プロフィール
- 渡辺
- 佃さんは2000年ご卒業とうかがっています。お若いですね!
- 佃
- ありがとうございます。同期ではこちらでインタビューを受けられた、衆議院議員の牧島可憐さんがいます。1977年生まれでして、今年で39歳になります。
- 齋藤
- もうそんな歳になったんやね〜。
- 佃
- そうなんですよ(笑)。斎藤さんに初めてお会いしたのは、23歳の時だったと思います。
- 齋藤
- 僕が同窓会長の時に佃さんが同窓会理事になってくれてね。その時は本当にありがとうね。会長就任4年間くらい僕がどういう考え方や行動の仕方をしているかを知られてしまったということやね。
- 渡辺
- ということは、斎藤さんの下でしごかれたんですね(笑)?
- 佃
- 理事会の定例会を通じて、ミーティングのやり方、組織をどのように運営していくのか、リーダーシップについても学ばせていただきました。
- 渡辺
- 齋藤さん、そんなに厳しいですか?
- 佃
- 齋藤さんはマネジメントが本当に完璧なんですよね。
- 渡辺
- さすがカリスマ講師(笑)。
- 佃
- かつ、齋藤さんの会社には素敵な社員さんばかりいらっしゃるんですよ(笑)。それを見て、僕もこんな風になりたいと、モチベーションになったのを覚えています。あと、僕の会社が変革しようという時に、斎藤さんにメールで相談したんです。すると「こんなのすぐできるで〜」とか「こうやって考えるんやで〜」と返信をいただいたんです。それに僕が返信して、またメールくださって…。それを繰り返して今の会社の理念も決まりました。齋藤さんに無料コンサルしていただいちゃいました(笑)。
- 齋藤
- 一生懸命やっている人は大事にするよね。
- 佃
- なので今日は本当にドキドキしながら来ました。今、妻と8歳の娘の3人家族なのですが、家族のみんなで呼んでもらえてよかったねって。
- 渡辺
- 8歳!かわいいでしょうね。佃さんのご自宅の近くの小学校ですか?
- 佃
- 今は普通の公立の小学校に通っています。ゆくゆくはICUに進んで行けたらいいなぁとは思っています。
- 渡辺
- そうか、お近くなんですものね。ICUは緑に囲まれていて環境としては素敵ですよね。
- 齋藤
- ほんまやなあ。同窓会の理事の時もそうなんだけど、佃さんは桜まつりとかICU祭でスタッフの人を連れて来てくれてね。それでみんなに施術してあげて。それで得た少しの収益を同窓会に寄付してくれる。そうゆうことをやってくれる人ってそんなにいないですよね。
- 渡辺
- でもそもそも、どうして佃さんは理事になろうと思われたのですか?
- 佃
- 齋藤さんが同窓会長に就任されるというタイミングで、ちょうど理事会の世代交代の時期だったようなんです。その時に2002年卒業生で齋藤さんの事務所でインターンをしていた大ちゃん(真鍋大治郎)という僕の友達が、「魅力的な先輩がいらっしゃるから、会社に遊びに来てよ」って4、5人に呼び掛けてくれて、その中に僕が入っておりました。会社に遊びに行ったら素敵なお姉さん達に囲まれて鍋を食べたりして…。最後に「君、理事になってくれるか〜?」って言われて、もう即答でハイって言ってしまいました(笑)。
- 渡辺
- そんな経緯だったんですね(笑)。
- 佃
- 大学4年生の7月、22歳の時に僕はカイロプラティックの治療院を三鷹で開業しました。普通、企業に入ったら最初は研修を積んで社会勉強をしていくんですけど、僕はそういう経験がありませんでした。同窓会理事の皆様はすごい方ばかりで…。そんな先輩のみなさまに、ネクタイの締め方から教えていただくなど、本当によくしていただきました(笑)。
- 渡辺
- 今日も、とても素敵に締めていらっしゃいます(笑)。
- 佃
- ありがとうございます。ネクタイもICUカラーにしてきました。今日はとりわけ気合が入っています(笑)。今日は話を始めると涙が出てくるくらい感慨深いのです。何も知らずに起業した僕に、同窓会のみなさまは、財務、コミュニケーションのプロやアカデミックな分野の方々まで、本当にいろんな方を紹介してくださいました。
また、6期の酒井忠昭先生が発起人で、「ICU医師の会」という会に、「僕はカイロプラクターですが、なんでもするので参加させてもらえませんか」とお願いしたら、「いいですよ」と受け入れていただきまして、食事会のセッティングをさせていただくうちに、だんだんと規模が大きくなっていきました。最初10人くらいだったのですが、仲間の協力も得て、40人くらい集まるようになり、ICUアラムナイハウスで開催するようになりました。また、医師以外でも、医療関係者というように、枠を大きくしたい旨を申し出たところ、そちらも快諾いただき、「ICU医療関係者の会」として活動するようになりました。すると、看護師、保健師、カイロプラクター、アロマセラピスト、鍼灸、厚生労働省にお勤めの方、医療関係の教授陣など、医療のいろんな分野のみなさんが集まるようになり、学生も交流会に参加いただいています。
