INTERVIEWS

第11回 石田 卓夫

獣医師  

プロフィール

石田 卓夫(いしだ たくお)
1973年 理学科卒業。 日本獣医畜産大学獣医学科、 東京大学大学院農学系研究科博士課程を経て、 東京大学医科学研究所助手、 カリフォルニア大学デイビス校での研究員、 日本獣医畜産大学講師・助教授という経験を積む。

 

齋藤
実は石田さんと僕は同期なんです。「今を輝く同窓生たち」の次のインタビュー候補を真理さんと相談していた時に、「卒業後にユニークな職業に就いた人・・・。『弁護士・アーティスト・医師・・・獣医師・・・・』」という話がでて、「そういえば僕の友達の猫のエイズの研究を発表した石田くん!」と思い出して、今回突如インタビューをお願いしました。今日はほんとうにありがとうございます。よろしくお願いします!
石田
(笑)。よろしくお願いします。
ICUで獣医学のベースとなる基礎知識、また素晴らしい教授との出会いから“遊び心”を学び、そして何よりICUは僕にとって人格形成の場でした。 僕は、ICUの本来「あるべき姿」をそのまま利用したんじゃないかと思います。
石田
大学とは、「学問を通じた人格形成の場・教養を身につける場」で、「社会に出てからのための専門教育は別に学部でやる必要はなく、on the job training、あるいは学部より上の教育機関で学べば良い」って、僕は思います。つまり、大学は友達と遊び、それなりに勉強もして、先生の人格に触れて、社会に出たときに、応用できる基礎、困ったときの調べ方を学ぶところ。そういう環境をICUは作っていけば良いと僕は思います。だから僕はICUの本来あるべき姿をそのまま利用したんじゃないかな。それに加えて、ICUが、“I”、Internationalという要素を兼ね備えていたことは僕にとって非常に役立ちました。
齋藤
いつも皆さんに伺っている質問になるのですが、どうしてICUに行ったのですか。
石田
当時、私の父が東大の農学部獣医学科の教授をやっていました。父は、東大で教授になる前にアメリカの大学で客員教授を勤め、当時4年制だった日本の獣医学部を6年制にするための委員もやっていました。しかし、自分の息子には、アメリカと同じように、まずはカレッジに行かせその後に獣医学の専門教育を受けてもらいたいと思っていて、どこから情報を手に入れたかは知らないのですがICUに行けと僕に言ったんです。
齋藤
そうなんですか〜それは面白い。
石田
それで、僕はそれに納得し受験をするときはICUに絞りました。ICU受験対策として、絶対的に読解力をつけることと、英語のリーディングを極めて早くすることに気をつけるなど入念に準備をしていたので、自分は絶対ICUに合格すると思っていましたし、実際試験も思った通りの問題が出ました。
齋藤
へぇ〜中学高校と勉強が得意だったんですか?
石田
好きなものはよくできて、嫌いなものはやらない学生でした。国語、社会科は興味がなく、物理、化学、生物は面白かったから勉強していましたね。あと、男女共学の学校だったのですが、数学は黒板の前で方程式を解けなかったりしたら恥ずかしいので、必死で勉強しました(笑)。
齋藤
ははは!小さいころから目立ちたがり屋だったんでしょう。 そうそう、ICU時代も僕がマスカレードパーティー(仮面パーティー)を主催した時に石田くんは、いつも一番盛り上がっている時間にとってもユニークな月光仮面とかスーパーマンの格好で派手に現れてたな・・・・(笑)。
石田
ははは(笑)。ICUでは、父親に「今の獣医学教育に足りないものを学びなさい」と言われたのですが、実際、ICUという場は非常に良い学びの環境でした。ICUを卒業して獣医界に行った人は僕一人くらいかもしれないのですが、獣医大学に入る前に素晴らしい教育を受けたと思います。獣医大学では動物の病気について学ぶのですが、そこではなかなか学べない病気が起こる根底にある分子生物学的メカニズムとか、有機化学、生化学、それに英語を学んできたことは自分にとってアドバンテージだと思います。英語に関しては、実際に「使う英語」であるスピードリーディングやディスカッションなどを学んだため、獣医学を学ぶ上で文献を読むにしてもスピードが速く、海外情報をいちはやく得ることができました。また、私はICUを出て獣医大学に学士入学したのですが、1年次からカリキュラムが詰まっていて専門教育がぎっしり入る獣医学部に入学する前に、ICUで教養を勉強できたというのもよかったなと思います。 あと、ICUで学年が上がり、卒論などで教授と密接にかかわるようになり、かなりの影響をうけましたね。僕は理学科の生物専攻だったんですが、当時厳しそうな感じの教授とほんわかしている教授がいらっしゃって、僕は後者のタイプの先生について “遊び心”を学ぶことができました。
渡辺
“遊び心”って、例えばどんなものですか?
