■プロフィール
ICU高校を1999年に卒業後、社会科学科に入学。3年次に教育学科に転科。1年間の交換留学を経て、2004年に博報堂に入社。クライアントの広報活動を支援するPR戦略局を経て、2010年に、企業ビジョンや商品開発の支援を行うコンサルティング局に異動。
聞き手:鵜飼さん(3年生)、水庭さん(3年生)
湯島天神の鉛筆がきっかけで‥
- 水庭
- 岡田さんは、ICU高校からICUに入学なさっているんですよね?
- 岡田
- そうですね。ICU高校に入学した時は、すごいカルチャーギャップを感じましたね。それまで公立の中学校に通っていて、海外旅行もした事がなかったんです。ところが、高校に入ってみると、同い年の同級生が休み時間に、廊下でペラッペラ英語で雑談していたりして。
だから「英語ができる人がこんなにたくさんいるなら、僕がわざわざ勉強する必要はないじゃないか」と思って、高校時代はあまり英語を勉強しなかったんですよね。まぁ、これが後々響いてくるので、ちゃんと英語やっとけばよかったなと後悔したりもするんですけど(笑)。
それに比べたら、大学は最初からハイアガリ(ICU高校からの入学生)の友達が100人くらいいるし、学生も純ジャパ(海外経験のない日本人学生)が多いし、「普通の大学だなぁ」という感じでしたね。
- 鵜飼
- なるほど。ホームというか。
- 岡田
- そうそう。むしろ大学から入ってきた人が、「ハイアガリは、なんだかいつもつるんでるよね」って思われていましたね。
- 水庭
- 今もそういう感じですね(笑)
- 岡田
- あとは、大学に入ってみると、これはICUに限ったことではないかもしれないけど、授業をゼロから自分で選ばなきゃいけないってことが、初めての経験で戸惑いましたね。
今みたいに、APC(アカデミックプランニング・センター)のような相談出来る所も無いし。レジ本(2007年度まで存在した、ehandbookの冊子版)も、僕の苦手な英語で書いてあるし(笑)。
- 水庭
- みんな最初はそこには苦労しますよね。
ちなみに岡田さんは、在学中に転科(現在のメジャー変更)をされたと伺ったのですが、それについてお話していただけますか。
- 岡田
- 最初は社会科学科で入学したんです。ハイアガリの仲間の間では、国際関係学科がすごく人気だったんだけど、「あそこに入ると英語で卒論を書かされるらしい」とうわさに聞いていたのでやめました。
国際関係学科だからと言って必ずしも英語で卒論を書かなくてもいいというのは、後で分かるんですけどね(笑)
- 水庭
- (笑)
- 岡田
- 隣の高校に通っていたけど、高校生の知識なんてそんなもんですよ(笑)
あと、高校の時に数学がすごく好きだったのですが、たまたま参加したICUの理学館を見学するツアーで、研究室の雰囲気が自分に合わなそう‥‥と思ったので、自然科学系も無いなあと。つまり、消去法的な感じで、何となく役に立ちそうだった社会科学科を選んだと、そんな感じです。
ところが、1年生の冬学期に取った「Economy and Economics」っていう授業で、すごくがっかりしたんです。
- 水庭
- 授業内容が面白くなかったんですか?
- 岡田
- 内容もそうなんだけど、先生がなぜかすごく意地悪だったんですよね。
学期の最初には、「私の授業はいつ来ても、帰ってもいいですよ~」なんて言っていたのに、学期の最後の方には「君、何で遅刻してくるんだ!帰れ!」とグチグチと怒るんだよね。そんな様子を見ていたら、なんだか残念に思ってしまって。
その後も、社会科学科の授業を何個か取ってみたけど、なんとなくピンとこなくて。
そんな時、転科というシステムがあると初めて知って、2年生から徐々に、教育学科の授業を取り始めたんです。
- 鵜飼
- なんで教育学科を選んだんですか。
- 岡田
- 実はですね、それは小学校までさかのぼるんです。小学校6年生の時に通っていた塾の先生が、教え方がすごく上手でした。算数の先生だったのですが、毎回授業の終わりに小テストを配って、一番最初に全問正解した人には、湯島天神の鉛筆をくれたんです。
- 水庭
- 学問の神様のですか?
