プロフィール
- 渡辺
- 今回はインタビューを受けてくださって、ありがとうございます。ご意見やお考えを拝聴、拝読することは多くても、今まで大宅さんご自身についてうかがう機会はなかったので、まずそもそものところからうかがってもよろしいでしょうか?大宅さんはどんなふうにお育ちになって、ICUに入られたのですか?
- 大宅
- 話すと長くなってしまうのだけれど(笑)、まずわたしは大宅壮一家の三女なんです。男・女・女と三人産んだあと、5年後に妊娠がわかったとき、両親はやはりもう一人男の子が欲しいと思ったに違いないのね。でも残念!また女でした!っていうのがわたし(笑)。ひがんではいないのよ。男になりたいと思ったこともない。
大宅壮一は自由人だし、母は自立した女性でしたから、女で損という気は一切なし。逆に期待されない員数外でしたから、自由が与えられ、みそっかすのくせに威張ってる子でしたね。
- 渡辺
- そういう家庭環境で育たれたのですね。
- 大宅
- わたしは小さいときから変に自立した子だったんです。末っ子ですから、兄や姉を見てるから同じことやっても大丈夫と思ってたのか、何でも一人でやってしまう子でしたね。
それで小学五年生のときにテネシーワルツを姉に教わり英語の歌に興味を持って、アメリカに行きたいと思い始めました。当時のアメリカはわたしたちが持っていないもの全て持っているという印象でした。わたしたちがテレビもないときに、向こうでは高校生がオープンカーで彼女を迎えに行ったり…(笑)。氷を入れる冷蔵庫を使っているとき向こうでは今のような冷蔵庫を使っていたり、わたしたちが瓶で牛乳を飲んでいるときあっちはパックで飲んでいたり、という具合に。ICU牛乳だって瓶でしたもんね(笑)。だから当時は全てのものに憧れがありました。しかし高校生になって行こうとしたら親父に「だめだ」と言われたんです。意外と怖がりだったんですよ。一番下の娘を外国に出す勇気はなかったのではないでしょうか。
- 渡辺
- 可愛くて仕方なかったのでしょうね。
- 大宅
- そんなことはないと思うけど(笑)。それでsubstitutionとしてICUに行きました。入ってからでも、卒業してからでも行けるかなと思ってね。でも、よくよくあとから聞いたらICUを落ちたら行かせてもいいと考えていたらしいんです。落ちたら良かったのよ!(笑)
- 渡辺
- ICUを落ちたら、行ってもいいと?極端といえば極端ですね(笑)。
- 大宅
- そう。でも落ちるなんて恥だからね。そして入ったらおもしろくてわ〜っと4年が過ぎました。でも4年のときはほとんど単位を取っちゃって卒論しかない状況だったから、あのときに脱出してたら、人生変わってたかもしれない。
- 渡辺
- なるほど!
- 齋藤
- 優秀でいらっしゃったんですね。ちなみに上智とか他の大学は受けられなかったんですか?
- 大宅
- 願書は出しましたが受けませんでした。ICUの合格通知が先だったから。
- 渡辺
- 楽しかったとおっしゃいましたけれど、実際にお入りになったICUはどんな印象でしたか?
- 大宅
- まず人が少ないからさぼれない(笑)。20人しかいないクラスだから、大学入ってやりたいと思っていたことはほとんど出来なかったかもしれないですね。20人しかいないクラスで、女子が5人だったんですよ。
- 齋藤
- そのときは今と違って女子が少なかったのですね!大学ではどういう生活をされておられたんですか?
- 大宅
- テニス部に入ったけど途中でやめて、胸が大きくなるかもしれないと思って弓道部にも入ったけど(笑)、それも1年もいませんでした。寮にも入らなかったしね。
- 渡辺
- ICUに入られたことに対して、ご両親はどんな反応でしたか?