石田
「仕事でも勉強でも面白がりながらやる、そしてしっかりやったらしっかり息抜きをする」ということです。
渡辺
先生のお話を伺っていると、ICUに入学なさった後も期待を裏切られなかったのだろうと感じます。
石田
はい、大学に行くのが嬉しくて嬉しくてしょうがありませんでした。 卒論のテーマはその先の進路にも使えそうなものがいいんじゃないかと、先生から動物の細胞を使って研究をしないかと言われました。動物ならいいか、と思っていると、蚕を使いなさいと言われて…。私は脊椎のあるものなら大丈夫なのですが、骨のないものは本当に苦手で・・・それで動物の細胞に一番似ている細胞を持つ植物であるランの研究をしました。ランは植物のなかで一番高等で、進化しているのですよ。
齋藤
へ〜どんなランでも高等なものなんですか?
石田
そう。今、普通のランはすごく安くなっていますよね。ランの組織培養を卒論でやっていたのですが、トカゲのしっぽを切ったら生えてくるように、ランの組織を培養するとランになるんです。
渡辺
だからでしょうか、ランは植物というより動物っぽい艶というか粘着性があるような。
これから10年くらいは働いてこないと明言し、妻に働いてもらいました(笑)。 社会に出ていない焦りはありませんでした。教育の機会はなるべくたくさん得たいと思っていましたし、人よりも長い時間勉強しているのだから、そこでアドバンテージを作っていこうと思っていました。
渡辺
獣医師になろうと思われたのはICUに入学するよりもっと前からだったのでしょうか。
石田
父親の仕事を尊敬していたこともあり、子供のころから自分の仕事はこれだと思っていました。父親が仕事をしていた東大のすぐ裏が上野動物園で、そこで珍しい動物が死ぬと父親が解剖していたりしていたんです。その頃は父親が助教授だったこともあり、日曜日も働いていたので僕もよく父親についていって、骨格標本やホルマリン漬けを見ながら育ちました。まぁ、でも実際に獣医師になるとちゃんと決めたのは高校生二年生くらいのときだったかと思います。その時付き合っていた子が獣医学部に行くと言っていて(笑)。
渡辺
とっても納得できる動機ですね!獣医学部に入る時、どこに行くかはどう決められたのですか?
石田
近くの日本獣医畜産大学に行きました。これは父の下で博士論文をやった先生が誘ってくれたためです。卒業後、ICUでも生物学の非常勤の仕事をすることになっていたため、近くて便利でした。学士入学のための試験は、英語や理科などの教養科目と生物学などの専門科目だったため、そのための勉強はあえてしなくても大丈夫でした。ICUで学んだため、英語はほぼ満点。生物学は論述問題があったのですが、どんな面白いことを書くか、むこうが面白がっている節がありましたね。当時、パンダが話題になっていた時期で、大熊猫とも呼ばれるパンダの生物学的分類がクマなのか何なのかまだ確定していなかったため、パンダの分類を書け、という問題があったのを覚えています。笹を食べるから冗談で笹食目とか書いた記憶がありますね。
渡辺
獣医畜産大学は大学という面ではどうでした?
石田
最初の2年間は基礎系の科目の授業でしたし、ICU時代のとくに生物学で細かく学んでいましたので、広く浅くみたいな講義は興味も持てませんでした。解剖学の講義などは先生がつらつらノートか教科書を読む心が入っていない授業で、ICUでの少人数のディスカッション形式の授業を経験していたらつまらなかったですね。当時、獣医学の専門書を翻訳するバイトをしていたので、授業中はその時間でした。好きなものはしっかりやって、そうじゃないものはすごく手を抜いていました。
渡辺
獣医大学を修了すると国家試験がありますが、いかがでしたか?
