プロフィール
1976年生まれ。1995年横浜雙葉高校卒業。2000年に国際基督教大学教養学部社会科学科卒業後、2001年米国ジョージ・ワシントン大学ポリティカル・マネージメント大学院を修了。2008年に国際基督教大学大学院行政学研究科博士後期課程を修了し、学術博士号を取得。2012年には第46回衆議院議員選挙において神奈川17区で9万8019票を獲得し、初当選した。
私リベラルアーツが良くって。大学に行くときに専門を例えば政治学とか、何か一つと考えていなかったんです。迷える大学がいいと思って。なんとなく政治学でしょう、っていうまわりのプレッシャーをはねのけたかったのもありました。結局行政学に進んでいったんだけど、入口は違う。
- 齋藤
- 牧島さんは知ってるもんね。この「今を輝く同窓生」企画の背景っていうのは。
- 牧島
- はい知ってます!
- 齋藤
- 今まで、政治家の人ってインタビューしたことがなかったのです。僕が牧島さんにぜひこの「今を輝く同窓生」に参加して欲しいなと思ったのは、牧島さんは同窓会のことを一生懸命やってくれた人だからなんです。
- 渡辺
- でも、何故立ち上がりを知っていらっしゃるんですか?
- 齋藤
- 学生部担当の副会長をぼくが会長の時に進んでやってくれたんですよ。
- 牧島
- 同窓会のなかに入らせていただいて。
- 齋藤
- 2004年にシティクラブオブ東京で行った初めての募金パーティーに、お母様と二人で来られて、そのときに初めて会ったのだよね。「あれっ、君って見たことないよね」って。それでそこで立ち話をしていて、「きみ、同窓会やらない?」ってお話したら「私、お手伝いしたいです。」って、その場で言ってくれたんですよ。お母様が横でにこにこされていたのが印象的でした。
- 渡辺
- スカウトなさったんですね。斎藤さんが。
- 齋藤
- そんなときにね、すぐ「お手伝いしたいです」って言う人いませんからね。
- 牧島
- 斎藤さんの瞳で見つめられたらみんな「はい!」ですよね(笑)。
- 齋藤
- いやもうそれでね、僕も「あ、かれんちゃん、同窓会よろしくね」って、欠員があったこともあり、その時にすぐ理事をお願いしたんです。
- 渡辺
- じゃあ、2004年から何年くらいまで?
- 齋藤
- 僕が会長やったから2006年くらいまでかな。一緒に同窓会の盛り上げを手伝ってもらったのは。
- 渡辺
- 政治家におなりになったのはその後なんですね?
- 牧島
- はい。
- 渡辺
- でも僕はまだあのときには牧島さんのことをよく知らなくてね。あのときはお父様が神奈川県議会の議長さんでいらっしゃって、それでなんか政治がどうのこうのと。
- 渡辺
- そのときは、まだ学校の先生でいらっしゃったんですね。
- 牧島
- 大学で教えたり、あとICUの博士課程で論文も出したりしていた、ちょうどそのくらいの時期でもあった。
- 齋藤
- そういえば真理さんも、牧島さんと同じ横浜雙葉出身ですよね?
- 渡辺
- はい。
- 牧島
- もう大変有名な卒業生ですよね!よくお話をうかがっていました。横浜雙葉からICUという少ないコミュニティーの中で。
- 渡辺
- いえいえ、反面教師的に使っていただきたい卒業生です。でも、確かに本当に少ないコミュニティーですよね。
- 齋藤
- 今日、一緒してくれている編集スタッフの根来桜ちゃんも四谷雙葉なんで、なんか今日は雙葉の同窓会みたいやな(笑)
- 渡辺
- ほんとですね(笑)。でも、牧島さんはどうして雙葉からICUへ?
- 牧島
- 私リベラルアーツが良くって。大学に行くときに専門を例えば政治学とか、何か一つと考えていなかったんです。迷える大学がいいと思って。
- 齋藤
- そういう考え方をするんですね(笑)。
- 牧島
- なんとなく政治学でしょう、っていうまわりのプレッシャーをはねのけたかったのもありました。結局、行政学に進んでいったんだけど、入口は違うという。
- 渡辺
- かれんさんはご兄弟はいらっしゃるんですか?
- 牧島
- わたしは妹が一人いて、二人とも横浜雙葉卒業生です。
- 渡辺
- ということは、やっぱり長女でいらっしゃるし、お父様のお仕事をお手伝いなさったりして、なんとなくまわりのみなさんの期待っていうのは感じていらしたんでしょうか?
- 牧島
- そうですね、宣伝カーに乗ったりしていたので、何が4年ごとに起きているのかというのはわかってはいましたけど、でもだからといって必ず政治家にならなければとは思っていませんでした。
- 齋藤
- お父様は、県議会におられたんでしょう?衆議院議員になられたことはあったんですか?
