プロフィール
東京都出身の経済学者。スタンフォード大学教授。専門は計量経済学。 国際基督教大学卒業後渡米。アメリカン大学大学院修士課程、ジョンズ・ホプキンス大学大学院博士課程を修了して経済学博士号取得。現在はスタンフォード大学で教鞭を取る。
- 齋藤
- 今日はお忙しいところ本当にありがとうございます。今日は、ICUの素晴らしい卒業生の1人である雨宮さんに何故今のようになれたかその「秘密」を教えていただこうと思っています。どうぞ、よろしくお願いします。
- 雨宮
- いえいえ、そんな。 僕はむしろ、渡辺さんにお話を聞きたい。
- 渡辺
- なんでしょう? まだまだ未熟で…何かお答えできることなんてあるのでしょうか…。
親には一度も「勉強しろ」とは言われたことがありませんでした。四人兄弟の一番下でみんなに可愛がられて育ち、小さい頃は、勉強もしなかったし劣等生でした。
- 渡辺
- 先生の生い立ちからお伺いしたいのです。「雨宮健」少年はどんな少年だったのですか?
- 雨宮
- 四人兄弟の一番下でみんなに可愛がられて育ちました。小さいころ家へ遊びに来ていた叔父に「この子はものにならない」と言われるほど甘やかされていました。6歳のとき父の仕事の関係でペルーの日本人学校に入り、一年生の時の成績が良かったのは数学と音楽だけだったのです。数学は、12歳上の兄が数学者ということもあり、子供のころから兄に教わっていました。日本人学校でしたが、戦争間近の緊迫した状況のため日本人の先生は帰ってしまっていて、スペイン語を話すペルー人が教科を教えてくれたので、日本語がわからなくてもできた数学と音楽だけ成績が良かったのです。でも実は日本語は日本人が教えてくれていたのに、成績が悪かったのですが…。
- 渡辺
- 数学がお好きだったのですね、お兄さまが数学者ということは数学者におなりになる可能性もあったかと思うのですが、どうして計量経済学という道を選ばれたのでしょうか?
- 雨宮
- もしも数学者になったら三流になったと思う。自分の兄のことをこのようにいうのも変ですが、僕の兄は数学の天才で、兄と比べると僕は雲泥の差だった。
- 渡辺
- ご自分でそう思われたのですか? お兄さまは実はそう考えていらっしゃらなかったかもしれませんけれど…。
- 雨宮
- 兄は子供にも弟にも「数学は絶対やるな」とよく言っていた。兄自身はよく周りの人からは「数学の天才」と評価されたけど彼自身は自分は数学の天才だと思っていなくて、「自分も数学をやるべきではなかった。数学は天才しかやるべきものではない」と話をしていました。数学者として成功した後も、ビルの夜警をやりたいといっていたほどで、それに対して「兄がビルの夜警をすると泥棒が自由に入るから駄目だ。数学者をやるのが社会に一番害が少ない」といって納得させていたくらいです。
- 齋藤
- それにしても、お兄さまが学者、雨宮さんも学者なのはご両親の影響なのですか?
- 雨宮
- 僕は両親に勉強しろと一度も言われなかった。父は実業家、母は小説家だった。兄二人は子供の頃から非常によくできて、僕はできなかったので、小さい頃から「健はできない」といわれ、自分でも「できない」と思っていた。
- 渡辺
- 意外です。学校の授業は、どうだったんでしょう?お好きでしたか?
- 雨宮
- 小学校の頃、優は工作一つだった。僕はぶきっちょで何も作れなかったが、器用な母が僕の代わりに作ってくれていたからなのです。僕は、小学校はずっと成績が悪くて自他ともに頭が悪いことを認めていました。でも中学一年生のときにたまたまIQテストを全国でしたら高い点数をとりました。 そうしたら、僕の母親が学校に呼び出されて、「この子はIQが高いのに何故成績が悪いのか」と言われたんです。それを聞いて自信がでて、成績が良くなりはじめたのかもしれない。それまでは僕は劣等生だった。
- 渡辺
- それは先生がただ単に……勉強なさらなかっただけなのではないですか?
- 雨宮
- はい。それはそうかもしれないですね(笑)。
- 渡辺
- 先生は一体どういった経緯でICUに入ったのですか?