- 大宅
- 面接のときも聞かれたけれどうちは事後報告なんで相談も何もしてなかったんですよね。親父はあまり興味ないんですよ。あとから行きますっていう報告はするけど。
- 渡辺
- ご著書を拝読していても、お父様はもちろん大きな存在ですが、お母様の存在や影響もとても大きく感じられます。大宅家はご兄弟みなさん、自立なさっていたのですか?
- 大宅
- そうですね。親は全然ベタベタしてこないし、責任は自分で取れという感じでしたね。わたしは末っ子でみそっかすだったから自立せざるを得なかったんですよね。姉貴二人は母に似て美人で、わたしだけブスって言われてたから(笑)、玉の輿っていうのは一切ないと、小さい頃から刷り込まれてたから自立せざるを得ないわけなんですよ。
- 齋藤
- もちろんそんなことはないけれど、すごいお話ですね。
- 大宅
- 母は父が壇上から見初めた美人だったんですよね。小学校の教師を7年やってやめた時期で、父の文化講演会に行ったんですって。そうしたら、地元の職業婦人を集めて座談会をするからと呼ばれた。
- 渡辺
- 壇上から…。でも、年の離れた末っ子というと「可愛くてしょうがない!」って感じだ思いますけれど。
- 大宅
- ノーノー(笑)。姉貴も兄貴も親父も馬鹿にして、そうすれば受けるっていうのもわかってる嫌なガキだったもの(笑)。
- 渡辺
- 妹がつっこみをいれる、という図だったのですね(笑)。お父様、お母様は教育の中で「こういう風にしなさい、こっちに行きなさい」というような方向性を示されることは仰らなかったのですか?
- 大宅
- 聞けば言ったでしょうけどね。基本は雑草教育。踏みつけられても自分で立ち上がれ。親は保護しない。だから指図はしない。都立駒場高校には普通科の他に芸術科と体育科があって、吉永小百合さんが一時期いましたね。背が高いので先生にバレーボールを勧められたけどこれ以上背が伸びては困ると母親に止められたことくらいかもしれません(笑)。
テネシーワルツから英語の歌に興味を持ったといいましたが、中学時代はFENを聞きながら受験勉強をして、都立駒場高校の合格発表を見たその足で銀座のテネシーに行きました。その後そういう所に来ていた人たちで大ロカビリーブームになるのですが、それにも文句を言われたことはありません。
- 渡辺
- とにかく映子さんご自身がどんどんご興味があることをキャッチして、どんどんご自分で決めていらしたんですね。
- 大宅
- 変な子だったと思いますよ。小学5年で「お茶漬けの味」を一人で見に行っちゃってましたからね。うちは読むものは全部自由だったので新聞も雑誌も小学生のときから読み飛ばしてました。親父も本を蒐集していましたしね。
- 渡辺
- それはのちのちわたしたちがとても恩恵に預かることになる大宅文庫につながっていくのだと思いますが、お父様が本についてとても知識が深くていらっしゃる分、映子さんもお小さいときから読書するということが当たり前だったのではないでしょうか。
- 大宅
- 親父が出張から帰ると小荷物が届いて、おみやげかと思うと全部古本。そうやって本を買い集めていましたね。読む物が沢山あるから、読み飛ばすしかない。その人が言いたいことがわかればいいやと思って、頭としっぽと読んでそれから中を斜め読みしてました。
- 渡辺
- そんな環境の映子さんにとって幼稚園や小学校、学校での勉強は、物足りなさを感じたりはなさらなかったですか?すでに偏差値ではかる以外のものの見方や価値観は、ご家庭のなかに当然の教養としてあったでしょうから。
- 大宅
- 末っ子は得ですね。親から勉強しなさいとは言われないけど姉貴兄貴がこたつで勉強してるからわたしも同じことやりたくて宿題もないのに勉強しましたから。
- 齋藤
- 高校一年からジャズ喫茶に行かれたりいろんなことをされていますが、成績は良かったのではないでしょうか。
- 大宅
- まあよかったですね(笑)。高校生としてやるべきことをやったうえでジャズ喫茶行くんだから文句あっか、という感じですね。
- 渡辺
- 日本にスキップ制度があったら飛び級していそうですよね。
- 大宅
- そんなに頭いいわけではないのよ。日本国で成績を取るっていうのはある種の技術だと思うのよ。とれない人っていうのは頭からちょっとずつやってるから時間がなくなっちゃう。全体を見ればどこが山かってわかるものなんですよ。物理で5もらったときは先生馬鹿なんじゃないかと思いました。わたし物理のことなんてなんにもわかってないのに(笑)。こことここ出るなと思ったら当たってね。だめだよ日本の教育は(笑)。数IIとかになったらもう脱落。
- 渡辺
- 先生から見たら恐ろしい生徒ですね(笑)。映子さんにとってICUの入試はいかがでしたか?