- 牧島
- ないんですよ。参議院議員の候補になったことはあったんですけど。15年前に。それがちょうどICUの三年生のときだったんです。そのときすごく逆風をうけてしまってまた県議会議員にもどったんですけど、その一年間は私自身がすごく国政ってものに携わらずを得ない学生生活であったのはたしかですね。
- 齋藤
- そうか。ふつうご両親が県議会にいらしたら県議から行こうか、ってなるかなと思うけれど、そうじゃなかったんですね。
- 牧島
- もしそれがなかったら、議員になっていたかはわからなかったですね。そこで国の関係のたくさんの先輩方ともお会いすることができたので。その後ICUを卒業してからもまだ迷っていて、衆議院議員の河野洋平先生にご相談をしたら、海外でいろいろ考えてみたら?というお言葉をいただいたんです。4年間ずっと専門を決めずに楽しくICU生をさせていただいたおかげで、専門というものを持っていなかったので、じゃあ大学院に行こうかなと。卒業後そのまま企業につとめて企業の利益のために働くというのは自分の中でフィットしなかったので、なにかパブリックなことをしたいなと思っていました。アメリカに行ってみますと河野先生にお話ししたら、将来のことはわからないけど、ワシントンにしなさいとおっしゃって。それで、ワシントンを選んだところから、やがて永田町にくることになったんです(笑)。
私は政治家の娘ということもあって、なんとなく政治のことは頭の中にあったけれど、そういうふうに気持ちを込めて準備をしていないとだめなんだとまわりから教えられてました。国のこととか世界のこととか、これから時代がどんどん動いていくときに仕事がまわってきたらきちんと受けなきゃいけない、と思わせてもらったというのはありました。
- 渡辺
- ワシントンにいらっしゃったのは、どのくらいですか?
- 牧島
- 2000年と2001年です。9.11も自分のアパートで遭いました。
- 渡辺
- そうでしたか。今から思うと何か導かれるものがあったのかもしれないですね。河野先生にどうしてワシントンとおっしゃったのか後からお聞きになったことはありますか?
- 牧島
- 多分、政治に多少なりとも関心があるならワシントンって思っていられたと思うんですね。河野太郎先生(河野洋平先生のご子息)もワシントンでいらっしゃったし。向こうの大学のことをよく分かってらっしゃる方たちからのご助言は、後々になってなるほどそうだったんだなあと。
- 渡辺
- そういう迷う気持ちは、おそらくほとんどのみなさんが経験なさることですよね。私自身、とても共感します。「ここだ!」と初めから道を決められることは幸せな面もあるでしょうけれど、実際はなかなかないことかと。かれんさんも、そうやってICUで迷い、大学院に行こうか迷って、結果ワシントンにいらっしゃって。どのあたりでだんだん今の道へと決まっていったんですか?
- 渡辺
- 一つはワシントンに世界中から政治、行政に関心のある仲間たちが集まってきていて、みんな政治になんらかの形で関わっていこうという気持ちがあったし、政治の現場に責任を持つべき時にはチャレンジしようという想いをみんな持っていたのです。私は政治家の娘ということもあってなんとなく政治のことは頭の中にあったけれど、そういうふうに気持ちを込めて準備をしていないとだめなんだ、とまわりから教えられました。国のこととか世界のこととか、これから時代がどんどん動いていくときに仕事がまわってきたらきちんと受けなきゃいけない、と思わせてもらったんですね。
- 齋藤
- 牧島さんは政治家の娘さんだけど、そういうふうに集まってくる人たちは、同じようにご両親が政治家という方が多いの?
- 牧島
- そういう方もいらっしゃいますし、そうじゃない方もいます。
- 渡辺
- やっぱりそういう環境は大きかったのですね。
ICUであれだけちゃんとライティングとかリーディングのスキルとかを仕込んでもらえてなければ、英語が母語じゃない生徒が、世界中の学生が集まる場で議論をしながら単位をとっていくっていうのはとてもそう簡単なことじゃなかった。苦労している留学生もたくさん見ていたので、これは大学にはお礼を申し上げなきゃいけない、という思いで帰ってきました。
- 齋藤
- ちょっと話が前後するけどね、なんで同窓会に関わろうと思ったのですか?
- 渡辺
- アメリカの大学院に行った後ですものね。
- 牧島
- ちょっと話はながくなるけど、アメリカに行ったときに、大学院は二年間行くつもりで行ったんですけど、2000年は大統領選挙の年で、その取材とかもしようとしてなるべくタイトにスケジュールを組んだほうがいいというアドヴァイスをむこうの学部長からいただいたのです。またやれるなら自分のペースどんどん速めてやってみたらと言っていただいたので、秋に入学して頑張って1年で卒業させてもらえたんですよ。
- 渡辺
- すごい!飛び級ですよね!?牧島さん、もしかして雙葉のころからものすごく成績よかったんじゃないですか?
- 牧島
- そんなことないんですけどね(笑)。普通の子でした。ポンポンポーンって結果的にいけただけなんです。本当にICUのおかげだったなと思っています。ICUであれだけちゃんとライティングとかリーディングのスキルとかを仕込んでもらえてなければ、英語が母語じゃない生徒が世界中の学生が集まる場で議論をしながら単位をとっていくっていうのはとてもそう簡単なことじゃなかった。苦労している留学生もたくさん見ていたので、これは大学にはお礼を申し上げなきゃいけない、という思いで帰ってきました。
- 齋藤
- 偉いね、ICUに対してなにかをしたいという思いがまずあったということだね。
- 牧島
- そうだと思います。
- 渡辺
- じゃあ、ICUにいらしたときは、かなり勉強なさったんですね?
