プロフィール
1980年4月10日 神奈川県平塚市出身。青山学院大学大学院文学研究科英米文学専攻博士前期課程修了。福生山宝善院にて副住職。超宗派仏教徒によるインターネット寺院「彼岸寺」編集長。学生時代はアメリカ文学を学ぶが、大学院に2年目に休学して僧侶になり東寺にて1年間の修行生活を送る。(写真:入交佐妃) http://kisaki.hippy.jp/
- 齋藤
- 今日は平塚からお越しいただきありがとうございます。よろしくお願いします。実はまだ牧師さんに話を聞いたこともないし、お坊さんにインタビューする、という発想はこれまで全くなかったんですよ。たまたまICUの学生から「ぜひ弓月さんのお話を伺いたい」という声があり、HPから連絡をしたわけです。その学生は僧侶になりたいと考えているようなのですが、そんな傾向はあるんでしょうかね。
- 松下
- なるほど。お声掛けいただきありがとうございます。流行というわけではありませんが、最近は僧侶を志す方が増加傾向にあるようです。
- 渡辺
- 私は学生時代にアメフト部のマネージャーをしていて、他大の選手から「ICUの学生は牧師さんや聖職者になるのですか」と聞かれたことが何度かあったんです。きっと外から見たらそういうイメージはあったのでしょうね。その中で松下さんはどういう道を辿ってお坊さんになられたのかなと思い、いろいろとお話を伺えるのを楽しみに来ました。今日はよろしくお願いします。
- 松下
- よろしくお願いします。
ICUに入学した頃、お坊さんになりたいとは特に思っていませんでした。もともと映画や文学に興味があり、できれば文学研究者になりたいと思っていたんです。
- 松下
- 実は私が現役のころ、渡辺さんが何かのイベントでICUにいらしたことがあって、「これは行かなきゃ」と参加したことがあります(笑)。
- 渡辺
- 本当ですか?松下さんIDはおいくつですか?
- 松下
- 03です。
- 齋藤
- お若いのですね!ちなみに松下弓月さんというお名前はご本名ですか?
- 松下
- はい、そうです。僧侶になるときにはだいたい皆さん名前を変えるのですが、私はそのまま使っています。
- 渡辺
- とてもきれいなお名前ですよね。ICUは小さな学校だから在学年が重なっているとだいたいお顔に見覚えていたりするけれど、弓月さんはきっと有名人だったんでしょうね。
- 松下
- いやいや、そんなことないですよ(笑)
- 齋藤
- このお名前はご両親がお付けになったのですか?
- 松下
- はい。父親は昔編集の仕事をしていて、ちょうど京都の湯次神社(ゆつぎじんじゃ)に取材に行っていたときに私が生まれたんです。そこに祭られていたのが朝鮮渡来の弓月君(ゆづきのきみ)という王様で、これも何かの縁だろうというので、そこの神主さんにお願いをして名前をもらったんだそうです。
- 齋藤
- 弓月さんは「彼岸寺」というサイトで現在編集長をされているのですよね。名刺の肩書きに「輪番」と書いてありますが、これは?
- 松下
- 以前はトップページに一週間交代でコラムを書いていたんです。なので“一週間交代の住職”という意味でした。
- 渡辺
- この絵もすごく上手ですよね。
- 松下
- これは知り合いの加藤円正さんというお坊さんかつ妖怪絵師をされている方に描いてもらいました。 京極夏彦さんの書籍にイラストを提供されたりしていて、妖怪界では有名な方なんです。
- 渡辺
- 彼岸寺のサイトでも弓月さんは“福生山宝善院副住職”と紹介されていましたが、お父様ももともとご住職だったのですか?
- 松下
- はい、そうです。今と同じ平塚にお寺があって私はそこで生まれました。
- 齋藤
- それじゃあ将来は住職になって跡を継ぐ、というのはある程度決まっていたんですかね?
- 松下
- いえ、たしかに普通はお寺に生まれると将来の跡取りとして期待され、宗門大学に行って修行して跡を継ぐ...というパターンが多いのですが、父親も僧侶になる前はサラリーマンをしていたこともあり、息子の私にもストレートに僧侶の道に進んで欲しいとは考えていなかったようです。「自分で決めて良い」と言われていましたし、私自身もお坊さんになりたいとは特に思っていませんでした。
- 渡辺
- なるほど。弓月さんは人文科ですよね。
- 松下
- はい、もともと映画や文学に興味があって、できれば文学研究者になりたいと思っていました。
- 齋藤
- へえ〜!ICUを選んだきっかけは何かあったんですか?
- 松下
- 高校生のときに通っていた代ゼミで先生がICUの卒業生だったせいか、よくICUの話をしていたのがきっかけで興味をもちました。わたしは世界史や日本史のような暗記科目が嫌いでほとんど勉強しなかったんです。 だから受験のときは英語を勉強できる大学で、かつ得意な英語と現代文だけでも対応できるというところを探して試験を受けました。わたしの通っていた高校でICUに合格した人はそれまでほとんどいなかったらしいので、一番行きたかったICUに受かったときはほんとに嬉しかったです。
- 渡辺
- お父様は、住職になられる前は編集のお仕事をされていたということですよね。ということはおじいさまもご住職だったんですか?