2年前には、ICU医療関係者の会の会員さんで、医大生の藤田華子さんの発案で、ICUの学生で医学部志望の方に対して情報提供をしたいというお申し出がありました。同期の森川園子さんがICUのアカデミックプランニングセンター(以下、アカプラ)でお勤めでしたので、ICU医療関係者の会とアカプラ共催、ICU同窓会後援で、医学部進学希望の学生向けのレクチャーを開きました。そこには、前述の大ちゃんも参加者とした。こんな夢のようなイベントを開催できたのは、まさにICUイズムを共有していたからですし、ICU愛があるなぁと感じました。
- 渡辺
- そんなふうに感じられつつ、このインタビューに臨んでくださったのですね。私自身、ICUの群れない、つるまない、縛らないところが大好きですが、その分どんな先輩がいらっしゃるのかわかっていない面もあって、それがこのインタビューを始めたきっかけでもあるわけですが(笑)。でも、ICU卒業生は会社などでも少数で派閥なんて全くないけれど、いざとなった時には心底、力になってくださる存在だと私も実感しています。
- 佃
- ICU医療関係者の会も、今では登録者数は120人を超えています。僕も10年間務めた代表を降りて、今は2014年卒業の菊地花さんが代表を務められています。
- 渡辺
- それはICU卒業生を含めた医療関係者の方で構成されているんですか?
- 佃
- はい、そうです。
- 渡辺
- 例えば、ICUに在籍している生徒が医学の道に進みたいと思った時も、その医療の会からアドバイスを得ることは可能なのですか?
- 佃
- はい、可能です。年に数回ある交流会ではICUに関わっている人であれば誰でも参加できることになっていますので、悩んでいる人も大歓迎ということを伝えたいです。交流会の案内は、同窓会報と学内専用ウェブサイトに告知を出していて、Facebookページでも案内を出しておりまして、毎回現役大学生は10人くらい参加しています。
- 齋藤
- そもそも、佃さんがカイロの世界に入ったのは、奥さんのところに行って施術を受けた時に、これはすごいと感動したことがきっかけだったのですよね。つまり学生の時に開業しているということは、その施術を受けたのはもっと前の話ですか?
- 佃
- 妻のところに施術を初めて受けに行ったのは、ICUの入学式の前日です。もともと僕は三重県出身で、7歳の時に野球のバットが頭に当たってしまって、むち打ちになり、2週間と3週間の2回入院したんです。その後も後遺症で1年に2、3回は、1週間動けなくなるんです。歩いているだけで捻挫になったり、股関節が外れたり、とにかく体の関節が不定期にずれるんです。それ以外にもアトピーがひどくなったり、指紋がなくなったり、花粉症がひどくなったり、日中におもらしをしたり…。
- 渡辺
- そんな事故に…。ご両親もご心痛でいらしたでしょう…。
- 佃
- はい、両親も心配していたと思います。ただ、両親としてもどうしてよいか分からない、というのが実情でした。と言いますのは、一般的には骨が折れたとなれば、明らかに大変だと誰もが認識します。また、その治療法も確立されています。でも、関節がずれることによって起こる、いわゆる不定愁訴は、どれぐらい大変かということは、なかなか伝わりません。また、その治療法も確立されているとは言い難いです。疲れてはいても、とりあえず気力で何とかなるという部分があるのです。つまり辛いけれど、ぐっとがんばったらできる。でもそのためには、毎回凄まじいエネルギーが必要なんです。で、終えたら腑抜けになってしまう。そういうしんどいサイクルをずっと繰り返していたんです。
でも中学3年生の時に、知り合いの方がカイロプラクティックの勉強を始めたということを伺って、自宅で施術してもらったら、首の可動領域がいきなりポーンって広がったんです。さらに普通80度まで曲がる右手が、30度くらいまでしか曲がらなかったので、マット運動の後ろ回りができなかったんですが、施術を受けたらこれまたパーンって手首が動くようになりました。
- 齋藤
- それは三重県の自宅で施術を受けたということですね
- 佃
- はい、そうです。その後も、先輩の先生の施術を受けられるからと、車で3時間かけて大阪に月2回くらい通いました。もともと、小学生の時から漢方の先生の所へも3、4時間かけて静岡まで通っていたんです。小学5年生の時には、自分で整形外科や整骨院などを開拓していました。当時は、医学部も志したのですが、自分の身体が治らないのに医学部へ行っても仕方がないなあと(笑)。そんなこともありましたが、ご縁をいただいて、15歳からカイロプラクティックへ通って、少しずつ良くなっていたので、しばらくは通っていませんでした。ところが、センター試験の前日に今度はぎっくり腰になり、2週間整骨院に通い、ほとんど寝て過ごしました。今年は受験を諦めないといけないかもと思っていたのですが、そうだ、最後の頼みにカイロプラクティックも受けてみようと思い出したのが、ICU受験日の2日前でした。結果、嘘のようにぎっくり腰が改善し、無事に受験することができたのでした。
- 渡辺
- ご自分で手探りで、快方への道を模索されたということですよね…?もともと事故当時は、どのような診断結果だったのですか?