- 牧島
- 一年生は特に苦労しましたね。Freshman ELPは苦しかったし、ありがたかった。
- 渡辺
- ICUの学生生活とワシントンでの生活は、どんなふうに違いましたか?
- 牧島
- ワシントンのほうが大変だったかもしれないですね。ワシントンでは、インターンもしなくちゃいけなかったので下院議員のオフィスにつとめたりしていました。
- 渡辺
- 大統領選挙のときにはNHKのコーディネーターもやっていらっしゃいましたよね。
- 牧島
- はいそうですね。それはそれで朝から晩まですごく刺激的な生活でした。いま日本のグローバル人材を育てるために、アメリカの大学や大学院の仕組みを取り入れようと議論していますが、よくICUの事例を参考にしてもらっているんです。同時に私自身がアメリカの大学院で体験したことも活かしてどうやって日本の大学や研究所とかがグローバルな世界を相手に競争力をつけていけるかっていうのをやらなきゃいけない、と思っています。しょっちゅうICUの話が出てくるから私は鼻高々です(笑)
- 齋藤
- ICUに一生懸命なのはわかったけど、そこから普通同窓会に結び付かないでしょう?いまになって思うけれど、牧島さんはすごく忙しかったわけですよね。片方に政治の世界があり、東京純心女子大で教えていたし、ICUでは博士号を取ろうとしていた。ぼくは、当時、牧島さんは女子大で教えていることだけしか認識していなかったので、“なんや暇やねんやこの子”と同窓会の仕事をお願いしてしまったけど(笑)ホントは大変やったんやね。
- 牧島
- 楽しかったです!でもやっぱりいつも斎藤さんの募金パーティーや同窓会の会合でのスピーチに説得力があって、同窓生として同窓会でこのICUのスピリットを守っていくんだという情熱をうけて、斎藤さんと一緒に同窓会を通じて自分の母校に恩返しできるんだなと思いました。
- 齋藤
- それは嬉しいね。
- 渡辺
- さきほどのNHKの大統領選のコーディネーターをワシントンでなさったきっかけは、どんなだったんですか?
- 牧島
- 色々な方との出会いがあって、履歴書を書いてという感じでしたね。
- 渡辺
- それは牧島さんが「こういうことをやりたい!」という気持ちがあったからですか?
- 牧島
- そういう場合もありますけど、私はどちらかというと一つ一つ着実に積み上げたいタイプなのです。そこで、まわりの人の様子をみて、“自分だったらもう少しこうしてみよう”、とか“こうしたら先輩のお仕事のプラスになるかな”、と考えていたら“じゃあこれやってみる?”、とお声をかけていただくようなことが多いですね。
- 渡辺
- なるほど。うかがっていると、同窓会のケースも、下院議員さんの事務所で働きながらNHKでコーディネーターをなさった時も、おそらくすぐに“YES”と答えていらっしゃいますよね。多分、かれんさんの中で、まだ形にはなっていないかもしれない願いや希望に対してきちんとご自分なりに考えて向き合っていらしたのでしょうね。だから、形になりかけた時には気持ちの準備ができていて、すぐに“YES!”とおっしゃれたのじゃないかと思いました。
- 牧島
- そうですね、そういうことが多いかもしれないです。真理さん、流石ですね!自分では思ったことなかったけれど言われてみればそういうタイプかもしれないです。
- 渡辺
- いえいえ。勝手にそんなこと申し上げて、烏滸がましいのですが。自分のなかの夢や願いにちゃんと向き合って、いざという時に応えられるって素敵だな、と思って。
- 齋藤
- そう、僕のイメージでも牧島さんは「私も私も!」という人ではないんだよね。でも普通政治の世界って大変な世界だからそういうふうにしなければ、というのがあると思うんだけど牧島さんはそうじゃなかったよね。
- 渡辺
- その秘密はたぶんその牧島さんのそんな姿勢にあるのかと。
- 齋藤
- そこが牧島さんの良さなんだろうね。
- 牧島
- でもそれは、横浜雙葉もICUもそうですし、幼稚園もミッション系なんですけど、その教育環境の影響というのはなんとなくあったかなという感じがします。与えられた使命を一つ一つちゃんとやるというのが生きる道で大事だというのを、そこでなんとなく教わったからでもあると思います。
マイノリティと呼ばれているご本人たちが社会の中でメジャーでなくてもハッピーに感じていただければ、世の中ってそこそこうまくいっているという事になるのではないかな、と先輩方からも教えていただいて、相談相手になれることが嬉しいのです。
- 齋藤
- 牧島さんは、人からすごく好かれてたよね。他の理事の人達からも学生からも。普通「私、政治を目指してるんです!」っていうと一瞬ぎょっとされるかもわからないけど、そんなことみんな気にしてなかった気がするな。
- 渡辺
- やはり政治家となると、人との距離というのは大事ですよね。決して上からの目線ではつとまりませんものね。
- 牧島
- はい。今でもそのまま淡々と一つずつ、やっていく感じです。先輩の議員さんから「明後日質問立ちなさい」と言われたら、なにも考えないで「はい」とまず言ってから、準備を始めるというタイプなのです。
- 渡辺
- そんなにすぐなんですか!?せめて一週間とか。
- 牧島
- そんなにすぐなんです(笑)。先輩から“明後日質問立ちなさい”と言われても大丈夫なように準備をするというのは比喩だと思っていたら本当でした。
- 渡辺
- 準備としては、どういうことが必要なんですか?
