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第3回支部会「基督教伝道献身者の会」の報告(2021.11.3実施)

昨年第2回の懇談会は、コロナ禍でオンラインの態勢も整わず残念ながら中止となりましたが、今年は対面とオンラインを併用して無事行うことが出来ました。途中若干名の出入りもありましたが、約30名の方々が参加されました。

以下、当日のご報告をいたします(*敬称は「さん」に統一しました)。

日時:2021年11月3日(水)14:00~16:00

会場:アラムナイハウス

プログラム:

  1. 讃美歌 21 403番「聞けよ、愛と真理の」
  2. 開会の祈り
  3. 参加者自己紹介
  4. ショートスピーチ(2 名)

長沢道子さん(福祉)矢澤俊彦さん(牧師)、

  1. 懇談(含レクレーション)
  2. 「証言集」に関する報告
  3. 記念写真撮影
  4. ICUソング
  5. 閉会の祈り

***

♪ 聞けよ、愛と真理の 主の物語を、

世の罪を除く 主のみことばを、主のみことばを。

やがて時は来たる。平和の光の

くまなく世をてらす あしたは来たる (讃美歌21 403)

まずこの讃美歌を全員で高らかに歌った後、開会の祈祷(伊藤瑞男さん)。当日の参加者の紹介(総合司会の有馬平吉さんがマイクとカメラをもって回り)。その後2名の方に「ショートスピーチ」をして頂きました。ここにその時の原稿をご紹介いたします。

◆「見えざる手に導かれて」  社会福祉法人牧ノ原やまばと学園理事長 長澤道子

私は、現在、静岡県の中部に位置する牧之原市で、社会福祉法人「牧ノ原やまばと学園」の理事長を務めています。高齢者福祉と障碍者福祉に関わり、今年は創立51年目。事業所は、牧之原市だけでなく島田市、吉田町にもあり、事業所の数は31、職員総数は470人位です。支援の対象者は、自分で車を運転して通ってくるような自立度の高い人から、全面的介助を必要とする方まで、様々です。施設の種類を挙げると、高齢者分野でも障碍者分野でも、入所や通所施設がある一方、地域で暮らす高齢者・障碍者を支える相談支援事業や権利擁護活動、又、訪問介護事業や、心を病む人たちのための居場所づくり等があります。

私は初めから福祉の道を志していたわけではなく、今に至ったきっかけは、➀洗礼を受けたこと、②クリスチャンになって以来、予期せぬ出会いがあり、それを通して想定外の体験をすることになったこと、③「やまばと学園」の創立者であった長澤巌と結婚したこと、の三つが挙げられます。

受洗は、私の人生に大きな変化をもたらしました。聖書の言葉に感動しながらも奇跡等につまづいていた私でしたが、大学卒業の頃、進路に関して挫折を味わい、根無し草だった自分や、実は聖書によって養われてきた自分だったと気づかされ、悔い改めました。卒業後は受洗して教会へ通うと決心。これからは「できるだけ近い教会に」と願っていたら、夜、メガホンで「夕礼拝があります」という案内を耳にし、以来、アパートの裏の真正面に在った「成宗教会」に通い、祈祷会や教会学校、英語教室への奉仕等々、教会づくめの日々となりました。一方、東レに入社後すぐ、見知らぬ女性から「聖書研究会」に誘われ、以来私が退職するまで5年間、毎水曜日の昼休みに、7~8名の人々と共に、白鷺教会の竹井祐吉牧師から聖書を学びました。当時の仲間達とは今も親しい交わりが続いています。

会社員から恵泉女学園高校の教師に転職しましたが、それも、修養会で退職予定の方と知り合い、彼女が私を恵泉に推薦して下さったからでした。昼の仕事とは別に、夜は米国人宣教師アンさんと暮らし、大学生のためのバイブルクラスを毎晩開催。又、浜本さんという女性と出会い売春禁止法に基づく婦人保護施設の中に住んだりしました。全て予期せぬ出会いによる新しい体験でしたが、その後の私の人生に布石を敷いた思いがします。

1977年、長澤と結婚後、自宅に障碍者数名を迎えて共同生活をし、昼間は小規模作業所の指導員として働きました。1983年2月、夫が髄膜種摘出手術を受け、成功率95%と言われ、多くの熱い祈りを頂いたにもかかわらず、結果は、最重度の心身障碍者になるという深刻なものでした。翌年、自宅へ戻る車中では、涙が止まりませんでした。3年間は介護に専念。1986年理事長に選ばれ、2007年夫が召されるまで、私の務めは介護と理事長職との二つになりましたが、実に多くの人々に助けられました。

