エウリピデスの遺作となった悲劇『バッカイ』のプロロゴスで、テーバイの地を
訪れたディオニュソスは自らこう名告ります。「私はリューディアー人とプリュギ
アー人の住む、黄金に富んだ土地から/旅立って、太陽の照りつけるペルシア人の
高原、/バクトリアの城壁高い町々、メーディアー人の住む荒涼とした土地、/さ
らには豊かなアラビアを経た後に、/アジアを、̶̶塩からい海の岸辺に沿って/
ギリシア人と外国人とが混在する、/塔の美しい国々にみちたアジア全土を、くま
なく訪れた。……その後/はじめてギリシア人の地へとやって来たのである」(逸
身喜一郎訳)*。
ディオニュソスのこの行程の範囲は、バクトリアやアラビアなどを除けば、ほぼ
「アナトリア」と重なります。北を黒海、西をエーゲ海、南を地中海に囲まれ、東
で(現在の)シリア、イラク、イラン、アルメニア、ジョージアと国境を接している
聊かキナ臭いアジア西端の半島です。たんに「黄金に富んだ土地」だったからでも
ないでしょうが、紀元前からヒッタイト、アッシリア、リュディア、ペルシアといっ
た強大な王国、アレクサンドロス大王の東征後はセレウコス朝、ペルガモン王国、
ローマ帝国、ビザンチン帝国によって支配され、まさに「ギリシア人と外国人とが
混在する」地でした。ローマ帝国時代にはユダヤ人でありローマ市民であるパウロ
が大王とは反対方向にギリシアへの宣教の旅をした地域でもあります。
オウィディウス『変身物語』第6巻にちょっとした縁起譚があります。葦笛の腕
くらべでアポロンに負けた獣神〔サテュロス〕マルシュアスが生きたまた皮を剥が
されるのですが**、「百姓たちや森の神々、牧神や兄弟の獣神たち……さまざまな
妖精〔ニンフ〕たち、あたりの山で羊や牛を飼っているすべての牧人」が彼を悼ん
で泣き、その涙を受け取った大地が「吸った涙を水に変えたあと、再びそれを大気
のもとに送り出した。水は、そこから、荒海めがけて急勾配を走りくだった。この
河は、マルシュアスと呼ばれ、プリュギアではいちばん清らかな流れだ」(中村善
也訳)。この流れは蛇行を重ねてマイアンドロス河に合流し、敗者の獣神を悼んだ
者たちの涙はエフェソス近傍で地中海に注ぎます。ちなみに、『ヨハネ黙示録』の
七つの教会(エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラ
デルフィア、ラオディキア)は、すべてアナトリア西部にありました。
今回のオンライン・“ギリシア旅行”では、シナの古文献が「丁令(霊・零)」
「鉄勒」と表記し、マルコ・ポーロが「トゥルコマニア」、イブン・バトゥータが
「トゥルキーヤの大陸」と呼んだ現在のトルコの、とくに西部を周遊する予定で
す。主として、ハットゥシャなどのヒッタイト遺跡、ディオニュソス縁のプリュギア
とリュディア(サルディス)、ミレトス、プリエネなどのイオニア諸都市、ペルガモ
ンからホメロスのトロイア、そしてイスタンブールなど、この9月22日から10月5日
までの「現地」版トルコ・ツアーでの写真なども加えて、アッティカ、ペロポネー
ソス、クレタ島などとは違う“ギリシア”を堪能していだだけるのではないかと考え
ています。
荒井直(CPS事務局)
*ウルリッヒ・フォン・ヴィラモーヴィッツ=メレンドルフは、ディオニュソスがアナトリア半島の内
陸部からギリシアに渡ってきたのは早くても紀元前8世紀と推定、この神を新来の神としていまし
た。しかし、マイケル・ヴェントリスとジョン・チャドウィックの線文字Bの解読により、前13世紀
とされる粘土板に di-wo-nu-so-jo(ディオニュソスの属格形)という文字が記されていること、すなわち、すでにミケナイ時代にギリシアでもこの神が知られていたことが判明しています。
**「マルシュアスの皮剥ぎ」はティツィアーノが描いており、逆さ吊りにされた獣神の右側に「黄金
に富んだ土地」であることを示唆するためかミダス王を描いています(チェコ、クロミェルジーシ国
立美術館蔵)。
記
日 時 2023年11月12日(日) 14時「出発」
*前回と違い、従来のように日曜日の開催になります。ご注意ください。
司 会 佐野 好則
案 内 役 川島 重成
主たる訪問地 ヒッタイト遺跡、サルディス、ミレトス、トロイア、イスタン
ブールなど
※ ご参加が初めての方は、11月10日(金) 20:00までに、下記のWebアドレスから
メールアドレス等をご登録下さい。11月11日中に、アクセス情報をお知らせ致
します。
https://forms.gle/iy74XE5HYWGRe9hJ7
文:佐野好則(30期、ID86)