プロフィール
1989年 大阪生まれ。幼少期は父親の仕事の関係で大阪、埼玉、東京にて過ごす。 小学校6年生からの4年間は父親の赴任に伴い中国(北京、上海)の現地校国際部に通う。父親の日本帰国に伴いICU高校へ入学し大学はICUへ進学。 ピースベルスカラー。卒業後は日本郵船に入社。
中国では道端で同じくらいの年の女の子がお金ちょうだいって死んだ目でかけよってくる。そういう経験をした上で、日本に帰国してからICUでの授業でも様々な課題に触れて、自分がそういう問題に関わっていきたいんだ、ということに気づかされました。
- 渡辺
- 今井さんは2012年に卒業されたばかりですよね。「今を輝く同窓生」ではこれまでで最もフレッシュな社会人インタビューとなります。社内ではまだ時間を融通しにくいかもしれないのに、ありがとうございます。今日は今井さんご自身のお話と今のICUのこともうかがえたらと思っています。よろしくお願いします。ちなみにわたしはIDが90なんですが、齋藤さんのIDは?
- 齋藤
- えっ?僕のIDは73ですけどね(笑)。 ところで、今井さんはピースベルスカラーなんですよね。僕はピースベルスカラーについて十分に理解していないんだけれど、選考方法ってどのような感じだったんですかね?入学する前に「あなた優秀な学生なので、ピースベルスカラーもらえるからぜひICUに入学してください」という感じだったのかな?
- 今井
- あ、そうではないですね。わたしはICU高校だったんですけど、大学をどういうところにしようか考えていたとき最初ICUに行くのはちょっと嫌で(笑)、ICU高校から見たICUってちょっとよくわからなくて森の中にあって、というイメージで…(笑)。
- 渡辺
- 場所も環境も変わらないですものね。
- 今井
- そうなんですよ。少しおもしろくないな、と思っていました。だけど、わたし昔中国に住んでいてボランティアとか貧困問題に興味があって、そういうことを勉強したいなと思っていたんですね。それでICUのパンフレットを見ていたときにサービスラーニングというものがあってすごくおもしろいな、と思ったんです。2年、3年とかけてそのプログラムに取り組めるということだったので、それにひかれて、ICUに行こうと決めました。しかしいざ行くとなると、サービスラーニングにもお金がかかるし寮にも入らなければいけない状況だったし、あとユネスコクラブというサークルに入って、休みのたびにNGOに訪問してボランティアして勉強させていただくという活動をしていたんですが、いろいろ計算してみるとお金がかかるな…と思いました。
- 渡辺
- NGOを訪問するのもすべて自費ということですよね?
- 今井
- そうですね。それでさあどうしようか…と思ったときに、普通はアルバイトをしようと考えますよね。でも、グローバルハウスという寮に入ってそこで海外からの留学生のサポートをしたり寮の運営にも関わったりしていきたいな、と考えていたので、あまりアルバイトに時間を割きたくないないと思いました。そんなときにたまたまピースベルスカラーシップの募集をしている紙を見つけて。それで自分のこれまでやってきたことをアピールしてください、ということだったので「よし、これは!」と思って応募させていただきました。
- 渡辺
- そして、ピースベルスカラーの一期生になられたんですね!その応募フォームにはどういうことを書かれたの?
- 今井
- なぜICUに行きたいかと、キリスト教に対する考え方と、ICUでどういうことがしたいかと、あとアピール欄だったんですけど、やりたいことは先程お伝えしたことを書きました。そしてアピール欄では、中国から帰って来てから日本で中国語を使う機会がなかったので、中国でこれまで何をしてきてこれからICUでは何をしたいかということを中国語で全て書かせていただきました。
- 齋藤
- 中国語で書くところはすごいね。
- 渡辺
- 中国にいらしていたのは小学校6年生からの4年間ですよね?
- 今井
- はい。高校に入学するまでの間ですね。
- 渡辺
- お生まれは大阪?
- 今井
- そうですね。父が京都で母が大阪出身なんですけど、大阪で生まれました。
- 齋藤
- へえ〜!ちなみに大阪のどこですか?