- 大宅
- おもしろかったですね。算数があったり論文があったり…。入学してから先生に「あれでよくわかりますね」と話したこともありましたが(笑)。
- 渡辺
- 日本ってなかなか冷静な分析をするとか、クリティカルにものを考えることが苦手なのかな、と思いますが、映子さんはICUにお入りになる前からそういうメソッドはお持ちだったのではないでしょうか。
- 大宅
- そうだったんです。「個」があったというか。だからICUに入ったらそれに磨きがかかった感じですね。だからおかげさまでとてもなじむことができました。昔からトイレにみんなで行くこととかが考えられなくて!なんでトイレくらい1人で行かないの!と思っていたものですから(笑)。
- 渡辺
- ICUはある意味、心地よいキャンパスだったかもしれないですね(笑)。
- 大宅
- みんな変わってたもん。特に七期生はね。ここまでが入試制度が同一で、草創期ですね。東大をふってICUに来た人もいますしね。
- 渡辺
- 仲が良いというか、認めながらみんないい距離を保って…という感じでしょうか。その分、卒業後それぞれの業界での派閥もできないですけれど(笑)。ICUにお入りになって、ここはよかった、もしくはここはちょっと物足りないとか、ありましたか?
- 大宅
- 英語がうまい人がいっぱいいたから英語を使うのは恥ずかしくて、結局英語からは逃げましたね。だから大学の中で英語はあまりimproveしなかったかもしれないです。
- 齋藤
- 大宅さんって大学では海外には行かれなかったんですか?
- 大宅
- 一度も行かなかったですよ。
- 渡辺
- 海外に長く住んでおられるようなイメージが強いのに。こういうセンスの方って日本ではあまりないですものね。
- 齋藤
- 卒業されてからは…?
- 大宅
- 大学院に行ったんですよ。就職口がなかったから(笑)。4年制の大学を出た女子にオファーがないわけですよ。役人や先生になるのはいやだったし。
- 渡辺
- あこがれていたアメリカに卒業してからいらっしゃるかと思いきや、そのときはいらっしゃらなかったのですね。
- 大宅
- 留学はもういいかと思って、どうせならお金を稼げた方がいいやと思ったんですね。だから仕事で行ければいいかな、と。いろいろ探してはいましたが大企業で女性初の副社長とかもいやだし…。小さくてもいいから自分の中に決定権があるところがいいと思いました。そのまま家にいて花嫁修業なんてとんでもない。根城を持たなければいけないと思い、それでICUの大学院を受けて、行かせてもらうことにしました。つまらなすぎて3ヶ月でやめてしまったけど…(笑)。
- 渡辺
- つまらないというのは、どのように…?
- 大宅
- 先生一人と生徒わたし一人しかいないクラスもあってね。わたしもあっちもあくびしてるみたいな…(笑)。それで就職活動をしたうちの一つで、小さいPR会社があって。その当時PR会社は二つくらいしかなかったんですけどね。日本の企業を海外に知らしめるということでここにしてみようと思いました。最初はクリッピングとかそういうことから始めて。
- 渡辺
- PRというジャンルに出会われて、いかがでしたか?
