INTERVIEWS

第43回 松崎 薫

映画プロデューサー 

プロフィール

松崎 薫(まつざき かおる)
国際基督教大学コミュニケーション学科卒業。SONYに入社後、フジテレビに転勤。現在、映画部にてプロデューサーを務める。「そして、父になる」でエランドール賞映画部門プロデューサー賞受賞。
エランドール賞を受賞。ビックリして、狼狽えちゃいました。
渡辺
エランドール賞、おめでとうございます!
齋藤
松崎さんの業界を良く存じないので、賞の重みが分かりませんが、きっと、素晴らしい名誉なのでしょうね。
渡辺
受賞のお知らせはどんなかたちで?
松崎
私に直接ではなく、会社経由で知りました。昨年同じ部のプロデューサーが奨励賞を取っていたので、賞の存在は知っていました。ただ、賞には縁のない人生を送ってきたせいか、その賞がどんなものかもよく認識しておらず、連絡を受けて「はぁ」と思っていたら、お花が届いたり電報が届いたり、電話が沢山かかってきたり、「ん?思っていたよりたいへんなこと?」と。それで、実際に授賞式で行ったら、ものすごい立派な授賞式で、狼狽えてしまいました。
渡辺
そういえば、中継で見ていましたが、カンヌでも普通にというか、何でもない事のように映ってらっしゃいましたよね。(笑)(「そして、父になる」がカンヌで審査員特別賞を受賞)


「2013年カンヌ国際映画祭での「そして父になる」上映後」

松崎
受賞したのは私ではなく監督ですからね。
齋藤
その受賞されたエランドール賞は国際的なものなのですか?
松崎
いえ、日本映画テレビプロデューサー協会という団体があって、そこが選定するものです。会員のプロデューサーの方の投票で決まると聞きました。おそらく「このプロジェクトはプロデューサーたいへんだったろうな」と想像して、「労をねぎらう」という意味でくださったのでは、と想像しています。映画的な評価という意味では、先ほど出た、カンヌの審査員特別賞の方が、重みはあるとおもいます。
齋藤
エランドール賞は一つの作品に対して、というより、プロデューサー個人の積み重ねに対しての評価なのですか?
松崎
個人の積み重ねに対してというよりは、対象作品のプロデューサーという役割に対してかと。
齋藤
それはたいしたものですね。僕は大阪人なので、あの人を「選んどーる」?それギャグとちゃうん?と、あほなことを思ってしまうんですけどね(笑)。