- 今井
- 天王寺です!
- 齋藤
- 僕は堺です。高校は天王寺にある星光学院でした。
- 渡辺
- お近くだったんですね!大阪から東京にいらしたのはお父様のお仕事の関係ですか?
- 今井
- そうですね。すべて父の転勤で、どこでも家族そろって行くというのが家の方針だったので一緒についていきました。
- 渡辺
- 差し支えなければ、お父様のお仕事を伺ってもよろしいですか?
- 今井
- 父は損保です。
- 渡辺
- なるほど、転勤の伴うお仕事ですよね。今井さんは小学校6年生12歳という年齢で、中国語はその時分からなかったわけですよね?
- 今井
- もう〜最初は本当に怖くて!人の見る目とか雰囲気とかも。すごく最初はいやでしたね。日本人学校に入るか現地校に入るかということを母から言われたときには反抗期もあって(笑)、絶対日本人学校なんて入ってやるもんかと思って現地校を選びました。そのあとはとても楽しかったんですけどね。
- 渡辺
- 中国のどちらだったんですか?
- 今井
- 北京と上海でしたね。
- 渡辺
- 現地校に入られて、雰囲気というか、中国の現地校はどんな感じでしたか?
- 今井
- わたしが入ったのが現地校の国際部でした。なので中国の現地の子はあまりいなく、香港や台湾、アメリカ系中国人や韓国人の方が多かったです。北京だと大使館のお子さんもたくさんいたので本当にいろんな国の方がいました。もう学校では、最初は何も分からなくニーハオしかわからない状況で(笑)。どうしようかと思っていたのですが、見よう見まねで毎日徹夜で勉強しなきゃ!と。自分で行くって選択をしたんだから頑張らなきゃ、と勉強していたら、小さかったからというのもあったと思うのですが一ヶ月もしたら全部何を言ってるかわかるようになりました。だから言語の面は大丈夫でしたね。
- 渡辺
- それはすごい!ちなみに北京だと何語?
- 今井
- マンダリンですね。
- 渡辺
- 北京と上海にはどのくらいいらっしゃったんですか?
- 今井
- 北京が一年で、上海が三年でした。
- 渡辺
- そのときも学校を移られたんですね。
- 今井
- はい。三回移りました。
- 渡辺
- 小学校六年生、中学と多感な時期を過ごされた中国は、今井さんの目にはどのように映りましたか?
- 今井
- そうですね…。昔から負けん気は強かったんですが、中国だと貧困が垣間見える瞬間がたくさんあって、だけど一方で活気あふれる人々がいて、そこで楽しんでいて…っていうのを見ていて、自分ももっとパワフルにならなきゃ、がんばらなきゃと思ったのは覚えています。今はビルもたくさんあって…という感じですが、当時はたくさん自転車が走っていて、レンガ造りの家がたくさんあって、わたしと同い年くらいの物乞いの女の子もいっぱいいて…。学校帰りにいくらわたしが汚い格好をしていても、お金ちょうだいって死んだ目でかけよってくる。最初はもうびっくりして、どうしようと思っていたんですが、そういうのを見た経験があるから日本に帰ってきてからもそういう問題に関わる道に行きたいなと思って、今に至りますね。
- 渡辺
- 貧困問題に対して何かできることはあるかな、という気持ちや問題意識が芽生えたのはその頃だったんですね?
- 今井
- そうですね。そのときもそうだし、日本に帰ってきてから「自分ってなんて恵まれてるんだろう」と思ったのと、ICUの授業で日頃からそういう様々な課題に触れることで「自分ってこういうことに実はすごい興味があるんだ」っていうのに気づいていったという感じですね。
自分が海外に行って中国の方にホストしてもらった経験があるので、そのときの不安な気持ちって留学生の方も同じように絶対あるだろうなと思ったんです。そこでわたしなら寮生活の中で留学生に何かしてあげられることが必ずある、と思いました。
- 渡辺
- そして帰国してからICU高校に入学なさるわけですが、それは今井さんのお気持ちですか?それともお父さんやお母さんのご意向ですか?