- 牧島
- 自分自身が聞きたいこともいくつかあって、それをどういう構成で質問の中に入れていけば良いのかとか、あとは今までの大臣のご発言とかを見ながら、大臣がどう答えられるかとかを考えますね。今回、私は財務金融委員会の委員なので麻生大臣にご質問させていただいたんですが、麻生大臣のスピーチは今までも何度か聞いたことがあったのでずいぶんと参考になりました。もちろん、いつか麻生大臣に質問をさせていただくと思ってスピーチを聞いたわけではなく、院生のセミナーで聞いてきたものや、たまたま関心があったということで聞いていたのです。そのように準備をして、麻生大臣が想像通りのご発言をされたりするのは、自分にとっては喜びでもありますね。
- 渡辺
- やはり立って質問をすることは、手ごたえがあるんですね?
- 牧島
- はい。映像が残るんですけど、残念なことに質問をしているときは私の映像で、お答えをしていただいているときは大臣の映像が映るんです。私は大臣が私の質問に対してうなずいている映像が欲しいのにそれが残らないんです(笑)。なので、私はあとで“大臣はこういうふうに深くうなずいてくださったんですよ”とみなさんに解説しなければならないんです。でも、質問に立てたことは、本当にやりがいがあって楽しかったです。
- 渡辺
- あとはどんなときに政治家になって良かったと感じられますか?
- 牧島
- そうですね。今、実は色々なご相談とかNPOの活動を知ってほしいです、というご連絡をいただいたりしていて、重要なテーマなので勉強会を事務局として立ち上げようとしているんです。例えば、性的マイノリティであるLGBT(レスビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)からの相談を受けるNPOの方たちとお話をしたりしているんです。先輩方から、“マイノリティと呼ばれているご本人たちが社会の中でメジャーでなくても、ハッピーに感じていただければ、世の中ってそこそこうまくいっている、という事になるのではないかな”、と教えていただいたこともあり、相談相手になることが出来て嬉しいのです。
- 渡辺
- 大変ではあるけれども、充実した時間なんですね。
- 牧島
- そうですね、“私がやらなくちゃいけないことがあるなら、それはやらなくちゃいけないんだな”、って思います。
本当に色んなボールがまわってくるんです。実際、サッカーなんて高校の体育の授業以来やってなかったんですけど(笑)
- 渡辺
- 議員会館の中で議員さん同士の行き来は、結構あるんですか?
- 牧島
- ありますね。お電話がかかってきたりしてちょっと議員連盟のこと話したいから来て、とお声をかけていただいておうかがいすることもあります。この間は6月1日からTICAD V、アフリカ開発会議が始まって、それで神奈川県の行事なのでと思って、日AUの議員連盟に入ったんですね。それでリベリアの担当になったんです。それも「アメリカに行ってたんでしょう?じゃあリベリア担当してね」って。リベリアは女性大統領でノーベル平和賞もとっていらっしゃるし、パイプをつなぐといいよ、という先輩のお言葉で、一年生ですけどやらせていただいて今も準備をしています。2020年の東京オリンピックの招致はぜひアフリカのみなさんにも応援していただきたい、もちろんTICAD Vも成功させたいし、これからみなさんと協力してアフリカの世紀にしていきたい、という色々な思いを込めてすすめています。交流を深めるためにサッカーの試合をする、という5年ごとの恒例の行事でもあったりします。その懇親会の司会もやって、というふうに言われたので、「わかりました」と。それで、ユニフォームも注文することになって、気が付いたら、試合も出てね、と(笑)。本当に色んなボールがまわってくるんです。サッカーなんて高校の体育の授業以来やってなかったんですけど(笑)。
- 渡辺
- サッカーですかぁ。政治家の方の仕事は本当にうかがっていると驚くほど多岐に渡りますよね?そう、僕のイメージでも牧島さんは「私も私も!」という人ではないんだよね。でも普通政治の世界って大変な世界だからそういうふうにしなければ、というのがあると思うんだけど牧島さんはそうじゃなかったよね。
- 牧島
- 色んな汗のかき方があります(笑)。
- 渡辺
- ということは、座ってらっしゃる時間は、それこそ質問に立つ前に準備をなさる以外・・・?
- 牧島
- ほとんどないですね。党本部の勉強会とかもあるので、いつも行ったり来たり、走ったり。
うちの地区は支えて下さるおじいちゃんおばあちゃんがいっぱいいらっしゃるところなんですよ。とても優しくて、手取り足取り、それこそ田植えまで教えてもらうぐらいのとても良い場所なので、そういった大きいお父さんお母さんたちに仕込んでもらえるお嫁さん、というイメージだったのかもしれないです。
- 齋藤
- ICU大学院の博士課程にいったのっていつだったんだっけ?
- 牧島
- 2004年から2008年ですかね。
- 齋藤
- ということは、同窓会をいろいろやってもらっていて、その中で博士号をとろうという気になんでなったんだろう?