以前、「今を輝く同窓生たち」で、奈良橋さんにインタビューを受けて頂きましたが、彼女も確かプロデューサーですよね。

松崎
奈良橋さんは国際的な方です。日本人が出演する共同製作のキャスティングをよくなさってますし、昨年公開の「終戦のエンペラー」はプロデュースをなさってましたね。
齋藤
同じプロデューサーでも、松崎さんはどんな方かな、と経歴を拝見すると、テルマエロマエも担当されていたのですね。あの映画は面白かったですね。
松崎
そうですか、それはありがとうございます。
齋藤
ローマ市民が過去に飛んで行って、それも異国の地に行くっていうそういう設定が好きでしたね。その行く先が日本で、銭湯がでてくるでしょう。これがまたいいじゃないですか。シャワートイレが出てくるのも面白い。今もう二作目ができたのでしょうか。
渡辺
やっぱりヒットには理由があるんですね。
松崎
私は、今回は関与していませんが、この4月に二作目が公開されます。一作目の時も、サポートで入ったのでメインのプロデューサーではなかったんです。
実は、全然テレビを観ないんです。テレビをつける習慣がなく、目的がないと見ないので、録画してあるドラマを週に二本ぐらい見るぐらい。だから、フジテレビに出向して編成の仕事に就いた時は、本当に大変でした。
渡辺
薫さんはプロデューサーになられて何年くらいになるんですか?
松崎
どうでしょう。ちょっと調べなきゃ(笑)。でも、映画部では当初は洋画担当で、「ロスト・イン・トランスレーション」や「2046」などを担当しており、「大奥」から邦画担当になったんですよ。
渡辺
そうだったんですね。初めからプロデューサーだったわけではないとすると、SONYからいらした後まずは?
松崎
そうですね。2000年にSONYからフジテレビに出向してきて、まずは編成に3年おりました。SONY時代の最後に、スカパーで’VaioNet’というチャンネルの編成をやっていたこともありますが、いろんなご縁があり、フジテレビに出向してもう少し勉強してこいということになったんです。正直、私は全然テレビを見ないので困ったなと。で、実際かなりたいへんな思いをしました。
渡辺
私もそんなにテレビは見ないんですが、薫さんはどのくらい見ないんですか?
松崎
まず、朝テレビをつける習慣がないんですよ。ただ、ドラマは好きなので、毎シーズン、何本か選んで観ますが。
渡辺
狙い撃ちで見ていらっしゃるんですね。それはずっとなんですか?
松崎
はい。リアルタイムではなく録画ですけどね。「これが観たい」と目的を持って観ます。大学時代は第四女子寮にいまして、寮でテレビのない生活に慣れちゃったんですね。子どもの頃も、ちょうどテレビを観たい小学校高学年から中学生まで海外にいたせいか、テレビが観れない。だから、昔から見る習慣がなくて。
齋藤
僕はフジテレビの「めざましテレビ」がお気に入りで、朝起きるとずっとつけていますよ。じゃんけんもやっていますし、あの番組のチームは凄くいいと思っています。
松崎
ありがとうございます。
齋藤
朝が早いので、いつも4時台の “今からお目覚めの方も今からお休みの方も”というところから見ている訳ですから。
渡辺
そんなにテレビに熱中なさらない斎藤さんが、めざましテレビがお好きな理由はどんなところなんですか?明るいところ?
齋藤
明るい。それからね、あの女性達がね、あの子たちはいいなー(笑)。
渡辺
なるほど〜。じゃあ卒業しちゃう時なんかは悲しいんですか。
齋藤
うん。ちょっと悲しいな。でもちゃんと次の子が出てきてくれる訳。お天気姉さんの美郷ちゃんなんかは、人気ナンバーワンでしょ。
渡辺
ますます、なるほど〜。狙い通りになっている素晴らしい番組ですね(笑)。
齋藤
絶対そうですよ。それとね、めざましじゃんけんも、企画として面白い。商品は初期の自動車などから、カップラーメン50人などにグレードダウンしていますが、当選数を増やして参加意欲をそそっているのでしょうね。
松崎
え、じゃんけんしてどうするんですか?
齋藤
データ放送で、リモコンでじゃんけんするんですが、勝ち負けに応じて点数が溜まっていくんです。今は、合計点数が100点を超え、かつ、翌週に放送中で言われるキーワードを聞いたら、ネットで応募できるんですよ。まあ、僕は申し込んだことないですけど。
松崎
ありがとうございます。こんなに素晴らしい視聴者の方がいらして嬉しいです。
齋藤
これは、なかなか皆の気持ちを掴むところがあって、じゃんけんをやると毎日見たくなるんですよ。やっているのが楽しい訳です。また、毎日見ているとパターンがわかってきて、お天気姉さんは、グーを出すことが多いから、また、パーで勝っちゃった、と喜べたりね。
渡辺
視聴者参加型の、典型的な成功例ですね〜。
齋藤
いや、この頃凄いよ。アンケートも取っていますから。例えば、あるテーマについて、皆さんどう思われますか、YES/NOを聞く。すると、すぐに、78%の人達がこのことにYESと言っていますね、と結果がリアルタイムで出てくる。これはデータ的にも面白い。世の中にアンケート結果が存在していないようなテーマについてタイムリーに質問できるでしょう。だからあれ、なかなか賢い人が企画していると思っているんですよ。
渡辺
いやー、斎藤さんは素晴らしい視聴者です。
松崎
今のご説明のおかげで私も人に説明できるようになります。
渡辺
アナウンサーの入れ替わりも確かに上手ですよね。家族のようになっているので、高島彩ちゃんが卒業しちゃうのはすっごく淋しい、でも庄野さんとカトパンちゃんが来た!という演出がありますしね。
齋藤
そうそう、めざましテレビ自体が家族のようなもので、メンバーがころころ変わっていく。
渡辺
夜だからご覧になっていないかもしれませんが、特番で同窓会をやっていましたよ。これまでのメンバーが総集合でしたから、嬉しいというかアドレナリンでただろうな〜。
齋藤
それは嬉しいですね。その場に僕がおれたらもっと嬉しいと思うけどね(笑)。
渡辺
そうか、そういうことなのですね。フジテレビさん、さすがです。
齋藤
あれは、なかなかたいしたものだと思いますよ。
テレビに比べて、映画はターゲットが絞られているので、取り組みは絞りやすい。ただ、初めに立てた戦略が正しいのかは、正直分からなくて、結果論になってしまうんです。
渡辺
で、映画に話を戻すと、映画はもっと戦略的に制作されているものではないのですか?テレビも戦略は立てますが、デイリーは特に今日明日に追われやすい面があります。でも映画となるともっと中長期的に綿密に企画されますよね?
松崎