- 大宅
- 広告は「Buy me」だけどPRは「Love me」だというのを聞いて、いいかもと思ったんですよね。アメリカが好きになったときに、日本を海外に知らしめる仕事がしたいと思っていたんです。国連とかも考えたけれど、これ以上の官僚主義はないとわかってやめました。
中学時代に海外のペンパルがいたけれどあるときチューインガムが入ってきて、「これはチューインガムというものだ」と、その説明が詳しく書いてある。「くっそ!!!」と頭にきてね(笑)。彼らからしたら極東の敗戦国の、今ならどこかの途上国の女の子のようなイメージなわけですよ。それで「エレベーターというものは…」とかが書いてあるんです。それで日本を知らしめたいと思っていました。だから留学したかったんですけどね。で結局大学院は中退して、8月に入社してその中の1人と2月には結婚していまいました。長く待てばいいってもんじゃないからね(笑)。
- 渡辺
- なるほど〜(笑)。それは、あのお父様がお母様になさったストレートなアプローチを彷彿とさせる電撃婚というかアプローチだったのではないでしょうか。
- 大宅
- 今考えると「電車混んでますよ」とか、それでご飯食べませんか、とか映画見ませんか、とか(笑)。
- 渡辺
- 高校のときにアメリカに行かせないとおっしゃったお父さまは、ご結婚のときは反対なさらなかったのですか?
- 大宅
- いやでも姉貴2人も結婚していたからそんなことはありませんでした。よく旦那も家に遊びに来たりもしていたし。仲良く話したりもしていましたよ。旦那が一番驚いたのが“大宅壮一が赤鉛筆を持ってアサヒ芸能を読んでる!!”って。父の興味は乙にすましたものではなく、人間の裏のドロドロしたものにあり、情報に貴賤はない、のが自論。今でもテレビや新聞がとりあげないようなことを、少し遅れて週刊誌が書いてくれるでしょ。だから大宅壮一文庫の雑誌図書館は親父にとって重大な意味のあるものなんですよ。
- 渡辺
- その新聞、雑誌についてもう少し伺いたいのですが、ゆくゆく大宅壮一文庫を作り上げる、その資料や活字についての哲学は映子さんは言葉で教えられて学ばれたのですか?それとも見ていて体得なさったのですか?
- 大宅
- 活字媒体になったものはうちでは全部大事なものなんです。だから新聞紙でお弁当は包めないです。旦那はびっくりしていたんだけど、ありとあらゆるものに目を通しながら苦悩している姿を見て育ったんですよね。本のタイトルなんかも、10日も20日も考えてる。ひょこっと決めるかと思ったら大変なものだなあと思っていました。
大変な姿は見ているんだけど、すごく理不尽なこともいっぱい言う人だった。だから母が父の亡くなったあとに書いた本のタイトルが「大きな駄々っ子」だったんですよ。お腹すいたらすぐ「飯!」って言うんだけど、すぐに何か出てこなければいけない。熱いご飯は嫌いだからまずは冷たいご飯とじゃこを煮たようなもの。とりあえず食べられるものをばっと出して、そしてあとから料理が出てくる、といった具合でした。庭に出るときに下駄がないと怒鳴られるしね(笑)。そういうわがままな部分と、お気楽にテレビで喋っているように見えるけれど水面下で足をかいてる部分と、両方を見て育ったんですね。
- 渡辺
- お父様の背中と、お母様の背中というか横顔をずっとご覧になっていたんですね。その影響ははかりしれないのでしょうね。
- 大宅
- あの二人はもうチームですね。でもずっと母親の姿を見ていて、夫を立ててはいましたが、今思えばどう考えてもお母さんの掌(たなごころ)ですよ。その方が絶対得だもんね。強いよね。親父さんも母には一目置いていたから。スピーチさせたら母の方が100倍うまかったもの。いろんな会を開いたり、話すときは起承転結をぴしっとしていて。ICUに合格した春休みに父が登別で講演があってそれに連れて行ってくれたことがあったんですが、ぐちゃぐちゃでしたよ(笑)。だから父は母のことを、区議会議員くらいにはいつでもなれるよってからかっていました。フェミニストになった人ってお母さんが虐げられてた人が多いのよね。それにはおかげさまでならずに済みました。
- 渡辺
- そのお父様とお母様のコンビネーションと、今の大宅映子さんとご主人さまのバランスも同じ感じだったりするんでしょうか?