- 水庭
- そうそう。
今考えれば、ただの鉛筆なんだけど、当時はなぜか分からないけど、それがものすごく欲しくて、頑張ったんですよね。
毎回のテストでダメなところを復習したりして。それで、気が付いたら鉛筆を毎回取れるようになっていて、気が付いたら算数をすごく好きになって、成績がすごく上がっていた。いつの間にか勉強自体も好きになっていたんだよね。
自分がただ単に単純だっただけなのかもしれないけれど、それでも鉛筆1本でこんなに勉強って面白くなるんだっていうのが衝撃的で、小学校の卒業文集に「将来は先生になりたいです」って書いたほどでした。
- 水庭
- そんな昔までさかのぼるんですね。
- 岡田
- それが、「教える」って面白いなって思った最初の思い出です。
でも、そんな「先生になりたい」っていう夢は、高校時代のいろいろな楽しい事の中で忘れてしまって(笑)、大学も推薦で入学したから、正直あまり明確な目的なくICUに入ったところがありましたね。しかも、「なんとなく役に立つかな」ぐらいで社会科学科を選んだけれども、どうもピンとこない。
そんな時に、「そう言えば、もともと『教えること』が好きで、先生になりたかったんだった」というのを思い出した、というわけです。
- 水庭
- 「教える」というところから、教育学科に転科したんですね。
- 岡田
- そうですね。でも実は、もう一個きっかけがあるんです。
2年生の春くらいだと思うんだけど、本屋さんでたまたま「広告批評」っていう雑誌を見つけたんです。今はもう廃刊になってしまったんですが、当時の話題の広告を紹介している月刊誌でした。その雑誌を読む前は、例えばトヨタのCMはトヨタが作っていると思っていたんだけど、実は電通とか博報堂みたいな広告会社があって、そこが専門的に作っているっていうのを初めて知って、そういう「人の心を動かす」みたいな仕事もあるんだ、と少し興味をひかれたんです。
でも、就職云々というよりは、「何かを人に伝える」とか、「コミュニケーション」みたいな事が楽しそうだな、と感じたというのが、当時の気持ちでしたね。まさか、自分がその会社で働く事になろうとは、全く思ってもいませんでした。
- 水庭
- なるほど~。
- 岡田
- 当時のICUで「コミュニケーション」を学べるのは、「国際コミュニケーション(・言語論)」と「教育(工学・)コミュニケーション」の2つがあって。国際=英語=苦手、という私ですので(笑)、教育学科のコミュニケーション関係の授業を取ってみたら、すごく面白かったんですよ。さらには、「先生になりたかった」という夢も思い出して。
- 水庭
- なるほど。社会科学科で入ったけど、「コミュニケーション」を経由して、教育に戻って来た、という感じですね。
でも、小学校の頃に原体験がちゃんとあって、後々繋がっていくところが面白いなぁって思いますね。
- 岡田
- スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業式での祝辞じゃないですが、振り返れば点が線になっているんですね。
留学で確信したこと
- 鵜飼
- 転科した教育学科では、どんな勉強をしたんですか?
- 岡田
- 当時の教育学科には、いわゆる教育学や教職課程の授業だけでなく、心理学とか、教育工学・コミュニケーションとか、いろいろな分野が集まっていたんですが、すべてが先生になるための授業というわけじゃなかったんです。私も、教育学科に転科したけれど、教職を取ろうとは思わなかったんですよね。最終的には教育社会学の先生のゼミに入って卒論を書いたのですが、転科してから卒業まで、私が一貫して興味を持っていたのは、「生徒が学びたくなる環境をどう作ったらいいのか」という事でしたね。
これは、僕の中では、湯島天神の鉛筆と一緒なんです。生徒が自ら学びたくなる状況を作る時に、すべてを先生一人が背負うのではなくて、環境から考えていくのは、すごく大事なのかなって思うんですよね。
- 鵜飼
- 環境作り、ですか?