- 今井
- 父の本帰国が決まって、いろんなチョイスがあるねって両親と一緒に考えていて…。その中でICU高校が一番おもしろそうだったので、ここにしようとみんなで決めました。
- 齋藤
- それはどのようなところがおもしろいと思ったのですか?また他にはどういう選択肢があったのでしょうか。
- 今井
- 他の高校は同志社国際、慶應などいろいろあったのですが、緑あふれるキャンパスを魅力的にも感じたし、キリスト教ってどういうことなんだろう?と気になったのも理由の一つですね。あまりキリスト教に触れたことがなかったので。また帰国生がとっても多い学校と聞いて、いろんな意見が聞けるのかなとも思ってここにしようとICU高校に決めました。
- 渡辺
- そういえば、今井さんご兄弟は?
- 今井
- 三人兄弟で、わたしが長女で妹と弟がいます。
- 渡辺
- お姉ちゃまなんですね!負けん気が強いとおっしゃるのは、お小さい時からですか?
- 今井
- はい(笑)。しっかりしなきゃ…と!
- 渡辺
- 余談になりますけれど、ICUハイスクールって優秀ですよね。
- 齋藤
- 帰国子女が多いけど国内から入るのはもっと難しいらしいですよね。
- 渡辺
- 少し前に春香クリスティーンさんにインタビューしたときとても優秀だなぁ…という印象があって、そういえば彼女も一人で来日してICUハイに入学されたんですよね。
- 今井
- 周りの子たちはみんなすごい優秀でしたね…(笑)。
- 齋藤
- ICU高校からICUの大学に進む子は優秀という話はわたしも聞いたことがあります。
- 渡辺
- あれ?春香クリスティーンちゃんとはかぶっているのかな?
- 今井
- 面識はありませんがかぶっていました。
- 渡辺
- そうなんですね!ICUハイからICUに進むことを決められて、 グローバルハウスという寮には大学を目指しているときから行きたかったのですか?
- 今井
- はい、行きたいと思っていました。両親がまた中国に転勤することが決まっていたので、大学から一人暮らしするか、寮生活をするかの選択でした。それでICUのパンフレットで様々な寮を見ていたのですが、グローバルハウスが男女合計60名くらいで半分が留学生というのを見て、なんておもしろいんだろう…と!自分が海外に行って中国の方にホストしてもらった経験があるので、そのときの不安な気持ちって留学生の方も同じように絶対あるだろうなと思ったんです。そこでわたしなら何かしてあげられることが必ずある、と思いました。それと共に、留学しなくても日々が留学してるような感覚になれそうだな、と。勉強もしながら一石二鳥だなと思ったのが入りたかった理由ですね。
- 渡辺
- ちなみにお部屋は?
- 今井
- 部屋は1人部屋になっていて、4人で1つのキッチンとトイレとシャワールームを共有するような形です。シェアハウスメイトみたいな感じですかね。
- 渡辺
- 留学生の方とはどんな割合でシェアするの?
- 今井
- 4人の中に2人とか1人くらいです。九月入学生が混ざったりもしますね。
- 渡辺
- ワンイヤーの方もいらっしゃるわけですよね?ということは…えっと、シェアルームの、ルームメイトではなくて…。
- 今井
- ユニットメイトですね!
- 渡辺
- なるほど(笑)そのユニットメイトはどのくらいで交代するんですか?
- 今井
- ユニットメイトは、1年に1回9月に留学生が新しく来たり帰ってしまうときに交代します。ちなみに選び方はくじです(笑)
- 齋藤
- へえー!それは面白ね。
- 渡辺
- じゃあ、グローバルハウスに入りたいっていう人はどうやって選ばれるんですか?
- 今井
- えっとですね、寮で作られたアプライシートというものがあって、寮でどういうことがやりたいか、とか趣味を書くんです。あとは朝型か夜型か、など細かいことまで記入して、写真と一緒に提出しました。
- 渡辺
- なるほど。寮は男女どちらも入れるんですよね?
- 今井
- そうですね。1,2階が男子、3,4階が女子…ですね!
- 渡辺
- そうすると第二男子寮、第三女子寮、カナダハウス…とはまたちょっと違う空気ですよね?