- 松下
- そうです。
- 渡辺
- おじいさまの方針としても、お父様と同じように“子供には好きな道をすすんで欲しい”というお考えだったのでしょうか?
- 松下
- 平塚は太平洋戦争で大規模な空襲があった街なんです。祖母もその時まだ生まれたばかりだった父を背負って、大磯の親類のところへ走って逃げたそうです。帰ってみるとお寺は丸焼けで、なにも残っていなかったとか。戦後は再建で長く苦労したようなので、わたしのときのような余裕はなかったんじゃないでしょうか。
- 渡辺
- じゃあ、お父様の弓月さんに対する方針というのは、お父様ご自身が反抗まではいかないけれど、いろいろ考えられた上でご住職になって…という経緯もベースにあったのでしょうね。
- 松下
- そうですね。特に親から何か働きかけがあったわけでもなくて、基本的には自分のやりたいことをやらせてくれたのはありがたかったです。
- 齋藤
- ちなみに初歩的な質問で申し訳ないのですが、お寺というのは代々続いているものなんですか?
- 松下
- 私が住職になるとこれで25代目、ということになります。
- 齋藤
- へえ〜!25代目ですか!
- 松下
- 建久2年1192年、鎌倉時代にはじまりました。
- 渡辺
- “いいくに”つくろう、の鎌倉幕府の時代ですね!平塚ということはちょっと行ったところに頼朝がいたということですよね?!
- 松下
- はい。ちょうど平塚と茅ヶ崎のあいだに馬入川という大きな川があるのですが、そこに落ちたのが原因で頼朝が亡くなったという話です。一説によれば、亡霊となった源義経たちが恨みに思って現れたことに驚いたんだとか。東海道とそれよりさらに古い鎌倉街道も通っていて、昔から宿場町として栄えてきたところなんです。
- 齋藤
- もう25代目で由緒あるお寺ということはこの先も続けないわけにはいかないですよね。
- 松下
- これまでも長い間たくさんの方たちがお寺を守るため力を尽くしてこられたし、わたしたちも次の世代に引き継いでいかなくてはならないでしょうね。
- 渡辺
- ちなみに弓月さんはご長男ですか?
- 松下
- はい、弟と妹がいます。弟は映像の編集の仕事をしていて、妹も嫁いで今は別のところにいます。
- 齋藤
- なるほど。でももしかしたらお父様のようにご兄弟も途中から仏教の道に進む、ということもありえるわけですよね。
- 松下
- そうですね。ありえないことではないと思います。
心の中に穴があるような、“生きているのが苦しい”という言葉にできない感覚をずっと抱えて生きています。これは何か理由があって生じているのではなく、そもそも私の中に内在していて、生きて行く中でそれがあらわになったのではないかと思っています。
- 渡辺
- ICUに入学なさる前に文学研究の道に興味があったのは、どうしてだったんでしょう?
- 松下
- ICU卒業後は青山学院の大学院に行ったのですが、そのときまでは研究者になりたいと思っていました。そもそも文学に興味を持つようになったのも、いつの頃からか「生きていて苦しい」「生きる理由がわからない」という気持ちに悩むようになったからです。生きるということに積極的になれないし、どこにも安心出来るところがない。心のなかに穴が空いていて、そこから生きようとするエネルギーがどんどん漏れていってしまうような感覚でした。だから、文学を学ぶことによって何か解決や救いを求めようとしたんですね。でも結局、文豪の人生を辿ったり勉強していてわかったことは、生きる苦しみというのは文学の世界において創作のエネルギーに結びついても、解決の糸口にはならない、ということでした。この苦しみを解決するには、苦しみそれ自体に向き合わなくてはならないんだろうと思うようになりました。それだったら苦しみに向き合い乗り越えようとするという点で、文学よりも宗教のほうが良いのではないかと考えたんです。
- 齋藤
- なるほど。その“心の中に穴があいている”というのは、おいくつの頃から思い始めたのですか?
- 松下
- もう、ずっと昔からですね。
- 齋藤
- お話を伺っていて、僕自身そんなこと少しでも思ったことあったかな、と考えたのですが、ほとんどそういった記憶はないんですね。どこからそういう思いが生まれるんですかね?
- 松下
- うーん、それはなにかの出来事が直接の原因になっているのではないと思います。わたしの性格や経験してきたことも影響を与えているでしょうが、そもそも人間はこういうものを抱えこんでいるんじゃないでしょうか。
- 渡辺
- 例えば、お寺に生まれて幼い頃からお父様やお寺に来た方達が話しているのを聞いて育ったから...というものではないということですよね?