- 雨宮
- 六歳のときにペルーにいて、第二次大戦後アメリカのテキサスの収容所に四十日間抑留され、その後日米交換船で帰國しました。僕の親は非常に心配していたが、僕はかなり優遇された環境下で食べ物も美味しかったのでその頃にアメリカがすごく好きになりました。そしてその後、「蛍雪時代」という雑誌を読んでICUの存在を知り、「この学校に入れば、アメリカに行ける。これは、僕にもっとも適している」と思いました。 ICU時代はアメリカ文学を読んでいましたが、勉強をしなかった。アメリカにいって何かを勉強したいとは思わなかったけど、ハーシーのチョコレートを食べたいと思っていたからアメリカに行きたいとずっと思っていました。
- 渡辺
- ICUは、じゃあどのような影響を先生に与えたのでしょう? 与えなかったのかもしれないことも含め…。
- 雨宮
- そうですね、リベラルアーツというのは、今の僕のきっかけとなったのかもしれませんね。でも先日のDAYの表彰者の十人のうち四名が「自分は劣等生でした」とコメントされていたのが象徴しているように、大学がその人にどのように影響を与えたかは言葉ではなかなか表現できないことなのかもしれないですね。
Choice by Elimination(消去法)で学者になったようなものだと思います。
- 齋藤
- ところで、ICU卒業後、アメリカに行くことにご両親は快く許したのですか?
- 雨宮
- おそらく「この子はものにならないから、アメリカに行けば何かがおこるかもしれない」と思ったのだと思う。ICU時代にアドバイザーのところにいって特に何を勉強したいわけでもないけど、アメリカに行きたいと言ったら「君は成績が悪いから大学院は無理だよ」といわれて、カレッジにいくことになりました。
- 渡辺
- ギルフォードカレッジに一年間、ワシントンで二年間勉強なさったのですよね。ギルフォードのときはずっとアメリカに住むおつもりはなかったのですか?
- 雨宮
- 実はアメリカでゴルフをして一年で帰ってこようと思っていたのです。当時のICUの理事長は日本タイムズの社長の東ヶ崎潔さんで、僕の父の知り合いということもあり、その関係から、僕はジャパンタイムズの内定が決まり、一年アメリカで遊んでジャパンタイムズに入ろうと思っていました。 その当時はジャパンタイムズに入るにしても「ジャーナリズムのマスターでもとってもいいかな」とも思ってましたが、ジャーナリストになるとしても経済を知っていた方がいいと思って経済学を勉強することにしました。/dd>
- 渡辺
- 先生、ギルフォードカレッジ時代は本当にゴルフをしていらしたのですか?
- 雨宮
- はい。お金がなかったので、ゴルフクラブは人に借りて、自動車を持っている人にのっけてもらってゴルフをしていました。
- 渡辺
- アメリカンユニバーシティーでの勉強はどんなものでしたか?
- 雨宮
- アメリカンユニバーシティーの授業は夜受けていました。多くの生徒は昼間はアメリカの政府で働いている人で、夜学校に来ていました。僕は、ライブラリーで働きながら、二年間でマスターをとりました。その二年間で、自分は学者になる以外に道はないと思いました。
- 齋藤
- なぜ「学者以外に道はない」と思われたのでしょう…?
- 雨宮
- 僕は新聞記者にもゴルファーにもなれないし、組織にもあわないだろうと思いました。Choice by Elimination(消去法) で経済学を勉強しようと思ったのです。
ノーベル賞をとるのは宝くじのようなもの。
- 渡辺
- 先生のDAYのプロフィールを事前に頂戴して拝見した時、こんなに飾らずに率直にご自分のことを書ける方はいらっしゃらないのじゃないかと、びっくりしました。卑下でもなく、ちゃかすわけでもなく。。ありのままの来し方をシンプルに仰っていて…。
- 雨宮
- 僕は基本的に自信がないんです。
- 渡辺
- …と伺っても…反論じゃないのですけれど、先生は80年以降に主要な学術誌に論文が引用された数は約3000を超え、2位と大差という実績をお持ちでいらっしゃって、日本でもっともノーベル賞に近づいた経済学者といわれています。それなのに、自信がないと仰るのはどういう意味なのでしょうか?
