ICUのあの環境は好きだし、「12年も勤めてるの?」なんていう感覚もよくわかるんですが、どのような場においても、感覚においても、自分は「はじっこにいた」という気がするんです。短歌だってはじっこの文学とも言えます。どうも、みんなと違う気がする。だから、自分のやっていることなんて価値がないんじゃないか、間違っているんじゃないか、といった気持ちになることもある。だけど振り返ってみると、どのような場も、感覚も、経験も、気持ちも、決して無駄じゃなかった、間違っていなかった、ということがわかる。私の場合はそれを、短歌が教えてくれたんです。