メジャーとキャリアって関係あるの? 南山 聖さん (ID 03) 経済学 → 地方公務員

■プロフィール
2003年に社会科学科・経済学専攻で卒業。卒業後に地方公務員試験を受験し、習志野市役所にて勤務開始。まちづくり推進課、市民協働推進課を経て、現在(2013年)は秘書課にて勤務。


聞き手:櫛田さん(3年生)、梅原さん(2年生)

きっかけは、スペインで読んだ日経新聞

櫛田
スペインにいらっしゃったということですが、いつ頃ですか?
南山
小学校5年生から中学校2年の4年間いました。
戻ってきてからは1年間インターナショナルスクールに通って、ICU高校には9月生として入学しました。
櫛田
どうしてICU高校に入学されたのですか?
南山
帰国子女を受け入れる高校が当時あまりなくて、日本に帰ってきてから、ICU高校に相談しに行ったんです。
元々は日本に戻るのは非常に抵抗があったんです。でもICU高校を見てみたら、楽しそうというか、帰国生でも受け入れられる土壌があるのかなと思って、ICU高校しか受けませんでした。
櫛田
ICU高校1本で。
南山
そうですね、だから落ちたら高校浪人(笑)
梅原
大学もICUを受験しようと最初から思われていたのですか? 他にも国際系の大学はいっぱいあると思いますが……
南山
ICUには推薦入学で入りました。

当時、私の友人たちが考えていた大学、慶応か上智かICUという感じで、今と比べると国際系の大学はあまり多くなかったんです。私はICUの雰囲気がとても好きだったので、ICU以外の大学に行く事は、正直あまり考えませんでしたね。ICUの雰囲気というか、みんなが持っている価値観、そういう部分が好きでした。推薦で行けるのだったら行こうと思って、なんとか滑り込みました(笑)

梅原
ICUの雰囲気・価値観というのは具体的にどういうところに惹かれたんですか?
南山
みんな誰でも受け入れるというか、こうあるべきだっていうものがないところがICUの雰囲気、一番いいところだと思いますね。
梅原
違っても認めて。
南山
そうですね。皆同じものがなくても皆別に気にしないというか。“関係ない”っていう訳ではないんですけど。
櫛田
その人の道を尊重するというか。
南山
そうですね。
櫛田
実際ICUに入られてみてどうでしたか?イメージ通りでしたか?
南山
イメージ……、嫌な思い出ってあまりないんですよ。 楽しくて、帰国生じゃない人でも色んな価値観を持った人がたくさんいて、それをみんな普通に受け入れていて。
今もセクションってあるんですか?
梅原
はい、あります。
南山
セクションでみんなで英語を勉強して、ばか山の雰囲気が一番良かったな。 1年2年が一番楽しかった気がしますね。何が良かったんだろう‥。でもたぶんICU生の皆が思っていることと同じことだと思いますよ。独特の雰囲気というか。
櫛田
メジャーは経済学を選ばれたのですね。どうしてですか?
南山
スペインにいた頃にさかのぼるんですが、当時って日本語の情報が全くないんですよ。 今みたいにインターネットも何もない。なので、日本語の活字が欲しかったんです。その時に、父親が送ってくれていたのが日経新聞だったんですね。
梅原
小学校時代に日経新聞読んでいらっしゃったのですか!?
南山
そうですね(笑)。
日本は、そのころバブル経済の真っ只中から、終わるくらいでしたから、帰ってくるたびに日本が変わっているんです。私が住んでいるマンションの郵便受けに“部屋買います”っていうチラシが朝に空にしても、夕方になるといっぱいになってたりだとか。田舎のおじいちゃんおばあちゃんのところに帰ると、お小遣いをたくさんくれたりだとか。だから、「何なんだろうな、日本という国は」っていうのを日経新聞を通して外から見ていました。
櫛田
そうだったんですかー。
南山
ですから、日本を経済学っていう視点から見ていたのかなっていうのが一番大きかったと思います。 だから、一番身近だったというのと、好きだったというので経済学を選びました。
大学の入試を受けていないことからも分かるとおり、あまり深くは考えずに、自分が好きなものを取っていった選択の結果だと思いますけど。
櫛田
1年生のときから経済を専攻したい、と?
南山
そうですね。 どのあたりが自分は好きなのかと思って経済学と経営学入門をとってみたんですけど、経営学はあまり自分には向いていないと思いました。そこで、専攻はマクロ経済学にしました。
櫛田
マクロ経済学を学ばれて、学生時代、将来どういう仕事をしたいかというのは決まっていましたか?
南山
いや、決まっていなかったですね。 なので、「自分が好きだからマクロ経済学をとっていた」、という意味で、メジャーっていうのは自分が将来どういう仕事をしたいのかとは全然別モノだと思っていました。
メジャーと絡めようという発想はありませんでしたね。