テレビ番組はマスを相手にしていますが、映画はもうちょっとターゲット顧客を絞れると考えています。ただ、マーケティングにおいてはどのような戦略が本当に正しいかって、分からないんですよね。
渡辺
プロデューサーでも?
松崎
分かりませんね。例えば「テルマエロマエ」や、今回の「そして父になる」に関しても、この層をコアターゲットにしていきましょう、と一応設定はします。それに合わせて宣伝プランなどは作りますが、正直、公開前にそれが正しいのかはわかりません。信じて突き進むしかない、という感じです。結果が出ても、振りかえって分析しますが、本当に正しかったどうかは分からないことが多いですね。
渡辺
テレビは、デイリー、ウィークリーのOAだと自転車操業になっていきがちで、こういう狙いでやっていこうと始めた企画やコーナーも、まぁ良かったときはそのまま行けるとこまで、駄目だった時もあまり分析せずに終わっていくという感じもあります。そんな人手もないし。映画は、終わった後になんでもうちょっと伸びなかったのかなど分析は密になさるのですか?
松崎
一応しますよ(笑)。担当者は、しまった!と、途中で感じながらも、もう修正できない、みたいなこともありますから。終わってから反省したり、は頻繁です。
渡辺
それはお客さんの反応などで?
松崎
そうですね。そういうこともありますね。公開前に番組で取り上げてもらおうと思って宣伝イベントを打ちますが、面白がって話題にしてくると思って考えたイベントなのに、実際の関心は低かった、とか。具体的にはメディアがどういう風に取り上げてくれるか、はバロメーターになります。翌日のスポーツ新聞や、各局のテレビ番組で何分使ってくれたとか。内容も、多様性を持って扱ってもらえれば、それだけ広く伝わりますよね。そうすると、あー上手くいったかなって思いますが、たまたま発言した役者の映画と全く関係ない発言ばかりが取り上げられたりすると、結果、あんまりアピールに繋がらなかったかなと反省したり。
齋藤
「今を輝く」を読む人にとっては、プロデューサーの仕事はなじみがないと思いますが、実際どんなことをなさるのですか?僕自身も、最初はどんな仕事かイメージが湧きませんでした。就職の案内を見ると、全体を取り仕切る人のように見えるけど、その全体を取り仕切る人ってなんやねん、みたいなね。お金を調達する、キャスティングする、宣伝広告する、他に何があるのでしょう。
松崎
斎藤さんが今おっしゃった感じですよ。トータルでウォッチするというか調整するというか。
齋藤
それは最初の企画からスタートするのですか。
松崎
そうですね。自分で企画してそれが成立する場合もあるし、会社にいるので上から作品を任されることもあります。プロデューサーでも、クリエイティブ寄りというか、作ることに非常な情熱を注ぐ人もいれば、作品作り以上にマーケティング、宣伝まで興味があって、そちらに力を注ぐタイプもいます。色々ですね。
齋藤
松崎さんはどちらですか。
松崎
う〜ん、私はどちらかというと後者でしょうか。作家性の強い監督が好きなので、作るのは監督に任せて、作ったものをどういう風に展開するかを考えることのほうが多いですね。ただ最初の企画のパッケージ感(企画とキャスト、監督の組み合わせ)については非常に気にしています。
齋藤
マーケティングで上手くいったぞ、っていう映画は何かありますか。
松崎
大昔の「大奥」はスポットCMを何パターンもつくり展開してそこそこうまくいったように思います。「劔岳ー点の記」は木村大作という監督のキャラクターをうまく電波にのせて話題にできたように記憶してます。「そして父になる」は、宣伝がとても上手くいったといわれました。ある記事では、カンヌでの成功を最大限宣伝に利用したって書かれてました。確かに、カンヌで受賞したことが作品の認知度をあげて大きなきっかけになったことは確かで、ただ、そこから公開まで時間があったので、その熱を冷まさずにキープすることに注力しました。これもラッキーだったのですが、スピルバーグによるリメイクの話題など、いいトピックがいいタイミングに出せたので、実は宣伝がうまくいったというよりは運が良かったとも言えます。
どうしてICUに行ったのか。良く覚えていないんです。知り合いがICUに行っていたことでICUを知って、受験勉強してなかったのでICUの試験ならなんとかなる、と思って。大学を見学に行って、桜並木などを見たら、素敵!って。
齋藤
プロデューサーの仕事について伺ったところで、ちょっと遡って、どんなふうに育たれて、今につながっているのかを伺いたいと思います。生まれ育ちはどちらですか?
松崎
出身は静岡の三島市で、父の仕事の都合で、小学校5年生から中学2年生まで、東南アジアのタイで育ちました。当時は、日本経済が伸び盛りで東南アジアに日本企業が積極的に進出していて、タイかシンガポールの日本人学校が一番大きかった頃です。
齋藤
小学校5年生で海外生活というのは、どんな感じでしたか?
松崎
のんびりとして楽しかったですよ。最近もタイは政情不安ですが、その頃も軍事クーデターとかありましたね。休校になって嬉しくて、屋上から戦車が走る道路を呑気にながめたりしていました。
渡辺
なるほど!タイ自体の良さもありました?現地で英語やタイ語が上達したりとか。
松崎
いえ。語学のセンスがないみたいです。タイ語の時間が一週間に一回ありましたが、全く習得はしませんでした。英語に関していえば、ICUに入って思ったのは、タイに滞在中に日本人学校でなくインター(ナショナルスクール)に行っておけば良かったなって。
渡辺
中学2年生でタイから戻ってらして、その後はどうされたんですか。
松崎
また、静岡に戻って中学校に入りました。真っ黒に日焼けして帰ってきたので、“タイ人が転校してきた“と他のクラスの子たちが見物に来ましたよ(笑)。
渡辺
ずっと静岡だったんですね。で、どうしてICUを選ばれたんですか?
齋藤
確かに、三島の公立高校からICUにいらっしゃるのは珍しいでしょうね。僕は今、自宅が静岡県にあって、19年間住んでいるので、良くわかります。
松崎
はい。三島北高校という女子校に行っていました。韮山高校という進学校の選択肢もありましたが、制服が可愛くなかったので…。
渡辺
そこ、薫さんらしい!薫さんって独特のすっごく良いセンスをお持ちなんですよね。個性的で他の方とは違って、私は大好きなんです。正直、目立たれたんじゃないですか?
松崎
いずれにしても制服ですから、個性ってこともないんですけど、とにかく韮山高校はブレザーで、私は似合わないんですよ。一方、北高はセーラー服でとても可愛かったんです。聖心もありましたが、ちょっと遠かったんですよね。