- 今井
- 確かにそうですね…(笑)。
- 渡辺
- どこの男子寮とどこの女子寮が仲いいとかよくあるじゃないですか(笑)。でもそれがグローバルハウスだと…
- 今井
- その中でけっこう完結しちゃいますね(笑)。
- 渡辺
- カップルになったり?
- 今井
- ありますね〜。やっぱり。
- 齋藤
- やっぱり(笑)。
- 今井
- 結婚されて、お子さんが生まれた方とかもいらっしゃいますよ。
- 渡辺
- おめでとうございます!(笑)でも、留学生が半分だとウェルカムパーティとかフェアウェルパーティも多いでしょうけれど、その分さみしい面もあったりするのかな?
- 今井
- そうですね。さみしいという気持ちもあるんですが、毎回誰かが来て、入れ替わって、の繰り返しなので楽しいときの方が多いかもしれません。
- 渡辺
- 今井さんご自身も経験なさったと思うのですが、留学はわくわくする面もありながら心細い面もありますよね。今井さんとしては留学生に対して 校内を案内したりとか、どんなサポートしていたのですか?
- 今井
- もちろん案内もするんですけど、自転車を買いに行くとか、三鷹市役所に住民票を届けに行くとか、両替したいときとか…生活に関わること全てを教えてあげるような感じでしたね。
- 渡辺
- そうするとグローバルハウスの中で話すのは日本語と英語半々くらい?
- 今井
- そうですね…。全然喋れない子もいっぱいいるので、基本的には留学生がいるときは英語ですね。
- 齋藤
- なるほど。それは英語が出来るようになるね。
- 渡辺
- 今井さんは日本語で育って、中国語ができるようになって、英語も学んだということは3ヶ国語を話せるんですね!
- 今井
- 英語はですね中国であまりやってなくて日本の高校にもどってきてからやりました。正直自信はないです…(笑)。
- 齋藤
- ちなみに寮にはどれくらいおられたんですか?
- 今井
- 4年間いました。
- 齋藤
- 4年間ずっと!それは一人暮らしか寮という選択肢しかなかったから?
- 今井
- はい。
- 齋藤
- よく聞くのが、「2年間はよくわからないし、友達もできるし寮もいいけど、3、4年生になると一人暮らししたくなる」っていうことなんですけれども、そういう発想にはならなかったんですか?
- 今井
- あ〜!まったくそういう考えはなかったですね。グローバルハウスって恵まれてることに一人部屋なんですよ。なので自分のプライバシーもあるし部屋を出ればみんながいるっていう環境だったので、あまり一人暮らしには憧れなかったですね。
- 渡辺
- 3、4年になると一人暮らししたくなるというのは、1人の時間もほしいって意味でですよね?
- 齋藤
- 他の寮って2人部屋なんだよね。あと都内の企業のインターンなんかする場合は三鷹はちょっと遠いかも。
- 蒲田
- (今回のインタビューの編集担当でフォアサイトでインターン中)、私は8時に出社するために、今日は6時起きでした(笑)
- 齋藤
- でも一人部屋というのは重要なのかもしれないね。寮費は他より高いんだっけ?
- 今井
- 他の新しい寮とかとはあまり変わらなかったような気がします。
勉強の面だと、ICUだと自由になんでも授業を選択できる上に周りのみんなも同じようにモチベーションが高いから、『勉強する』というスタンスが他の大学に比べて違うな、と感じることはありました。ICUではちゃんと勉強できたな、と思えるのが一番の自慢ですね。
- 渡辺
- 今のICUは以前のように一学部五学科ではないんですよね?こういう話もパンフレットで見るよりここでは実体験を直接うかがってみたいと思ったのだけど、どのようになっているんですか?
- 今井
- えーと、教養学部アーツサイエンス学科で、その下に自分で3年生になったらメジャー、ダブルメジャー、マイナーなどが選べるようになってますね。
- 渡辺
- みんながアーツサイエンス学科ということですね?