- 佃
- 事故当時は、頭部打撲です。検査も頭部しか行いませんでした。事故にあうと、あとあと症状が出るよと言われることがあるんですが、僕の場合はまさにそれで、バットが頭に当たって2か月後に首が動かなくなりました。それからは入退院、寝たきり生活を余儀なくされました。
- 渡辺
- どこがどう傷ついたんでしょうか…差し支えなければですが。
- 佃
- 今振り返ると、頭部打撲時に首の関節がずれていたのだと推測いたします。結果、首の関節の動きが悪くなり、首の捻挫を自分でつくってしまったのです。強い衝撃が、頭に当たり、そのショックを吸収したのが首の関節だったのです。首に並ぶ骨の配列がずれると、椎間板が圧迫されます。また、筋肉が炎症を起こし、緊張もすることで、首の動きも悪くなるし、痛みも出ました。また、神経や血液の流れが悪くなり、身体の機能全般が低下したのです。
- 齋藤
- そういう経験があったのですが、自分自身が施術を行おうと開業を志したのはなぜですか?
- 佃
- 実はICU入学時は、アナウンサー、もっというとアンカーパーソンになって、ニュースに独自の意見を加えて視聴者に伝える存在になりたかったです。高校では放送部に入り、NHKアナウンスコンクールで全国大会にも出場しました。とりわけ、筑紫哲也さんに憧れて、いつか多事総論みたいなことができるようになりたいと思っていました。
大学1年生の時に、NHKに就職が決まった先輩に積極的に連絡を取るということもしていました。でもそのアナウンサーの夢と並行して、起業したいという想いもありました。
- 渡辺
- そうだったのですね!でも、ICUで起業したいというのは珍しいのじゃないかな…ですよね?目標にする人はいても、大学1年生から目指している人は少ないですよね。
- 佃
- ひとつ高校生の時に読んだK.L.エイコフ氏の「創造する経営」という本に影響された背景があります。会社の価値を引き出していくコンサルティングの仕事に興味を持ちました。もうひとつは叔父の影響だと思います。小学生の時に、化粧品開発をしている叔父から、将来何をしたいかを聞かれたことがありました。その時僕は「誰かが発明したものをいち早く探しだして、広めたい。」と答えたんです。すると叔父が、「それもいいけれど、隆が何かを創って一番手になって広めた方がいいよ。」と。当時は意味も分からずきょとんと聞いていたのですが、今になって思うとあの言葉が自分の中で強く残っており、自分で何かを生み出すパイオニア精神が湧いてきたように思います。入学前から、在学中に起業したいという気持ちは持っておりました。ICUではなんでも学べるので、とにかくなんにでもチャレンジしてみようという姿勢だったとは思います。ところが、大学3年の秋になっても起業してまでやりたいことが見つからず、とりあえず就職活動費を稼ぐためにアルバイトを始めました。
- 渡辺
- 何かをやりたいための手段が起業ではなくて、起業すること自体に興味があったわけですね?
- 佃
- そうですね。何かを自分で興したい、という思いは強くありました。大学3年の秋から三鷹の整骨院でアルバイトを始めたのが仕事として治療院業界に入ったきっかけでした。そんな時に調子が良かったためにそれまで行っていなかった、妻のカイロプラティック院から年賀状が届いたんです。アルバイトで疲れ切っていたので、久しぶりに行ってみるとまあびっくり。前は30分かかっていた施術が5分くらいで終わってしまって、しかもスピードだけではなくて効果も随分レベルアップしていたんです。思わず先生に、「うまくなりましたね。」と言うと、「そんなこと言われたのは初めてよ。」と笑われてしまいましたが(笑)。当時、腰痛や首の痛みはカイロプラクティックを受ければ良くなるというのは、歯医者ほどではないけれど、一般的に認知されているものと思っていました。ところが、私の友人は全くそういう認識がないことに気付いたのです。みんなが気づいていないならば、積極的に広めようと思うようになりました。そうして、大学3年生の1月頃から本格的にカイロプラクティックを勉強し始めました。また実践も大事だということで、実家の母が地元の知人を患者さんとして集めてくれて、先輩の管理のもと、実際に施術活動を始めました。
- 齋藤
- 勉強と言うと具体的には?