ICUを選んだ理由でしたよね。とにかく受験勉強をしない学生で、高校時代の悩みは「受験勉強に集中できないこと」でした。大学の希望も定まっていなくて。そんな時、バンコク時代の同窓会のような集まりがあって、同級生のお姉さんがICUに行っているというお話を聞きICUってなんだろう?と思ったのがきっかけでした。あれ、でもなぜICUを選んだのか、覚えていませんね。

渡辺
実際、私たちの頃はICUは全くポピュラーじゃありませんでしたよね。同じセクションの子が地元で「ICUに行く」って言ったら、「就職するの?」って聞かれたって。(笑)
松崎
おそらく、行きたい大学がなかったんですよ。“慶応に行きたい!”とか、スペシャルな思い入れがなくて、決めかねていたんです。私は共通一次世代ですが、模試を受けても点数は悪いし。そんな時、ICUを知って、「受験勉強と関係ない試験」ということを知って、これならなんとかなるかも!ってまず思いました。次に、大学を見に行きますよね。そうすると、やっぱり、あの桜並木に魅了されちゃったんです。素敵!と思いました。
齋藤
学科はどちらでしたか。
松崎
ランゲです。でも、なぜだったかはもう覚えていません。
齋藤
ランゲの中の何でしたか。
松崎
斎藤美津子先生のコミュニケーション!ほんと、勉強ほとんどしてませんでした。でも、チョムスキーやら、コージブスキーやら、今から考えると、もう少し勉強したら面白かっただろうに、と。
齋藤
僕と一緒ですね。僕は美津子先生には大変良くして頂きましたよ。懐かしいな。
渡辺
ICUはどんな感じでしたか。楽しかったですか。
松崎
楽しかったですね。特に何かをしてたわけではないのですが、ま、青春ってことでしょうか。
齋藤
第四女子寮ですからね。
松崎
「アニマルハウス」の後ですし、寮生活もそういう雰囲気だったでしょうか。私はあまり社交的な方ではなくひきこもりなのですが、基本は楽しかったです。一人っ子だったので寮生活での同じ世代の人との共同生活も新鮮でしたし。今でも元ルームメイトや寮生とは親しくつきあっています。後悔があるとすれば、勉強をもう少ししておけばよかったなって思いますけど。留学とか。
渡辺
授業以外は?D館にいらしたりとか?
松崎
私はD館にはあまり行きませんでした。D館って、社交的な人が行くところで、ちょっと近寄り難い印象があって。
渡辺
あ、わかる!D館のなかを通るとなんか緊張してました。あそこの丸椅子で集っている人達を、“いいなー”って思うんだけど、足を止めずにすーって通りすぎる。
齋藤
え、そうなんや?僕はずーっといたよ。
松崎
斎藤さんはそういうタイプですよね(笑)。私そういうタイプじゃないですもん。
なんとなくSONYに入ったら、厚木勤務で、辛かったです。ビデオ機器のプロモーションチームのソフトビジネスセクションに移動して、最終的にはフジテレビの編成に出向することになります。
渡辺
卒業なさってからは、SONYですよね。
松崎
そうです。就職の時も大学と同じで、ターゲットが定まっていなかった。行きたいところはいくつかありましたが、色々な理由で難しかった。当時はコマーシャル全盛時代で、サントリー、資生堂などのコマーシャル系は人気でした。資生堂の花椿編集部に行きたかったのですが、女子は自宅でないとダメだ、など、色んな制限があって、選択肢が狭くなってしまって。NHKの料理番組のディレクターもいいな、と思いましたが、学生部の方に“あなたの成績じゃ無理ね”と言われて、“すみません失礼致しました…”と。当時、食べ物に興味を持ち始めていたんですよね。
渡辺
寮でお料理していらしたんですか?
松崎
いえ。当然しにくいので、食べ物関連の本ばっかり読んで。
渡辺
NHKなら、きょうの料理、ですね。
松崎
はい。その当時からいろいろトライしてたので、あの番組は評価していたんです。
渡辺
実際は、どのあたりにアプライされたのですか?
松崎
う〜ん。本当に記憶がないんですが、いくつかメーカーを受けたような。SONYも多分誰かに誘われたんですよね。
齋藤
SONYって人気でしたか?
松崎