- 雨宮
- 僕は実は、本質的には頭が悪いので自信がないのです。また、僕はノーベル賞をとるのは宝くじのようなもので、あまり価値のあるものではないと思っています。
- 渡辺
- 先生にとってノーベル賞はなぜ、価値がないのでしょうか?
- 雨宮
- プラトンの国家論のなかに「洞窟の比喩」というのがある。一般人は洞窟に入っていて、壁を向いている。そして、その後ろに人形や動物の型があり、それがランプに照らされて壁にうつる、それを一般の人は現実だと思っている。しかし洞窟の外にでると、善のイデアの象徴である太陽がある。人は、この世に現れる前に天国で善のイデアを見ていたのが、この世にでるとそれを忘れてしまう、そしてそれを思い出すのが教育であるという。太陽の下にいる人は、洞窟に帰らない方が幸せだけど、人類愛をもって洞窟に戻り皆に外の太陽のことを教える。シモーヌ・ヴェイユが言っていることですが、大多数の大学教授は洞窟で影絵をみている。大学教授の見る影絵は地位や名誉というものです。だから本質的な意味からいうとノーベル賞には価値がないと思っているのです。
- 渡辺
- ノーベル賞が欲しい方は沢山いらっしゃるのでしょうし、それほど実績と地位、名誉保障する賞と思っていました。先生の仰る意味では個人的コレクションのようなものという面もあるということなのでしょうか?
- 雨宮
- 名誉、社会的地位なのかもしれません。ノーベル賞をもらう人はある程度のReputationがある人で、それがなくても十分評価されているものです。
- 渡辺
- 先生はそういう意味では、ご興味がない…ということですか?
- 雨宮
- くれたらもらうけど、それは宝くじのようなものだから。そんなところだと思います。
寝ていて目が覚めて、考えていた問題が解けることがあるのです。
- 齋藤
- ちなみに、先生は計量経済学で有名な学者になろうとしたのか、計量経済をやっていくなかで先生の探求心から楽しいから続けていて、結果的にこうなったのか、どちらだと思いますか?
- 雨宮
- 僕は、研究しているとき、楽しいからしているのです。
- 齋藤
- 素敵ですね・・・!ということは、一生懸命楽しいことをなさっていて、気付いたら周りに認められたということなのでしょうね。
- 雨宮
- 僕は自分に才能があると思っていない。ろくなペーパーを書いていないのに、何故周りが褒めてくれるのかが実はわからないのです。
- 齋藤
- ・・・周りから先生の「こういうところがすごい!」と言われませんか?
- 雨宮
- 僕はいつも、褒められても信じないことにしているんです。でも、よく言われるのは、アイデアがいいとかインスピレーションが良いといわれます、僕にとっては、細かい計算をすることは重要ではなく、アイデアやインスピレーションが重要だと思っています。
- 齋藤
- そのアイデアやインスピレーションは先生が色々な興味があり探究心があり、それらに触れるからなんでしょうね。
- 雨宮
- 実際僕は、そのアイデアやインスピレーションが、自分自身でそれを思いつくと思わないと感じる場合がある。1ヶ月間難しい問題を考えていました。ちょうど娘とサーカスに行ったときにその答えが出たのですが、それは実際に自分が思いついたと感じなかったのです。 またあるときは、夜寝ていて、考えていた問題が解けることがある。90%は間違い、10%が正しいのですが、いつも枕もとにはメモをおいています。
- 齋藤
- 僕もベットの脇にメモを置いています。クライアントの問題をいつも考えていて、目覚めるかどうか、わからないときに、ひらめくので、それをメモにする。だから普段から考えることを一生懸命やっていると出てくるものなのでしょうね。
学生が簡単と思うことを難しくみせて、「君らは何もしらない」ということを認識させることが重要だと思って授業をしています。
- 雨宮
- ギルフォード時代の経済学の先生は教え方の上手な先生だったから僕は経済学を楽しみました。
- 齋藤
- 先生が定義する教え方が良い先生とはどんな先生でしょうか?