“人の顔が見える”仕事がしたい

櫛田
大学を卒業して、すぐに市役所で働き始めたんですか?
南山
実は、そうではないんです。学生時代にバイトで始めていたIT関連の仕事が、そのまま本当に職業になった時期がありました。大学時代も、後半は個人事業主として、学生生活よりも仕事をしていましたね。
梅原
すごいですね!
南山
そのまま、そのIT関連の仕事を続けていくつもりだったんですけれども、大学を卒業するのと前後くらいで、「なんか違うなあ」と思ったんですよ。 IT関連の仕事は一人で作業する事も多くて、人の顔が見えないのが気になりました。企業に就職することも考えたのですが、バイトでかなり忙しかったので、就職活動もそれほどしませんでした。
そもそも、お金を稼ぐのがあまり好きじゃなかった事に気が付いて、公務員になろうかなと考え始めました。
櫛田
なるほど。
南山
実は、学生時代のバイトのほうが、公務員の初任給よりも給料もらっていたかもしれません。
櫛田
税金をとられるくらい?
南山
毎年確定申告していましたからね。
だから、大学3年生くらいから、減価償却とかある意味勉強よりも実務を先にやって。
一同
梅原
実際にやっていることが経済学にフィードバックされているということですね。
南山
そうですね。結局大学を卒業して、バイトの引き継ぎだけ簡単にして、あとは1年間仕事一切しなかったんですよ。 最初は、バイトの仕事があまりにハードだったこともあって、労働基準監督官のような仕事がいいかなと思い、同期が新卒で働いているころに、私は家で公務員の勉強をしていました。

櫛田
最初は労働基準監督官を目指されれて。
南山
そう。それでやっと激務から解放されて、勉強に専念できていろいろなことが身に付いてきて、ふと考えました。 実家が習志野で、確定申告をしたりとか、いろいろあって市役所にちょくちょく行くわけです。
梅原
なじみがあったんですね。
南山
そこでね、みんな優しいんですよ。そういう人の優しさにふれたのがあって、市役所を受けてみようと思いました。
公務員試験は県庁が7月頃の実施で、市町村はその後なんです。自分の頭がそういう風に切り替わったのもちょうどその頃でした。私のコンセプトはやっぱり「人の顔が見える仕事がしたい」だったので、国や県よりは、監督官もそうですが、もっと人とやりとりをする仕事の方がいいなと思いました。 方向性を180度切り替えましたね。そして試験受けたらたまたま受かってしまいました。
櫛田
実際に市役所に入られてまずどのような仕事をなさったんですか?
南山
一番最初はまちづくり推進課です。町内会や自治会に関わる仕事ですね。 比較的接する方の年齢層が高いです。あとは国際交流や平和の啓発事業もやっていました。
櫛田
実際にはどのようなことをされていたのですか?
南山
町会の人たちのお手伝いや、補助金を出したりします。 あとは懇談会を開いたり、町会の人たちを顕彰したりする記念式典を開いたり。月に1回くらいそういう大きなイベントがあって、そのために準備しては片付け、次に移って、の繰り返しの4年間でした。
櫛田
そこから今の市長秘書になられたのですか?
南山
いいえ、その前に市民協働推進課というところに2年間在籍していました。そちらでは、ボランティアやNPO関連の仕事をしていました。その後に市長秘書となって今4年目です。

今は市長と一緒についてまわっています。スケジュール調整をするので土日も仕事ですね。市長のような、特別職の方は平日と土日の区別がなく仕事があるので、週末は基本的に課のメンバーが交替で市長につきます。寝ていたとしても電話があったら必ず出ますし、災害時にはかけつける。

櫛田
気を張っていなければいけないですね。
でも、どの課を回っておられても、最初に仰っていた“人の顔が見える”っていうところは本当に今のエピソードで分かります。
南山
そうですね、市役所に勤めると絶対に人と関わるんですよ。
みなさんが市役所と聞いてイメージするのは、住民票を出すといった不特定多数の方と接する窓口関係だと思います。もちろんそういうところにも異動はしますけど、むしろそのバックというか、直接特定の方々と関わる仕事の方が多いと思います。だからそれは外の人が持っているイメージとは全然違うと思いますね。
櫛田
そうですね、イメージでは窓口のフロントの方たちとしか市民は接触しないのかなという印象がありました。 どちらかと言うと、バックの人たちの方がよりディープに関わっていらっしゃるんですね。