石田
国家試験は普通は受かるもので、落ちるほうが人数的にもマイナーでした。しかし、受かったからといって「獣医師」なのかといえばそういうわけではない。目の前で猫が死にそうになっていても、大学を出てすぐの知識や技術では、何も出来ないんです。人間の医師の場合はインターンで大学病院などに行くので臨床経験を積むと思いますが、獣医師の場合それがなく、大学を出たばかりでは何もできない。だから、私は次のステップとして、その後東大の大学院に5年間行きました。
渡辺
どうして東大に?
石田
父のいた大学だから、知ってる人も多いから、そんな理由ですね。「どうして病気になるのか、どうして死んだのか」、などを研究する学問である病理学という分野に進んでみたいと思いました。獣医大にいたときからそういった進路のことは考えていましたし、その方向で準備していました。ICUで1年下で化学を学んでいて、卒業後働く予定だった女性と24歳の時に結婚したのですが、これから10年くらいは働いてこないと明言し、妻に働いてもらいました(笑)。
渡辺
さすが石田先生の奥様! 話は変わりますが、今、若いうちから前倒しの風潮があるように感じます。 やりたいことは何なのか、ということを煮詰める前に、「『安定、安心、保障を得る』方が先決、どちらかというと、そのための勉強のしかたを逆算して選んでいる感じがします。当時も流れは学歴社会、偏差値社会だったかと思いますが、石田先生ご自身、周りと比べて焦りはありませんでしたか?
石田
特に焦りはありませんでした。教育の機会はなるべくたくさん得たいと思っていましたし、人よりも長い時間勉強しているのだから、そこでアドバンテージを作っていこうと思っていました。
ICUで「遊び心」を学んだとすると、東大の大学院では「世界と戦う度胸、姿勢」を学びました。
齋藤
しかし、それだけ学問の道を進んできたのに、学者になるという道は考えられなかったのですね。
石田
いやとりあえず学者になったんですよ。でもそのような教育を受けた上で臨床の方に行ってもいいなと思っていました。とにかく他の人よりもより良い教育を受けたいと思っていました。
渡辺
ICU、日獣大、東大と経験なさいましたが、東大の大学院は石田先生にとってどういった時間でしたか?
石田
いい教育を受けたと思います。当時から、出来る限り他の人の研究、他の研究室などに触れてPhDをとったあとにためになることを見聞きしようと思っていました。 ICUで「遊び心」を学んだとすると、東大の大学院では「世界と戦う度胸、姿勢」を学びました。ICUで得たInternationalの要素をいかに利用するか、世界の人とどうやってやり合うか、というところでしたね。
マウスやラットを使って「人間の医学のため」の研究をするのではなく、猫について「まだ解明されていない病気について」研究したかった。
齋藤
石田さんはこれまで計画的に、スムーズに人生をわたってこられたような印象を受けますが、うまくいかなかったことなんていうのはあるのですか。自分が想定していたようにいかなかったような。
石田
運転免許の試験を一度落ちたくらいですね。運転が乱暴で(笑)。小さいことはいくらでもあるのかもしれませんが、忘れているのかもしれません・・・(笑)。
渡辺
どこかで不測の事態や想定外に見舞われたとしても臨機応変に対応しつつ、振り返って、こうであってよかったというふうに捉えていらっしゃる気がします。
齋藤
ポジティブなメンタルを持っている。楽天的ともいえる(笑)。 ところで石田さんのようなプロセスを通って獣医師になってよかったと思う部分はどういったところでしょうか?他の獣医師に比べてこういうところが違うということは?
石田
高校を出たばかりのフレッシュな脳がちょっとゆがんだ獣医学教育を受けると、伸びる人でも伸びなくなると思います。僕はICUでそこを伸ばしてもらった。実は、東大を出て進路を考えていた時、研究者という方面で突き進み、人間の医学に貢献するような研究をアメリカでするということも考えていたのですが、レーガンがちょうどその時教育研究予算をカットして・・・行けなくなったんです。でも、行けなくてよかったな、と内心思いましたね。マウスやラットを使って「人間の医学のため」の研究をするのではなく、猫について「まだ解明されていない病気について」研究したかった。東大大学院時代の後半にはその勉強を始めており、アメリカのその方面で有名な先生に手紙を書いたら、給料は払えないけど来ていいよ、という話で。一年たち、研究費の申請をしたらアメリカ白血病協会で受け入れてもらえて、そこで猫の白血病の研究をしていたのですが、その時についていた先生が、私の帰国直後に猫のエイズを見つけたんです。帰国後私は日獣大で講師の仕事と研究を始めていたのですが、その情報を発表前に教えてもらえて、研究システムを持ちかえったら、日本にも存在することがわかりました。猫のエイズに関しては、まだ治療法は発見されていません。
渡辺
猫のエイズについてですが、人間のエイズと比較した場合、どちらが遡るのですか?また、感染方法については、人間の場合は性交渉や輸血で移るといいますが、猫の場合は異なりますか?