- 松下
- それが実はあまりそういう話を聞いた覚えがないんです(笑)。もともと人付き合いはうまくないし、自分の居場所は本や映画の中という感じでした。できることなら目の前の現実とは関わりたくない。どこかに消えてしまいたいと思っていました。だから 同じような苦しみをしている文学の人の中には、何か共感できるものを見つけられるのでは、と思い文学や映画にのめりこんでいたんです。
- 渡辺
- なるほど。。私も家族にも環境にも恵まれた育ち方をしたと思うのですが、高校生の頃、苦しさや弱さに共鳴してくれるような太宰治がすごく好きだけど周りに言いたくない気持ちがあったり、石川啄木の詩集をポケットに入れたりしていたこともあるんです。親は小さい商売をしていたので、できれば経営とか経済を勉強して欲しい、と考えていたのですが、大学4年間で好きなことをやらせてもらえるのであれば、文学をしたいかった。書き物をしたいというのではなく、何か救ってもらいたい、救うまでいかなくても共感、共鳴というものは文学の中でしか得られないと思っていたんですね。だから人文科学科を選びました。あんまり人に話したことがなかったのですが、松下さんのお話を伺っていて思い出しました。わかる、という言葉はあまり簡単に使いたくないし、似てるというわけでもないと思うのですが... おそらく松下さんは端から見たら、恵まれた“由緒正しい家に生まれた見目麗しい方”というように映ると思うんです。そうすると、苦しいなんてどうしてだろう?って、周りは理由をつけたがるものですが、たぶん内在しているというのはそういうものではないのでしょうね。そういったお気持ちを強く意識しはじめたのはいつ頃だったのでしょうか?
- 松下
- 高校生くらいにはこういう感覚が自分が生きていくうえでのベースになるんだろうと感じるようになっていました。でもその頃にはそれにどう向きあえばいいのかは全然分からないままでしたね。
- 齋藤
- 松下さんは小さいころから文学に親しんできたんでしょうね。自分との違いは何だろうと考えたときに、僕も本は読んでいたとは思うけど、「十五少年漂流記」とか「少年ケニヤ」とか冒険ものが好きだったんですね。放課後は鉄棒やったり運動やったり、週末は教会学校とボーイスカウトを夢中になってやっていた。そのせいか難しい小説なんかを読むこともなく、あまり真剣に深く考えることはなかったんですよね(笑)。
- 渡辺
- 活発で活動的な少年だったんですね、今と変わらず(笑)。それはとても素晴らしいことだと思いますけれど。
- 齋藤
- 僕も結果的にはそれでよかったと思っているのですが、話を聞いていて、中高生のころから「何かおかしいよね」というような考えはどこから来るのかと、びっくりしたんです。ひょっとすると時代ということもあるのでしょうか。
- 松下
- そうかもしれないですね。エヴァンゲリオンというアニメの主人公と年も近かったし。すごく内向的、自閉的な時代だったのかなと思います。わたしもずっと自分をどう変えられるかに興味がありましたし 中高生のときなんかは、瞑想であったり薬であったり、いろんな方法を使って自分を変える方法をまとめた「人格改造マニュアル」という鶴見済の本に影響を受けて“どうやったら根本的に自分を組み変えられるか”ということをよく考えていました。残念ながら、あまり求道的な性格ではないので、宗教的なものよりも、抗鬱剤や薬物のほうにばかり興味がありましたが(笑)。
- 齋藤
- へぇ〜!その他にお読みになっていた本はどんなものがありますか?
- 松下
- そうですね。大学で出会ったアメリカ南部の作家ウィリアム・フォークナーは研究の対象にもしました。彼はアメリカにおいて、いかにひとりの人間に歴史の重みがのしかかって圧迫し生きづらくさせているのか、ということについて書いていて、そういう点に共感しました。
- 渡辺
- そういった文学に触れる中で、当時松下さんはご自分の虚しさや苦しみというのは、どのあたりに根ざしていると思っていましたか?
- 松下
- うーん、生きていることに意味がないな、と思っていましたね。生きることに目的も与えられたゴールもありませんし、この先、生きて行くことを続けるとしたら時間が経過する中でどこに意味を見いだそうかな、と考えていました。
- 渡辺
- 例えば10代の男の子だったら、女の子にどうやったらもてるか、とか些細でも小さなモチベーションってたくさんあるじゃないですか。そんな楽しみとか、特に持たなかったんですか?
- 松下
- そういうものは遠くから見ている分には良いのですが、近くでみるとやっぱり違うなあ、と思いましたね。自分にとってその場限りのもの以上ではない、と。
- 齋藤
- 永続的なものではない、ということですね。それじゃあ、これはなんとなく幸せだと思ったり、これに熱中していれば楽しい!ということもなかったのでしょうか?
- 松下
- ほとんどなかったですね。まあ強いて言えば映画を観るだったり文学に浸ることは楽しかったけれど、それも目の前の現実を忘れられるからだったからかもしれません。
- 渡辺
- そういう気持ちや感じ方は、誰かと話したり共有していらっしゃいましたか?
- 松下
- いや、全然話してないですね。自分がダメな人間だと認めてしまうことのような気がして、怖くて言葉にはできませんでした。もしかしたら同じような気持ちを持っている人が近くにいたのかもしれませんが、どう思われるかも怖かったし。
- 渡辺
- いつ頃から変わったのでしょう?
- 松下
- やはり僧侶になって、同じような感覚をもっていたり経験をしている人に多く出会ってからですね。特に自分の置かれている状況を言葉にして表現しているお坊さんたちに出会ったときに、自分だけが特殊なのではなくて、ある種の人たちには共通してある経験なんだなということがわかったんです。
- 渡辺
- なるほど…。その時にはすっと何かが軽くなるような気持ちでしたか?