公務員という仕事と、まちを歩くこと

南山
話は変わりますが、もともと、まちを歩くのが好きなんですよ。
櫛田
まち歩きですか。
南山
例えばアパートを借りるとき、たいてい駅から何分圏内とか、どこどこから近いとか、そういう決め方をしますよね。
でも通り一本、特に大きな道路や線路をはさんだだけでも環境が全然違うんです。だから同じ徒歩10分のアパートでも、道路の向こうとこちらとでは環境や雰囲気が全然違う。実際にまちを歩いていると、そういうことに気づけるんです。
櫛田
おもしろいですね!
南山
おもしろいですよ。
小さいときは船橋・千葉・習志野に住んでいましたが、ICU高校の頃は国立で、大学1年の半ばか2年くらいからまた習志野の方に戻ってきました。私としては地元なのですが、高校生活に離れていた事もあって、市役所職員になって初めて「自分はこんなに地元のことを知らないんだな」ってビックリしましたね。
櫛田
実際に働いてみて分かるという感じですか。
南山
そうですね。市役所の仕事でいろいろみてみると、まちのことで知らなかったことがわかって非常に勉強になりますし、他のまちに行くのも楽しくなりますね。
「アド街ック天国」(テレビ東京)で自分のまちの特集をやっていたとき、知っているところばかりだろうと思って観てみたら、意外と知らないところだらけでした。
でも、まちってそんなものです。
櫛田
たしかに、そうかもしれません。
南山
知らなかったいろいろなことを知るのが面白い。 政策にも活かせるしね。グローバルじゃなくてローカルなことですが、それが楽しいですね。だから世界に目を向けるのもいいけれど、その前に自分の足元を見てみてもいいんじゃないかな、と思います。
梅原
まずは自分の足元を見てみる、それも大切なことですよね。
南山
まち歩きの経験は、全然関係ない部署に行っても応用できます。
例えば窓口で住民票を受けるとき、顔を見て、あ、この人何丁目何番に住んでて、前どこから来たんだとわかる。そういう時はその都度自分の中で情報を蓄積していくようにしています。あとは人の名前も覚えるようにしています。
櫛田
人の名前ですか。
南山
しかも昔からその土地に住んでいる方たちだと同じ名字が多いので、フルネームで覚えないといけないんです。
梅原
フルネームですか、すごいですね!
市役所で働かれている方はやっぱりその地元の方が多いのですか?
南山
そうですね。習志野市役所には、私の他にはICUの卒業生はいないので、私はあの中では異端児だと思います。
今はだんだん変わってきていますけど、昔はやっぱり地元出身の方々が中心に入るようなところでした。
櫛田
そのイメージは確かにあります。
南山
ICU生は、もちろん海外に行っても活躍できる人材なので、海外に行ってくれるのは嬉しいです。
でもICU生がいないところにICU生が飛び込んだほうが最大多数の最大幸福というか、プラスアルファになれる部分が大きいんじゃないかな、とも思います。
櫛田
就活なさるときに、海外の企業を受けなかったのは、そのような理由からですか?
南山
いや、海外はもういいや、と思いまして(笑)。
こんなに安全で安心な国はないですよ。スペインに住んでいた時も毎年日本には帰ってきていたのですが、そうするとなおさら違いを感じて、やっぱりこの国が好きだな、と思います。もちろん汚いところや嫌なところもありますけど、でも自分は海外にいるよりも日本にいたほうが気持ちよく生きることができるんじゃないかと思ったんです。
梅原
そういうことだったんですね。はじめはなんで市役所に勤務されているんだろう、って思っていたんです。
海外経験のある方なのにローカルなお仕事をなさっているので。
南山
そうですよね。まったく正反対だと自分でも思いますし、よくそう言われます。
でも、自分で流れを追っていたら今こうなりましたっていう感じなんです。だから海外の企業は、最初から受けようとは思いませんでした。
梅原
その過去があったから今こうなったっていうのもありますよね。
南山
それはあると思います。だから海外に住んでみるのも一回はいいかな、と思います。 何であれ、ものごとを外から見たほうが魅力になりますからね。
梅原
人と顔を合わせることが好きなのはなぜですか?
南山
人って一番、機械的じゃないものだからです。良くも悪くも感情的なものですから。
同じものを出しても人によっては受け取り方も違うし反応も違うので、答えが決まっていないという点がやっぱり面白いです。役所で働いてると、怒られることもしょっちゅうですよ。でもその一方で喜ばれるときもあるので、ひとつひとつが勉強ですね。
櫛田
ところで、公務員の仕事は安定はしているけれど、自分で何かを動かすことはできないというイメージがあるのですが。
南山
安定はしていますが、皆さんが想像するほど楽な職場ではありません。特に都市部の自治体は結構大変で、毎日5時に帰れる職場では無いですね。
仕事の動かし方に付いて言えば、確かに自分一人で動かすことはたしかにできません。やっぱり決めるのは政治家である首長(知事・市町村長)や議員です。でも彼らが一から全てを作るわけじゃない。そのベースとなる政策を立案する縁の下の力持ちとしての役目を担っているのが行政です。
なので、表には出てきませんが、だからといって何もできないというわけじゃないですよ。特に事務職はハードだけではなくソフトな面での政策立案にも関わっていくので、そうした能力も求められるし、またその能力を発揮する機会もありますよ。