最近の事ですが、毎年お米を寄贈して下さる方が「コロナで昨年は失礼したので」と、「2年分の、60キロのお米」を持参。給食委託業者に渡したところ、翌日、「芋入りの炊き込みご飯」と「根菜入りのけんちん汁」になって、ご利用者だけでなく職員にも大振舞い!「喜びは分かち合えば倍に、悲しみは分かち合えば半分に」の歩みが続くよう願っています。

受洗して以来、福音を伝えたいという思いが消えたことはありませんが、私たちの仕事は、伝道と引き換えに(お世話しますから聖書を聴いてください、を願って)始まったものではなく、偏見と差別に苦悩する人々の重荷を少しでも担おうという目的で始まりました。それで、施設内では宗教的なプログラムは皆無で、最も力を注いでいるのは良い支援をすることです。そんな中でも、創立期には、障碍児を抱える家族の中から熱心な信徒が生まれました。苦しむ人々に寄り添うことの大切さを知らされます。

一方、この仕事を通して、人は何と争いがちなものか(小さな誤解から対立が生まれたり、許せないとの感情に陥る等)をしばしば見聞きしているので、どんな人も「みことば」によって養われ、立ち直る必要があることも痛感させられています。特に障碍者や弱い高齢者に関わる私たちは、自己中心的な思いを、主の愛によって砕かれ、新たにされる必要があると。

そんなわけで、職員たちの自由意思を尊重する一方、何とか福音を届けたいと、例えば、法人主催の行事や会合(オリエンテーションや全体研修、施設長会議等)では、礼拝や、聖書を聴く機会等を設けていますし、私が関わる本部では、毎朝、聖書を輪読し、私がお話を担当しています。「聖書は素晴らしいですよ。ぜひ耳を傾けて下さい」という思いを抱きつつ、そんなことには全く無頓着な職員に接している私たちの姿勢は、教会の先生方が地域住民に接する姿と少し似ているかもしれません。あの手この手で伝道に力を尽くした末、ついにご自分を神様に全面的に明け渡し、信仰の大きな喜びを得るに至ったと矢澤先生が書いておられますが、神に働いて頂くことが、いつの時代にも変わらぬ秘訣なのでしょう。一方で、一度洗礼を受けても、日々神様との交わりを新しくし続けていく必要があるように、伝道も、福祉のわざも、「これで良し」ということはなく、日々神様を仰いで新しく出直す必要があると気づかされます。

近年、対人援助に関する研修などでは「サーバントリーダーシップ」や、それを構成する10の特性【傾聴、共感、癒し、気づき、説得、目標への概念化、先見力、信頼できる執事役、成長への関わり、コミュニティづくり】がしきりに紹介されています。「あぁ、これはイエスさまの属性だ。主につながる者には、御霊の実として与えられるものだ」などと単純に思ったりするのですが、時代の変化の中で、霊的なとらえ方、理性的なとらえ方を適切に理解し、未信者の方が共感できることばを用いて意思疎通を図ることも、福音紹介のためには大事だろうと思わされています。

◆「自己の道を行き尽くして」    日本基督教団荘内教会牧師 矢澤俊彦

本日は、オンラインにてではありますが、皆様に親しくお会いできますことを大変うれしく思っています。ICUは、文字通り私にとっては母親のような存在で卒業以来長きに渡って絶えず暖かい励ましや慰めやインスピレーションなどを数々与えられてきました。感謝のほかありません。今日の集いを古屋安雄先生もその他の先生方も大変喜んでおられるに違いありません。

私は、信州長野の出身でキリスト教に初めて接したのは、1961年春の入学式でした。その時古屋先生が「何のための知識か」と題される説教をされまして私はその挑戦を受け、キリスト教に興味を感じ、これまであゆんできました。あれから60年を経た今年ですが、福音の喜びを確かに知ることができたのは、比較的最近のことなのです。救いの道は、人様々でしょうが平均的な日本人にはこういうこともあるのではないかと感じています。