- 雨宮
- そうですね、Undergraduate の先生は教え方が上手というのは重要だと思います。でも大学院になると、僕は必ずしもそうではないと思っています。アメリカでは「Student Evaluation」 が非常に重要になって、終身雇用の決定にも重要な要素となっているのですが、僕がスタンフォード大学で教鞭をとることを始めて10年後くらいからEvaluation が始まりました。その制度以前はクラスに準備なしに行って、10分程黙って黒板の前で考えてから、その場で問題を解くようなことをやっていました、というのも、僕は大学院ではそれが一番いい教育法だと思っていたからです。EVALUATIONが始まってからそれが認められなくなり、準備をするようにはなりました。ある先生は講義の前に自分の奥さんの前で講義の予習をしてから授業に出たということです。そして、「わかりやすく、ノートのとれる教授」が非常に評価されるようになりました。僕はこの風潮はすごくおかしいと思っています。
- 渡辺
- …確かに、不思議です…。今、私は先生の話を伺いながら、先生の反応や表現を心底、楽しませていただいています。多分、それは今こうしてお話ししていることがリハーサル抜きにこの場で話しているから得られる感動で…何度も練習してしまったら上手くプレゼンテーション出来るかもしれないけれど、新鮮な感動は薄れますよね。先生のご職業で、ライブで学生達と作って行く授業より、訓練したことが評価されるのは不思議です。
- 雨宮
- 難しいものをやさしく見せかける先生が良い先生と評価される。僕の教育方針はまったく逆、やさしいものを難しく思わせるのが得意。クラスに来る学生は「僕はこれも知っている、あれも知っている」と間違った認識を持っている、その学生に対して、それは間違っていると思わせようとしています。難しいものを難しいと認識せずに、やさしいものだと錯覚しても何も勉強にならない。スタンフォードの学生は優秀で、自信に満ち満ちている。自分は何でも知っていると思っている学生に対して「実際におまえは何もしらない、おまえが考えているよりはるかに難しい」と思わせるように仕向けているんです。
- 渡辺
- それは本当に、素晴らしい教育だと思います…。「分かる、分かる」って言葉をよく使ってしまいますけれど「分かる」なんて事は、ほとんど無いんだと思うこの頃です。悲観的な意味じゃないのです…恐い事件や事故は何故起きたのか早く知って安心したいけれど、分かった気分になる幻想を与えられる方が、もっと恐い。だから「分からないことだらけなんだ、でも、分かっていくことは少しづつでも出来るはず」とシンプルに今や自分を見ることが大事なのじゃないか、と…。ただ、今まで自分がもっとも優秀だと思っていた生徒にとって先生の教えは鼻をへしおってしまうようなショックでしょうね。
- 雨宮
- ソクラテスはそのような教育をして結果的には処刑されました。僕の場合、Evaluationが悪いが学生には殺されていないので大丈夫でしょう(笑)。多くの先生は難しいことを教えようとしない、できるだけやさしく教えようとしている。僕はそれが間違っていると思います、学生には難しい問題を考えてもらいたいと思っているのです。
先生は樹木のように何かにぶつかると枝分かれして探求していらっしゃるのですね。
- 齋藤
- 先生は漢詩を何故勉強しようと思ったのですか?
- 雨宮
- 日本にいるときはアメリカ文学、ドイツではギリシャ、1985年にICUに客員教授として来ていた時は木の勉強をしました。日本にいるときは日本文化の良さを認識していなかった。海外で一年くらい暮らすとようやく日本文化を愛する心がでてくる。そういう愛国心はすごくいいものだと思う。漢詩を始めたのはつい最近。旧かな本漢字を使うのは、20年前からで、叔父の影響です。
- 齋藤
- ドイツに行くと、ドイツの起源に興味を持つ。ICUで教鞭をとられたときには樹が美しいと感じて、木の名前がラテン語だったためラテン語に興味をもつ。ドイツに行って、ドイツ起源を調べようとか、樹が美しいからラテン語を知りたいということには普通はそうはならない。学者の「何故そうなっているのかを突き詰める習性」が、雨宮さんの行動基準のようなものになっているのですか?
- 雨宮
- はい。それはそうかもしれませんね。齋藤さんにはないのですか?