- 今井
- そうですね。昔とあまり変わらないというのは先輩に聞いたんですけど、自由になんでも選択できますよ、というような制度でした。
- 齋藤
- 昔は五学科あって、一度そこに入ると転科しない限りそこにいることになるんだよね。今は最初の2年間で自分の適性を見て、もっとフレキシブルになって専門を選べるようになったということではないかな。これがリベラルアーツのいいところなんですよね。いつごろ今の制度に変わったんだっけね?
- 今井
- えっと、わたしが入学したときに変わりました。
- 齋藤
- ということは7年前か。
- 渡辺
- わたしたちのときは、ヒューマニティーズとかナチュラルサイエンスとか別れているけれど、ヒューマニティーズの中にはアーツもあるし哲学もあるし文学もある。先輩方には、いろいろやりたくなって、結果とっ散らかってまとまらなくなることに気をつけて!なんて言われてたんですよね。分科していたときでさえも(笑)。今だとみんながアーツサイエンスに入って、広過ぎる感じはしないですか?例えば今井さんはどんな風に授業をとっていたの?必須の講義はあるのですよね?
- 今井
- ありましたね。ELP(現ELA)とかはマストでしたね。
- 渡辺
- あとIntroduction to Christianityとかも?
- 今井
- あ、そうです!そういう必須の講義の他に興味があるものを1年生の終わりころからだんだんとれるようになっていきました。それで好きな授業をとっていって、気づいたらメジャーが決まってたみたいな…わたしの場合はそんな感じでしたね。
- 渡辺
- 好きな授業のその履歴が、メジャーにつながっていくわけですね?
- 今井
- はい。
- 齋藤
- これからICUを受けようと思っている人たちもこのインタビューを見ると思うんだけど、勉強や学生生活で、他の大学の友達と比べてこういうところがICUは恵まれてるな、とかおもしろいな、とか思ったことはある?
- 今井
- 勉強の面だと、ICUは自由になんでも授業を選択できる上に周りのみんなも同じようにモチベーションが高いから、「勉強する」というスタンスが他の大学に比べて違うな、と感じることはありました。流されない人は流されないんでしょうけど、やっぱりサークル漬けになってしまう友達とかもいたので、ICUではちゃんと勉強できたな、と思えるのが一番の自慢ですね。
- 渡辺
- 授業はおもしろかったですか?
- 今井
- おもしろかったですね。実際会社に入ってからはおっしゃっていたとおり暗記が多い世界なんだな、ということは実感しました。ICUって1クラスの生徒数も少ないからディスカッションしましょうっていう授業がほぼ全てなんですよね。テストもエッセイとかが多いし、大変だけれど調べて自分の意見をどんどん書いて発信していけるのはすごい楽しかったです。その経験は今会社に入ってからもすごい役立ってるな、と感じています。会社って「なんでこうなるんだろう?」ということが問われることが多くて、ICUではそういうことを考えることが多かったので、案件がきたときに「どうしてだろう?」と調べていく基礎能力がICUでは鍛えられたな、と思います。
- 渡辺
- 斎藤さんも実感されていると思うんですが、マスコミに行った場合のリサーチとか取材という作業はICUの場合、大学でのエッセイなどですでに基礎を学べる面がありますよね、マスコミの先輩方もおっしゃっていますけれど。学問の分野やメーカーなどに行ってからの研究、開発という面も調べて積み上げていく力は大学で鍛えられているかと。
- 齋藤
- そうだね。そう言えば、ぼくの卒業論文はメキシコで日系企業における日本人幹部とメキシコ人幹部のコミュニケーションがテーマでした。インタビューはもちろん、アンケートを取ったりその結果を分析したりしていたのですけど、これもICUでの学びでしたね。
- 今井
- それもやらされている感じではなくて、好奇心というか、探求していきたいなと思ってやることができているので、そのおもしろさをICUで学んだと思います。
- 渡辺
- そういえばハーバードの白熱教室が流行ってから感じたのですが、そのネーミングがつく前からICUの学生たちは白熱教室を体験していたなぁ〜と。そのまま議論好きな自分を持て余す面もありますけど(笑)。わたしたち卒業生は、眞子様が入学なさるとうかがった時から陰ながらお祝い申し上げる思いでいましたが、今井さんはその頃、在学中ですよね?