- 松下
- ああ、こういう気持ちを持っていても人はまっすぐに生きていけるんだと感じ、すこしホッとしました。
このまま今の生き方を継続していけないな、限界がきているなと思ったんです。そこで一旦今までの人生を休息して違った生き方をしてみようと思いました。生活を変えるということは、その人自身のあり方を変える大きな力になります。
- 渡辺
- ご住職を継ごう、という考えとはまた違ったのかもしれませんが、仏道に帰依しようと決めた原因は何だったのでしょうか?
- 松下
- 大学院に通い始めて1年目の12月末あたりに、このまま今の生き方を継続していけないな、限界がきているなと思ったんです。そこで一旦今までの人生を休息して違った生き方をしてみようと思いました。他に方法があれば何か別の道もあったのかもしれませんが、自分の家がお寺だったということもあり、休学して修行に行くことにしました。
- 齋藤
- ICUや青学に行かれて、海外に目をむけるきっかけなんかはたくさんあったと思うのですが、インドに行ってみよう、だとかそういった選択肢はなかったんでしょうか?
- 松下
- そうですねぇ、基本的に内にこもるタイプだったので、ICUに行ったからといって海外に目を向けよう、とは思いませんでした。それに、そのこの頃はまだ文学の世界に興味をもっていたこともありますし、空間的に移動するよりも、内面的に深く潜っていきたい、という気持ちが強かったのだと思います。
- 渡辺
- 修行は京都の東寺でされたのですよね。東寺のすごさというのはどんなところなんですか?
- 松下
- 真言宗のお寺の中で根本的に位置づけられている2つのお寺が高野山と東寺なんです。基本的に高野山は修行の場として設定されているのに対して、東寺は一般の民衆に対して仏教というものを伝えていくために設定されています。密教では言葉で表現できない「真理」を伝えるために、体験を重視するんですね。東寺にある講堂という建物には弘法大師空海が考えた合計21体の仏像で構成された立体曼荼羅というのがあります。その場に立つと 大きな仏像に見つめられているような気持ちになるんです。まるでこの世界に働いている大きな力が可視化されたような感じですね。
- 齋藤
- なるほど〜。東寺にはどれくらいおられたんですか?
- 松下
- 1年ですね。真言宗では僧侶は四度加行(しどけぎょう)という修行を中心に1年間の修行カリキュラムがありまして。
- 渡辺
- ここに行きたい!というよりも、今の生活が嫌だから、これまでの生き方に限界がきたから、ということでいらしたわけですが、この場所はご自分で選ばれたのですか?
- 松下
- はい、そうです。そもそも吟味して選べるほどの選択の余地もなかったのですが。
- 齋藤
- 東寺で修行して僧侶の資格をもらって…というのは大学を出ているからそういうコースになるんですか?
- 松下
- いや、大学を出ていなくても真言宗にはいくつかルートがありまして、本山の修行に入る、本山以外でも修行道場のあるお寺で修行する、大学で修行する、というだいたい3つの方法があります。
- 渡辺
- 修行中は周りに女の人はいないんですよね?男性だけの寮生活、というのはどうでしたか?
- 松下
- うーん、、複雑なものはありますね。例えば朝お参りに行くときにはきっちり整列して、リーダーの鐘の合図で声をかけながら一緒に行くんです。1年間4人の仲間と常に集団行動をしていましたが、おそらくたいていのICU生はそういうのは嫌いですよね(笑)
- 渡辺
- あまり得意ではないでしょうね。
- 松下
- それまではずっと一人で気ままに生きてきたので、何をするにしても常に誰かが隣りにいる状況はやはりストレスになりましたね。高野山だと100人近い人が同時に修行するんですが、東寺だと定員が5人なんですね。朝から晩までずっと同じメンバーで行動してひとりになれる時間もほとんどないし、結構ストレスになりました。険悪な雰囲気になって口も聞かないこともあれば、ケンカすることもあったり。
- 渡辺
- 修行を通して何か変わりました?
- 松下
- だいぶ変わりました。とりあえず生きていること自体の苦しみは軽減されました。
- 齋藤
- それはどうしてなんでしょう?
- 松下
- やはりそれまでと全く違った生活を送ったからでしょうかね。授業はもちろんあるのですが、基本的にそれ以外はほぼ自由なので、図書館に行って本を読んだりだいぶ内に閉じこもった生活をしていました。それから5人での寮生活は、文字通り朝から晩までずっと一緒に行動したり、これまで全くしてこなかったことが生活のほぼ100%になりました。行動パターンが変われば、心も体も変わるんですえよね。朝は遅くても5時に起きて夜は9時には就寝。人とあったらかならず立ち止まり合掌して大きな声で挨拶をするとか。小さいことかもしれませんが、こういうことの積み重ねで、ずいぶんと健全になった気がします。
- 渡辺
- 東寺に1年間いらっしゃったあとはどうされたのですか?
- 松下
- 一応お坊さんとしては一人前という資格をいただいたので、大学院に戻って2年かけて修論を出し、卒業後26歳のときにお寺に入りました。結局大学院には休学期間も含めて4年も在籍してしまいました。
- 齋藤
- ご両親とは大学や大学院の進学について、よくお話はされていたのですか?
- 松下
- いや、あまりしなかったですね。私はあまり人に相談とかはできないタイプなんです。それから高校もそんなに良いところでもなかったので、ICUを受験するって言ったらきっと止められていたと思います(笑)。なので、先生にもほとんど何も相談せずに勝手に受験しました。
- 齋藤
- へぇ〜。小さい頃からそうやってご自分で決めることが多かったのでしょうか?