私をして今の喜びに達するのを助けてくれたのは、現在在任44年になる鶴岡の人々でした。この町は風光明媚にして雪深い静かな城下町ですが、ここで多くの親切な友に出会いましたが、人々の最大の親切は私の語る言葉を本当には聞いてくれなかったという点です。大声で繰り返し叫んでも、あるいは静かに話したり、書いたりしても結局は聞いてくれる人がいなかったことです。自分の言葉が全然通じないということはさびしい。私は大洪水を警告したあのノアの心境をよく思いました。例えば周りの町医者は、多くの病人で忙しくしています。でも「魂の医者」でありたいと密かに思う自分には、訪れる人が滅多にいない。農民たちが不作、凶作を訴えてもその年の収穫がゼロということはないでしょう。

そういう中で、私はあらゆる努力を繰り返し、ついに「自己の道」を行き尽くし、ジタバタするのをやめ、神様の恵みに全てを明け渡すことができたのです。こんな意味で妙な言い方ですが、私はこの古風な城下町の人々に深く感謝しているわけです。この長い道行については、お手元にあるかと思いますが、『神の出番の新時代』に記しましたが、私を支えてくれた希望については、54年度版讃美歌89番の言葉に要約できるかもしれません。それを今ここに家内京子がいますので読んでもらいます。この歌はあまりうたわれないかもしれませんが、神様は、実にmysteriousなしかたで働きたもうと歌っています。

1 み神のみ旨は いともくすし 嵐に現れ、波にひそむ。

2 こよなき知恵もて み山深く 数多なる宝を 隠したもう。

3 み空をおおえる 黒雲より 豊けき恵みの 雨は注ぐ。

眼前にそびえ立つ登頂困難な山。また押し寄せてくる暴風雨や猛り立つ波の中に実は素晴らしい宝の数々が隠されているというのです。

キリスト教に聞く耳持たずと言いましたが、この地元の人々はたぶん都会人と違って何も持たない人々ではないのです。漁師ペテロのようにまず舟を持ち、父を持ち、土地やご先祖様、また墓やお寺さんを有し、昔ながらの伝統や習俗の中にいる。これらすべてを、ある意味でかなぐり捨ててキリストにひざまつくということ。これは容易ならぬことです。いったいどうしたら、どのような言葉で語りかけ、どのように説得したらよいのか、これが地方伝道者の課題なのです。私は今の日本人の集団が大きな「カルト」に見えてくることがあります。その姿は戦前のように歴然としていませんがかつて森 有正先生が指摘されたように「文化的には鎖国状態」であるように見えます。その中に閉じ込められ、生き埋めにされているのに気が付かず、そこから出てこようとしないのです。どうして飛び出してこないのかと小塩 節先生は、森鴎外を語った随想で記しています。鷗外は、その生涯で多くの優れた師に出会ったけれど、ついに自分をすべて明け渡すことのできる「一人の主」には出会えなかった。この国の多くのインテリもそういう主を求めてどうして突貫していかないのか、というわけです(随想 森鴎外2019年)。

最後にUniversity of tomorrow(明日の大学)と言われてきたICUについて一言。中世に大学が始まってから約千年、宗教改革以来5百年以上が経ちました。C.S.ルイスは、キリスト教は2千年の歴史があるけれども神様の目から見れば、まだ歯の生え始めた乳児のような時代だと言っています。だとすれば現在の教派分裂などは一時的な小児病ではないかというわけです。今日ここにはいろいろ違う組織の方々がおられますが、他の宗教者も含めて大きな視野のもとで活動していきたいものです。ICUも今後百年も5百年も先を見つつ、しかしまず仲間の同窓生に伝道しなければと思います。

「私を信じる者は、また私のしているわざをするであろう。そればかりかもっと大きな業をするであろう(ヨハネ福音書第14章12節)」。

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後半は「ICUのCクイズ」(伊藤英志さん指導)で共に楽しみ、その後参加者全員に一言づつ自由にお話し頂きました。その後、卒業生の伝道献身者の皆様の「証言集」の編集が始まっていますがその進捗状況等について梅津裕子さんが報告して下さいました。最後に「ICUソング」(左近和子さん伴奏)「祈祷」(北原葉子さん)「記念写真撮影」をもって、会は無事終了しました。

(*写真には-特にオンラインの方々-写っておられない方々もおられます。)

文責者:ICU同窓会「基督教伝道献身者の会」支部長・有馬平吉 事務局・梅津裕美