アベノミクスを、おばちゃんに伝える

櫛田
今、秘書課で働いていて、今から思えば大学であれを学んでおいて良かったなとか、今あれがすごく活きているなとか、印象に残っているものはありますか?
南山
ICUは一般教養を一通りやるじゃないですか、それは本当に良かったと思いますよ。 メジャーうんぬんで何かを極めるよりも、今のこの仕事の場合では、一般教養がやっぱり求められます。

梅原
なるほどー。
南山
それから、勉強そのものではなくて、勉強の仕方のようなものをICUで覚えることが出来た事は、とても良かったです。
秘書課は他の課からいろいろな報告を受けて、人にお伝えするときがありますが、その内容が自分にとって馴染みのないものでも、話を聞いて自分の中で咀嚼して伝えないといけない。しかも短期間のうちに。そういう場面では幅広く学んだことはやっぱり活きてくると思います。
全く分からなくても大まかな形がわかると、知らない分野のことでも結構すんなり入ってきます。
櫛田
では、例えば経済学で学ばれていたことはどういうことが今つながっているなあと思いますか。
南山
例えば、アベノミクスだって、専門的な話は別にして、それをいかにまちのおじいちゃん、おばあちゃん達に分かりやすくかみ砕いてお話をするかとか、あの3本の矢、経済成長と規制緩和と金融緩和それぞれについて、一般の人たちにはどういう風に翻訳していったらいいのかなといった、かみ砕く部分でICUの学びが活きてくると思いますね。
櫛田
一般教養で学んだ色んなものがつながってきたりとか、経済学で学ばれていたことをかみ砕いてアウトプットできるという感じですね。
南山
そうですね。
市長って、地元では結構身近な存在なんです。なので、今も土日に市長と一緒にいると、地域の方から「この石碑の裏に書いてあるコレ何だろうね?」といった質問を気軽に受けることがあります。
習志野って旧陸軍の要地だったので石碑が立っていたんです。そこに皇紀2600年と書いてある。市長とは全く関係のない質問ですが、尋ねられることもあるんです。
櫛田
私だったら答えられません‥。
南山
それを「それはこういうことですよ。」って分かりやすくお答えすると、「へー、そうなんだー。」という風に結構興味深く聞いてくださるので、間違えたことは言えません。
そのような急な対応にも、自分の経験と、教養とで対応できるんだなあと思いましたね。でも教養がないと、気づくものも気づかない。
梅原
専門知識を深めるだけでなく、なるべく幅広い分野に馴染むこともまた重要なのですね。
南山
そうそう。去年夏休みに沖縄に行ったんですが、そこでもつい特別養護老人ホームに目が行ってしまうんですよ。せっかくリゾート地に来ているのに(笑)。
一同
南山
私にとってはリゾートでもやっぱりそこに生活している人がいるので、こういうものが必要なんだなって。地方の方が高齢者の方が多くて危機感も高いです。 そういうところの施策が、自分のまちではこう置き換えられるのかなっていうのが見えてくるんですよ。全部を今の仕事にそのままアウトプットできるわけではありませんが、学生時代いろいろなものを経験して観察したことが役に立っていることは多いです。
つまらないと思ってやっていたことでも、意外と役にたつものですね。
櫛田
なるほど、面白いですね。
ところでICUでは2008年から学科がなくなり、31のメジャー制になりました。3年に進学するときにメジャーを選択するのですが、これだけ選択肢があるとやっぱり迷うんです。自分の興味のあるメジャーが将来役に立たないのではないかと不安になったりして‥‥。
どのように選ぶべきか、アドバイスを頂けますか?
南山
本当にこれがやりたいって1個しかないなら、それをやればいいと思います。
でも、将来こういう企業に行きたいんだけれども、その業界とは関係のないメジャーを専攻しているから、じゃあそれが全然役に立たないかっていうと、決してそんなことないと思っています。やっぱり自分が好きなものをやったほうが大学生活楽しいと思いますね。
櫛田
そうですよね。
南山
自分で就職のためだからとか、その先のことを考えてメジャーを選んでも、好きなものじゃないと頭の中に入っていかないと思います。
櫛田
義務感でやってしまう。
南山