- 松下
- そうですね。記憶はあまりないのですが、幼稚園生の頃から何事も自分で決めてコントロールしたがったり、親に反発して何でも一人で行動するような子供だったようです。
- 齋藤
- 幼稚園生の頃からですか縲怐Bそれは早いですね!
- 松下
- そうですよね(笑)。
- 齋藤
- 今考えると家族の誰かに似てるな、と思うことはありますか?
- 松下
- 父親には似てるところはあると思います。人生において自分と同じようなことを苦労してきたんだろうと思いますし。私自身で変えられるところは変えていきたいな、と思っています。
- 渡辺
- お父さまは、弓月さんが僧侶の道に進まれたことをどう思われているのでしょうね?
- 松下
- あまり言葉にはしないけれどやはり嬉しいようです。
本来仏教が合っている人がいても、まだまだ出会いにくい現状があると前々から感じていました。「彼岸寺」というサイトでは人々が仏教に出会うための道をならしていきたいと思っています。
- 齋藤
- 7年間僧侶としてやってこられた中で、今までのしきたりや伝統にとらわれず新しいことをやろうっていうのは、まずインターネットですよね。他に、今までと違う、でも本来の仏の教えはこれだからやってみた、ということは何かありますか?
- 松下
- やはり「彼岸寺」の活動が中心ですね。もともとはメンバーのひとりが一般家庭からお坊さんになるまでを記録した個人のブログでした。どうやったらお坊さんになれるかもどこに相談したらいいかもわからず困ったので、自分の経験を記録しておけば同じような悩みのある人の役に立つだろうって。わたしもなかなか仏教と出会いにくいと前々から感じていたので、彼の活動に興味を持って彼岸寺に参加しました。わたしと同じように生きることの苦しみを抱えた人に、少しでも楽になって欲しいんです。なので、彼岸寺などの活動を通して、仏教が合う人がちゃんと仏教に出会い、学んでいけるような環境を作りたいです。
- 齋藤
- それでは今、ICUを振り返ってみたときに、キリスト教との関わりという点でもっとこうしたら良いんじゃないの、ということはありますか?
- 松下
- こう見えても大学時代はYMCAで子供をキャンプに連れて行くようなボランティアをしていて、聖歌を歌ったり聖書を読んだりもしていたんですよ(笑)。私が学生だった頃に関して言えば、インクリ(キリスト教概論)だけではちょっと少ないかなという気はしましたが、学びの場という意味では、今以上にキリスト教を打ち出して行く必要はないのではないでしょうか。ただ、学生のころ教授が授業の中で、「宗教者としては聖書に書いてあることはすべて真実であると信じているけれど、学者としては文献学的にきちんと検討すべきだと考えている」というお話をされていて、その宗教者としてのあり方に大変感銘を受けたのを覚えています。日本では直に宗教者と触れるという体験自体がすごく少ないですよね。自分とはまったく異なる世界観で生きている人に触れるというのは、生き方を考える上でもとても大切だと思うんです。だからもっと宗教者として生き方に触れられるようにしてみてはどうでしょうか?信仰を持ちながら現代日本に生きるってどういうことなのかとか、直接聞いてみたかったなと今では感じます。わたしも4年間もいたのに、入学式と卒業式にしかチャペルに行かなかったのをもったいないことをしたと後悔していますので(笑)。
修行するというのは、“人間”ということの意味を一度解体して、“仏”としての姿に組み立てていくということなのです。たった1年間の修行で悟りを開けるわけではなく、これからもずっと取組むべき課題だと思っています。
- 渡辺
- 平たく言うとICUでは、どんな生徒がいてもどういう道に進もうと周りがとやかく言うことはないですよね。でも日本で世間一般的に見ると、国際基督教大学を出て、もともとご住職の家に生まれたとはいえ仏教の道に進んだのはなぜだろう?と不思議に思われることは多くないですか?
- 松下
- そうですね、よくあります。
- 渡辺
- そういう時どのように説明するんですか?
- 松下
- ICUはキリスト教の精神に基づく学校だけど、牧師や神父を養成する学校じゃないと答えます。学びたいものを学べるかどうかで学校は選ぶものだと思いますし。でも、実家にいたときは意識的に仏教には触れないようにしていたのですが、大学でキリスト教に触れてみて、これは合わないなとも思いました。
- 齋藤
- 合わない、というのはどういったところがですか?
- 松下
- まず神の存在が受け入れ難い、ということがありますね。そもそも世界が存在していることに根拠や意義はない、と考えているので。今自分が抱えている苦しみが原罪という神との関係で生じたものではなく、根拠はないと考えた方がしっくりくるんです。
- 渡辺
- これまでずっと抱えて来た苦しみというのは今はどうですか?
- 松下
- 人間である限りはずっとこの苦しみと一緒だと思いますね。扱い方がうまくなったりはすると思いますが。僧侶になってからは7年経ちましたが、修行に専念できたのはたった1年間だけで、悟りなんていうのは遥か彼方でまだどこにあるのかもわかりません。だから生きている限りはずっと仏道修行を続けていかないといけないと思っています。
人間というのは、何か原因が生じればそれに付随した行動をしてしまう存在です。お酒にしても情報にしても、周りにものがあればそれに誘惑されてしまう。律するというよりも、まずは自分にとって何か行動を強いる要因を取り除いて、なるべく誘惑や刺激がない状況を求めるようにしています。
- 渡辺
- お坊さんというと朝が早いイメージがありますが、普段の生活についてうかがえますか?
