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1/12 川島重成先生と行く「オンライン・“ギリシア”旅行」第10回 ご案内

シモーヌ・ヴェイユ(1909~43年)に<イリアスあるいは力の詩篇>という
エッセイがあります*。この特異な哲学者は『イリアス』にみられる「稀有な公
正さ」に注目し、この詩篇は「力への人間の魂の従属」を語るが、この従属が「す
べて死すべきものにあっては同じ」であり、「この従属に膝を屈した者のだれ一
人として、それがゆえに軽蔑にあたいするとはみなされていない」ばかりでな
く、「魂の内奥やもろもろの人間関係において力の支配を免れているものはすべ
て…痛ましくも愛されている」とし、そこに「西洋が所有する唯一の真の叙事詩
の精神」を看て取ります。そして、アイスキュロスとソポクレスの悲劇は「叙事
詩の真の継続である」とした後に、淡々とこう付け加えます。「『福音書』は、
『イリアス』がギリシア精神の最初の表現であるように、その最後にして驚嘆す
べき表現である。…人間の悲惨の感覚がこれらの受難物語にギリシア精神の刻
印であるあの素朴な語調をもたらしている」と。
福音書が「ギリシア精神の表現」であるか否かには異論もありえましょう。と
はいえ、福音書や使徒パウロの手紙が「ギリシア語によって表現された」ことは
紛れもない事実です。使徒パウロも『ガラテア人への手紙』で「もはや、ユダヤ
人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、
キリスト・イエスにあって一つだからである」と稀有な公平さを見せています
(3:28 口語訳)。私たちは何の抵抗もなく読んでしまいますが、たとえばソポ
クレスの悲劇を観ていたアテナイの平均的な男性市民が聞いたらならば、とて
も受け入れ難い驚天動地の言葉だったはずです。たしかに「素朴な語調」で言わ
れていますし、自分が正しいと信じたことを大胆に表明する勇気は、アキレウス
を彷彿とさせ「ギリシア精神」の現れという気もしますが…。
アナトリア(現在のトルコ)は第七回のオンライン・ギリシア旅行でも訪れて、
古代のさまざまな文明が盛衰を繰り返した世界を垣間見ました。今回は、『イリ
アス』で英雄や英雄ならざる兵士たちが攻防を繰り広げたトロイア(=イーリオ
ン)や、トロイア勢の英雄サルペドンの故郷クサントス、使徒パウロが仲間とと
もにキリスト教の福音を宣べ伝えるべく踏破した広範な領域に散在するペルゲ、
ピシディアのアンティオキア、リストラ、ミレトス、アッソス、トロアスなどの
都市を訪れます(使徒パウロが福音を宣べ伝えた三回の旅、それに費やした年月
と踏破した距離について、約8~10年、約10,000km という試算があります)。
「ギリシア精神」とは何か?̶̶ を考えながら、写真(多数!)と川島先生の案
内をお楽しみください。シモーヌ・ヴェーユも、どこかで《知性は歓びの中での
み開花する》と書いていました。
荒井直(CPS事務局)

* Simone Weil, La Source Grecque, Gallimard, 1953 は S・ヴェーユの死後アルベール・カミュ
が編集するエスポワール選書の一冊として刊行された。引用は、シモーヌ・ヴェーユ(冨原
眞弓訳)『ギリシアの泉』(みすず書房 1988年)から。

 

日 時 2025年1月12日(日) 14時「出発」
(終了後、1週間ほど見逃し配信を予定しています)

司 会   佐野 好則
案 内 役   川島 重成

主たる訪問地 アンカラ、チャタルフユック、ピシディアのアンティオキ
ア、サガラッソス、クサントス、ボドルム、エフェソス、ミ
レトス、トロイア、イスタンブールほか多数

※ まだ登録がお済みでない方は、1月10日(金)20:00までに、下記のWebアドレ
スまたはQRコードからご登録下さい。1月11日までに、アクセス情報をお知ら
せ致します。

川島先生と行くオンライン旅行ご登録フォーム
https://forms.gle/7fS9x2feU2GCrdp68

 

文:荒井直(ID78、G1983)