受かったあと皆から“いいね”って言われたんですよ。で、そうなんだと思って、蓋を開けてみたら、メーカーですからお給料悪いし、なんだよと思いましたね(笑)。でもリベラルでいい会社でしたけど。
渡辺
SONYではどんなことをしたいと思ってらしたんですか?漠然とでもいいのですが。
松崎
SONYも宣伝部に興味を持っていました。電気製品にも特に関心はなかったのですが、SONYも宣伝部ならできることがあるかなと。
渡辺
…薫さん、凄いところですよ!大人気です。それで宣伝部に入ったら?
松崎
宣伝部志望だったから、そうなるものだと思っていたのですが、宣伝部ではなかったんです。
渡辺
どこに配属されたのですか?
松崎
これがまたびっくりで、厚木だったんですよ。厚木は、業務用映像器のヘッドクォーターで、HD(ハイ・ディフィニション)ほか、様々な業務用機器を扱ってましたが、私には専門的すぎて。
渡辺
私、今聞いていて、厚木というだけで辞めてしまわれそうな気がしてドキドキしてます。
松崎
はい、まさに、辞めそうでした。
渡辺
ですよねぇ…。
松崎
厚木というのは、SONYのプロ用機器のヘッドクォーターであり、研究所もあり、海外とのやりとりも多く、エリート感もあったのですが、そういうことでもないじゃないですか。
渡辺
まあ薫さんの中ではどうでもいいことに入りますよね。
松崎
で、私がいたのは企画セクションで、プロフェッショナルな機器を、どう企画を立て、どう販売すればよいのかといった、経営企画の機能もあわせもった部署でした。でも、新人で入って、いきなりプロフェッショナルな機器の企画と言われても、どうもピンとこなくて。当時、HD(ハイ・ディフィニション)をコッポラに使ってもらおう、というプロモーションもやってました。今から思えば、あのコッポラですよ。会えたかもしれないのに、と思いますが、当時はとにかく扱っているものが私にはハードルが高すぎたんですね。そんな時、社内の人事制度で、どこに行きたいか異動希望を出せる仕組みがあって、もっと自分が判断できるものを扱う部署に異動を希望したんです。ちょうど、映画に目覚め始めた頃だったんですよ。
渡辺
映画に目覚め始めたというのは?
松崎
当時、安原さんという素晴らしい編集者がいらした黄金時代のマリ・クレールが、非常に文化度が高い誌面を作られていたんですね。蓮見重彦氏(映画評論家)を始めとする執筆陣がいて、映画の記事も多く、それを読み始めて映画に対して興味を抱いたんです。ま、三鷹には三鷹オスカーもありましたから、元々アート系の映画は観てたんですが。そうしたら、なんとSONYの中で映画のビデオビジネスをやっていることを知って、これだ!と思って、希望を出したら、たまたまそこに行けたんです。SONYの中でマイナーな部署でしたが、そこで洋画の買付けと、オリジナルビデオとして、ナムジュンパイクや坂本龍一さんのビデオなども制作してました。
渡辺
凄くチャレンジングで最先端なポストですね。
齋藤
坂本さんとは何を?
松崎
そこのセクションは、ビデオ(ベータ!)のプロモーションのために魅力的なソフトを提供するために、映画をビデオ化して売ったり、オリジナルのコンサートビデオを制作して売ったりしていたんです。で、映画に関しては、小さな予算しかなかったので、ゴダールやジャームッシュなどのアート系の映画しかできなかったんです。でもそれが私には素晴らしくフィットしていて。坂本さんに関しては、筑波万博のソニーの巨大TVを使ったイベントにご出演していただいたご縁もあり、アートビデオやコンサートビデオを何本か制作させていただきました。坂本さんはYMOを解散してソロになってアメリカに行く前ぐらいだったかな。
渡辺
坂本さんは、教授と呼ばれ始めてからは、丸くなられたというか、やわらかくなられているようにお見受けしますが、当時は恐いくらいのオーラというか、突出されていましたよね。
松崎
恐かったです、今も恐いですけど(笑)。
渡辺
その出逢いは凄いですね。
松崎
巡り会いですね。
渡辺
そういった日々は、薫さんにとっては楽しかったですか?
松崎
はい。SONYの中では本業ではないので存在感が薄かったですが、映画の買付けでカンヌにも行きましたし、楽しかったです。