- 松下
- 僧侶にも朝型夜型がいまして、私は夜型なのでそんなに早くは起きないですよ。大学院生のときは朝明るくなってから寝る、という感じでまさに夜型生活をしていましたが(笑)。今はだいたい朝7時台に起きます。それから朝食をとって、お寺に行ってお参りや掃除をします。その後10時から18時頃までは決められた仕事が常にあるわけではないので、お客さんの相手をしたり法事があれば執り行ったり、あとは勉強や他の仕事をしています。
- 齋藤
- お寺に住んでおられるのですか?
- 松下
- はい、お寺の敷地の中に住んでいます。なので、そんなにゆっくり寝ているわけにも行かないですね(笑)。
- 齋藤
- 休日や自由時間なんかは、楽しく過ごすためにどんなことしているんですか?
- 松下
- うーん、楽しみはだんだん種類が減ってきていますね。昔だったら音楽が好きなのでライブに行ったりしていたのですが、最近はのれないので落ち着いたものを家で聞いたりしています。あとは映画が好きなので映画館にはよく出かけていますね。自宅ではもっぱら映画か読書。あとは温泉が好きなので、時間があるときは温泉につかって気を休めています。今年は月に一回は温泉に行きたいと思って、なんとかやりくりしています。近所の浴場にしか行けないことも少なくないですが。
- 齋藤
- 飲みに行くこともあまりないんですか?
- 松下
- 今はお酒は飲みません。数年前にやめました。
- 齋藤
- それはどうしてですか?
- 松下
- そのほうが心も体も調子がいいし、安定するからですね。たしかにお酒は美味しいし親しい人の盃を交わすのはとても楽しいです。以前はワインバーでひとりワインを飲みながら本を読むというのが好きでした。でも、やっぱり飲むとどうしても気持ちが大きくなって普段だったら絶対しないようなことをしてしまうことも少なくないです。それがお酒を飲む楽しみでもあるんですが、一時的にはよくても結局は苦しみにつながるというのが仏教の見方です。だから、わたしもなるべく心身を落ち着いけたいと思って、お酒は飲まなくなりました。
- 渡辺
- つらくはなかったですか?弓月さんはお酒も強そうですよね。
- 松下
- そうですね、昔は彼岸寺のメンバーでよく遅くまで飲んだりしていました(笑)。でも以前からいつかやめようと思っていたので、頻度自体を下げていったら飲まなくても大丈夫になりました。ごくたまにちょっと飲みたいな、と思うことはありますがそんなに強い気持ちではないですね。
- 齋藤
- 禁酒というのは、僧侶として自分を律する、ということでしょうか?
- 松下
- 仏教では戒定慧といって、三つのステップで涅槃を目指します。つまり、戒律で自分を安定させ、禅定によって内面を深く見つけ、智慧によって苦しみを断つということです。 人間というのは何か刺激があれば、それに反応を返さずにはいられない生き物です。わたしはあまり自分の律する力も強くないし、誘惑に立ち向かう!というより、危険には近寄らないほうがいいかなと思って。
- 齋藤
- へえ〜!僕なんかは刺激ばっかり求めてる気がしますよ(笑)
- 渡辺
- 斎藤さんにとっては、お酒のせいでこれ出来なかったなーということも苦じゃないってことですよね?
- 齋藤
- 他人に迷惑かけることはよくないけれど、それも含めて人生だからしゃあないかな、と考えたらあまり苦ではないですね。
- 渡辺
- ちょっと突飛ですけれど…生まれて育っていつか枯れて死んで行く、という意味では人間も植物と同じだと思うんです。ただ、人によって知覚というものが全然違うのが面白いですよね。たとえば医学的には同じボリュームの頭痛を抱えていたとしても、人によって感じ方は全然違うから、ものすごく辛い人もいれば、何となく平気で過ごせる人もいるとか。だから自分がする一つの行動に対する捉え方も感じ方も、本当に人それぞれなのでしょうね。
- 齋藤
- 「自分を保つためにこれはやめよう、こうしよう」ということはお酒以外にも何かありますか?
- 松下
- 人間はあらゆるものに依存的になってしまうものなので、いまは自分が好きなものへの触れ方に注意しています。映画とか文学は相変わらず好きなのですが、夢中になってのめりこんでしまうことも少ないんです。現実逃避の手段になってしまうとよくないので、自分がどう反応しているか、それをどう捉えるかを意識的にするようにしています。あといま考えているのは、インターネットとひとの距離の問題ですね。ネットを使えばいくらでも情報を得られるし簡単にコミュニケーション欲を満たすことができます。でもそこにのめり込み過ぎると、現実から遊離してしまうし危険です。だから、どうしたらひととインターネットが良い関係を作れるか考えています。
- 渡辺
- 例えばお食事はたくさん食べないとか何か制限はあるのですか?