- 齋藤
- 僕は確かにコンサルティングをやっているから、企業の問題は何かを追求するが、ドイツに住み始めたからといって、ドイツの起源を調べようとは思わないですね。
- 雨宮
- それはそうしてしまうと本業がおろそかになってしまいますから追求しないのでしょう。
- 渡辺
- 先生は、「勉強せねば!」という堅苦しいスタートではなく、もっと純粋な好奇心からまるで樹木のように何かにぶつかると枝分かれして探求していらっしゃるのですね。
- 齋藤
- それは学問でもそうだけど、生き方を楽しくしようと思うとそうなのかもしれませんね。いつも何かの出来事にあたると、そこで進む方向を広げていく、そして面白いことには深く入っていくから楽しいのかもしれない。
- 渡辺
- 先生はそういう意味でいつでもどこでも柔軟なのですね。
探究心を持ち続けるために・・・
- 齋藤
- 先生が、いつも頑張ろうと思ったり、その探求力を続けるときに何かその気持ちを維持するために、自分を駆り立てた、ドライブになったようなものってなにかありますか?
- 雨宮
- 何回かありました。初めはPHDをとったとき、その後スタンフォードからJOB OFFERをもらったとき、そして論文が一流雑誌に載ったとき、そのときはすごく嬉しかった。
- 齋藤
- たとえば、先生の教え子から「先生のお陰でこうなりました?。」といわれたことがドライブになったことがあったりするのでしょうか?
- 雨宮
- 昔PHD論文を指導していた韓国人の学生がハーバードの助教授になったのです。彼から学んでいる日本人の学生が、彼に関して書いていたことを偶然雑誌で読んだんです。『毎日のように学生がその助教授の部屋に行くと、その先生は毎日暖かく迎えてくれた。なぜそんなにしてくれるのか聞いたところ、その助教授は“学生のときいつも雨宮先生がそのように指導してくれたので、僕もそうしている”といっていたのです』。それを見たときは非常に嬉しかったですね。彼は僕に直接そういうことは言ったことがないし、その日本人の学生も僕がそれを読むと思って書いたものではないのですが、それがすごく嬉しかった。
- 渡辺
- 見えないところ思わぬところで、実るものなのでしょうね。先生はずっとこの仕事を続けていこうとお考えですか?
- 雨宮
- 僕は、実は三年後には引退します。でも、三年後もジャーナルのエディター(編集長)は続けようと思っている。あとは、学生と週一回会って本を読むこと(DIRECTED READING)を続けたいと思っています。僕は怠け者なので、学生と絡むのが好ましい。 学生の方もこれが講義を取るのと同じようにクレヂットになります。例えば、源氏物語の原文を学生と一緒に読んだことがあります。目的は、読みたいけれど読むのが大変な本を無理やり自分に課すことなんですね。僕は楽しんでいますよ。
- 齋藤
- それはまた、えらいしんどいことやと思うんですけど??
- 雨宮
- いえ、とんでもない、僕はすごく怠けものだから、そんな風に自分の楽しみを増やしていくのがいいのです。
次は中国語を勉強したい、一万年くらい生きないと僕がやりたいことをすべてやることはできない!
- 渡辺
- 三年後、五年後の想像としては、ゆっくりお休みになっていらっしゃるのでしょうか?
- 雨宮
- 僕は今度は実は中国語を勉強したいのです。漢詩を書くので、これを習得するのが、僕の次の課題なのです
- 渡辺
- 大多数の場合、もうすぐ定年となると不安だったり、定年前でもポジションを失いたくなくて守りに入る心情も多いと思うのですが、先生の場合、職場や社会でなく、ご自分の中のプロジェクトがたくさんあって、むしろ自由に取り組める定年後を楽しみにしてらっしゃるのですね。
- 雨宮
- 実は、僕は囲碁も勉強したい、やりたいことを数えるときりがないくらいにやることが満載。一万年くらい生きないと僕がやりたいことをすべてやることはできないと思っています!
雨宮先生直筆の漢詩 湖を前に春の日差しのなかで〜十和田行〜
プロフィール
雨宮 健(あめみや たけし)
東京都出身の経済学者。スタンフォード大学教授。専門は計量経済学。 国際基督教大学卒業後渡米。アメリカン大学大学院修士課程、ジョンズ・ホプキンス大学大学院博士課程を修了して経済学博士号取得。現在はスタンフォード大学で教鞭を取る。世界の主要経済学術雑誌への論文引用件数は約3000件を数え、これまでにノーベル経済学賞受賞に最も近づいた日本人と言われている。