- 佃
- まずは、カイロプラクティックの専門学校へ行きました。また、妻の院でもインターン生として問診や検査、病歴の書き方、施術などを学ばせてもらいました。また、日本の専門学校と並行して、アメリカの大学でもカイロプラクティックの授業を受けに行きました。単位の一部はUCI(カリフォルニア大学アーバイン校)で取ったり、Extension Courseで、UCLAの解剖実習のクラスを受けたりと、ICUに在籍しながらもアメリカのカイロプラクティック大学でも学ぶという、ダブルスクールでした。結局、アメリカの大学には3つ行き、その後にオーストラリアの大学にも行き、計6年間Distance Learning Programを受けました。年に2回は教授陣が日本にいらっしゃり、年に1回は海外で学ぶという、なんとも過密なスケジュールの中、治療院も運営しながら、ICUでは卒論を書きながらでした。アメリカの大学で取得した単位をトランスファーして、2005年にオーストラリア公立マードック大学健康科学学部カイロプラクティック学科で、Health Sciences(Chiropractic)の学位を取得しました。
- 齋藤
- なるほど。昔からずいぶんと忙しかったんやね。
- 佃
- はい、それだけカイロプラクティックに魅力がありました。当時は無我夢中でした。100人単位のグループで海外に行き、勉強を積み重ねていました。ある時、クラスの通訳の方の訳が物足りなく、クラスのみなさんは意味が分からず、困っていらっしゃいました。そこで白羽の矢が立ち、いざ通訳をしてみたら他の学生のみなさんが「佃君の方がいいね。」とありがたい評価をしてくださりました。ICU在学中は英語のレベルも真ん中くらいだったのにお役にたてることが出来、嬉しかったのを覚えています。それからは、カイロプラクティック業界の著名な先生がいらっしゃる時に、下っ端の僕も通訳として同行させていただく機会が何度もありました。すごく貴重な経験でしたね。今思えば、ICUでとにかくやってみようとチャレンジしてたことが全てつながったと感じました。
- 齋藤
- その後開業となると思うけど、開業ってそんなに簡単なものではないよね。お金もかかるし。
- 佃
- そうですね。実はカイロプラクティックはじめ、民間療法に関しては、日本で法制化が遅れており、事業届だけで開業出来てしまうんですよ。だから、今でもあるんですが、ご自宅でカイロプラクティックの施術をやっている方もいらっしゃいます。私ももともとは、自分のアパートに知人、友人に施術をさせてもらっていました。その後、大学4年生の7月から店舗を借りたのですが、大家さんを施術してさせていただいたら、その効果にすごく感動してくださり、料金を下げてくれたんです(笑)。ところが、開業してみると、お客さんは沢山来てくれたのですが、若い僕を見て信頼してもらえなかったり、業者さんに足元を見られたりと、様々な壁に直面しました。自分自身のことも、自分が進んでいる道も信じてはいるけれど、なんだか不安になってしまったんです。そんな時に、ICU医療関係者の会の医師の先輩に悩みを相談しました。このまま院を続けるか、日本で医学部に入るか、アメリカのカイロの大学へ入学するか…。
- 渡辺
- 肩書みたいなものが全くない状況だったわけですよね。
- 佃
- はい。ですがその先生は「大丈夫よ。私はカイロプラクティックのことは知らないけれど、あなたは根源的な話をしていますよ。このままカイロプラクティックをしっかり学んで、院を続けなさい。」と言ってくださったんです。その言葉を受けて、自分の選んだカイロプラクティックという道で、不安はあるものの芯は間違っていないと確信し、より勉強に熱が入るようになりました。そんな中、神内さんが同窓会の組織部長をされていたときに、ICU祭で学生・同窓生・地域のみなさんのためにと、ICU同窓会として参加しようということになりました。カフェやバザーの案は決まっていたんですが、その時に「ぜひカイロプラクティックの治療とか、講座をしてもらえませんか。」とご提案いただきました。それから毎年参加させていただき、14年間で、56回の健康教室も行い、姿勢チェックや体験施術をさせていただいていました。毎年多くのボランティアの方のご協力をいただきました。僕自身はもちろん、協力してくれた当院のインターン生にとっても本当に貴重な経験になり、ありがたく思っております。
- 渡辺
- 大変恐縮なのですが、佃さんご自身の言葉では、カイロプラクティックとはどのような定義なのでしょうか?