- 岡田
- この事って、教育以外でもあてはまる事なんじゃないかな、と思うんです。
例えばIKEAっていう有名な家具屋さんがありますよね、販売員もいっぱいいて、もちろん専門知識も、接客技術も持っている。でもやっぱり、販売員が全てのお客さんを対応するのは無理がある。
それで、IKEAには、「この部屋丸ごと15万円」みたいな部屋丸ごとの展示がたくさんあって、お客さんは、店員から話を聞かなくても、いろんな展示を見てイメージを膨らませて、買い物を楽しんでる。つまり、接客の技術とは別に、お客さんが買いたくなる環境を作っていると思うんです。これも、教育の環境づくりとすごく近いのかな、と思うんですよね。
- 鵜飼
- あー、確かに‥‥。じゃあ、教職は取らずに、教育環境とかについて学んでいたわけですね?
- 岡田
- そうですね。例えば、黒板に書いた方がよく分かるのか、映像で見せた方がよく分かるのか、を分析する授業とかも、面白かったですね。
あと、卒論も結構楽しかったですね。卒論では幼稚園をテーマにしたんですが、キリスト教系の幼稚園と、仏教系の幼稚園と、無宗教系の幼稚園の3つに、ペンとノートとお弁当を持って、それぞれ1週間ずつ、毎日通いました。
先生と子供がどういう会話をしているのかを、とりあえず全部ノートにバーって書き出して、後からそれぞれの違いを分析していく、という内容だったな。
まぁ、ノートを持って教室の隅に立っていると、子供たちに「お兄ちゃん遊ぼう!」って絡まれては、「お兄ちゃんは勉強中だからあっち行ってて!」みたいな(笑)。
- 鵜飼
- 楽しそうですね(笑)。そんな卒業研究もあるんですね。
- 岡田
- そうそう。振り返れば、最初ICUに入った時は社会科学科で、なんとなく経営学とか経済学が役に立ちそうだなと思っていたけど、そこからコミュニケーションに興味を持って、教育学科に転科して、最後は幼稚園に入りこんで調査するとは、入学した時は全く思ってもいなかったですね。
- 鵜飼
- なるほど。4年間でいろんな変遷があったんですね。
- 水庭
- 教育やコミュニケーションなど、いろいろやられていたと思うのですが、学生時代に一番頑張っていたことは何ですか?
- 岡田
- うーん、一番苦労したことでもいいですか?
- 水庭
- はい、ぜひ。
- 岡田
- 一番苦労したことはね、やっぱり留学ですね。
海外だから、日本語が使えないじゃないですか。もともと言葉で教えたり伝えたりするのが好きだったわけなので、言葉が通じないっていうのが、想像していた以上にものすごいストレスで、苦しみましたね。
- 水庭
- そうですよね。
- 岡田
- それこそ高校の時に、「自分は英語をやらなくてもいいや」って思っていたツケが回ってきたのが留学時代でした。
留学先のテネシー大学は学生2万人のマンモス校だったんだけど、日本人はそのうち100人くらい。授業では日本人はおろか、アジア人もめったにいませんでした。事前に準備できるスピーチだったら大丈夫なんだけど、先生がブワーってしゃべって、内容が何かを理解しようとしている間に、「どう思う?」って聞かれて、仮に日本語で思いついたとしても、英語で出てこない。
そんなことをしていると、周りのアメリカ人の学生が、他愛のないことをバーって言って、もう僕が言うタイミングを逃しちゃうみたいなのがたくさんあって。
- 鵜飼
- すごく分かります(笑)
- 岡田
- 結局、1年間の留学では、思い通りのコミュニケーションを英語で出来るようにはならなかったですね。
「英語なんて、大体意味が伝わればいいんだよ」という人もいるとは思うのですが、自分は細かいニュアンスまでちゃんと伝えることにこだわる人間なんだと、はじめて気が付きましたね。
- 水庭
- 留学に行ってよかったと思いますか。
- 岡田
- もちろん、行ってよかったと思いますよ。
アメリカに1年間住んでみて、「やっぱり自分は日本で生きていくんだ」と確信を持てた気がします。今はどこも“グローバル人材”がもてはやされていますが、自分は何と言われようと、日本語のコミュニケーションの細かいニュアンスを大事にするプロとして生きていく、という覚悟ができましたね。