- 牧島
- たぶんまだ迷ってたんでしょうね。いつ何のボールが飛んでくるかわからないから、まだ時間のある今のうちにPh.Dとれるならとっておいた方がいいかもしれない、というそんな動機でした。
- 齋藤
- するとその時はかたや自分で勉強し、かたや先生として教えていたんですね。それ以外は何か政治関連のことをやっていたのかな?
- 牧島
- 多少政策の勉強とかもしていました。ただそれは自分がいつどこの選挙に出るから、では全くなかったです。
- 齋藤
- とすると政治の世界に入ろうというのはアメリカに行く前にはもう決めてたの?わからないけど、一応準備しておこうかなと?
- 牧島
- そうですね、何らかの形で関わることになるんだろうなというふうには思っていたぐらいです。
- 渡辺
- 選択肢として排除していなかったということですね?
- 齋藤
- じゃあ、その博士課程の時は牧島さんは一体どんな生活をしていたのかな?勉強と、教えることと、何かそれ以外に楽しいことってやっていたの?
- 牧島
- 同窓会が楽しかったんです!斎藤さんの事務所でお夕飯をごちそうになったり。論文を書くのってすごく大変な作業だから、30歳前半までにはとったほうがいい!と私は強く言いたいですね。体力的にも。肌もカサカサになるし(笑)
- 渡辺
- 本当に勉強してらして・・・尊敬します。その時点では、学者の道もあるかもしれないと思っていらしたのですか?
- 牧島
- はい。学者の道もあると思っていましたし、政治や行政に何らかの形で関わっていくこともあるかもしれない、と思っていました。その他にはシンクタンクとかも。でも、自分の後継者として選挙にでないかと言われた以外のお声は特にありませんでしたが。
- 渡辺
- 河野洋平先生にそういうふうに言われたのは、いつだったんでしょう?
- 牧島
- 2008年の9月でした。ICUで博士課程を修了した時で、大学で非常勤で教えていました。そのとき父も一緒にいたんですけど、すぐ「はい!」って言うと思わなかったって(笑)
- 渡辺
- その時もその場で「はい」っておっしゃったの?
- 牧島
- そうですね。先生がおっしゃるならば、「はい」と。
- 渡辺
- ちなみにご子息の河野太郎さんは・・・?
- 牧島
- お隣の選挙区でした。同時だったので。
- 渡辺
- 河野洋平さんは、どうして牧島さんに継いでほしいとおっしゃったと思われますか?
- 牧島
- ご本人は学生のころから私をご存じだったというのもありますし、女性の政治家を増やすべきだということもあったのが一つと、送り出すなら、河野先生は70代で引退をされるんですけど、若い候補者を出したいというのがあったようです。40歳が離れているんです。一回目の選挙は落選してしまったんですけれど、当時31歳でした。先生ご自身も議員になられたときは30歳だったので、35歳くらいまでに送り出すのが一番良いし、そこから先30年40年と長く地域との絆を築ける女性だとなお良いと思われていたようです。
- 渡辺
- おそらくそういった条件にプラスして、何より牧島さんだったから、という面があったと思います。人柄や性格だったり、勉強や能力面でも。
- 牧島
- うちの地区は支えて下さるおじいちゃんおばあちゃんがいっぱいいらっしゃるところなんですよ。とても優しくて、手取り足取り、それこそ田植えまで教えてもらうぐらいのとても良い場所なので、そういった大きいお父さんお母さんたちに仕込んでもらえるお嫁さん、というイメージだったのかもしれないです。
- 齋藤
- でもお嫁さん、て言っても話を聞いてると大変だね。周りから色々と言われるんじゃないんですか?
- 牧島
- 最初は本当に農作業もわからない嫁がやってきたぞ、という感じだったんですけど、3年ぐらい経つと嫁もだんだん発言するようになるよね、っておじいちゃんたちに言われるぐらいに(笑)。「ここをこうしたいんだけど」ってまわりに甘えながらやっていただくような感じですね。でもだんだん女の子というよりも男の子のような扱いになっていっていて、そろそろ身を固めないといけないんじゃないか、とか言われたりしています。
- 渡辺
- 身を固める、とかそういったところまで親身になって心配してくださるんですね。それで・・・身は固めそうですか?
- 牧島
- 全然です(笑)。出会いはないですね〜努力不足で。もう一回に同窓会もどろうかなって(笑)。
- 齋藤
- いやあ〜、ICUの男はあかんで(笑)。
- 牧島
- でもICU男子はお料理もやってくれるし、女性の強さやしなやかさもわかってくれるし、日本の女性のグローバル化にこれほど理解のある男性はいないのです!って日比谷学長や同窓会の役員さんもおっしゃってましたよ(笑)。
- 渡辺
- でも牧島さん自身が、楽しんでいるものってどんなものがあるんですか?何か一つの趣味に一生懸命って話はあんまり聞いたことないね。
- 牧島
- 趣味としてはそうですね。最近あんまり映画を見る時間はないし・・・でもパズルとかはすごく好きですね!一旦はまったときは解き終わるまで寝られないじゃない!ってなりました。そういう地味な、何かぴちっとはまってパタって整理されるものは好きですね。
- 渡辺
- 多分、斎藤さんのおっしゃる“楽しんでいるもの”って、仕事とは別にのめり込むものというか、そもそもオフをきちんと休めているのか、っていうことですよね?