石田
実は猫のエイズの方が本家本元に近いのです。今は遺伝子の研究で、各動物に感染するウイルスがどうやって枝分かれしたなどが分析できているのですが、猫のエイズウイルスは猫と犬の共通の祖先からネコ科がわかれたすぐ後に猫に感染していて、ネコ科全部に非常に遺伝子の似ているエイズウイルスがあり、イヌ系にはないことがわかっています。また、猫の感染経路についてですが、歯で咬んだときに唾液で感染するんです。人間の場合はHIVに感染した人の唾液をたとえバケツ一杯飲んだとしても移らないのですが…。でも、注射針や輸血、あるいはホモセクシャルの性交渉などで移ります。猫の場合、ウイルスの侵入の仕方は非常に特殊で、ケンカなのです。創があると皮膚の中にある細胞に感染して、表面にウイルスがついたくらいでは感染しないのは人も猫も一緒です。
動物が病気であれば人間も病気であり、我々の仕事は動物の病気を治しながら人間の病気を治すことだということを学びました。
渡辺
先ほど病院内を拝見していたのですが、赤坂動物病院でペットを看取ってもらった方々からのカードが展示されていました。ペットという伴侶の死という厳しい現実としっかり向き合った方々からのお手紙ばかりでした。しかし、一方ではペットが家族のような存在になっているという部分がありながらも、一方では、大量のペット、動物が殺されたり捨てられたりしているという暗い現実も存在しますね。
石田
確かにそういった現実もあり、動物を救いたいということで獣医大学を卒業した人が公務員になって、動物管理事務所などのそういった分野に関わることになってしまう場合もあるのです。
渡辺
現在、獣医師が足りないという話もよく聞きますが、獣医という世界は今後も課題が増加するのでしょうか。
石田
私が大学院を出た時、アメリカに行った時も、自分自身には伴侶としての動物という認識がまだなく、科学が好き、物事を究明するのが面白いというような感じで、何のために獣医師になるかという部分は意識していませんでした。日本の文化としても当時はなんで伴侶動物と一緒に暮らすかということも考えていなかったのではないでしょうか。そういったことに関して最も影響を受けた出来事は、現在の病院(赤坂動物病院)の柴内裕子院長との出会いです。女性獣医師の数が非常に少ない時代でしたから、柴内院長は当時から有名でした。実は柴内院長の弟さんが私の父のところで大学院生だったというつながりもあります。彼女たちのやっていた日本動物病院福祉協会では、ボランティア活動で老人ホームをまわったり、小学校の教育に参加したりといったことをやっていたのですが、それをみせてもらって、そこで初めて獣医学が何のためにあるのか、それはHuman Animal Bondのためなのだ、ということがはっきりしたんです。それまで大学で教えていた時は、臨床という分野にも非常に興味を持っており、臨床のために病理をやるという気持ちで、切った貼った、というところが好きだったかもしれないのですが、その頃から少しずつ臨床が社会に貢献する、動物が病気であれば人間も病気であり、我々の仕事は動物の病気を治しながら人間の病気を治すことなのだという認識が出てきたんですね。現在は伴侶動物を飼育する世帯数が半分にも満たない日本ですが、動物を飼う家庭がもっと増えれば、もっと争いがなくなるでしょうし、子供も切れたりしない、きっともっといい社会になると思うんですね。家庭の一つひとつが社会を作っていて、いい社会を作るために我々は仕事をしていると思っています。
若い人たちに対しては、獣医師としての軸足、Human Animal Bond、何のために獣医学の勉強をしているのかということを教えています。国から免許をもらっている以上、少なくとも国のため、世界のために貢献しなさいということを伝えたい。
石田