あと、アメリカはご飯が全然美味しくなかった(笑)。
- 水庭
- (笑)
- 岡田
- ご飯って大事だな、って思いましたね。
テネシー大学は学内にバスが走っているくらい広大な敷地なんですが、学食が10か所くらいあるんですよ。でも、10か所どこに行っても、ハンバーガーやピザしかない。ルームメイトのアメリカ人は、大げさでもなんでもなく、本当に毎日ハンバーガーかピザしか食べないんだよね。
で、結構ガタイもいいし、病気にもなっていない。でも、「野菜食べないの?」って聞いたら、「食べているよ。ポテトなら!」という感じでした。
- 水庭
- それはすごいですね(笑)
- 岡田
- 僕は一週間で耐えられなくなって、炊飯器と包丁とまな板を買って、アジア系の食材屋さんに行って、自分でカレーライスとか、親子丼とか作って、暮らしていましたね。
やっぱり、日本食っておいしいですよね。
- 水庭
- そうですよね~。
- 岡田
- とはいえ、徐々に英語にも慣れて来て、英語でコミュニケーションするコツも見えてきました。
例えば、「あんまり良い事を言おうとしなくてもいいんだ」っていうこと。英語が徐々に聞きとれるようになってくると、実は周りのアメリカ人の学生は、あんまり大したこと言ってないなというのがなんとなく分かってきた。先生のオウム返しでもいいから、まずは発言することが大事、みたいな文化なんだなって思いましたね。
あともう1つは、「日本人である事を生かす」という事です。例えば、広告の授業を取った時に、アメリカのマクドナルドのCMを流して、「これを見てどう思いますか?」という質問が先生からあったんですが、僕はぱっと手を挙げて、「日本ではこういうCMをやっていて、ここが違います」という感じの発言をしたら、皆に興味を持ってもらったんですよね。
それで、当たり前なことなんだけど、日本のことを知らないとダメだな、っていうのをすごく身をもって感じましたね。
深さと真理で勝負する
- 水庭
- 留学から日本に戻ってきて、日本の企業に就職なさったわけですが、今はどんなお仕事をしているんですか?
そして、ICU学んだ事って、仕事に生きていると感じますか?
- 岡田
- むしろ、仕事ではほとんどcritical thinkingをやっているんじゃないかって思うくらい、ICUで学んだ事の延長線上にある気がしますね。
- 鵜飼
- へー!
- 岡田
- 僕は今、広告会社の中ではちょっと変わった仕事をしているんです。
普通は、クライアントの企業が作った商品やサービスが既にあって、それをどうやって世の中に広めるのか、をお手伝いするのが広告会社の基本的な仕事なんですね。
ところが僕が所属しているコンサルティング局というのは、その手前の、そもそもどんな商品を作るべきか、どんなお店を作るべきかという所のお手伝いもする部署なんです。
- 水庭
- 広告会社にもコンサルティング部門があるんですね~。
- 岡田
- 世の中にはいろんな“コンサルティング”と名前が付く仕事があるから分かりにくいですよね。
僕らが商品作りのコンサルティングをする時に求められるのは、メーカーがついつい忘れがちな消費者視点を気づかせてほしい、みたいな事なんだけど、そういう時に大事なのが、実はcritical thinkingなんですよ。
例えば、あるガソリンスタンド会社のお仕事をした時の話です。経営企画部長みたいな偉い人が、「ガソリンスタンドはどこもお客さんが減って苦しんでいる。何か良いアイデアを打ち出さなきゃいけないんだけど、何をしたらいいのかよくわからない。」ってすごく悩んでいたんですよね。
- 水庭
- そんな相談もあるんですね。
- 岡田
- そうなんです。で、カッコいいCMを作ったら良いんじゃないかとか、子どもが喜ぶヒーローショーをしたらいいんじゃないかとか、そんな事はいくらでも思いつくんだけど、それでこの部長さんの悩みは解決しないなぁ、と。
そもそも、根本的な悩みはなんだろうかと考えたんです。それで、次に会った時にその部長さんにお話ししたのが、「銭湯とスパ」の話でした。
- 水庭
- 銭湯とスパですか‥‥? ガソリンスタンドとどう関係があるんですか?