- 大宅
- うちは本当に友達というかパートナーというか、ラーメン屋の屋台一緒に引いてるみたいな…(笑)。2つ年上なんだけどほとんど対等というか、なんと言ったらいいのかな…。わたしがすごいいい男と浮気したとするじゃん。誰に1番最初に言いたいかと言えば旦那に言いたいかも(笑)。
- 齋藤・渡辺
- (爆笑)。
- 渡辺
- すごくいい例えというか(笑)、ソウルメイトですね。親友でありパートナーであり。
- 大宅
- そんなに言いたい放題言えたら本当にいいでしょうね〜とは周りに良く言われますけどね。
- 渡辺
- 大宅映子さんはかなり言いたい放題言っているというイメージがあるかもしれませんが、実際はそうではないという気がします。
- 大宅
- そりゃテレビやラジオではそうよ。テレビはなんかなんとなく規制がかかるよね。何も言われてないんだけど自動ブレーキが。メディアはひどいよね。政権もひどいけどね。
- 渡辺
- あ〜、それ、どちらも伺いたいです。メディアや政権については今、どんなふうに見ていらっしゃいますか。両方有機的に絡んでいるとは思うのですが。
- 大宅
- 両方とも、本質は「個」の力が落ちている。
- 渡辺
- 「個」ですか?
- 大宅
- 個人であり個々の企業であり個々の地方であり。みんな仲良く一緒でつるんできたじゃない?全体の底上げみたいな形で戦後の復興があったわけでしょう。世界一になったんだからそこでもっと自立しなきゃいけなかったんですよ。そしてここまで豊かになってしまったら生きる力がなくても生きて行けるんですよ。親は置いといてくれるし。35にもなった男の子が家にいたりするわけですよね。わたしだったら蹴り出すけどね。うちの娘は結局最後ボストンコンサルティング行ったんだけど、最初は陶芸やるとか言ってたからそのときは「どうぞご自由に。大学まで行かせたからあとは出て行っていただきたい。」と言いました。「やな親」って怒ってましたけどね(笑)。在学中に1年無理矢理アメリカにも行かせたんですよ。そしてボストンに見習いで入って、結局そこで7、8年働いて、疲れ果てて今はお母さんをやってますけどね。
- 齋藤
- 「個」の力が落ちてるというのは企業を見ていて僕も感じますが、大宅さんから見られて「個」の力を皆が持つためには、家庭環境は大きいとは思うのですがどうしたらいいと思われますか?
- 大宅
- まあ「子」育てするにはそれをする「個」が必要なわけですよ(笑)。
- 齋藤
- 僕は経営コンサルティングや大学で問題解決を教えたりしているのですが、企業を変えるためには一人一人をどう育てるかということが1番重要になってくるんですよね。「教育をする」ことが目的になってしまっていて、「育てる」ことを忘れてしまっているきらいがあります。それを伝えていかないと企業も責任放棄しているようなところがあるんですよね。
- 大宅
- 日本の教育って答えを求めるでしょう?時間内にいかに答えを見つけられるかということばかりやっていて答えの見つけ方は教えていない。帰りの電車の中で思いついてもだめなんだよね(笑)。それはもう個の力を育てることになっていない。アフリカに援助で物を送り続けているのと同じ。魚の釣り方を教えなきゃならないのにずっと魚をあげてたら永遠にあげ続けなきゃいけない。スーダンに行ったときにそう思いましたね。
- 渡辺
- わたしのセクションメイトの親友が言ってました。高校までは「キリスト教が日本に入ってきたのは何年ですか?」という問いだったけれど、ICUでは「キリスト教は なぜ入ってきたのか?」という問いに変わり、ひとつでない答えを考えるための豊かな時間も与えられた。それが楽しかった、と。彼女のこの例えは新鮮でした。
- 大宅
- 暗記も大事なんだけどね。東海村のJCOのときは本当にショックだった。自分がここまではやらなければいけない、決してやってはいけないということがわからなくなってるから。あの辺からものすごく崩れてきた。
日本は100%安全があると思っている。でもそれは絶対にない。危機管理っていうのは危機があるということを前提にそれを最小限に留めることだとわたしは思ってる。安全と安心をくっつけるじゃない。安全は科学で確率の問題でできることだけど安心っていうのは感情的なもの。いくら放射能が大丈夫です、と言っても絶対安心にはつながらない。
政治家が政治資金問題で反省して家に籠ってたりするとか、人の影で麻雀やってて不謹慎だとか、そういうことを情緒で考えたりたたいたりするのがすごく気持ち悪い。
- 齋藤
- 大宅さんが世の中に対して意見を述べて行くようになったのっていつごろからなんですか?