- 松下
- うーん、食事に関してはもともとあまり意識していないタイプなので、どうしようかなとは考えていますが、まだ確立できていないですね。
- 齋藤
- お寺でお召し上がりになるのですか?
- 松下
- はい。結婚しているので妻が作ってくれています。
- 渡辺
- ご結婚されたときには嬉しい!だとか、どんな感情の揺れがありました?
- 松下
- うーん、僧侶として家庭をもって生きて行くというのはどういうことか、ということはずっと考えていたので、単純に“嬉しい”とはまた違う感情でした。自分の家族をもつことができたことに対しては嬉しいとも思いましたが、それだけの簡単なことではないと思うんです。ついに背負うものができたということで、自分の中でどう折り合いをつけていくのか、いろいろと考えましたね。
- 齋藤
- 奥様とはそういうお話もされたのですか?
- 松下
- 妻は感覚的な人なので、あまりそこまでの話はしませんでした。
- 齋藤
- 奥様との出会いは?
- 松下
- 彼女の実家もお寺でして、あるお寺のイベントでスタッフとして知り合いました。
- 渡辺
- それじゃあ環境は似ていらっしゃるのですね。お子さんはいらっしゃるんですか?
- 松下
- 男の子が2人います。
- 齋藤
- もしかして弓月さんと同じように何でも自分で、という面もあるのですか?
- 松下
- まだそこまでではありませんね(笑)。
- 渡辺
- 跡継ぎや将来に関しては、お父様と同じように、お子様の意思を尊重しよう、と考えていらっしゃいます?
- 松下
- そうですね。好きな道を歩んでもらいたいと思いますし、ある意味ではそうするしかないのだと思います。やっぱり僧侶というのは誰かから強いられてするのには負担が大きすぎると思うので。そうでなくてもお寺でお坊さんをしているといろんなことを言われたりもしますし...。
- 齋藤
- 例えばどんなことですか?
- 松下
- どうしようもないことから高尚なことまでいろいろありますね。僧侶は存在としては世間で知られているけれど、直接触れ合う機会の少ない立場なので想像ばかりが膨らんで行くのでしょう。高級車乗っているんでしょとか、税金払っていないんでしょ、とか言われることもよくあります(笑)
何かを与えてもらう、というよりも自分がそちらに向かっていく感覚です。自分もいつかそういう存在になれればいいなと思います。
- 渡辺
- 弓月さんは今の生活や生き方に対しては納得していらっしゃいますか?
- 松下
- そうですね。他に選択肢があればいいのですが、私は社会に生きることはできないと思っているので。普通の人であれば生きていて楽しいだとか、もっとこうしたいという気持ちがあると思うのですが、先ほどもお話したように私の根源にはこの社会に生きていることに対する疑問があるのです。
- 渡辺
- とても素直にストレートにおっしゃいますよね。
- 松下
- 同じことを思っている人は絶対にいると思うので、言葉に出しても良いんだよということを伝えたいです。
- 齋藤
- でも弓月さんは考えていることのわりには、表情も笑い方も明るいし、そうやって深く考え悩んでいることが良い意味であまり表には出ていませんよね。
- 松下
- そうですね、わりと軽い人間に見られることもあります(笑)。
- 渡辺
- いや、軽いということはないでしょうけれど。むしろ就職活動とかしたら、例えば企業の営業職など、きっと松下さんを採用したがるかと思います。
- 齋藤
- うん、とるだろうね。
- 松下
- いやいや。
- 渡辺
- 弓月さんご本人が自分の内面と相談したときにその道はない、と決められたのだと思いますが、外から見たら、ご本人が選ばなかっただけできっといろんな道はあったんでしょうね。
- 齋藤
- 仏門の扉を叩きに行く人は、おそらく何かの救いを求めていると思うのですが、松下さんの場合も“側にいると癒されたな”と皆さん感じられるのではないですかね。
- 渡辺
- 誤解を恐れずに言うと、聖職者の方でもご容貌によってすっと手を合わせたくなるかどうかという側面は否めませんよね。今日お部屋に入っていらした時に、弓月さんは体躯的にも恵まれて、法衣がとても似合っていらっしゃるので、こちらも背筋が伸びるような気持ちがしました。むろん内面から出るものだからでしょうけれど。
- 松下
- そう言っていただけるのはありがたいですが、自信ないですね(笑)。わたしだったらダライ・ラマ法王にそういう気持ちを感じますね。亡命以来、50年も帰国できず、国は破壊と略奪にあい何百万人ものチベット人が殺されてしまいました。それでもダライ・ラマ法王は自分を保ちながら多くの人を導かれています。自分よりも遥かに大きなものに立ち向かっておられる方がいるのだから、自分もがんばらなくてはと思うんですよね。まるで音が共鳴しあうように、ダライ・ラマ法王の慈悲に触れると、自然とわたしのなかの慈悲の心が大きくなるような感じがします。自分も少しでもそういう存在に近づけたらいいなと思います。
まずは自分の抱えているものと向き合って欲しい。仏教を通してそれがよりはっきりとした形になったり、何か解決する力を得られるかどうかは向き合ってみないとわからないけれど、中にはそこで救われる人も絶対にいると思うのです。
- 渡辺
- たとえば20年後だったり30年後のご自分を想像したりしますか?