面白い病気、難しい病気を治療することに自己満足している獣医師もいますが、我々の役目は動物が健康でいられる状態を作ることです。大学病院に出ていた時、絶対に自分の猫は大学病院に入院させる気にはならず、赤坂動物病院に入院させました。動物の扱いかたが全然違う。大学病院で働いている人はアマチュアなのですが、赤坂はプロだった。自分の動物を入院させられないような病院にいるなんて間違っている、と思い、大学を辞めました。他にも理由はありますが、たとえば大学では1学年当たり100人の生徒を教えます。朝一番の授業に出ているのは60人くらいでその半分が寝ていたりする。せっかく僕いい授業をやっているのにな、と思うんです。年間100人しか教えないのはもったいない、毎年、すべての獣医大学を卒業してくる学生の人数を合計すると1000人になりますが、彼ら全員に対して、自分が何か教えようと思いました。実際に毎年1000人の獣医学生に教えるとなると、大学の壁などがあって難しい状況だったのですが、新しい学会(日本臨床獣医学フォーラム)を設立することにより、全国を回ることを始めました。それが98年です。思いついて即、東京で授業を始めました。そうするまでは僕は、何でも自分でやるタイプだったのですが、大学という組織から離れて、一人になったら心細かったですね。人に色々やってもらうということを学ばなければならないと、発想を転換しました。皆に仕事をしてもらうことで、人が集まり協力することで、成果がもっと上がるということを学んだんです。その学会は、その効果もあったのかどんどん組織を大きくしていって、今でも北海道から沖縄までを毎月一回、回っています。今までは学会、勉強会というのは日曜日にやるのが主流でしたが、水曜日の夜に2時間だけ教えよう、と決めました。しかも相手は大学を卒業したばかりの新米なので、自腹で来ることも想定し、破格でやっています。それが当たって、今は僕一人で月に1000人教えていますよ。また、現在は韓国でも教えています。チェジュウが好きで、チェジュウの犬が病気になったら助けに行かなくてはと思い、韓国語を学びました(笑)。 ただ、韓国ではまだHuman Animal Bondという認識が低いのですが、すぐに追いついて来るでしょう。
渡辺
獣医さんの中でも、「は〜い○○ちゃん○○ですよ〜〜」っていう幼稚園児風な扱いのところ、トリミングがすごく高いところなど、時流に乗っただけなんじゃないかというところもあります。あまりにたくさんの医院があるので、その獣医さんご本人が何を考えて医療にあたっていらっしゃるのか、動物に接してらっしゃるのか、お話を聞いてみないと分からない時もあって。
石田
今生きている獣医師には既得権もあるし、それを直すのは難しいという部分もあります。なので、次の世代、僕の目の黒いうちは、毎年日本の大学を出てくる1000人の獣医師の卵には僕が教えようと思いました。若い人たちに対しては、獣医師としての軸足、Human Animal Bond、何のために獣医学の勉強をしているのかということを教えています。国から免許をもらっている以上、少なくとも国のため、世界のために貢献しなさいということを伝えたい。しかしそれだけを強調しても、魅力的なキャッチにはならないので、きちんと最新の学問的な話を交えて若い人の興味を引きつつ、サブリミナルな感じで、社会に貢献するんだぞ、ということを伝えています。
ピラミッド、上下関係がはっきりしているところにはまることが気持ちいい人は犬が向いています。自分の生活には、猫があっていると思う。猫のいいところは、気まぐれなところ…アメリカ人とうまく同居しているような感じです。
渡辺
石田先生は奥様と5匹の猫達と住んでらっしゃるとのことですが、現在のようなスケジュールで、ゆっくりくつろがれる時間はあるんでしょうか?
石田
毎日ではないですが、夜の12時を過ぎれば二人とも家に揃うので、くつろげます。そういう生活には猫がすごくあっていますね。猫は昼間は寝ており、17時頃から色んなホルモンが出てきて元気になる動物なんです。
齋藤
石田さんは何故犬ではなく猫を飼っているのですか?