- 今井
- 在学しています。
- 渡辺
- 在校生としてはびっくりしましたか?
- 今井
- しましたね。特に留学生が!(笑)わたしは直接関わったことはないんですが、ばか山とかを歩いていても声をかけられるとかそういうこともなく、授業も同じように会話したり受けられたりしていたと思います。ICUって雰囲気がウェルカムじゃないですか。人のことをあまり気にしないというか、いろんな人がいて当たり前だというスタンスなので、きっと眞子様も楽しまれていたんじゃないかな?と思いますね。
- 渡辺
- みんながアーツサイエンス学科ということですね?
- 蒲田
- わたしの友人は一緒にグループワークをやっていたり、新D館にいらっしゃったりもしていましたね。
- 渡辺
- 当たり前ですけれど…良かった!佳子様も来年4月からICU生になられますが、あのキャンパスでは、誰もが学生としての本分を尽くして学生生活を満喫できるよう守っていくのが大学の使命。同窓会としてもそのお手伝いができればと心から願います。
NGOとか国連とか行かなくても、社会に出て企業で働いても人の役に立つ仕事があるんだ、と思って、この会社がいいなと思いました。今は自分らしくいきいきと働けていると思います。
- 齋藤
- 勉強以外の学校生活はどんな感じだったんですか?ICUの生活というか、このユネスコクラブの活動だとか。自己紹介文を読むと、趣味が野球観戦やバレエ鑑賞ということなんですが、自分でスポーツをやるとかよりは見るのがお好きなんですか?
- 今井
- スポーツは不得意ですね(笑)。
- 渡辺
- できそうに見えるのに!
- 今井
- 全然できないですね(笑)。叔父が野球選手だったので、野球観戦が好きなんです。あとバレエは自分で幼稚園から高校までずっとやっていたので好きですね。
- 齋藤
- それはすごい!
- 渡辺
- 叔父様は日本のプロ野球でご活躍されているんですか?
- 今井
- 今は二軍のコーチをしてます。
- 渡辺
- ちなみにお名前をお聞きしてもいいですか…?
- 今井
- 中継ぎの選手だったんですけど、久保康生といいます。
- 齋藤
- ぼくは野球選手にも疎いのですけど、もともとはどこの選手だったんですか?
- 今井
- 近鉄に入団して、阪神、近鉄等、、、今は阪神に戻って…という感じですね。
- 齋藤
- 中継ぎということはピッチャーなんですね。
- 今井
- 今年クライマックスシリーズ優勝したんですよ阪神!(笑)
- 渡辺
- 大興奮ですね(笑)。
- 齋藤
- 大阪の子ですもんね〜。ぼくは巨人だったけどね(笑)。
- 今井
- えー!
- 齋藤
- ほら、ぼくが子ども頃は、川上哲治の赤バットとかに憧れた時代なんです。
- 渡辺
- あ、これうかがおうと思ってたんですけど、今までインタビューを受けてくださった方々は自己申告ではかなり成績が悪かったとおっしゃるんです。
Aをとったことがないとか。今井さんはICUでの成績はどんな感じでしたか?
- 今井
- おそらく普通ですね…。
- 渡辺
- 授業は大変でした?
- 今井
- 授業というか、エッセイが大変でした。いっきに期末テストとかがくると量が半端じゃないので…。エッセイって答えが一つじゃないから、書きたければいくらでもかけるという中で、いかにしぼっていくかという作業をしなくちゃならないので、楽しいけどまとめるときがすごい大変でした。
- 齋藤
- ピースベルスカラーには1年生のときに選ばれて4年間もらうんですよね?成績が良くなきゃだめですよ、とかそういうことは言われなかったの?