- 大宅
- テレビを始めたのは1979年ですね。家庭ができて下の子も上まで続いた小学校に入った頃だったから、一応母としての仕事の6割は済んだかなと思ってね。大卒までの線路にのせることはできたし、わたしがテレビで馬鹿やってもわたしの恥で済む、と思ったから。ちょうどそのタイミングでテレビのお話が来たんですよね。それまでは小さな会社をやっていたんですが。
- 齋藤
- それは先程のPRの会社の関連ですか?
- 大宅
- それは3年でやめたんです。3年でやめて、夫婦で世界一周して、旦那は広告に特化した会社を作って、わたしは2年くらい家にいました。そしてわたしが家にいるストレスを感じ始めているのを旦那が先に察知して、会社を作ってお前がやってくれって言われて。その会社では数字じゃなく、「おいしい」とか「楽しい」っていうことをみんなで考えようというようなことをやっていました。男の人は数字あげて上場してっていうのが大事かもしれないけれどわたしは落ち穂拾いでいいし、世の中になんか楽しいことが提供できればって思ったんですよね。食いぶちは確保してたから(笑)、マイナスにならなければいいやと思ってやってました。そしたらテレビのお話が来たんですよね。
- 渡辺
- ご夫婦で世界一周されたとおっしゃいましたが、どういったものだったんですか?
- 大宅
- わたしが最初に「アメリカを見てからでなくちゃ子供は産まない」って言ったんですね。じゃないと家に閉じこもるなんて嫌だと思って。そしたら西海岸を一周するより、少し足せば世界一周の切符が買えるって言われたから行って来たんです。貧乏旅行だったから毎晩ベッドの上にお金を並べて「これだけ使ったから明日はこれだけ」って2人でやってね(笑)。それが結婚してから4年目のときでした。
- 渡辺
- どれくらいの日数でいらしたんですか?
- 大宅
- 45日でしたね。まだ雇われの身だったから休みをとって。すごくおもしろかったですよ。日本人とすれ違ったら「あれ日本人だ…!」というような時代だったのでね。本当にカルチャーショックだったのは、ハワイでレンタカーして、道を間違ってずっといったら断崖絶壁だったんだけれど「Drive at your own risk」って書かれているんですよ。これがアメリカだー!っと思いましたね(笑)。
- 渡辺
- もともとベースとしてお父様とお母様に育まれた価値観が、どんどんブラッシュアップされていくわけですね。この世界一周旅行でも。
- 大宅
- わたしの家は小学校のときから小遣い制だったんですよ。姉は映画が好きだったけどロードショーなら一本、名画座まで落ちてくれれば同じ値段で3本見られる。何を言いたいかというと、親父も自分が苦労していたから、小遣い制にすることでそういう予算の組み方を訓練させるんだと言っていました。
本はプレゼンすると買ってもらえる。ほとんど大学生の兄貴とわたしは大差がなかったですね。その中からわたしが母の日に一輪挿しの花瓶に入れてカーネーションを贈ったら、「俺の教育がうまくいってる」と母に喜んで言っていたそうですよ。
- 渡辺
- へえ〜!いろんなところに教育が潜んでいるというか、すごくお上手ですよね。教えや導きが。
- 大宅
- 考えろといつも言われて、答えは教えてくれなかったですね。
- 渡辺
- 少しお話を戻させていただくのですが、メディアと政治について、政治については今こうしたらいいのに…という具体的なご意見はお持ちですか?