石田
ピラミッド、上下関係がはっきりしているところにはまることが気持ちいい人は犬が向いています。自分がトップじゃなくてもはまっていればいいという人ですね。僕はそういうのが全然だめで、本当は組織が苦手なんです。気ままなのがいい。猫が自分の家族としてあまり自分にべたべたしてきたり、いつも目をうるませて僕のことを見てても困る。猫のいいところは、何もない時はふん、としていて、自分を持ち、人に従わず、時々気が向いた時になついてくるところ…アメリカ人とうまく同居しているような感じです。
齋藤
そういえば、馬もリハビリに使うようですね。馬というのは触れていたら本当に気持ちがいいですよね。
石田
乗馬教育というものもあります。日本では馬を家族の一員として迎えられる人は多くはないでしょうが、世界的には犬、猫、ウサギ、馬がコンパニオンアニマルとして分類されているんですね。馬に関しては、日本は食用にもなっているので少し状況が違いますが…。しかし、労働してもらって、十分使って、最後に食べるのは日本人特有の究極の愛かもしれません。クジラも、日本はひげ一本まで使います。それは究極の愛と言えるのではないでしょうか。海外から言わせると問題かもしれませんが、他国の食生活と食文化には文句を言うな、という風に思っています。それは文化なのですから。
動物病院こそ、ホスピタリティの場。もっと日常的に来てほしい。
石田
動物病院は「病院」と書いていますが、病の院と訳されたのは、明治あたりでしょうか?英語ではHospital。これはHospitalityから来ています。動物病院こそ、Hospitalityの場所で、もっと健康診断などを含めて、日常的に来てほしいと思っています。自分は動物を飼った方がいいのか、飼うならば犬がいいのか、猫がいいのか、そういったところまで聞いてほしい。仕事のやりかた、性格、コマンドの強さ、そういったものによって向いている動物が違うんです。今、女性が「私は弱いから」とチワワを飼うというケースが多いのですが、それは最悪のマッチングですよ。チワワは実は主従関係の逆転が起こりやすく、人間が弱いと、飼い主に従わないことも多いのですね。ゴールデンレトリバーなどの犬種は主従関係がはっきりしています。
渡辺
私も犬を飼っているんですが、しつけというのは難しいと実感します。ただ、どうにも愛しくて可愛くて、働いたり元気でいなきゃと思う支えには最もなっていますが。
石田
しつけには二種類あります。ひとつは軍用犬、警察犬など向けの厳しいしつけ、もうひとつは、家庭用の教育という面でのしつけです。犬は、最初の6か月までのしつけをきちんとやればしっかりした関係を築けます。そのためのスペースをこの病院にとっているのは院長の考え方なんです。1フロアを借りるのにもかなりの値段がかかる、そこで僕だったらCTを置きたいと思うのですが、置きたいなら1フロア上に行きなさい、ここはしつけのスペースとして確保します、と院長に言われます。だからこの病院はうまくいっているんだと思います。
渡辺
日本の獣医界の中では柴内先生のような方は少数派なのでしょうか。
石田
まだ日本の獣医師会は理論、学術一番、男の世界で、しつけの分野などは勉強のできない人が暇つぶしにやっているのでは、という見解が強いですね。でも僕がある時こういったことの重要性に気づいたように、ほかの方もわかってくるのでは、と思います。
渡辺
こういう接し方をしていれば、手術や骨折などに至らないかもしれないですよね。
病院の仕事を終えて、車で行ける距離にある病院などで、21時から23時までいろいろ教えています。 考えてみると今年に入って3月30日の日曜が初めての日曜だったと思います。48歳のときに大学を辞めて、次の12年間、60歳まではこの感じで行こうと思いました。
渡辺
うかがっているだけでもお忙しい石田先生の一日のタイムスケジュールはどのような感じなのでしょうか。
石田
病院の仕事が終わるのが18時半であればそれほど遠くへはいけないのですが、車で行ける距離にある病院での講義などであれば、21時から23時までやっています。近ければ自宅に帰りますし、遠ければ泊って、翌日朝一番で東京へ戻ります。基本的に休みはないですね。日曜日には仕事は入れない主義ではあるのですが、ほかの学会、獣医師会は日曜に学会をやっているところも多く、依頼が来ることも多くて…。1月から3月は、雪だから、など天候などの関係で動物病院まで動物を連れてくる人も少なく、また寒い時期は蒸し暑い時期と比べて動物の病気自体もそれほど多くもないので、獣医師に余裕ができます。そのため皆勉強したくて仕方ないので、僕にとってはものすごく忙しい時期です。考えてみると、3月30日の日曜が初めての日曜だったと思います。