- 佃
- 「カイロ ( Chiro )」は手、「プラクティック ( practic )」は技術の意味です。脳と体は神経で繋がり、機能しています。骨がずれると神経の流れが悪くなってしまいます。そこで、手で関節のゆがみ、関節の動き、筋肉などを検査し、問題の箇所を見つけます。カイロプラクターは、神経の流れが悪くなっている原因を発見し、手による矯正で整えて、予防することができる、大学教育を受けた専門家です。且つ、その人が本当に人生でやりたいことにエネルギーを注げるようにサポートします。やりたことを見つけて、それをやりきるには元気な身体が必要ですよね。まだやりたいことが見つかっていないという方には、見つかるようにサポートもしてまいります。
- 渡辺
- 勉強不足で申し訳ないのですが、今はカイロプラクティック以外にも整体や接骨院、指圧にマッサージとあまりにいろいろあって、その境界がわからないものですから…。
- 佃
- みなさんから見ればなんとなく体を触っている点で言えば同じように見えるかもしれません。でも明確に異なる点は大学教育を受けた上で、神経にアプローチできるのはカイロプラクターしかいません。骨や筋肉、と言うよりは神経ベースで考えています。世間のイメージはBone Doctorですが、実際はNerve Doctorだと考えています。
- 齋藤
- 僕も何度か佃さんに見てもらったのだけれども、普通は関節をゴキンとかコキンとかやると思うでしょう。でもそうではなくて、ちょっちょっと触ってキュッと治すだけなんですよ。だからあれは骨自体ではないよね、神経を治しているわけだよね。昔三鷹まで通ったなー(笑)。
- 佃
- その節はありがとうございます。本日お持ちしたのですが、カイロプラクティックのテキストを作成しました。というのも、ICU生の質問はとてもクリティカルなものが多いので、ICUの方にも納得いただける、わかりやすいテキストが必要かなと思いまして。先ほどの神経の話はもちろん、姿勢に関することや、人生に関することまで載っています。
- 渡辺
- なるほど…(手にとって見つつ)とてもわかりやすく書いてありますね。
- 佃
- 海外ではこういう患者さん向けの資料が充実しているんですが、これを和訳して3つのテキストにまとめました。そうしたら、現役のICU生からシングル期の方まで、みなさんが一様に納得してくださるようになりました。つまりこれは、ICUのみんなで作ったテキストだと思っています。さらにこれを海外のカイロプラクターに見せたところ、「ここまでレベルが高く、イラストが綺麗な患者向けの資料は見たことがないよ。」と感動され、今では英訳をした上で、輸出の話が出ているほどです。
- 渡辺
- ICU関係の厳しいお客様がいるからこその産物ですね(笑)。4年生で起業されたということは、奥様はすでに開業されていたわけですよね?奥様の院で一緒にやっていこうとは思われなかったのですか?
- 佃
- その時は結婚に至っていなかったのでそのような考えはありませんでしたね。今年やっと院を一緒にすることを決めました。結果、日本で最大級の広さのカイロプラクティック院を運営することとなりました。
- 齋藤渡辺
- おめでとうございます。
- 齋藤
- その院を大きくする際にくれたメールに、自分が今後どのようなことをしていきたいかを書いてくれていて、それが素晴らしかったので是非このインタビューを受けてほしいと思ってお願いしたんですよ。
- 渡辺
- どんなメールだったのでしょう?
- 佃
- いま世界中にはカイロの大学は40校あります。ところが、日本にはまだ1校しかありません。実際にカイロプラクティック院を開業するとなった時にはミッションベースで考えなくてはいけません。経営力も必要ですし、その最たるは人間性だと思っています。そのためにはカイロプラクティックの大学を作り、その後、法制化を整えようと考えました。3年前に、僕はカイロプラクティックが安全に安心して受けていただくための「安全安心カイロプラクティック30年プラン」を立てました。また、一般の方がカイロプラクティック院はじめ、治療院で元気になってもらうのも大事だけど、そのためには他の治療家にも元気になってほしいと思うようになりました。共通していえるのは、「健康教育」だと思ったんです。そこで、会社名も「株式会社Health Education」にしました。そのためには先ほどのようなテキストもみんなが使えるように販売もはじめ、現在では200院を超える先生にもご利用いただいております。そして30年後には患者さんにわかりやすく、少しエンタテーメント性も持ちながら、楽しく健康のサポートをできる体制をつくっていきたいと考えています。そのためにはカイロプラクティック大学が必要だと思っています。
- 渡辺
- その大学の具体的なビジョンは、どんな?