- 齋藤
- そう、そういう心配やねん。休みをとれてなくてしんどいとかなり参っちゃうよね。運動だったら普段してないとサッカーなんかやったらアキレス腱切れてしまうかもしれないで。
- 牧島
- そうですね。お仕事を通じて色んな方たちと毎日お話をして、働かせていただいて、新しい出会いがあって、それが楽しい。
- 渡辺
- 確かに、政治家の方たちの仕事って傍目にも大変なんですけれど、仕事をしながらエネルギーチャージもされている面がおありになるんでしょうね、きっと。
- 齋藤
- いやでも僕なんかは牧島さんにはもっともっと楽しいことやってほしいな〜と思ってるんやけどね(笑)
- 渡辺
- その気持ちも、すごく分かります(笑)
- 牧島
- じゃあ今度またぜひどこか連れて行ってください!
就職相談会で簡単にブースなんて設けちゃったらどうなの、というためらいもあるし、色々な政治に対しての考えかたもICU生にはあるだろうし、と思います。でも同窓会の学生部のかたたちから、そんな新しい趣向もやってみたいですという大変説得力のあるメールもいただいたこともあって、まあICUだから色んなことが有りなのかな、ICU生ならわかってくれるかなとも思いました。
- 齋藤
- そういえばこないだ同窓会の岡田学生部担当副会長から、牧島さんにICUの就職相談会に出てもらったらどうかって、相談されたんですよ。もちろん、それは良い考えだからやったらと答えておいたんやけどね。
- 渡辺
- え!?就活で政治?
- 牧島
- 本はいそうなんです。政治家のコーナーつくりませんかって。
- 渡辺
- 確かに、政治家はなろうと思ってなかなかなれるものじゃないという意識はありますよね。
- 牧島
- でも、それは私もそう思ってるんです。就職相談会で簡単にブースなんて設けちゃったらどうなの、というためらいもあるし、色々な政治に対しての考えかたもICU生にはあるだろうし、と思います。でも同窓会の学生部のかたたちから、そんな新しい趣向もやってみたいですという大変説得力のあるメールもいただいたこともあって、まあICUだから色んなことが有りなのかな、ICU生ならわかってくれるかなとも思いました。
- 齋藤
- 僕ね、さっきのアメリカにいるときの同じ志のある人たちが集まってきているという話はすごくいいと思って。政治の世界にいる人たちと、入りたい人たちが接する機会があったほうがいいのは当然だよね。大きな学びを得る機会があるものね。
- 渡辺
- 選択肢は多ければ多いほどいいですよね。実際、聞いたことのある言葉で政治を批判することは誰にだってできるけど、本当に良くしていきたいと思って興味を抱いた時、どうすればいいかという基礎も土台にも恵まれてはいないような。
- 牧島
- 本当に、政治の伝えたい部分がまだまだ伝わってないな、とこの半年間思いました。例えば、サッカーやってなんなの?という切り口では切れるかもしれないけれど、これはTICAD Vという中での日本の大きい役割をちゃんと証明するイニシアティブなんだ、とか、オリンピックの招致にもたくさんの国の応援が必要なんだ、とか。私だったら箱根や小田原のような観光地のためにもたくさんの方とのチャンネルが必要だと思ったんだとか、理由は実はちゃんと存在していて、でもそこのところはあまりしっかり説明されなかったりメディアが動かなかったりして。ただ「サッカーやりました」となってしまっていて背景が伝わらない部分はありますね。
- 齋藤
- 確かに、いま僕がまだ学生の立場だったとして牧島さんの政治に関する考え方を聞いたりしたら、政治に興味を持ったかもしれないね。僕はBBTの生徒たちから「斎藤先生は政治の世界に興味は持たないんですか?」と質問されるんだけど、僕は「個々人の育成に興味はあるけど、政治には全然興味ないんですよ」と答えちゃうんです。でも考えてみたら、みんなの期待値としては、問題解決に取り組んでいるのだから、今の世の中の重要課題の本質を発見して、きっとより良い状況を議員として実現するんじゃないかと考えているのかも。ところが僕は政治の世界をよく知らないし接点もないし、むしろマッキンゼー時代の見方からみてやっぱり政治は違うよな、と思ってしまっているのかもね。
- 渡辺
- 斎藤さんの今のお話は、若い世代の方達の政治への無関心と通じるところがきっとありますよね。やっぱり接していないからが大きいと思われますか?