渡辺
今現在の忙しさは続けようと思われなくても続いていってしまうものなのでしょうか。
石田
48歳のときに大学を辞めて、次の12年間、60歳まではこの感じで行こうと思いました。60歳の次に何をやるのか、考えなければいけませんね。
社会に還元することの重要性は、この年になってやっとわかってきたことです。若い時はそうじゃなかったのですけどね。
齋藤
獣医師にも、面白い病気がないかと考える人、儲けを考える人などが存在するかと思いますが、今の石田さんのような考え方になったのは、誰かの影響なのでしょうか。
石田
父親の影響ですね、人のためになれ、と無言で教えていたのでしょうね。
齋藤
今まで「今を輝く同窓生たち」でインタビューをしてきた人を思い起こすと、ユニークな生き方をしている人の共通点は「行動力」があることだと感じました。言うのは簡単ですが、行動に移すのはなかなか大変です。また、先ほどの話にもあるように、人を巻き込むということは大きなことをやっていくためには重要ですね。僕自身、「行動力」、「人を巻き込む力」、そして「軸足を持つ」、その三つが大切な要素なのではと思うのですが、それ以外に石田さんが思う大事な要素とは何かありますか。
石田
例えば、人を巻き込んでいくということを考えると、黙っていても人はついてこない。リーダーシップが必要ですね。
齋藤
おそらく、リーダーシップの原点は、皆が共感する考えを持っていることでしょうし、だからこそ人がついてくるんですよね。
石田
僕はそのあたりに特技があると思うんです。皆もうすうす感じていることをきちんとした言葉で表現する、国語の能力ですね。
渡辺
今までお話を伺ってきた方たちに共通していて、共感し尊敬する部分は、ご自分の道を歩まれながら、社会とのつながりを大切に、還元することが出来ればと思いを常に抱いていらっしゃるところです。
石田
それは、だんだん成長してきて、この年になってやっとわかってきたことです。若い時はそうじゃなかったのですけどね。
渡辺
私自身は、自分の仕事で社会に還元するなどなかなか出来ない難しさを感じながら通勤している道で、ふと、ひとつひとつのオフィスや家の窓の灯りが満たされていたり、幸せだったら、今日読んだような事件は起きないだろうなと感じることもあって。動物と接していると、無条件で愛情を感じたり癒されたりする場合があって、先生がおっしゃっていたように人と人とのつながりや動物と人とのつながりが社会を回して行く潤滑油としてものすごく大事だなぁと感じます。
ICUを卒業した時点では何者でもない、まだ何もできない存在ですが、「何者か」になるポテンシャルは身につけたかもしれません。「何者か」になるために、もっと頑張ってほしい。
渡辺
ICUに入学した後、獣医師になりたいと思う人に対して何かアドバイスをいただけますか?
石田>
アメリカの大学に4年間という手もあります。学費は州立大学でも、州に税金を納めていなければすごく高いのですが、カレッジを3年以上経験すると、アメリカの専門大学に申し込めるんですね。ただ、その場合、向こうで国家試験に受かった後に日本の試験を再度受けなければいけない。なので、日本で獣医師免許をとって、その後海外で、といったプロセスが良いのでは、と思います。
齋藤
最後に、ICUの学生に対して何かメッセージをお願いします。
石田
ICUはすごく居心地もよく、いいところだと思うのですが、井の中の蛙にはなってはいけません。学問レベルで言ったら他にもすごいところは沢山あるわけで、ICUにはICUなりのいいところがあり、他のところはこういった部分が良い、そういうものをきちんと見ることのできる目を持ってほしいと思います。そしてもう一つ付け足すならば、ICUを卒業した時点では何者でもない、まだ何もできない存在ですが、何者かになるポテンシャルは身につけたかもしれません。だから、もっと頑張ってほしい、と言いたい。


プロフィール

石田 卓夫(いしだ たくお)
1973年 理学科卒業。 日本獣医畜産大学獣医学科、 東京大学大学院農学系研究科博士課程を経て、 東京大学医科学研究所助手、 カリフォルニア大学デイビス校での研究員、 日本獣医畜産大学講師・助教授という経験を積む。 現在、赤坂動物病院のディレクターを務める傍ら、 日本臨床獣医学フォーラム代表として、 次世代の獣医師に対して精力的に全国で講演を行っている。 専門は猫の内科学、感染症、腫瘍、免疫疾患。