- 佃
- カイロプラクターとして必要な哲学、科学性、芸術性を兼ね備え、さらには人間性と経営マインドといった全人的教育を目指します。ちなみに、学生は大学の敷地内で全寮制をつくろうと考えています。僕はICU2期生の方と仲良くさせていただく機会がありました。世間一般では、高齢者とかシニア世代と言われる70代の方々が僕に、「何をしたいのだね?どんなことを学んできたんですか?」と熱く聞いていただいたんです。。ICUのシングル期はとてつもない方々の集まりだと聞いてはおりましたが、本当に勢いがすごいんですよね。でもそれはやはりミッションに近いところにいらっしゃったが故だと感じたんです。そして、先生と学生が一緒の敷地で暮らすが大事だと思います。ですから、私の創るカイロプラクティック大学では、平日の9時から17時はカリキュラムをこなして、終わったら先生のところであーだこうだ議論しながらご飯を一緒に食べる。そして土日は経営や、ホームページの作成方法など、院を運営する方法も教えたいと思います。必要な経営力や人間性の育成までを考えたら、規定時間の4200時間じゃ全然足りなくて、あと2000時間くらい必要だと思っています。それで、みんな卒業して儲かるようになったら、毎年100万ずつは寄付してねって言ってます(笑)。とりあえず、目下の目標は、10億円を調達して、学生が勉強する環境を整えたカイロプラクティック大学をつくりたいですね。大学ができたら、同窓会も作っていろいろやりたいですね。ICUの同窓会で学ばせてもらったことを生かしたいです。こういうビジョンを口にするようにしていたら、僕自身の課題が見えてきたんです。モデル治療院をつくる必要があるんだけど、現状は技術も知識ある。あとは広さが問題だな、と気づきました。今思えば、前の院は狭くて窮屈でした。そこで広さを3.5倍に拡大しました。すると、治療内容は同じなはずなのにスタッフもクライアントも気持ちが優雅になったようで、結果的に、施術の効果も高まったのを感じています。
- 齋藤
- 佃さんはね、いい人なんですよ(笑)。いい人というのはつまり、自分のことを考えるよりも人のことを考えてる。さっき夢というか目標を話してくれたけれど、普通はそういう時に儲け考える、そしておかしな方向に行ってしまうわけだよね。しかし経営を成り立たせるためにお金の話は出たけれど、儲けについては彼はあまり考えていなかった。そこで僕はなぜそんな人間になれたのかを知りたいのです。ご両親の家庭教育とか、昔から影響与えてくれていた人たちがいたとか、教会学校行ってたとか、そういったことはあるのですか?
- 佃
- まず一つ目に、事故の影響で寝ていた時間、天井をぼーっと見ていた時間がとにかく長かったんです。何かやりたいけどいつ倒れるかわからない。動けたらもっとできるのにな、と幼いころから思っていた経験が大きいように思います。あとは、父母をはじめ、親戚みんな教職員という環境で生まれ育ったことでしょうか。生徒のためを思って行動したエピソードもたくさん聞いていて、そういう考えが身についたのかなと思います。
- 渡辺
- お話をうかがっていて思ったのは、確かに佃さんには出来るご協力をしたくなります。わたしたちが質問したら、一生懸命考えて答えてくださる。その真っ正面から無償に応えようとなさる姿勢に、まず問いかけた側は打たれますものね。天井を見ながら過ごされた時間が長いとおっしゃいましたけれど、その時間が今を育てたのでしょうね…幼い佃君には過酷すぎる試練だったと思うけれども、その試練こそが自分を磨いてくれたのかもしれない、と。
- 佃
- 7歳の時の事故は、まさにギフトだと思っています。あの事故とその後の後遺症があったからこそ、カイロプラクティックの道へと進むことができました。そういえば、高校生の時に、村上陽一郎先生の「宗教と科学の対話」を読んで、お互いに絶対的なもの同士が対話をするには、どちらも一歩ずつ階段を降りる必要がある。」という考え方を知り、こんな先生がいらっしゃるICUって素敵だなと思っていました。それで、僕は中高仏教の学校で、他にもいくつかの宗教を見てきましたが、やはり結局生きていく上で宗教から抽出できるものは「道徳」なんだなと思えました。あの事故もそういうことを学ぶために必然で起こったことだと思うようになりました。あと、卒業後の話になりますが、ICU同窓会のDAY(Distingushed Alumni of the Year)の表彰で、表彰されたみなさんを見た時に驚愕しましたね。こんなにもすごい人たちが同じ大学の卒業生にいらっしゃるんだな、ああなりたいとも思いました。最後に今の自分をつくってきた要因として、強いて言うならば、良い悪いの判断は別として、ご先祖様から自分の身体に受け継がれた遺伝子的なこともあるかもしれません。
- 渡辺
- あとは、家を包んでいる空気もきっとね。
- 渡辺
- はい、そこは恵まれてると思います。80歳になる叔母が伊勢にいるんですが、彼女は震災を受けて、「私、タワーを立てたいわ。そうしたら他の人も助かるでしょう。」というアイデアがあるというんですよ。はたまた、母方の80歳くらいで寝たきりだった親戚は、ある日「墓が倒れているから直してほしい。」と枕元でご先祖様が言ったらしくて。そうしたら本当に墓が倒れていたそうで。すると、もういいおばあちゃんだったんですが、2000万円を集めて、そのお金で墓を立て直して、市長も参加する立派な式典もされたということなんです。母曰く、そのおばあちゃんは、それまではほとんど寝たきりのようだったのに、しゃきんと歩けるようになって、真っ白だった髪が黒くなったそうです。そういうもご先祖様のパワーにあやかりたいですし(笑)、できるできないは別としても、世のため人のためという思いを大事にしたいと思っています。
- 渡辺
- 自よりも他ですね。言葉でいうのは簡単だけれども、常にミッションを意識して生活されていた影響なのでしょうね。
- 佃
- そうかもしれないです。そういえば、ボーイスカウトなどもやっていました。
- 齋藤
- へ〜、僕もボーイスカウトをリーダーの期間をむくめて十何年もやっていたよ!だから大学時代にもクラブに入らずに、夏休みには地元のボーイスカウトの子を引き連れて山や川で遊んでいたよ。
- 佃
- そうなんですね!僕も募金とか好きでした。カブスカウトや、ボーイスカウトは母の勧めで入ったんですが、そうしたバックグランドも今につながっているのかもしれませんね。
- 渡辺
- 「NPO子供の姿勢を良くする会」も立ち上げられたということですが、このきっかけは?