カンヌにて

 

渡辺
存在感がないと言っても、薫さん自身、SONYの中でのヒエラルキーや出世には全く興味をお持ちでないでしょう?
松崎
でも、お給料は上がって欲しいと思ってますよ(笑)。
渡辺
あ、それわかります。でも、やってらっしゃることの中身が素敵ですよね。
松崎
幸せな20代でしたね。
渡辺
結局、SONYではそのセクションが長かったのですか?
松崎
そうですね。ただ、部署は変わらなくても、時代によって仕事が徐々に変わっていきました。ベータやVHSが終わり8ミリの時代があって、最終的にはハイビジョン、3Dと技術が移り変わっていきましたから、映画のビデオをやっていたのは最初の数年ですね。ハイビジョンの時代になってからは、ヴェンダースやグリーナウェイ、黒澤さんほか映画監督に使ってもらってプロモーションのビデオを作ったりしていましたね。
渡辺
それは……五反田だったのですか?
松崎
五反田、品川もありましたね。当時SONYは五反田を中心としてあちこちにビルがあったので、その時々で場所は移っていました。前述の、SONYのCS放送局‘VaioNet’の担当になって、銀座勤務になりました。
渡辺
なるほど。それでフジテレビに入社されて、フジテレビの編成時代に繋がっていくんですね。編成はテレビの中の心臓と言うか、頭脳と言うか、ともかくヘッドクォーターで、編成に行くのはエリートと言われていますよね。だから、入社一年目で編成というと、周りの見る目も厳しい面もあるかと。転校生のような孤独感というか、ハードな面があったのでは?
松崎
出向で編成でしたから、激しくアウェイ感ありましたね。
齋藤
編成に行って、始めはどういうお仕事をされていたんですか。
松崎
最初は、調整部で、編成とはどういうところなのか、的な勉強を含めて仕事をしていたのですが、前職の流れという判断もあったのでしょうか、CS/BSを担当しました。その後、金曜エンタもやりましたし特番的なものも担当しました。
齋藤
良く分からないんですけど、具体的に何をするんですか。
松崎
確かに説明が難しいですが、制作チームと営業や他部署との調整も多く、ある意味プロデューサーに近い仕事かもしれません。
齋藤
なるほど。その辺でちょっとプロデューサーに触り始めてきた訳ですね。というか、もうその道に入っていた?
松崎
SONY時代のビデオ担当時代も、プロデューサーという名称ではありませんでしたし規模感も今とは違いますが、ある意味では同じ様なことをやっていました。
齋藤
SONYで広告に興味を持っていたのは、やっぱり学科がコミュニケーションだったから?
松崎
いえ。当時CMの黄金時代で、サントリーのランボーのCMとか観て、単純に面白いなぁと。この取材を受けておいて、「いいインタビュー」になるようなお答えできず、本当に申し訳ないのですが、あまり長期的に考えないというか、戦略的な思考ができないんですよ。
齋藤
論理的につながっているわけではないんですね。
渡辺
斎藤さん、多分私も「こうしよう!」という目標って実際、持てたことがないんですよ。ただ、進学や就職など何かを選択しないといけない時期がありますよね。その時、本当にやりたいことがあればいいんですけど、まぁないわけです。そういう場合、なんとなくの消去でいくって手に出るんです。
齋藤
なるほどね。でもそこで、なんとなくで、いいとこいっちゃうんですね。
松崎
あと、いろんなことを知らないんです。研究熱心でもないし、こんな仕事があるなど、何も知らないまま、のん気に学校行って、はい就職ですよって言われて、はーいこの会社知ってます、行ってみま〜す、みたいな。当時、もっといろんなことを知っていれば、広告が好きなら、サントリーよりも電通を考えるべきでしょうし(苦笑)。
渡辺
おそらく、薫さんは、サントリーはCMで凄く好きだと思っても、サントリーという会社は資本がどのくらいで、どんな待遇を社員にしてといったことはご存じないんですよ。
松崎
そうです。全く調べてませんでした。
渡辺
私も正直、調べてデータ分析をして確証を持ってそこにいくなんてことを人生でしたこと、というか出来たことがないんです。
松崎
そう。私は、業界で給与に格差があることすら、入社して10年ぐらい知りませんでした。
なんとなく、ではありますが、社員として、出来るだけ貢献できる仕事をしたいなと思うと、自分が好きなこと、得意なことをした方が良いと思うんです。
齋藤
お話を伺っていると、目標を持って調べて、ではなく、なんとなくこれいいかなって言っているうちに日の当たるところに出てこられていますよね。普通そういうことってない訳ですよ。ところがね、松崎さんは、気がついたらなんか選んでーる、みたいな。あ、エランドールか。エランドールもらっちゃった、となれたのは、どうしてなんでしょうね。
松崎
是枝監督の映画のお陰ですよ。
齋藤
う〜ん。普通の人からすると、そんな風になんとなくでやっていてもそこまでいけるっていうのはなんなのっていう疑問があると思うんですよね。
松崎
でも、一生懸命働いてますよ。
齋藤
それはそうだろうとは思うんですが、みんな一生懸命働いてると思うんです。今まで40人以上インタビューしてきて、成功する人には優れた持ち味があって、周りの人がその魅力に気付いて引き上げてくれているのではないかと思っているんですけど、松崎さんはどうなんでしょうね。松崎さんの持ち味ってなんなのでしょうね。いつそれが生まれたのでしょうね。昔家庭で培ったのか、バンコクなのか…。引っ張ってくれる人もね、今までのお話では、絶対それやぞ、という人も出てきていないんですよね。坂本さんはちょっと違うだろうし。普通は、例えば、SONY時代の上司とか、このプロデューサーが面白いきっかけをくれたとか、なんかあるんですけどね。