- 松下
- わたしがいましている活動は、僧侶の仕事としては、副次的なことでしかないと思うんです。僧侶のすべきことは、実際に仏教の知恵だとか実践する方法を伝えて人々の生き方を変えて行く、ということです。今はそのための環境を整えることをしているので、今後はそれだけでなく、本筋を伝えられるよう自分を高めていきたいと思っています。
- 渡辺
- 弓月さんは仏教と人とに関わる環境を整える、ということをしておられますが、一般的に自分とは違う世界にあると考えられている仏教を、もっと近くに感じてもらえたら、距離が縮まったら、とも考えられますか?
- 松下
- 私自身にとってもそうであったように、自分の中で苦しみを抱えていて、それに向き合う方法として仏教が向いている人もいれば向いていない人もいると思うんです。まずは自分の抱えているものが、そういうものと向き合ったときにどう反応するのかを考えてもらいたい。仏教というものでよりはっきりとした形になるのか、何か解決する力を得られるのかは向き合ってみないとわかりませんが、中にはそこで救われる人も絶対にいると思うのです。そういう人たちにとって、仏教が遠ざけられたり阻害されないような環境をつくることが大事だと思っています。出会って試さないことには自分の中で決められませんし、苦しみを抱えている人は少なくないと思うので、少しでも生きていけるようにできたらいいなと考えています。
- 齋藤
- 彼岸寺の方ともそういう話はよくされるのでしょうね。
- 松下
- そうですね、集まっているメンバーの宗派もばらばらなので、自分が置かれている状況に対する解釈もそれぞれ違って興味深いです。
- 齋藤
- そもそも彼岸寺に関わられたのはいつごろからなのですか?
- 松下
- 2004年に立ち上げられ、私は2006年から加わりました。
(→虚空山 彼岸寺 http://www.higan.net/)
今自分の中で抱えている強烈な感覚、たとえば違和感や疎外感を忘れずに、それを具体的に自分の中でかたちにする作業を続けて欲しいと思います。
- 渡辺
- 私は子供がいないので単純素朴な疑問なのですが、お子様が生まれた瞬間はすっごく嬉しい!だとか、どんな感覚でした?
- 松下
- うーん、やっぱり何事につけてもすごく嬉しい!とはならないんですね。自分の中でもそういう状況におかれたときにどういう感覚になるのか、というのは気になることではあるのですが。この社会において単純に嬉しいと思った経験は、それこそICUの合格通知を受け取ったときくらいですね。ちょうどベッドで寝ていて、母親が通知を持って来たんです。ほっとしたと同時にああよかった、と思いました。それまで与えられた環境の中で生きてきた延長から、住む場所もそこにいる人も全く違う環境に自分を置くことにつながったことがとても嬉しかったんだと思います。
- 渡辺
- なるほど。そういう想いでいらしたICUは松下さんにとってどんな場所でしたか?
- 松下
- ICUはやっと息苦しくなく呼吸できるような場所でした。
- 齋藤
- 不思議とこのインタビューをしていると、全く違う職業をされている方でも「やっと息ができた」とおっしゃる方が多いんですよ。どうしてでしょうね?
- 松下
- やはりいろんな人がいろんなところから集まって、バラエティに富んでいる空間というのは居心地が良いのではないでしょうか。それまではどこにいっても自分はマイノリティと感じて、分かり合える人がいないと感じていたので。ICUはそもそもマジョリティもマイノリティもなくて、違うのが当たり前なんだからどう共生していくのかが重要という考えがある気がします。だから、やっと自分が自分でいられる場所に出会ったような気持ちでしたね。
- 渡辺
- いつもは在校生やICUを目指す方、その職業を目指す方達に向けてメッセージをいただいています。でも、松下さんの場合は僧侶になりたいと思ってこの道に進まれたのではなく、内面の苦しいものをどうにかしたいと、こうして僧侶として活動なさることにつながったので、今回は「今何かを心に抱えている人」に対してのメッセージを一言お願いできますか?
- 松下
- 今自分の中で抱えている強烈な感覚、たとえば違和感や疎外感を忘れずに、それを具体的に自分の中でかたちにする作業を続けて欲しいと思います。そのための方法を見つけて欲しいです。よく誤解されているのですが、宗教は答えを与えるものではなく、絶対に自分の中では答えの出せない大きな問いを突きつけられ、同時にそれに向き合うための方法論を示されるんです。先人が培ってきた議論や考え方の手法で、自分なりの大きな答えを見つけて行く、これが宗教というものだと思います。これは宗教的な生き方をしない人にとっても大切なことですが、ただそれをしなくても生きて行ける人はもちろんいるので、そういう人はぜひ元気に生きていって欲しいと思います。
プロフィール
松下 弓月(まつした ゆづき)
1980年4月10日 神奈川県平塚市出身。青山学院大学大学院文学研究科英米文学専攻博士前期課程修了。福生山宝善院にて副住職。超宗派仏教徒によるインターネット寺院「彼岸寺」編集長。学生時代はアメリカ文学を学ぶが、大学院に2年目に休学して僧侶になり東寺にて1年間の修行生活を送る。共著に『お坊さんはなぜ夜お寺を抜け出すのか』(現代書館)、『和綴じで綴じる写経入門』(主婦の友社)がある。リンク彼岸寺http://www.higan.net/