- 今井
- えーと、言われないんですけど、もちろん気になりますね…。一年に一回支援していただいてる方に報告書を書くんです。どんな活動をしてきたのか、とかを書くんですけど、そのたびに「あー、みなさんが持ってくれている期待値をICUで実現できているのかな?」というのはすごく思うので、成績もそうだし、他にもどういうことで貢献できるのか?ということはすごく考えていました。
- 齋藤
- なるほどなるほど。でもそれって重要だよね。みなさん成績がいいということは聞くので、みなさん今井さんのように意識を持ってがんばっているんでしょうね。
- 蒲田
- 今井さんが言われた普通のレベルは、かなり高いレベルなんだと思います。
- 齋藤
- ぼくは成績は悪かった(笑)。オールAなんてほとんど無理だよね、きっと。後輩では1人しか知らないね。
- 渡辺
- そうやって4年間過ごされて、どうして郵船に就職なさったのかということもお聞きしたいですのですが。
- 今井
- えっと…、大学院に進むか社会人になるかでけっこう迷ったんです。でも大学院に入るのっていつでもできるな、と思って。そして父が日系の企業だったんですけど、海外に駐在しているときの姿を見ていて、海外と日本の架け橋となるってどういうことなんだろうと思ったり、父がどんな気持ちで働いていたのかということも知りたいと思ったので、日系企業で社会人になろうと決めました。架け橋になりたい、というのと、社会を陰ながら支える仕事がいいな、という気持ちがあっていろいろと会社を見ていたらこの会社に出会いました。そして説明を聞いていて、一見地味なのに大きなフィールドで活躍している社員の方がかっこいい…!と感銘を受けたので、受けましたね。
- 渡辺
- 船っていう大きなフィールドに惹かれたのですね。
- 齋藤
- なんで飛行機はちゃうねん、という感じですけどね(笑)。
- 今井
- (笑)。決まり文句のようなものなんですけど、「日本に運ばれてくるものは重量ベースだと、99.7%は船。」というのと、「自分たちの仕事が途絶えてしまうと日本は食べていけないんだ」ということを社員の方がおっしゃっていたんです。そこで、NGOとか国連とか行かなくても、社会に出て企業で働いても人の役に立つ仕事があるんだ、と思って、この会社がいいなと思いました。確かに商社とも迷ったんですけど、選考を受けていく中でいろんな女性の方と会話をして、日本郵船は女性が長く働いていけるような環境も整っていて、女性も活躍ができるというお話を聞いていたので、最終的に今の会社に決めましたね。
- 齋藤
- ちなみに何社くらい受けたんですか?
- 今井
- わたしは商社と船会社とメーカー一社だけ受けました。
- 齋藤
- なるほど。TVなんかでは、就活の時にはたくさんの会社を受けると聞いていたのですけど、今井さんの場合は少なかったんですね。
- 渡辺
- お父様とは就職の話はなさったのですか?
- 今井
- しましたね。いざ自分が就職活動をするとなると今度は社会人として働く父にいろいろ聞きたいなと思い、都度都度いろんな相談をしていました。
- 渡辺
- どんな風におっしゃってましたか?
- 今井
- わたしが行きたかった会社だったのですごく喜んでくれましたね。やりたいことをやりなさい、と言ってくれました。
- 渡辺
- よかったですね。そして今が3年目ですよね。どうですか?社会に出てみて。
- 今井
- そうですね…。最初は、ICUにいると上下関係があまりないじゃないですか。だからそこにまずびっくりしました。あとあんまりみんな自分の意見を言わないんですよね。いろんな人の顔をうかがっていて。それが全くわからなかったので、ずばずば言ってたら怖いと言われてしまったこともありました(笑)。だから自分自身を変えなきゃいけないのかな?とはすごい悩みました。見渡しても日本人ばっかりだし、同じような服を着ている同じような人しかいなくて…。自分だけすごい浮いているような気分だったんですけど、3年もしたら慣れてきて「わたしはわたしでいいんだ」となれました。
- 齋藤
- 週間ダイヤモンド【2014年10月18日号】の中で「使える・使えない大学ランキング」という特集であったんです。ICUの評価は全体的に結構高いのですけど、「使えるグローバル人材輩出大学」というところでは2位の上智大学と比べて、ICUがダントツの1位だったのです。ICUを出た人ってあまり組織に混じらないというんだけど、まあ真理ちゃん的に言うと群れない、みたいな…。でもそれって結局、自分らしさを主張しているっていうことなんだよね。そういうとことはすごくいいな、と思います。僕はBBT大学の学部とか大学院で教授をしているんだけど、いろんな学生の話を聞いてると、やっぱり多くの人は企業に入ると「あまり周りと違うことを言ってはいけないんだ」、と自分を変えていってしまうみたい。ぼくは、むしろせっかく良い考え方や能力をもっているのに、まわりの経験則みたいなものに迎合していくから日本の企業の競争力がなくなってしまっているとも僕は思ってるのね。だからICUで培った「自分らしさを出す」という姿勢はすばらしいと思うし、それを貫いてほしいなと思います。
- 渡辺
- なるほど。今井さんが「自分は自分でいいんだ」と思えるようになったのは、いつ頃ですか?