- 岡田
- 燃費が良くなったり、そもそも車に乗らない人が増えて、ガソリンスタンドのお客さんが減ってきたのって、銭湯に似てるかも知れませんね、という話なんです。
銭湯も昔は日本中にたくさんあったけど、今ではどんなマンションにもシャワーもお風呂もあるから、だんだん減ってきたよね。
で、銭湯のおやじさんが、『このままではまずい。若いOLさんに来てもらうには、どんなアイデアがあるかな』と思って、石鹸とかタオルとかをおしゃれにしてみるとか、ゆず湯にしてみるけど、会社帰りのOLさんはなかなか来ないよね。
- 水庭
- そうですね。もし僕がOLだったとしたら、行こうとは思わないです。
- 岡田
- 一方で、OLは会社帰りに、スパには行きますよね。お湯が出るのは、銭湯と一緒じゃないですか。何が違うんだろうと考えていくと、結局、銭湯っていうのは、『体を洗う』ところで、スパっていうのは、『疲れを癒す』場所なんです。
つまり、見た目の話ではなくて、お客さんがその場所をどう思っているのかっていう、価値が変わらないと、新しい人は来ないですよね。
- 水庭
- ああー、なるほど。
- 岡田
- そういう話をしたら、その部長さんが、ハッとした顔をして、「まさにうちのガソリンスタンドの店長は、銭湯のおやじなんです。お客さんを増やそうとして各地の店長ががんばってはいるんだけど、どうしても発想が中古車販売とか、レンタカーとか、車関連になってしまうんです。」って言ったんだよね。
でも、わざわざ、車を買ったり借りたりするのに、ガソリンスタンドには行かないですよね。
- 鵜飼
- 確かにそうですね。
- 岡田
- 「銭湯屋がスパに大転換するように、ガソリンスタンドも、単にガソリンを入れる所じゃなくて、『○○をしに行くところだ』 っていう風に、新しい価値を作ってあげないと、どんなアイデアを考えてもダメですね。」という、そんな話をしたんです。
僕は、ガソリンスタンドを経営した事も無いし、スペシャリストではないけど、「そもそもガソリンスタンドになんで今、人が来てないか」っていう問題を、企業の人とは違う視点でcritical thinkingするのが自分の役割じゃないかな、と思っているんです。
- 鵜飼
- なるほどー。
- 岡田
- 他にも、食品会社だったり、化粧品会社だったり、いろんな業界の仕事があるんだけど、共通しているのは、みんな先が見えずに悩んでるってことなんです。
ある特定の分野については負けないくらいの技術や知識があるんだけど、それでも「うちの会社は今後どうすればいいんだろう」って悩んでいる時に方向性を見つけていくのは、リベラルアーツ的な仕事なんじゃないかな、って勝手に思っています。
- 鵜飼
- 広い視点とか、一つに捉われないっていう感じなんですかね。
- 岡田
- そうかもしれないね。先が見えない時こそ、専門分野ではなく、もっと広い、「真理」とか「本質」で勝負する、みたいな。
他の大学の人だったら、例えば経営学の専門家なら経営分析を、マーケティングの専門家ならマーケティング分析を、となるのかもしれないけど、ICU生だったらもっと広い視点で、「そもそもガソリンスタンドって人にとってどういう価値があるんだろう」っていう話ができると思うんですよね。
ICU生って、そういうの好きじゃないですか(笑)
- 水庭
- すごくICU生っぽいですよね(笑)
- 鵜飼
- そういう意味では、ICUで学んだリベラルアーツが、仕事でも活かされているってことなんでしょうか。
- 岡田
- リベラルアーツの意味も、学生時代は「自由度が高いってことかな」くらいにしか思ってなかったけど、社会人になってイメージが変わりましたね。
例えば、飲み屋とかで、 ICU以外の人と話す話と、ICU生同士で話す話は、深さが違う気がするんですよ。ICU生同士って気付かない内に、ふと真面目な話になるんですよね。
- 鵜飼
- なります、なります(笑)
- 岡田
- でもICU生以外だと、「あの子はかわいいよね」「あの部長は最悪だよね」みたいな話がすごく多くて。