- 佃
- まだNPO法人にはなっていませんが、法人化も視野に入れて2011年2月にNPOを立ち上げました。主にカイロプラクターのお子さんは、みな元気で姿勢が良いナチュラルに育っている場合が多いんですね。親として、自分の子どもにしてあげていることを、世の中の親御さんにも提案していきたいと思うようになりました。最近では、娘の授業参観に参加したんですが、教室の後ろから見ていると、姿勢良く1時間座ってるのはうちの娘だけだったんです。みんなは僕らが子供のときよりも、身体が揺れているんですよ。実際、僕も事故の影響でじっと座っていられない子ども時代だったというのもあります。今の子ども達の姿勢が悪い理由は、化学物質やら食品やら、精神的なストレスやら、いろいろ考えられると思うのですが、結果として、身体の構造的に問題がある、姿勢がゆがんでいる、ねこ背のお子さんが多いというのは事実なんですよね。であれば、姿勢をよくすること、これは一番の躾(しつけ)なんですよね。躾という字は身を美しくすると書きますしね。そこでねこ背をよくするための「姿勢シャキーン!」というねこ背矯正メソッド考えました。姿勢が良くなれば、神経が流れるし、空気が吸いやすい。さらにプロポーションも整うんです。姿勢を整えることは、健康に、運動に、美容にもつながるんです。でもこれを全国に広めるには、自分の治療院や講演会だけでは無理があると考え、「1日3回で、ねこ背がよくなる『姿勢の魔法』シャキーン!」という書籍を出版することになりました。
- 渡辺
- 実際にお家ではお嬢さんの姿勢について教えたり、直したりなさるんですか?
- 佃
- はい、いたします。家ではカイロプラクティックの施術も、普段の姿勢もコツを伝えます。でもそもそも、彼女が赤ちゃんの時の、抱っこの仕方から違います。一般的な抱っこの仕方、あれでは“ずれ”が生じてしまう、という抱っこの仕方もあります。もっと楽な方法があるよと思うことも多いです。一度向き癖ができると、例えば、頭の右後頭部がつぶれると左前頭部が出てきてしまうんですよ。すると、程度の差はありますが、頭を上から見ると、頭の形が平行四辺形のようになってしまうんです。たかが抱っこのしかたひとつだけれども、できることはたくさんあるんです。生まれてからの1年間で神経系の65%が形成されるんです。その人が一生使う神経という情報を伝達する経路が、最初の1年間で決まってしまうんです。また、小学校に入ってから急激に姿勢悪くなることは世界的な事象なんです。机での作業が増え、重い荷物を持つようになるためだと考えられています。もろもろ改善方法はあるんですが、僕は楽しく伝えたいという思いがあります。そこで、娘も見ている朝の教育番組で「シャキーン」という番組から連想して、「姿勢シャキーン」と命名しました。姿勢の魔法を1日3回だけかけて、姿勢をリセットしましょう、ということを提言しています。姿勢を直してあげたいと親御さんや先生に姿勢をよくする育て方をお伝えしたいと思っています。お子さんの方も姿勢はよくしたいんだけど、最初を間違うとなかなか自分だけでは姿勢をよくすることは難しいんですね。親御さんは怒り口調になっていき、お子さんはできなくて悲しくなって、親子ともども困って泣いてしまっていることも多いんです。そんな親御さんとお子さんの架け橋になりたい、というのがNPOを発足した始まりです。
- 渡辺
- 余談になるかもしれませんが、私も親戚に医師が多かったり、医学関係の番組を担当していた経験もあって感じるのですが、医療はどうしても縦割りになりがちな部分がありますよね。それぞれが専門医として分化しているのは必要で合理的なのですけれど、診断される側としては身体はつながっていて、ひとつの科では解決できない症状もたくさんあります。しかも個体差があるから、病名が同じでもみんなが同じ処方では解決できない現実もありますよね。最近では、病気以前の”疲れ”が蓄積することで事故につながるという事実もわかってきていて、そんな現状に対応していくには医療関係は広く連携していかなければ追いつかない面があるのだろうと感じます。
- 佃