- 今井
- 研修が半年間あるんですけど、研修が終わった頃には吹っ切れていました(笑)。
- 渡辺
- わたしも最初はびっくりした記憶があります…。みんな毎日きれいな格好しているし。
- 今井
- そう、お化粧しなきゃいけない!って(笑)。
- 渡辺
- わたしの場合、スニーカーじゃだめなんだろうか?だめですよね…というところからして辛かったんだけど、社会人としての形、恰好をICU卒はまず窮屈に感じてしまう面がありますよね。実際、今だに馴れませんが。
ICUで学べることを精一杯学んで好きなことをして、それが就職とか社会人になってから活かせていると思うので、一生懸命学んで楽しんでがんばってほしいと思っています。
- 渡辺
- あとお聞きしたいのは、授業制度や寮の形のほかにも、キャンパスの施設もいろいろと変わりましたよね。図書館が広くなったり、学食がきれいになったり…。そういった施設の使い勝手はどうですか?
- 今井
- すごく緑も豊かだし、図書館にいけば絶対どこかしら席が空いていて、いろんな本も見れるし、すごく恵まれてると感じますね。
- 蒲田
- ICUの図書館の蔵書量ってすごく多い上に珍しい本もたくさん置いてあるというお話も聞いたことがあります。 ちょっと調べたのですけど、朝日新聞出版の大学ランキング2015年版によると、蔵書数では77万冊ほどあるようですが、大学図書館の指数評価ベースでは1位の一橋大学に続いてICUは2位でした。3位は京都大学なので、結構充実している図書館と言えそうです。
- 齋藤
- それはすごいね!大したもんだ。
- 渡辺
- 卒業してICUを外から見るようになって、施設も授業でも「もっとこうだったら」と思う点はありますか?
- 今井
- うーん…。
- 齋藤
- 考えなければ改善点が出てこないってすごい(笑)。
- 今井
- 強いて言うならば、他言語での授業があってもいいかもと思いますね。
- 渡辺
- 学食は?
- 今井
- おいしかったですね!寮生としては忙しいときとか本当に助かりました。
- 渡辺
- それでは最後に、卒業して3年、フレッシュな先輩として今ICUで勉強している後輩やICUを目指そうと思っている高校生や中学生の方にメッセージをお願いします。
- 今井
- 社会人になったら時間もないですし、自分のやりたい好きなことを一日使ってやる、ということが難しくなってしまうんです。なので、ICUで学べることは精一杯学んで好きなことをして、それが就職とか社会人になってから活かせていると思うから、一生懸命学んで楽しんでがんばってほしいと思っています。
プロフィール
今井 美佐(いまい みさ)
1989年 大阪生まれ。幼少期は父親の仕事の関係で大阪、埼玉、東京にて過ごす。 小学校6年生からの4年間は父親の赴任に伴い中国(北京、上海)の現地校国際部に通う。父の本帰国に伴いICUHSへ入学、大学はICUへ進学。 大学時代はグローバルハウスに入寮、またユネスコクラブに所属。ICU PEACE BELL奨学生第1期生として2012年に卒業。 卒業後は日本郵船に入社、半年間の研修の後、財務グループプロジェクトファイナンスチームに配属。 仕事内容は客船や飛行機等のリース契約、LNG、海洋事業案件のプロジェクトファイナンス組成、JV案件のファイナンス組成。趣味は海外旅行、野球観戦、バレエ鑑賞