「話が上手い」にも色々な定義があると思って、相手から振られたら何でも返せるとか、笑いを取れるとか、そういう話の上手さは他の大学の人の方が上手いですね。
でも、「深い話」っていうのは、ICU生がすごく得意な所だと思います。卒業してから久しぶりにICUの友達とかと飲んだりすると、気が付いたら深い話になっているんですよね。話の内容も「それってマックスウェーバー的に言うと」みたいな。
- 鵜飼
- (笑)
- 岡田
- もちろん、マックスウェーバーを今でも完璧に覚えているわけじゃないですよ。でも、おぼろげながらも覚えている色んな材料を使って、深い話をする傾向がある気がしますね。
リベラルアーツっていうのは、何を学ぶかよりも、「深さ」を学ぶっていう事なんじゃないかな、って思いますね。浅く広くの知識って思われがちだけど、むしろそういういろんな知識を使いながら、深く潜っていくっていう感じかな。深めるためのツールとして、critical thinkingがあって、各分野のいろんな知識が学べる。深く考える人になる準備のための4年間なのかなって、今になれば思いますね。
- 鵜飼
- ということは、学生時代にリベラルアーツが出来上がる、というわけではないんですね。
- 岡田
- そうだね。だから、深く掘るための道具を揃えたり、準備運動をしたり、ちょっと試しにやってみる4年間を過ごした上で、社会に出て「よし、どこ掘るか」みたいな。そういう感覚がありますね。
- 鵜飼
- ロールプレイングゲームで言うところの「装備」みたいな感じですね。
- 岡田
- そうそう。敵に出会ってから装備を買おうと思っても、なかなか難しいんだよね。
つまり、若いうちにしか出来ないことってあると思う。PEで和太鼓もやるし、専攻と違うことも勉強するし、キリスト教概論も受ける。もちろん牧師になるわけじゃないんだけど、何かを深く考える時に、そういった知識とかが意外と役に立ってくるんじゃないかな。「あ、それってキリスト教と一緒だな」みたいな。
- 鵜飼
- そうなんですか?
- 岡田
- この間、「うちの会社は転職してくる人がすごく多いから、ビジョンや企業理念や行動規範を1枚にすっきりまとめたバイブルを作りたいんだ」と言うクライアントの方に会ったんです。
でも、ICU高校の夏休みの宿題で聖書を読まされた僕としては(笑)、なんだかちょっと違うなーって思ったんだよね。
「あなたが今おっしゃっているバイブルって、『わが社の理念はこうだ』という簡潔な定義を作りたいっていうことですよね。でも、実際の聖書には『愛とはこうである』って簡潔に定義がしてあるかと言えば、全然そんな事ないんです。むしろ、イエス=キリストが行なった、いろんな具体的なエピソードが長々と書かれている。そんなたくさんのエピソードの中から、『愛とは何か』を読む人が感じ取っていく。そういうのがバイブルなんです。だから、会社の理念を数行で書いておしまいではなく、むしろ『うちの会社は過去、こんな時にはこう対応した。こんな時にはこう乗り切った』というエピソードをたくさん積み重ねた方が、転職してきた社員の人にとってはバイブルになるんじゃないですか」っていう話をしたんです。
そうしたら「そうかもしれない!」って、結構喜ばれたりして(笑)。
- 鵜飼
- (笑)
- 岡田
- クライアントが「バイブルが作りたいんだ」と言っている時に、「はいはい、了解しました。すぐやります」と答えるのではなくて、「ちょっとまてよ、バイブルで示す企業理念って、何なんだろう」っていう風に、少し立ち止まってcritical thinkingモードになれるのも、ICUの学びに感謝している所です。
しかも、「あなたが思っているバイブルは違うんじゃないか」っていうのを言う時に、一応聖書を読んだことがあって、「実際はこうなんですよ」って言えた方が、相手をハッとさせられるじゃない。
- 鵜飼
- そうですね。
- 岡田
- そういう、「本当にそうなんだろうか」と思ったり「こういう見方も出来るかも」と深く掘り下げたりするための知識とか、物事を批判的に見る視点を、ICUで得られたような気がします。