- そうですね。医療の連携は大事だと思います。そのためには、村上先生がおっしゃるように、一歩下がりつつ、対話を続けることが大事だと思います。大きく言えば世の中をよくすることになってくると思うのですが、大きいところを見続けながら、自分の幸せも探る。そのためには、自分ができる限界を知ることも大事だと思います。僕はカイロプラクティックが絶対至上主義だとは思っていません。治療の一つとして、身体のもつ自然治癒力というスイッチを入れ直すために、刺激の一つとしてあるだけで、その方法はカイロプラクティック以外にも鍼灸や、香り、カウンセリング多種多様な方法があるんですよね。僕はたまたまカイロプラクティックや、姿勢をよくするというアプローチで良くなったから、同じような症状でお悩みの方や、つまずいている方に伝え続けていきたいと思っています。
- 渡辺
- 是非がんばってください。
- 齋藤
- いける、いける。佃さんは芯の部分がしっかりしてるから、いけるよ。
- 佃
- ありがとうございます。ぜひその際には、齋藤さんや渡辺真理さんのお力もお借りできたら嬉しいです。カイロプラクティックが発展していくためには、今日お二人から感じた温かく聞いてくださる力の重要性を感じています。小さい時は、先生は気持ちをわかってくれるはずだと思っていたけど、なかなかそれを病院内でやろうとしても、制度的にとか、時間的になど、難しい状況もあることを理解しました。小学生の時に入院中に寂しくて、用も無いのに、ナースコールを押していました。「どうかしましたか?」って聞かれたら、「間違って押しました。」と答えていました。まだ7歳で、幼かったからですから。そういった経験から、先生には言えないことを言えるアシスタントが必要だなと考えていました。ですから、私のところにはCA(Chiropractic Assistant)というんですが、別名、Chiropractic Angel(カイロプラクティックエンジェル)と呼ぶスタッフがいます。理想の院づくりをする上で、ミッションだけ、術者一人だけではできないですよね。それに気が付きました。これからも多くのみなさまの力を借りながら、ミッションに基づいて、やるべきことを積み上げてまいりたいと思います。
- 渡辺
- では、最後にメッセージをいただけますか。
- 佃
- アラムナイオープンレクチャーシリーズでお話しさせていただくなど、学生さんと交流することが今でもあるのですが、最近はICU生にもモラトリアムの傾向が強くなっているように感じます。当院にはICU関係の方が4割程度いらっしゃるんですが、ジョークができる雰囲気でお伝えするんですが、ある共通した不具合があるように感じています。その症候群の名前は、TMCTシンドローム。つまり、Too Much Critical Thinking シンドロームですね。ICUの”Critical Thinking”による恩恵もたくさんあるのですが、時としてToo muchになっていないか、チェックするようにしています。多面的に物事を捉えつつも、どこかにスマイル(^^)をもっていただけたらうれしいです。学生さんなどから、「何が自分のしたいことなのか分からなくて・・・」というご相談をいただくことも多いです。その前提でいうと、一人でも多くの人が幸せになるためには、目の前のことを思い切りやり続けること、目の前の人を大事にすることだと思っています。そこからいろんなご縁がつながって、やりたいことがはっきりしていくと思うし、僕の場合はそうして今があります。あとは、Think Globally, Act Locallyの実践を続けていきたいと思っています。
プロフィール
1996年三重県私立高田高等学校卒業
2000年国際基督教大学卒業
2005年オーストラリア公立マードック大学(健康科学学部カイロプラクティック学科)卒業
2007年首都大学東京大学院(都市科学研究科)中途退学
事故の影響で、小さい頃からひどいねこ背と諸症状があったが、15歳でカイロプラクティックに出会い、姿勢がよくなり、人生が好転。カイロプラクティックを学び始める。1999年より施術活動を開始し、のべ7万人以上を施術。講演回数600回以上。
ICU祭では毎年同窓会ブースにて、姿勢チェック&体験施術を行う。
2016年1月には国内最大級の規模のカイロプラクティック院を三鷹駅前にオープン。
2016年3月には「1日3回で、ねこ背がよくなる『姿勢の魔法』シャキーン!」出版。
株式会社Health Education 代表取締役
ファミリーカイロプラクティック三鷹院 院長
NPO子供の姿勢をよくする会 代表
ICPA(世界小児カイロプラクティック協会)正会員