渡辺
そうですね。ここは薫さんが答えられた方が斎藤さんにとって良いと分かりつつ、邪魔に入りますとね。松崎薫さんの成功、ご本人はこの言葉を使われるのを好まれないと思いますが、薫さんの成功をひも解くには、共通項を探っていくというアプローチもあるかもしれませんが、正直、皆努力している訳で、そこで競うというと、僕は3時間しか寝てません、いや僕は2時間ですみたいなお話になりがちですよね。しかも、その1時間をどう効率的に使ったかは結果、分析しても分からなかったりします。かつ、努力がそのまま反映される社会ではもちろんない中で、薫さんが薫さんの好きなように薫さんらしく、誰にも出会わなかったとしても、誰かに引っ張られなくても薫さんらしくそのままてくてくと歩いているという、このペースが、結果としてオリジナルで、そうとう得難いものなのではないかと私は思いました。
齋藤
なるほどね。「今を輝く」の読者の若い子たちを想像すると、皆、どうしたら成功確率の高い生き方が出来るんだろうと悩んでいると思うんです。僕が、さっきから知りたいな、と思っているのは、何となくうまくいきました、だけではなく、皆がそれを聞いて、なるほど、そうか、自分も頑張ってみよう、意識してみようというポイントなんですよ。なんとなくこう生きていて、そのうち偉くなっちゃったって言われると、学べることってあんまりないんですよね(笑)。
松崎
そうなんですよ、困っちゃいましたね。
齋藤
いや、だから、それはきっとご本人が気付いていないところにあると思うんです。
渡辺
薫さんは、映画のプロデューサーになりたい、賞を取りたいと思ったことはありますか?つまり目指したことってありますか?
松崎
うっ。急に本質的な質問されると困っちゃいますねぇ。正直、賞は担当した映画や監督が評価されてほしいとは思いますが、自分が受賞みたいなことは謙遜でなく思っていませんでした。ただ、一応会社員なので、自分が出来るだけ貢献出来る仕事ができた方が良いかなぁと思いますよね。そうすると、テレビは本当に申し訳ないことになかなか見ないけれど、映画は好きで、更に、私は「買い物好き」ですから(!)、洋画の買い付けの仕事をしたいとは常々思っていました。なので、映画部に異動して洋画担当になった時は本当に嬉しかったんです。映画のプロデューサーになりたいなんて、そんなクリエイティブな能力もないので願ったことはなかったですが、日本人監督にも優れた人が何人もいらっしゃるので、そういう方と仕事をしたいという欲求はありました。
齋藤
洋画を買い付けるというのは、放映権を買って来るということですか。
松崎
放映権ではなく、当時は、映画館にかける映画を選んでいました。SONYのような大手スタジオの作品(「スパイダーマン」とか)は自動的にスタジオの支社に行くと決まっているのですが、非スタジオ映画はベルリンやカンヌに買い付けにいくんですよ。
齋藤
角川映画も、そういうのを一生懸命やっているんですよね。
松崎
角川さんもやっていますね。まあ色んな会社がありますけど。
渡辺
フジテレビに入られてからも本質的に仕事は楽しいですか?慣れるまでは大変だったと思うのですが。
松崎
編成の時代は大変でしたが、映画部に行くチャンスに恵まれて。
渡辺
そのチャンスっていうのは、SONY時代のように自分でアプローチされたのですか?
松崎
私が映画好きなことを知っている上の人間が、映画部に移った時に、連れてってくれました。
渡辺
じゃあそういう、この人はこれ好きなんだな、長所なんだな、というのを吸い取る上司の存在は大きいですよね。
松崎
上司には恵まれたと思います。ありがたいですね。
フジテレビとSONYは、個性を尊重し自由な雰囲気があるなど、似ているところがあります。ICUも、リベラルアーツの自由な雰囲気が好きだったのかも。
齋藤
大学の頃はどんな生活をされていたんですか。
松崎
凡庸な生活です(笑)。団体生活が苦手なので、クラブはそんなに熱心ではなくて。「cadot」でアルバイトしたり。
齋藤
そうすると、特に変わっていたとかではないんですね。
松崎
はい。普通でした。友達もそんなに多くないですよ。今も、忙しくなっただけで変わってないですよ。
齋藤
お話していると、すごく明るいですよね。凡庸で、クラブもせずに「cadot」でアルバイトだけ、と聞くと地味なイメージですが、すごく明るくていいですよね。
松崎
あまり「明るい」って言われたことはないような気はしますが、のんきってことでしょうか。うじうじする時もありますよ。
渡辺
うじうじは想像がつきませんけど、ブルーになるってことですよね。そんな時はどうされます?
松崎
寝ます。
渡辺
あ、すっごいわかる!あと、私は食べる。
松崎
私も!どんな生活…あ、クラブというか、茶道部に入っていました。第四女子寮と泰山荘が近いからということと、ICUの周りに美味しい和菓子屋さんがなくて、茶道部で美味しい和菓子をいただけたので。体育会系は団体競技なので、そういうのはちょっと面倒くさくて。ほかに、私が属していたとすると、寮のコミュニティーかな。
齋藤
第四女子寮は仲良しなんですよね。
松崎
そうですね。
齋藤
男子寮のカナダと仲が良かった?
松崎
私の時代は、第二と仲が良くて、第一もよく行きましたけど、カナダはそれほど縁がありませんでした。
渡辺
在籍期間は、SONYとフジテレビで、もう半々くらいになりましたか。
松崎
まだ、SONYの方が長いですね。
渡辺
2つの企業を見ると、社風は全然違いますか?
松崎