- 牧島
- インターネットもありますが、一方的な偏った情報である場合もありますよね。これからの政治で一層使われるようになっていくとはいえ、やっぱり部分的だろうな、とは思います。三か月くらい毎日一緒に過ごしてくれないと、実態はわかってもらえないかなと。
- 齋藤
- でも牧島さんはお父さんが政治の世界におられて普段からそういう世界を見てるっていうところがあったのかもしれないよね。だからと言って、僕は父が牧師だからって牧師になりたいとは全然思わなかったけれどね(笑)。
- 渡辺
- あえてうかがうと、政治家になれらて実感する辛さや嫌な部分はありますか?それから「よく永田町には魑魅魍魎が」と言われますが、こんなに可愛らしい後輩がその永田町に在籍しているわけですから、ここの実感といいますか(笑)。
- 牧島
- 私なんだかその「魑魅魍魎」もまだよく分かってないのかもしれないですね。半年間の間では分からなかった。
- 齋藤
- 僕ね、牧島さんが当選したときにメールを送って、どういう表現をしたのか覚えてないけど、たしか牧島さんの持ってた価値観とか、良さとかそういうものを失っちゃだめだよ、ということを書いた記憶があるね。だから僕のパッとイメージしてる政治の世界が牧島さんの持ってるイメージとは全然合わなかった。だからそこに汚染されたらあかんよ、と書いてしまうくらいものすごく牧島さんのこと大事にしていたんですよ。でも逆に彼女の持ってる良さをつらぬいていったら、新しい政治のイメージができるんじゃないかとも思って。そういうのってすごくいいよね。
- 牧島
- ありがとうございます。頑張ります。
- 渡辺
- サッカーですかぁ。政治家の方の仕事は本当にうかがっていると驚くほど多岐に渡りますよね?そう、僕のイメージでも牧島さんは「私も私も!」という人ではないんだよね。でも普通政治の世界って大変な世界だからそういうふうにしなければ、というのがあると思うんだけど牧島さんはそうじゃなかったよね。
- 渡辺
- でもやっぱりその中で体力も含め、これはつらいなと思うところってどんなところですか?
- 牧島
- そうですね、つらいというよりも悩ましいな、と思っているのは、今までずっと地元に4年間いて、みなさんと一緒に生活してきたのが、やはり委員会とかがあって東京にいなくちゃならない、というところですかね。地元から選んでいただいて送り出していただいているのに、行ったり来たりしていると地元の様子とか変化とかに今までと同じようにすぐには気が付けなかったりしたらさみしいなと思って。でもみなさん電話とかで連絡くださって、こういうことがあったよ、と伝えて下さるので今は何とかやれているのかなと。
- 渡辺
- なるほど。でも実際に選挙に立候補して選挙運動をなさるのは大変でしたか?お父様という力強い存在があるにしても、自分の主張を聞いてない人にも聞いてもらわなきゃいけないわけですものね?
- 渡辺
- 大変だったような気もするし、でもすごくみなさんがあったかく応援していただいていたので。まわりの方から、牧島かれんの応援団や後援会の方に会っていただくとなんだか家族みたいだねって言われることが多くて。本当にそうなんです。大きい家族のような。
- 渡辺
- 政治家の後援会には、どんな方がいらっしゃるんですか?
- 牧島
- 色んなバックグラウンドを持っている方たちがいますね。職人さんだったりサラリーマンだったり働いてる女性からお母さんから、年齢も様々です。
- 渡辺
- それは、河野洋平先生を支援されてた方も?
- 牧島
- もちろん入っていますし、次の世代の方たちもいらっしゃるし。
- 渡辺
- 立候補を決めたときに、もうその方たちが揃っているわけではないですよね?
- 牧島
- そうですね。特に一回目のときは世代が上の方が多かったです。その後三年間の浪人の間にみなさんと話したり、お祭りに行って一緒にお神輿を担いだり。
- 渡辺
- そこからさらに新しく入る方もいらしたりして、輪が大きくなっていった?
- 牧島
- はい。もしかしたら一つ一つの政策というよりは、「頼んだぞ!」と言ってもらえてる位のところなのかもしれないです。私昨日も報告会をしたんですけど、例えば第一次産業第二次産業はこうで、安全保障政策はこうで、とか全ての政策は話しきれないので、代表的な活動報告をして、みなさんに頑張っているのはわかった、また次も頑張って、と言ってもらうという繰り返しなのかもしれないですね。
- 齋藤
- これからは何を目指すの?
- 牧島
- 今まで通り、一つ一つ積み重ねていくかなと。
- 渡辺
- それはやっぱり、肩書やポジションではなく、やりたいことを実現していくということですか?
- 牧島
- お声掛けいただいて、自分の知らない世界とか行ったことのない国について教えていただいたり。政治も人と人とのつながりなので。私自身に問題解決能力が全て備わっているわけではもちろんなくて、ただ問題に対しての答えを持っている人を知っているということで。ただそれをお繋ぎするという役割を政治家は果たすのだと思うと、たくさんの方を知って、準備をしておかないといざというときに繋げないなって思ってるんです。
- 渡辺
- あの、マスコミに身を置く人間が言うのもおかしいんですけれど、政治家ほど色々言われ足を引っ張られる職業もないですよね?国民から様々なことを託されているけれど、出来て当然で、できない場合のマイナスばかりが取り上げられる。それでも牧島さんとしては一つ一つ実現していけば、実際に良くなっていくというふうに感じていらっしゃいますか?
- 牧島
- それはやっていくしかないし、あと直接お話しさせていただくというのをすごく大事にしています。メディアに関わっていらっしゃる方たちもそれぞれの取材と思いがあると思いますが、私たちにも思いがあります。テレビでは話を報じきれてないから直接話を聞いてほしい、政治の現場にいるからこそ感じていることを信じてほしい、とは思います。テレビと新聞だけで、情報をすべてわかったと判断しないで、と。たとえ意見が違う方にも、私の話を聞いてほしいと思っています。
応援してくださる方々からこれだけの票を預かったからには、とプレッシャーに感じるんじゃなくて、それだけの票で後押しをしたんだと、送り出されたんだというふうに前向きに感じてねって、当選してから言っていただいたのは、とても温かい言葉だったなあと思います。
- 渡辺
- 4年ごとの選挙は、実際しんどくないですか?