これは私に限ったことではなくて、ICUの卒業生同士で話していてもそういう会話になるから、ICU生に共通するDNAみたいなもので、みなさんも知らず知らずの内に身に付いているのかなって思いますよ。
マイノリティを楽しもう
- 鵜飼
- 岡田さんがおっしゃったように、確かにICUの先輩と自分に共通するDNAのようなものがあるのを感じます。
先日も、ICUのOBの方とお話したんですけど、就活の話から気付いたら、「障がい者教育とは何か」について話していましたね。
- 岡田
- そう、そういう感じ。
- 鵜飼
- まさにおっしゃるように、DNAという風に思いました。
全然違う会社とかに行っていても、その話で盛り上がって、「いいね、青臭いね」とか(笑)
- 岡田
- そうそう。そういう青臭い議論が恥ずかしくないっていうのが、ICU生同士の会話のすごくいいところだと思う。
そういう会話はね、結構他の大学の卒業生と、出来たことがあんまりないですね。
- 鵜飼
- そうなんですか。
- 岡田
- 結局学問って、そもそも真理を追究するみたいなところがあるんだけど、ICUでは真理だけじゃなくて、平和までを追求するみたいな、大きな視点がある。その中にいると、そういう青臭い議論が青臭く感じなくなるっていうか、むしろそれをすることが求められている場面がすごく多かったりしますよね。
ところが、社会に出ると、そんな事を考える機会は全然無い。そもそも「平和を追求する」っていうのを、考えたことがない人の方が多いと思う。
- 鵜飼
- OBの方も全く同じことおっしゃっていました。
- 岡田
- もちろん、日本国民全員が平和とか真理とかを追究しないといけないかっていうと、そんなことない。
でも、我々はICUに入ってしまった以上、他の人とは違うアプローチから、世界の平和みたいなのを考えるための訓練をさせられているわけです。
そういう青臭い議論がちゃんとできる人も、世の中には必要だと思うし、リベラルアーツっていうのは、学生時代はなんだかよく分からないけど、後々にそんな深い議論をするための、準備段階、武器装備だったのかなと思いますね。
- 鵜飼
- なるほど。
- 水庭
- 今の仕事は楽しいですか?
- 岡田
- はい、すごく楽しいですね。まさにコミュニケーションで人を動かす仕事ですからね。
あと、「そもそも」を深く考える仕事が多いのも、とっても楽しいですね。
- 水庭
- いいですね。
- 岡田
- でも大学の時はこんな仕事をするって全然思っていなかったですね。
実は学生時代にとあるコンサルティング会社でアルバイトをしていたんですけど、その時には、コンサルティングを別に面白いとは思ってなかったからね。
それが、広告の会社に入ったはずなのに、コンサルティングの仕事をしているわけなので、不思議ですよね。
- 鵜飼
- やっぱり、将来のことは分からないものなんですね。
- 岡田
- 伝えたいのは、「人と違うこと、自分がちょっと変わっていることを楽しんでほしい」っていうことですね。
そもそも、東京の大学に入った時点で、日本の人口の数十%ですよね。それだけでマイノリティなのに、ICUという、東京の大学の中でも相当変わっている、むちゃくちゃマイノリティな場所にいるわけです。だから、むしろ「変」であることや、「人とは違う」っていうことを、恐れずに楽しむのがいいと思う。
例えば、僕も転科をためらわずにしたし、ちなみにアドバイザーの先生も6回ぐらい変わったしね(笑)
- 水庭
- えー、そうなんですか?(笑)
- 岡田
- 別に仲が悪かったわけではなくって、「こういう卒論を書くんだったら、この先生がいいな」と思って変えたんだけど。そういうのって結構ためらってしまったりするじゃないですか。
- 水庭
- はい、言いづらいなー、とか思っちゃいますね。
- 岡田
- でも、先生は全然気にしてないはず。むしろ、やりたいことがあって、それに適した選択肢があるんなら、先生もそっちの方が嬉しいと思うんです。