全然違います。他のテレビ局と比べれば、フジテレビが一番SONYに社風が近いかもしれませんが。追い風に強くて、逆風に弱いとか(笑)。ただ、私が2社を経験して痛烈に思ったのは、本質的にはSONYの方が自由というか、みんな自分のことしか考えてない。みんなやりたい放題。天才も変人も凡人も等しく好き放題、ある意味chaos。フジテレビも、一見そう見えるんですよ。やんちゃな人も多いし個性的な人も多い。でもみんな、自分の役割や、他の人の個性を認識しているように感じます。全体の中で、自分はどういう風に振る舞えば良いのかということをちゃんと考えていて、ある意味凄く文明度が高いなと思います。だから、フジテレビに入った時に、みんな自分のポジションを認識して行動しているのを見て、自分がどうふるまっていいのかちょっと分からなくてとまどいました。結局、今も慣れていなくて、結果マイペースにならざるをえない。
齋藤
それまでの風土なのか、社長の雰囲気なのか、何なのでしょうね。
松崎
今のSONYは知りませんが、私がいた頃はそうでしたね。良い時代のSONY、と人は言いますが。つまりchaosの中で天才は育ち活躍できたんですね。
渡辺
そういう意味で言えば、ICUの人達って空気を読まない、というかあんまり気にしないと言われますよね。
齋藤
え、そうなんですか。僕めちゃくちゃ気配りしていますよ。
渡辺
多分みんなすごく気を遣ってるつもりなんだけど、周りからはなんて自由なのって思われるみたい。
松崎
そうですね。SONYの人たちもそう言われます。ある意味、ICUとSONYとは近いとも言えます。
渡辺
でも、結果ですけど、薫さんに割と企業的には合っている気がします。
松崎
そうですか?だったらいいんですけど。
渡辺
なんだか最終的に超リベラルなんですよね。リベラルでいると、波風を起こす場合もあるかもしれませんが、それでもリベラルでいるところが凄く好きです。
齋藤
確かに自由奔放な雰囲気ですね。
渡辺
ご本人はそういうつもりは全くないと思いますよ。
松崎
YES! 凄い周りに気を遣って、自我を出さないよう努力しています。していますけど、あまりうまくいってない、というか、好き放題と見られていますね。あまりに忙しいと、やっぱりコントロールしきれてないんでしょうね。
渡辺
プロデューサーって、こうやったらなれるという職業ではないので、目指すということではないのかもしれませんね。ここはICUの在校生やICUに興味がある若い方たち向けなので、ICUに来て良かったなと思えることも伺いたいです。
松崎
忘れちゃいましたよね、他の大学生活も知らないので比較できませんし。ただ、凄く楽しかったという記憶があります。
齋藤
僕はね、朝早く行くとパイプオルガンが聴こえて見たら森有正先生で、というのに感動しました。赤城圭さんというカリフォルニアのバークレー音楽院の人も同じように自由に弾いていて、こいつ上手いな、と思っていたらプロのジャズピアニストになった。なんかそういうシーンが今も印象的です。
松崎
ああ。自転車で桜吹雪のなかを走ったことを思い出しました。新緑のときとか、それはもう何よりも気持ちよかったですね。先日、第四女子寮の同窓会があって久しぶりにICUに行きましたが、キャンバスは緑に囲まれていてとても気持ちいいし、建物も趣味がいいし、あぁ、いいところだな、と改めて思いました。そして、最近よく、同窓会紙で、リベラルアーツについて触れてますが、当時はあまり言語化していませんでしたが、そういうことを感覚的には感じていたのかもしれないですね。だから窮屈さを感じないでいられたのかもしれない。
齋藤
ということは途中で交換留学に行ったりすることはなかった訳ですよね。
松崎
そうなんです。行けばよかったんですけどなんで行かなかったんだろう。とにかく「勉強嫌い」だったので、海外に行くと勉強しないといけない、という意識もブレーキになっていたかも。でもまぁ、たまたまそういう話がなかったんでしょうね。自分で積極的に調べたりとか出来ないから、ふっと目の前にチャンスが来ればいくけれど、それがなかったんですね、きっと。
齋藤
でもその後にチャンスが巡ってきて、上手くいってしまうっていうね。
渡辺
ご本人にとってもそれがチャンスかっていうのは難しいところなんですけどね。
齋藤
そうですね。その時はチャンスだとは思ってないでしょうからね。あー、こんなとこ来ちゃったよ、厚木だよ、みたいなね。
渡辺
個人的な意見ですが、薫さんは、今プロデューサーになって、ステップアップしたということは全く思っていらっしゃらないんじゃないかなー。
齋藤
そうですか。端から見ると、えーそんな賞もらえるなんて凄いって思いますよね。
松崎
長く一生懸命働いていたということでしょうか。
渡辺
いや、そうじゃなくて。
齋藤
長いこと働いているのに、という人もいっぱいいますからね。
渡辺
薫さんにこれを伺うのが楽しみなんですが、最後に、ICUの在校生や、ICUに興味がある学生に向けて、メッセージをお願いします。
松崎
えっ。みなさん、どんなこと言ってるんですか?真理ちゃんに「楽しみ」と言われると、ちょっとパニックになっちゃいます。

存分に自由に楽しい学生生活を送ってください、かな。「学ぶ」場としても「青春を過ごす」場としてもICUは素敵な大学だと思いますから。あと、全く先の事を考えずに生きてきた自分の反省として、ちょっと先のことも考えておくといいと思います。選択肢を多くもつことは悪くないかと。この長い記事を読んで、何だこの人、いい加減だなと思われると思いますが、反面教師として捉えてください。



プロフィール

松崎 薫(まつざき かおる)
国際基督教大学コミュニケーション学科卒業。SONYに入社後、フジテレビに転勤。現在、映画部にてプロデューサーを務める。「そして、父になる」でエランドール賞映画部門プロデューサー賞受賞。その他プロデュース作品「大奥」「山のあなた」「ホノカアボーイ」「劔岳 点の記」「ノルウェイの森」「テルマエロマエ」「ジャッジ!」ほか。