- 牧島
- 大変です。衆議院はいつ解散があるか分からないし、いつなにが起こるかは分からないですね。でも大変なのは応援団のみなさんで、「いつ解散があるかわかりませんからねー!」って私もお願いをしてまわっています。でもみなさん定期的に活動報告の新聞をご近所のかたに読んでね、って配ってまわってくださいます。
- 渡辺
- 次、落ちちゃったらどうしよう、ではなくて、みなさんの思いを背負ってるから、必ず頑張らなきゃという意気込みでやっていらっしゃるということですね?
- 牧島
- そうですね。応援してくださる方々からこれだけの票を預かったからには、とプレッシャーに感じるんじゃなくて、それだけの票で後押しをしたんだと、送り出されたんだというふうに前向きに感じてねって、当選してから言っていただいたのは、とても温かい言葉だったなあと思います。
- 渡辺
- 「当確」!って出たときはどんな気持ちになりましたか?
- 牧島
- ほっとしました。よくあの、当確になってどうでしたその時は!?って言われるんですけど、その出るかもしれないというときに、当選するかどうかよりも、もうみなさん集まっていらしていたので、この場所でマイクを持つと皆さんにちゃんとあいさつを聞いていただけるだろうか、とか考えちゃってました(笑)。最後の最後まで段取りのこと考えてて、「やったー!」とかじゃなかったんですよ(笑)
- 渡辺
- ちょっと冷静だったんですね!
- 牧島
- そうですね、せっかく集まってくださったからこそしっかり「ありがとうございます!」と言いたかったので。
- 渡辺
- その時はもう、自分だけの自分じゃないんですね。
- 牧島
- そうなんでしょうね。ただなんか36年間やってきて、ICUのリベラルアーツもそうだったし、小中高もそうだったけれど、無駄なことは何もないんだと教えていただいていたのは本当に良かったと思います。なんでICUでは一年生でギリシャ神話勉強しなきゃいけないの、と思ったりもしたけれど、やはり教養として必要だったかなとか、これからも役に立つことがあるかもしれないので、ICUには本当に感謝しています。
日本という国が世界から尊敬される国であり続ける、というのは相当な努力が必要だと思いますし、それを実現していくために努力していくんだという気概を私たち政治家は持たなければならないと。これはチームプレーでやらなくてはいけないところでもあるので、仲間と一緒に先輩方と一緒に頑張りたいと思います。
- 渡辺
- いつもはインタビューの最後に学生のみなさんに向けたメッセージをお願いするのですが、その前に牧島さんは政治家なので、あえてうかがいます。これからのこの国を創っていく政治家として、夢はありますか?具体的でも具体的でなくてもいいんだけれど。
- 牧島
- 日本という国が世界から尊敬される国であり続ける、というのは相当な努力が必要だと思いますし、それを実現していくために努力していくんだという気概を私たち政治家は持たなければならないと。これはチームプレーでやらなくてはいけないところでもあるので、仲間と一緒に先輩方と一緒に頑張りたいと思います。願わくば、より多くの人、特に若い人に政治に関心を持ってもらいたいと思っているし、牧島かれんという政治家が活動することによって、「政治ってそういうものなんだ」と思ってもらえればいいなと。ただなんとなく古臭い、ダーティなイメージじゃなくて、そうやって物事って決まっていっているんだということを見て下さる方が増えるようにやるべきことをやりたいなと。
- 渡辺
- 留学する学生が減っているという統計に基づいて外務省がシンポジウムなどを開催していますが、金銭的な問題も否めない反面、興味自体がなくなってきているという事実もあります。政治に対してもそうですよね。
- 牧島
- そう、政治に無関心でも、無関係ではいられないのだから、無関係ではいられないのだったら関心をもってもらいたいな、と思います。
うちの地区は支えて下さるおじいちゃんおばあちゃんがいっぱいいらっしゃるところなんですよ。とても優しくて、手取り足取り、それこそ田植えまで教えてもらうぐらいのとても良い場所なので、そういった大きいお父さんお母さんたちに仕込んでもらえるお嫁さん、というイメージだったのかもしれないです。
- 齋藤
- 最後にICUを目指している方やICUの在学生、これから無限の可能性を秘めているみなさんに向かってメッセージをお願いします。
- 牧島
- ICU生であることを楽しんでもらいたい、と在校生には思うし、いろんな価値観と出会えた大学だったので、それはきっとICUを卒業してからも包容力のある人間をきづいてくれる大学だというのを、ICUを目指しているかたにも知っていただきたいです。
プロフィール
牧島 かれん(まきしま かれん)
1976年生まれ。1995年横浜雙葉高校卒業。2000年に国際基督教大学教養学部社会科学科卒業後、2001年米国ジョージ・ワシントン大学ポリティカル・マネージメント大学院を修了。2008年に国際基督教大学大学院行政学研究科博士後期課程を修了し、学術博士号を取得。2012年には第46回衆議院議員選挙において神奈川17区で9万8019票を獲得し、初当選した。現在は議員一年目として多方面で活躍している。