- 大宅
- 今は野党が弱すぎますね。安倍さんはなんであんなに自信過剰なのかがわからない。強がりというか。言ってることは間違っているわけではないんだけど、やり方や言い方が違うんじゃないかと思います。アベノミクスに対してもいちゃもんの付け方や言葉遣いが大人じゃないのよ。
- 渡辺
- 政治とともに、メディアも自立してないということですよね。
- 大宅
- 大勢につくというか、日本は特に7割の人がいいと思うのがいい意見でそれから外れたら変な意見みたいな。100人いたら100個意見があるのが普通だとわたしは思いますけどね。お盆の豆がざざっと流れるみたいに。これが怖いんで、意図的に違う意見を言うこともあります。でもテレビの中で戦わせてくれる時間はないから、言いたいことを言って終わるしかないんだけどね。政権がメディアにがりがりやってくるのにメディアがびびっているのもいやだし、あの大手テレビ局の会長もあれでまだクビがきれてないのも変ですよ(笑)。
- 渡辺
- (笑)。もしこれだけは言っておきたいなということがあれば、ぜひお聞きしたいのですが。
- 大宅
- 日本人の生命を守るのは国の任務である。そして報道の自由がある。だからジャーナリストは行く。しかし危ないからパスポートは取り上げる。じゃあ1億2000万人の人が全部やりたいことをやらせていただきますと言ったら国はどうする?ありえないでしょ。
自由というのは個人が120%好きなことやるってことじゃないでしょ。たくさんの人が一緒に住んでいる以上やっちゃいけないこと、みんなに多大な迷惑をかけることがわかってるのに、やる?それで自己責任っていうと冷たい世界になったとか言う。
普通に生活して、川に落っこっちゃった人を助けないっていうわけじゃないのよ。だけど、この川は今上流で水が増えてて台風も来てる。危険なので泳がないようにしてくださいと書いてるのに、「それでも泳ぐ!イラクの子供が好きなの!」って突っ込んで行って溺れたら、それはあんたの責任でしょ。違う?自由っていうと全部自由にしろとかね。マイナンバーは背番号つけられるからやだとかさ、もう戸籍があるじゃん。把握されないで守ってもらおうって無理でしょ。あれがあれば震災のときに薬がどうとかすぐ調べられるわけじゃない。
- 齋藤
- 大宅さんが今のお仕事やられててよかったなと思うのって、どういうときなのでしょうか?
- 大宅
- まあ言いたいこと言えてよかったなというのはありますね。発言の場を持てるというのはすごいことだと思います。飲み屋でわ〜っと何か言っても誰も聞いてくれないわけだから。テレビに出たら少なくとも1%、100万の人は見てくれてるわけでしょ?