義務感でやらされるものと、自分が好きでやったものとでは、好きでやったものを勉強した方が自分も楽しいし、自分の身にもなりますから。 私自身も、大学の時にそこまで深くは考えていませんでしたが、今改めてそういう風に聞かれると、好きなことをやったらいいと絶対おすすめします。
梅原
しかし、逆に興味のあるものが多すぎて一つや二つに絞れない、という悩みもあります。
南山
それなら好きなものの中で、一番興味のあるものから始めて、途中で変えるというのも全然構わないと思います。5年間かけて卒業するんだったら5年間かけて卒業すればいいと思いますし。 自分の将来なんて、2年3年後だって分からないですし、まして10年20年先なんてもっと分からないですよ。
まあ、分からないとは言っても考えなくちゃいけないんですが、そのために今の行動を縛られるのは自分にとってマイナスだと思います。
櫛田
今の自分の興味の赴くままにやったほうがいいということですね。
南山
与えられたものとか、興味があるものを、自分の今の環境で自分の興味の赴くままにやればいいと思います。ICU生は皆そのポテンシャルを持っていると思いますよ。
自分が言うのもなんですが、ICU生は皆そういうところで応用がきく人がそろっていますから、あまり心配しなくて大丈夫です。もう入っている時点でそこは太鼓判押されていると思って。
櫛田
職業に役立つメジャーはあると思いますか?
南山
あるとは思いますけれども、必ずしもそのメジャーを選択したからといって、就職で役立てるかどうかは別問題だと思います。
例えば金融業界に入りたいから経済学を選択したとしても、企業が採用を決める時の事を考えたら、無いよりはましなのでしょうが、でもそのくらいのことだと思いますよ。
櫛田
あとは自分次第ですね。
南山
そうですね、同じメジャーでも皆が皆卒論が同じテーマではないですよね。 31のメジャーがあると言っても、大学が決めたものがたまたま31あるというだけです。一個一個の中でももっと細分化されていると思いますが、それらと先の仕事が一致する人ってほとんどいないと思います。
梅原
あー、それはたしかにそうですね!
南山
私はマクロ経済学と、市役所の仕事ははっきり言って全くかみ合ってないと思いますけど、それはそれでとても良かったと思っています。 経済学を専攻したことについて後悔したことはないですね。行政学や公共政策はもう少し勉強した方が良かったかなとは思いますが。
でもそれらをメジャーにしたかったかというと、その当時はしてないと思いますし、そうしていたら自分はまた違う道を選んでいたかもしれないですね。
櫛田
メジャー選択と将来の人生は、やはり結びついているものなのでしょうか。
南山
社会人の立場になってみると、受けてくる学生が何をやっているかということはあまり関係ないですよ。 採用理由の一つにはなるかもしれませんけど、決定打には絶対ならないと思いますから。だから興味があること、好きなことをやっている姿を見せたほうがアピールになるんじゃないでしょうか。
櫛田
たしかに、そうですね。
南山
そのためには勉強でも何でも何かしら関わってみて、その中から一番好きなもの、これだったら興味持てるかな、というものから始めていけばいいんじゃないでしょうか。
だから思い切り悩んで!でもただ「どうしよう、どうしよう」って悩むのではなく、もう少し合理的に、これとこれとこれが好きだから、というような判断材料を自分の中で考えてから迷って決めたほうがいいですよ。
櫛田
では改めて最後に、メジャー選びに迷っている学生にアドバイスをお願いします。
南山
自分に素直になればいいと思います。
将来の事を考えすぎないで、今の自分が何をしたいのかを考えて、やりたいことを選べるのが大学生の特権です。仕事や就職の事ばかり考えて勉強するのは損ですし、面白くないと思います。もちろん今はこういうご時世ですから、就活の時に例えばこの資格を持っているからとか、こんな専門知識があるからとか、そんな側面から選ばれるようになるかもしれません。なので、あるに越したことはないのかもしれません。
でも、一番大事なのは、自分の人間的なものというか、「ぜひこの人と働きたい」と思ってもらえるような人になっているか、という視点だと思います。って、あまり偉そうなことは言えないですけどね(笑)。
櫛田
確かに、人間的な魅力が一番大事ですね。
本日はどうもありがとうございました。

<おわります>