僕みたいに「ICUに入ったけど、英語が嫌い」とか、「実は国際協力には全然興味がない」と思っている人もICUの中だったらマイノリティかもしれない。でも、周りを気にする必要は全然無い。僕も、広告とかコミュニケーションっていう、ICUの中ではマイナーな分野に興味があったし、就職活動の事もあんまり気にしないで留学もした。どうせなら、普通の大学生、普通のICU生とは違う体験をしたいなぁーと、何となく思ってましたね。
ICUに入った時点で、みなさんも王道人生ではないので、王道人生では味わえない楽しさを見つけて、どんどんそういう世界に入り込んでもいいんじゃないかな、と思います。
- 水庭
- そうですね。
- 岡田
- この間、たまたま読んだ本で、ソフトバンクの孫正義社長が、「変わりものだって思われた方が、あんまりマークされないから、新しいことをやるのにちょうどいい。ソフトバンクは今では有名になっているけど、昔は、『変わっているな』と思われていたから、なんでも出来た。今度はアメリカに出ていったけど、アメリカでも『どんなやつやねん、変わり者だな』って思われているから、それくらいが実はちょうどいいんですよ。」という話をしていました。つまり、ICUに入っているっていうだけで、多少変わり者だって思われているわけです。
その、「変わり者」ポジションを、むしろ上手く使えばいい。「あいつ、ちょっと変わってるけど、たまにいい事言うんだよなぁ」みたいな。
一見するとマイノリティに見えることが、実は大きな視点で見るとすごく重要な場合がある、そう思うんです。
- 鵜飼
- マイノリティだけどクリエイティブみたいな。
- 岡田
- 僕も、「既にある商品をどうやって世の中に広めるか」という仕事が多い広告会社の中では、ちょっと変わった「そもそもどんな商品を作るかという所から考える」というマイノリティな部署で仕事をしているわけです。同じような仕事をしている先輩が少ないので、大変といえば大変ですが、ポジティブにとらえれば、社内で出来る人があまりいない分野でもあるわけです。
しかも、世の中がますます成熟してきて、先が見えずに「そもそも」から悩んでいるクライアントが増えてきている。すると、「だったら、ちょっと岡田に相談してみるかな」と、声もかかりやすくなるかもしれません。
- 鵜飼
- なるほどー。
- 岡田
- みなさんも、自分が勉強したい事が周りのICU生とちょっとぐらい違うからといって、気にする必要は全然ありません。あるいは「このメジャーを取っておけば、就職で有利かも」という事では無くて、周りのみんなには理解されないかもしれないけど、「私はこの授業をどうしても取りたいんだ!」みたいな、そういうのが後々、生きてくる気がします。皆が行きたがる世界って、競争の激しい世界なんだよね。
それよりはむしろ、「皆は注目していないけど、結構大事な事だな」って思うことをやっていくことが、後々自分の価値を上げると思う。つまり、マイノリティになることを恐れない。むしろ、価値になるっていうことでしょうか。
- 鵜飼
- なるほどー。
- 岡田
- 戦略という字は、「戦いを省略する」という意味だと、言われているけど、「戦わずして勝つ方法があるはずだ」って考えながら生きて行く方法もあるかもしれませんね。
- 鵜飼
- 競争の中で揉まれていくんじゃなくて、気付いたら勝っていた、みたいな(笑)
- 岡田
- そうそう。というか、気が付いてみれば、それができるのが自分しかいなかったっていうことかな。
企業理念の話をしている時に、聖書について語れる人って他にはいなかった、みたいな感じかな(笑)
- 鵜飼
- そうですね。確かに、「ICUにいるだけで、そもそもマイノリティだわ」と思いました。
- 岡田
- 教育メジャーだからって教職取らなきゃいけないわけでもないしね。教職以外でも、教育に携われる方法はいくらでもある。
そういう風に、王道では無い抜け道がいろいろあるので、それを楽しんだ方がいいかな、と思います。
- 鵜飼
- 僕たちも、ICUというマイノリティを楽しみたいと思います。
今日は本当にありがとうございました!
<おわりです>