- 齋藤
- ICUの卒業生にしても在校生にしても、大宅さんのようになってみたいという人はいると思うんです。それはどうやったらなれるんだろうというヒントがもし伝わればなと思うのですが、いろいろと挑戦しながら実際どのように考えたり、行動しながらこれまで過ごされてきたのでしょうか。
- 齋藤
- 旦那は直接は言わないんだけど共通のマッサージ師には「映子は頑張り屋だから」と言ってたみたいです。全ての前提はね、人は努力するものだとわたしは思っています。より良くなろうとする意志があるかどうか。全ては意志だとわたしは思っています。
人生において誰かがやってくれるはずだとか、例えば年金が少なくなったとか、誰がいつ年金で暮らして行けますなんて言った?本来は自分の人生は自分のものなんだから年金あったらラッキーくらいに思わなきゃいけないわけでしょ。
- 齋藤
- 意志の前に、まずどうしたらいいかわからないという学生が今は多い気もしています。
- 大宅
- わかんな〜いってもやもやしてても生きて行けるほど豊かになっちゃったのこの国が。今の若い子を見てると全然根っこがないもん。意志がないの。インタビューに来たときにも何も調べずに来たりね。本人に聞くのが1番早いと思っているのかもしれないけど。
今は何に対しても答えはYesかNoかどちらかと考えれてしまう場面が多いけれど、答えはその中間のどこかにあるのよ。解が。それを決められるのが教養だとわたしは思ってる。水面の下にどれだけ、目先の技術じゃないものがあるか。その上でどうやって頭が出ているか。
あとからつけた技術的な知識などの下に、土台となる部分である“教養”が今の若い人たちにはないのよ。上手にお話もなさるし、「中東に住んでました」とか言ってるんだけど、テレビを見ていて「あれは安倍さんのお父さんよ」と言うと「え〜そうなんですか」と知らなかったりね。どっか中間にバランスを取るというのが教養だと思います。
- 渡辺
- 映子さんにとっての教養を形作っているのは、生まれ育ったご家庭であったり、大学であったり、会社であったり、世界一周であったり、主婦としての経験であったり…そういう全てということですよね。
- 大宅
- そう。技術的な知識だとか技術だとかだけで今は戦ってる。
- 齋藤
- 今、大宅さんが言われたように今の学生に土台があるかと言えば疑問を感じるところもあるのですが、ICUのリベラルアーツ教育はICUも含めて考え直さなきゃいけないんじゃないかとも思いますね。
- 大宅
- やたら流行になってるしね(笑)。
- 齋藤
- そうそう(笑)。
- 大宅
- ICUもなんか普通の大学になってるみたいね。だいたいなんで就職試験を受けるのにみんなあの同じ格好をするの?わたしは個性がありませんと言ってるのと同じじゃない。みんな同じ格好をしてれば安全だっていう話なんでしょ。わたしだったら絶対替えるけど。「わたし変!」って言ってる様なものじゃない、あれだと。でもICUもそうなってるのよね。
- 渡辺
- そんな在学生やこれからICUを目指すという若い世代に、先輩からメッセージをいただくとするといかがでしょう。
- 大宅
- 自分の「個」育てをしてください。石飛んでくるかもしれないし足掬われるかもしれないけど、しっかり足を持った人が声をあげないと、既得権を持ってる総数の大声によってこの国が運営されてしまう。それはやだとか違うとか声をあげてください。
- 齋藤・渡辺
- ありがとうございました。
プロフィール
<著作>
『大宅映子のオヤジ採点』全国朝日放送、1980
『愉しい欲張り人生』海竜社、1983, 『愉しく欲張って生きる』三笠書房知的生き方文庫
『子どもの躾は免疫主義しかない-マナーを知らない子にしないために』開隆堂出版、1985
『わが娘に母のこんな心を伝えたい』三笠書房知的生き方文庫, 『どう輝いて生きるか-女の自分育て自分づくり、私の方法』海竜社、1990
『だから女は面白い-女の常識女の視点』海竜社、1993
『女の自立と心意気-みんなに聞いて欲しい5つの物語』対談集、広済堂出版、1995
『いい親にならなくていい!-子どもが育つ教育の条件』海竜社、2000
『親の常識-親がなすべき、当たり前で大切なこと』海竜社、2008
『女の才覚』ワニブックス、2011
<出演番組>
星からの国際情報「大森実のロス衛星中継」(テレビ東京 東京側キャスター)サンデーモーニング(TBSテレビ)
中村尚登 ニュースプラザ→土曜朝イチエンタ。堀尾正明+PLUS!「大宅映子の辛口コラム」(TBSラジオ)
情報ライブ ミヤネ屋(読売テレビ・水曜)
あまから問答(NET、現・テレビ朝日)
たけしのニッポンのミカタ!(テレビ東京)